Anyone can't separate my soul from me except love of God
第5章 揺れる象牙の塔
イングランド共和国、このケンブリッジシャーの州都であるケンブリッジは、時節は3月の上旬であったが、梅雨のような雨季もなく、またイングランド自体、高緯度に面していたので、まだコートが手放せない時期であったが、とても過ごしやすい気候であった。
それで、ギース・ブラジュロンヌ秘書官とサラ・カルマン・セラフィム司教はそのケンブリッジ大学のノーベル賞受賞の学者たちと面談する予定だったが・・・、
サラの方が急にブラジュロンヌの方を向いて言った。
「ねえ、ブラジュロンヌ秘書官、私が思うに、ケンブリッジ大学の学者の方々との面談は後回しにして、先にロンドンの方へ行って、ハウ教授の話と、あなたの遠縁であるニール・ブラジュロンヌ内務尚書との会談を先に済ませませんか?」
それを聞いたブラジュロンヌが不思議に思った。
「え?それはどうしてそう思うのですか?カルマン司教?」
「どうしてって・・・、それは・・・」
この時、その2人に1台の車が止まった。
「はーい、久し振り!サラ」
「ああ、エマお姉さん、今日はよろしくお願いします」
「?」
ブラジュロンヌはそのサラ・カルマン・セラフィムとエマと呼ばれた30代後半ぐらいの女性の関係が気になった。
ブラジュロンヌがサラに訊く。
「カルマン司教、その女性とはどんな関係なのですか?」
「どんな関係って、私のお姉さんです。今の名前はエマ・モーズレイですけど」
そのエマがブラジュロンヌに快く挨拶した。このエマ・モーズレイはかつて、サラが生まれる8年前、エマ・カルマン・セラフィムとして、この世に生を受けたのであった。
「あなた、妹のお知り合い?初めまして、私はエマ・モーズレイって言います。今日は車でここからロンドンに飛ばすけど大丈夫かしら?」
ブラジュロンヌが疑問の声を上げた。
「え?このケンブリッジから車でロンドンへ向かうんですか?」
エマは強く頷いた。
「そうよ」
ケンブリッジからロンドンまでは距離にして60~70キロあったが、その結構な距離を「カルマン姉妹」と一緒に車に同乗するとは、ブラジュロンヌは意外に思ったのである。
そして、その車の中で、ブラジュロンヌはエマに訊いてきた。
「モーズレイさんは普段、何をされているのでしょうか?」
「何って、イングランド共和国の駐在大使よ」
「へー、そうだったんですか、でも何故そのような「大役」をブルボン王朝から仰せつかったのですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
エマは何も答えようとしなかった。そこへ、ブラジュロンヌと一緒に後部座席に同席するサラが小声で彼に囁いた。
「実は、お姉さん、数年前に国王陛下とちょっと、そういう関係だったのよ、だから、自ら志願して、このイングランド共和国の大使になったって訳・・・」
それを聞いたブラジュロンヌは頷いて、
「ああ、そうだったんですか?それはとんだ失礼なことを訊きました・・・」
と、小声でサラに応答した。
その会話を聞いたのか、聞かなかったのか、エマはその2人に運転席から話しかけた。
「あなたたち、仲がいいのね、私なんか前の前の旦那と子供1人、今の旦那と子供1人よ」
と、自ら離婚経験が2回あることを2人に明らかにした。
それを聞いたサラが自らの姉に言葉を返した。
「・・・お姉さんのプライベートは私には真似できません」
その短い返答に姉のサラは、
「私も、あなたみたいな純粋培養された理系女子にはなれないから・・・」
と、この短い会話の中で姉妹の「個性の違い」をブラジュロンヌにアピールした。
「・・・・・・・・・・・・」
ブラジュロンヌはその小型自動車の後部座席で、鞄を持ちながらその2人のちょっとした衝突に沈黙するだけであった。
そして、一行はロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスター地区に来て、運転手役のエマは2人に言った。
「さあ、私の役目はここまでよ。この庁舎の中で、ニール・ブラジュロンヌ内務尚書と、サラ、あなたが裁判で弁護することになったラングレー被告を検察するカレン・ラッシュフォード主任検事が待っています。ブラジュロンヌさんは遠縁の者としての閣下に久々の再会、あなたの方は・・・」
エマは妹のサラにまとめの言葉を言う前に少し、間を置いた。
「ラングレー被告の裁判で質疑応答する前に、主任検事のカレン・ラッシュフォードさんとの前哨戦があると思うけど・・・、ご健闘を祈るわ」
「はい、あまり気負い過ぎないように頑張ります」
実の姉にそう言った後、サラはブラジュロンヌと共に、このシティ・オブ・ウェストミンスターにある内務省庁舎に足を運んだ。
この内務省庁舎の廊下を2人で歩いていた時、彼らは廊下の向こう側を歩くアマンダ・ロズマンス外務尚書を見たのであった。
「あっ、あの人は、アマンダ・ロズマンス外務尚書ではないのですか?カルマン司教?」
「はい、私、ちょっと、挨拶してきます」
サラはそのロズマンスに向かって走って行った。
「あの、お久しぶりです。ロズマンスさん」
「あらっ、カルマンさんじゃない、久し振りね、今日は何をしにイギリスへ来られたのかしら?」
「はい、私とブラジュロンヌ秘書官はあのSTAP細胞問題の根本となった問題を調査にこのイギリスへやって来ました」
「そう、それは大変ね、私の方は東ヨーロッパでロシア帝国がキエフ公国に侵攻したことについて、スウェーデン王国やフランス王国、スペイン王国とテレビ会議する為にこの内務省に来たのだけれど」
「そうですか。ロズマンスさんもお忙しそうなので、私はこれにて失礼致します」
「じゃあね、カルマンさん」
と、サラはロズマンスに別れを告げて、また再びブラジュロンヌのいる廊下まで戻ったのであった。
「カルマン司教、司教はあのロズマンス外務尚書とお知り合いだったのですか?」
そのブラジュロンヌの問いかけにサラはこう答えた。
「そうですね、私がイートン校の女子部時代、ロズマンスさんは私が妹さんと同い年ということで、私のことを実の妹のように可愛いがられました、ただ、丁度その頃・・・」
「はい、確か、10年ぐらい前に、このイングランドでピューリタン革命が起こり、ロズマンス外務尚書の父上、つまり、国王チャールズ1世はクロムウェル護国卿に処刑されたのですよね・・・」
その話にサラが頷いた。
「はい、それで、その件でロズマンスさんはかつての「メアリー」という名前をアマンダに、次女のエリザベスさんはヴィヴィアン・シェルビーと名前を変え、我が国に亡命しました」
つまり、そのアマンダ・ロズマンスは、「父の敵」であるオリバー・クロムウェルの組閣する内閣に外務尚書として入閣し、内閣という組織の中で、クロムウェル護国卿と「見えない刃をお互い突き立てている」状態であったのだ。
ここで、サラとブラジュロンヌはこのロズマンスのプライベートなことについて会話を始めた。
ブラジュロンヌがサラの方を向いた。
「・・・ただその、あのロズマンス外務尚書はちょっと前に、「ロズマンス商会」というIT関係の企業経営者の方と結婚されたそうですね・・・。その方の総資産は何億ポンドにもなると週刊誌が報じていましたね」
それを聞いたサラが一息置いて彼に返答した。
「そのことは私も知りました。確か、妹さんがお子さんを持たれているので、ロズマンスさん自体、子供を作る意志はないと思ったのですが・・・」
サラが話を続けた。
「しかし、ロズマンスさんは最近3人目の出産から公務に復帰されました。その旦那さんは婚外子を何人か持たれていますよね・・・」
ブラジュロンヌがそのロズマンスのプライベートなことに再び言及する。
「ええ、ただ、あのロズマンスさんは長年ワイドショーの司会をしていました」
ブラジュロンヌが話を続ける。
「ワイドショーって、社会的事件も取扱いますが、有名人の人生についても色々取材するじゃないですか。当然、AさんにはAさんの人生、BさんにはBさんの人生、ⅭさんにはⅭさんの人生、とくれば、犯罪者でなければどの人生が素晴らしいとは一概に言えません。ロズマンスさんはそういう仕事をしながら、自分というものを強く持たれた人だと思いますが」
サラもそのことには頷いた。
「やはり、ロズマンスさんも才媛らしく明暗がはっきりとした為人ですね」
その後、2人はその会話を一旦止め、愈々、ニール・ブラジュロンヌ内務尚書の執務室へ入っていたのであった。
「お久しぶりです、ブラジュロンヌ内務尚書」
「うん、君との再会は約10年ぶりだね、その時、君はまだフランスのリセの学生だったと思うけど・・・」
「はい」
ギース・ブラジュロンヌの短い返答に対し、ニール・ブラジュロンヌは一つの問いかけをした。
「ブラジュロンヌ秘書官、君の隣の小柄な女性は誰かな?」
それを聞いたサラは即座に自己紹介をした。
「初めまして、サラ・カルマン・セラフィムと申します。私は内務尚書の遠縁であるブラジュロンヌ秘書官と大学時代が同期でして、故会って今回、ケイト・ノエル・ラングレー被告の弁護を裁判で致します」
「そうか・・・、しかし、我々としては・・・」
ニール・ブラジュロンヌがそう言った丁度、その時、この裁判で主任検事をやることになったカレン・ラッシュフォードがこのブラジュロンヌ内務尚書の執務室へ入って来た。
「失礼致します、内務尚書閣下。あれ?お客様なのですか?」
それに対し、ニール・ブラジュロンヌは頷き、
「うん、確かにそうなんだが、こちらの女性が・・・」
そう言うと、サラの方はラッシュフォードに挑発的ともとれるような挨拶をした。
「初めまして、あなたがこの裁判で主任検事をされるカレン・ラッシュフォードさんですね?私はラングレー被告の弁護をするサラ・カルマン・セラフィムです。私はラッシュフォード検事の経歴を文書で読みましたが、何でも、23歳で司法試験を突破されたようですが、私も同じ位の歳の時、高分子についての論文で賞を取らせて頂きました」
それを聞いたラッシュフォードがサラに対して怒りを帯びて言い返した。
「何?あなた、弁護士や検事の資格も持ってないのに、この裁判でラングレー被告の弁護をしようって言うの?」
サラは自然と頷き、
「はい、この裁判では、ラングレー被告があのサザーランド教授を殺害したか、していないのかを問うだけでなく、STAP細胞事件が何故起きたのか?をその裁判の中で検証する必要があります。だから、刑事裁判として一般の弁護士も私たちに付いていますが、この裁判での主任の弁護役はこの私なのです」
と、ラッシュフォードに悠然と説明した。
「そう・・・、でもこちらにはラングレー被告を有罪にする有力な証拠が・・・」
そのようにラッシュフォードがサラに反論しようとしたところ、ニール・ブラジュロンヌがそれを制止した。
しかし、サラはそのラッシュフォードへのある種の追及を止めなかった。
「でも、何でもラッシュフォード検事は30歳そこそこでこのような大きな裁判での主任検事をされることになったのは、そちらのニール・ブラジュロンヌ内務尚書閣下のお力があったからだとか、そのようなお噂を私お聞きしまして・・・」
サラのその言葉に、ラッシュフォードの怒りは頂点に達しようとしていた。
「カルマン司教!あなたは完全に私を侮辱しています。ラングレー被告の裁判が行われる前にあなたを名誉棄損罪で告訴し・・・」
今度はさすがに、ギース・ブラジュロンヌが2人の仲裁に入った。
「カルマン司教、止めましょう、ここはブラジュロンヌ内務尚書の執務室です。ここで単なる噂をラッシュフォード検事に話すことは誹謗中傷にも聞こえます、ここは抑えて下さい」
自分の体を抑えたギース・ブラジュロンヌを見た後、サラはラッシュフォードに一礼した。
「そうですね・・・、これはラッシュフォード検事、風の噂で人の素性を判断してしまったこと、深くお詫び申し上げます」
「・・・・・・・・・・・・」
ラッシュフォードはサラの謝罪の言葉を聞いて一先ず大人しくなった。
ここで、ギース・ブラジュロンヌはニール・ブラジュロンヌとカレン・ラッシュフォードに別れの挨拶をした。
「それでは、ブラジュロンヌ内務尚書、ラッシュフォード検事、これにてお暇させていただきます。我々はこの後、ロンドン大学のハウ教授にも会わねばなりませんので・・・、また、ラングレー被告の裁判はこの僕も傍聴させてもらおうと思いますので・・・」
それを聞いたニール・ブラジュロンヌが安堵の意を示した。
「そうか、君たちも結構多忙だね、ならば、早くロンドン大学へ行くといいさ」
「はい」
「ええ、そうしたいと思います」
ギース・ブラジュロンヌとサラ・カルマン・セラフィムはニール・ブラジュロンヌとカレン・ラッシュフォードに別れの挨拶をして、次の目的地であるロンドン大学のハウ教授の研究室へ行くことにした。
内務省庁舎の階段を下りながら、ブラジュロンヌはサラに話しかけた。
「カルマン司教、あの執務室でラッシュフォード検事にあそこまで詰め寄ることはなかったのではないのですか?」
そのブラジュロンヌの問いにサラは毅然と答えた。
「ブラジュロンヌ秘書官、「敵を欺くにはまず見方から」という言葉があります。つまり、私がラッシュフォード検事を罵倒した時、秘書官が「これは演技」とわかっていれば、私をあんなに真剣に制止しようとしなかったでしょう・・・、要するに「あれ」は見方をも欺いた私の演技なのですよ・・・」
「そうですか・・・、それを聞いて僕も少し安心しました」
「では行きましょう、次の目的地であるロンドン大学のハウ教授の研究室へ」
「はい」
ブラジュロンヌとサラは次の目的地であるロンドン大学があるカムデン・ロンドン特別区へ地下鉄を使ってハウ教授の研究室まで足を運んだ。
「どうも、初めまして、先生がジョン・エイムス・ハウ教授ですね?私はブルボン王朝、ルイ13世の下で秘書官をやっているギース・ブラジュロンヌと申します。このような天候の良い日にハウ教授の所へやって来て良かったです」
ブラジュロンヌは初対面のイギリス人がよくやる天候のことを織り交ぜてハウに挨拶した。
「同じく、リシュリュー枢機卿を通じてローマ教皇に認可を頂いて、今年の夏にカトリック司教となったサラ・カルマン・セラフィムです」
その若い2人の挨拶を聞いたハウはこのように応答した。
「ああ、それはどうも、しかし、お2人とも肩書が政治家や宗教家のような感じだけれども、私に一体何の用だね?」
そのハウの問いかけに対し、サラはきっぱりと答えた。
「実は、ハウ教授と共にSTAP細胞の論文を書いたケイト・ノエル・ラングレー被告の弁護を私、裁判ですることになりまして・・・」
「そうかね・・・」
ハウのその応答はやや嘆息気味だった。この時、ハウの年齢は50歳位だったが、風貌としてはその頭髪こそ乏しかったが、専門知識の豊富な科学者そのものだった。
ブラジュロンヌがここでハウに問いかける。
「実は、僕たちがここでハウ教授にお聞きしたいのは、教授とラングレー被告の関係と、STAP細胞の万能性についての件のことについてなんですが・・・」
「わかった、じゃあ、私の知る限りのことについて話すよ」
ジョン・エイムス・ハウとギース・ブラジュロンヌ、そして、サラ・カルマン・セラフィムの3人は研究室の椅子に座って話を始めた。
そして、ハウは以前あったことを述懐し始めた。
「ラングレーさんと知り合ったのは、今から5年前、彼女がエコール・ポリテクニークの大学院を修了して、ハーバード大学の大学院生になった頃だよ、その後、私はこのロンドン大学で新設された附属ライフサイエンス実験施設を施設長として、研究室を自由に使用できるという条件でこっちに移ったんだが・・・」
ブラジュロンヌがそれに対して、ハウに問いかけた。
「それじゃ、ハウ教授とラングレー被告はそれ程長く同じ研究室にいた訳ではなかったのですね?」
ハウが首を横に振った。
「いや、私がラングレーさんと一緒に研究をしていた期間はかれこれ2年近くになるよ・・・」
しかし、サラが所謂マスコミで騒がれたことを自らの専門的な知識を用いて再び、ハウに話す。
「ただ、ハウ教授は、教授の渡した赤ちゃんマウスのリンパ球でラングレーさんがSTAP細胞を製作し、それを使って、教授がSTAP幹細胞やキメラマウスを製作されても、元の型の遺伝子型が発見できなかったことが後になってわかってきましたね」
「・・・・・・・・・・・・」
ハウは沈黙を守った。
ここで、ブラジュロンヌはYouTubeで見たことのある質問をハウにぶつけた。
「あの、僕、パソコンのYouTubeで見たのですが、ハウ教授は「もう二度とラングレーさんとは関わりたくない」と、言われたらしいのですが、本当ですか?」
初め、答えにくそうにしていたハウだったが、それについても重い口を開いた。
「ラングレーさんには申し訳ないが、結論的にはそうなるね・・・」
しかし、ここで、サラはリシュリューから預かった1枚の書面をハウの前で読んだ。
「・・・親愛なるジョン・エイムス・ハウロンドン大学教授へ、私は現フランス王国宰相アルマン・ジャン・デュ・プレシー・ド・リシュリューです。実は、私の方も隣国で行われている宗教的内戦やロシア帝国がキエフ公国に侵攻したことが終結しましたら、宗教的事柄とは別に、医学・生物学的な事柄の大切さを私個人、世の中で伝えようと思っています。それで、私の方は「男、あるいはオス」「女、あるいはメス」というものを産み分けることに関心を持っています。
・・・ですから、今度の裁判ではラングレー被告はカルマン司教などの活躍で無罪を勝ち取ることができると思いますが、そうなりましたら、ラングレー被告だけでなく、是非、ハウ教授にも、「男女」あるいは「オスメス」の産み分けの実験・研究をして欲しいのです。
ハウ教授はネズミなどの哺乳類の幹細胞を分化させる専門家だとお聞きしましたが、少し、専門外かもしれませんが、例えば、ケンブリッジ大学のガードン博士が行ったオタマジャクシの核移植実験では、除核した卵細胞に腸の核を移植する実験において、その成功率は移植する核は発生段階が早い方が高いことが知られています。
つまり、これから推測するに、「オス」と「メス」の産み分けも、早い段階でやらなければならない、ということになってくるのではないでしょうか?
これを持ちまして、私の書面を終わらせていただきます。 敬具 」
と、サラはリシュリューから預かった書面の朗読を終えた。
「うん・・・・・・・・」
ハウは一応、リシュリューの書いた書面の内容を理解したようであった。
ここで、ブラジュロンヌが希望的観測を話した。
「ハウ教授はさっき、「もう二度とラングレーさんとは関わりたくない」と、言われましたが、もしかしたら、今回のリシュリュー枢機卿の書面がある種の助け船になるかもしれませんね・・・」
「まぁ、まだそうなるとは限らないけどな・・・」
ハウは机に置いてあった一杯の紅茶を口に入れた。
この時、サラは小型カメラの内蔵されたペンをハウに悟られずにブラジュロンヌに渡し、そして、ブラジュロンヌが慌ててメモ帳を鞄から出した。
「ところで、ハウ教授、教授の専門は分子生物学ですよね?私もパリ大学で生物学を専攻したもので、教授の16年間冷凍保存していたマウスのクローン化についてお聴きしたいのですが・・・」
「ああ、勿論いいよ」
サラの口からその言葉を聞くと、ハウは得意げにそれについての論文を本棚から取り上げて彼女に見せた。
「・・・・・・・・・・・・・」
この時、サラはブラジュロンヌに目配せでハウの研究室にある薬品棚を撮影するように指示した。
このマウスのクローン化の論文を読むと、サラはそろそろ時間ですと、ハウに別れの挨拶をした。
サラはそろそろ時間ですと、ハウに別れの挨拶をした。
「それでは、ハウ教授、長らくお邪魔しました、我々は明日、またケンブリッジ大学の方へ戻らないといいけないので・・・」
「ええ、それでは、僕の方もお暇致します」
「ええ、それでは、僕の方もお暇致します」
サラとブラジュロンヌはそのようにハウに別れの挨拶をしたが、ハウの方は名残惜しそうに言った。
「じゃあ、2人とも、さようなら。カルマンさんの方はラングレー被告が無罪になるように努力してください。ただ、ここで「たられば話」をするのはちょっと未練がましいのはわかっているが・・・」
ハウが一息置いた。
「もしも、このSTAP細胞の研究をする相手がラングレー被告ではなくあなただったら、歴史は変わっていた・・・。という話はここだけの話にしておいて欲しい」
「はい、わかりました。教授とはまたこれらの件でお話ししなければならないことがあるかもしれませんから・・・」
サラは小さく頷いた。
サラとブラジュロンヌはハウの研究室を後にした。
しかし、その後、ブラジュロンヌがサラにこのロンドン大学の構内にて話しかけた。
その後、ブラジュロンヌはサラに何故、ハウの研究室の薬品棚を撮影する必要があるのか訊いてきた。
「カルマン司教、何故、僕にハウ教授の薬品棚を撮影させたのですか?」
「はい、それは、私が教授の研究室の薬品棚を一瞥したところ、シアン化カリウムの原料であるフェロシアン化カリウムの瓶があることを発見しました。その為に秘書官に盗撮を依頼したのです」
サラのその話を聞いた時、ブラジュロンヌは驚愕の表情となった。
「エエッ?!じゃあ、サザーランド教授を殺害したのはハウ教授ということになるのですか?」
「それはまだわかりません。ただ、そのペンに内蔵されたカメラの写真を現像して、スコットランドヤードのロジャース警視にそれを見せ、サザーランド教授殺害事件の再捜査を依頼することが肝要です。ただ、話題は全く変わりますが・・・」
「ただ、何ですか?カルマン司教」
「ハウ教授にせよ、サザーランド教授にせよ、ラングレー研究員に「実験ノートを見せなさい」と言ったことは一度もないと言われています、私だって、大学の卒研や大学院での研究でも、主任教官には必ず実験ノートを見せているのに・・・」
ブラジュロンヌがサラに頷いた。
「そうですね、僕ら理科系は「できること」が大事なのですから、「そのできる過程」を指導者に見せないのは問題ですね・・・」
この後、2人はロンドンのとあるホテルに宿泊したが、翌日には現像した写真をスコットランドヤードのロジャース警視に見せることになったのである。
そして、翌日、ウエストミンスター区のスコットランドヤードの本庁舎の建物の5階にて、
サラとブラジュロンヌはこのサザーランド教授殺害事件の担当を担ったキドナップ・ロジャースに自己紹介をした後、昨日撮影したハウの研究室の薬品棚を写した写真を見せた。
サラがロジャースに話しかける。
「ロジャース警視、こちらの写真をご覧下さい」
「・・・この写真がどうかしたのかね?」
「こちらはあのSTAP細胞事件で話題となったハウ教授の研究室です。研究室の薬品棚からシアン化カリウムの原料であるフェロシアン化カリウムの瓶があることを私は発見しました」
「それが何だと言うのだね?まさか、ハウ教授がサザーランド教授を殺害した張本人だとでも君は言うのかね?」
「私の推理ではサザーランド教授にシアン化カリウムを飲ませた真犯人は別にいる筈です。ハウ教授は青酸カリを作成しただけに過ぎないと思っています」
しかし、ロジャースはサラのその推理を訝しんだ。
「カルマン司教とか言ったね、実際の事件はあのアーサー・コナン・ドイルの創作したシャーロック・ホームズの様にはいかないだろう、これだけでは状況証拠、物的証拠が少なすぎる」
このロジャースの発言に対し、サラは頷きながらも自説を言った。
「はい、ですから、こちらもハウ教授が製法した青酸カリを一体誰に、何の為にそれを渡したのか?調査を進めて参りますので、ロンドン警視庁にも再捜査の依頼を今、我々はしておきたいのです」
それを聞いたロジャースは初めてサラの依頼に頷いた。
「わかった、それじゃ、こちらもサザーランド教授殺害事件の再捜査を進める手筈を取ってみるよ」
「ありがとうございます、ロジャース警視」
この時、ブラジュロンヌがロジャースに一言訊いてきた。
「あの、その当時のサザーランド教授殺害事件の資料は保存されているのですか?」
「勿論だよ、それらは捜査資料管理室に保存されている」
「そうですか、わかりました。それでは、我々はこれにてこの場は失礼させて頂きます」
そう言って、ブラジュロンヌはロジャースに一礼して別れた。
その同じ頃、パリの第7区で新しくできた温水プール場に・・・、
若い女の声が弾けた。
「ねえ、マザランさん、早くプールへ入って来て、一緒に泳ぎましょうよ」
そのビキニ姿の女の正体はアンヌ・ドートリッシュ、現フランス王国国王の正式な妃である。
「わ、わかりました、俺、そっちへ飛び込みますから」
トランクス型の海水パンツをはいていたマザランはアンヌの方へ飛び込んだ。
「ここは温水プールで夏場以外でも来れるから、私、どうしても、夫以外の人とここに来たかったのよ」
「あの、王妃陛下、そのようなことあまり大声で言われますと周囲の者にこのことが・・・」
「いいじゃない、別に、私はあの人と結婚して数年が経つけれど、子供を欲していないみたいだし、あのファビウスっいう小姓とのゲイの関係の方が楽しいのよ、きっと・・・」
「国王陛下に関しては、そんなことはないと思いますが・・・」
「マザランさん、私、準備体操をしないでプールに入っちゃったから、足がつっちゃったみたい、私の体に、プールサイドまで寄り添ってくれます?」
「は、はぁ・・・」
普段は「硬派」で通っているマザランもこのアンヌの色仕掛けにタジタジであった。
その様子を3人の「男女」が別々の場所で見ていた。
1人はマザランの内縁の妻、シルヴィ・バルテルミーはアンヌと同じくビキニ姿であったが・・・、
そして、もう2人、そのアンヌとマザランの「不倫現場」を目撃したのが、何故か、女子用のスクール水着を着たフランス王国宰相のリシュリューであり、もう1人、そこに居合わせた者の外見は女のような姿だったが・・・。
「全く、何なのよ、あの2人・・・」
両手を腰に当てながらそう独語したカトリーヌに同調するようにリシュリューが、
「そうですね、シルヴィさん、こうなったら私たちであの2人の「不倫」を止めに行きましょうかしら?」
と、彼が女子用のスクール水着を着ているせいか、まるで、サザーランドがブラジュロンヌにホテルのサウナ室で言い寄って来た時のように、女のような言葉遣いをしたのであった。
「リシュリュー枢機卿、ここにおられたのですね、今まで気づきませんでした」
シルヴィが驚きの返事をした。
「あの2人があんなことをやっている間、隣国神聖ローマ帝国では、トゥールモンド大佐がスウェーデン王国軍と共に戦い、キエフ公国国境へはセザール准将とムーラン准将が遠征に行き、そして、イングランド共和国へはブラジュロンヌ秘書官とカルマン司教が出張に赴いているというのにね・・・」
その長いリシュリューの台詞に対し、シルヴィが答える。
「では、リシュリュー枢機卿が言いたいのは、こんな状況にあの2人があんなことをしているのはおかしいと、私に言いたいのですね?」
「いいえ、シルヴィさん、あなたがプライベートでマザランにこのことを咎めるのは止めようがないけれど、彼の方も王妃陛下の退屈さを紛らわしているとすれば、それは公的な任務かもしれませんわ、どうかできるだけこのことは穏便にお願いしますわ・・・」
「はい、わかりました。ところで、枢機卿閣下の横にいる人は誰ですか?」
シルヴィは落ち着きながらリシュリューに訊いた。
「初めまして、私、シャルロット・ルルーって言います。よろしく」
そのビキニ姿の「女」は姿こそ女であったが、その声は「男」に近いものがあった。
その「矛盾」を不思議に思ったシルヴィがシャルロットに訊いた。
「あなたは・・・?男、それとも、女なのですか?」
シャルロットは快くシルヴィに答えた。
「はい、私は初め、ガブリエル・ロルとして生を受けました。でも、私は18歳で去勢手術、23歳で豊胸手術、26歳で性転換手術を受け、総額75000フランを掛け、やっと、女の体を手に入れられました」
「そうですか、それは大変でしたね」
「はい、女は1日してならずであります」
しかし、そのシャルロットとの会話を終わりにして、シルヴィはマザランとアンヌ、その2人がプールサイドに上がると、そこへ走って行った。理性ではなく、感性を伴って・・・。
その後、リシュリューとシャルロットはシルヴィの後を追った。
「楽しそうね、ジュール、そちらの若い貴婦人と一緒に・・・」
「ゲッ、シルヴィ!ああ、これには深い訳があるんだ・・・」
マザランは如何にも見られたくないところを見られたといった表情でシルヴィの顔を見つめた。
しかし、アンヌ・ドートリッシュはこのシルヴィ・バルテルミーにも「フランス王国国王王妃」として、慇懃な挨拶をした。
「ああ、これはどうも、このマザランさんの親しい方なのですね、私はフランス王国国王の王妃アンヌ・ドートリッシュ、先程までこのマザランさんに泳ぎのコーチをして頂きました。改めてお礼を申し上げます」
「・・・・・・・・・・・・」
シルヴィはそのアンヌの挨拶に沈黙するだけであった。
そこに現れたのがスクール水着姿のリシュリューであったが、マザランに対し、このようにアドバイスした。
「マザラン、今日の王妃陛下とのデートは公的任務だってことをシルヴィさんに伝えといたから、安心してね」
「そ、そうっすか、そりゃどうも・・・」
この後、シャルロットはマザランにも挨拶をした。
「初めまして、マザランさん、今度、もしも、あなたが「不倫」したい相手として私を選んでくれたならば、至福の限りです。どうぞよろしくお願いいたします」
「は、はぁ・・・、それでは機会ありましたら・・・」
ここで何故か、マザランの右手をシャルロットが両手で握り、「男同士」とも「男女」とも取れる握手を交わし、別れたのであった。
そして、イングランド共和国のケンブリッジ大学では、サラがブラジュロンヌに後日に順延して欲しいと頼んだケンブリッジ大学のノーベル賞受賞学者、エイドリアン・ネヴィル・ランドルフとシリル・メイスンに会う日となったのである。
サラが2人の老学者に話しかけた。
「ランドルフ教授、メイスン教授、今日はよろしくお願い致します」
「うむ」
「はい、よろしく」
サラの挨拶に対し、ランドルフは如何にも重厚に、メイスンは軽妙に答えた。
その後、ブラジュロンヌの方はこの自然科学部門の重鎮たちに、
「ランドルフ教授は6年前にノーベル化学賞を、メイスン教授は8年前にノーベル物理学賞をそれぞれ受賞されていますが、このケンブリッジ大学で起きた前代未聞の科学的スキャンダル、どうお考えですか?」
と、畏まりながら2人に訊いてきた。
それに対し、ランドルフは、
「科学者が間違いをおこすことは当然ある、その場合は、正直に間違いを正すというプロセスが科学にはあり得るわけである。しかし、多少でも間違いが意図的に行われたとしたら、科学の世界では犯罪である、それに・・・」
と、怒りを帯びながら話して、
「ラングレー被告には論文のコピペ疑惑も出ています。科学では、コピペしたら、それはもう偽造であり、偽造とは「嘘つき」という意味以外にありません」
と、若い2人に話した。
ブラジュロンヌがそれに答える。
「つまり、ラングレー被告が犯した失敗は努力したにも関わらず、犯した失敗ということではなくて、もう失敗しかない結果の研究であったと、そのようにランドルフ先生はおっしゃりたいのですね?」
「うむ」
頷くランドルフに対し、ブラジュロンヌが、手元にある資料を見ながら再び答えた。
「まあ、ランドルフ先生は有機ハロゲン化合物と有機亜鉛化合物をパラジウム触媒を使って、炭素原子同士を結び付け、その反応によって、今日の生活を支える物質を作り出す理論を導き出した方ですから、そのお怒りはごもっともだと思います・・・」
今度はサラがメイスンに訊いてきた。
「メイスン教授は今回の事件をどのようにお考えですか?」
「私はね、まぁ確かにラングレー被告たちの行った捏造疑惑をそちらのランドルフ教授と共に憂いていますが、ただ、私の親戚が神聖ローマ帝国で行われている内戦の惨禍に巻き込まれ、亡くなったのですよ・・・、ですから・・・」
「ですから、何でしょうか?メイスン先生?」
サラのその問いに対し、メイスンは、
「科学の発展を捏造するのも確かに「犯罪」まがいかもしれませんが、「戦争犯罪」よりはるかにマシだと、私はそう考えます、だから、私たちは今回のロシア帝国のキエフ公国侵攻に対し、私の横にいるランドルフ教授や他のノーベル賞受賞者と共に「侵攻反対」のメッセージを出したのですよ」
そのように語り、メイスンはメディアで知れ渡っているように、「物理学者兼平和学者」というスタンスを2人の若い理科系男女に対しても崩さなかった。
「そうですか、貴重なご意見ありがとうございます」
サラは丁重にメイスンの回答に感謝の意を述べた。
ここで、ランドルフが若い2人に注文をつけた。
「ところで、2人共、君たちは理系の大学院を修了している、それなのに、肩書が「秘書官」や「カトリック司教」なのか?君たちならあのラングレー被告よりまともな研究ができるはずではないのか?」
それに対し、ブラジュロンヌは言い出しにくそうに弁明をした。
「ああ、それはですね、ランドルフ教授、私はその現フランス王国国王のルイ13世から直接「秘書官」の任命を受けましたので、中々、今は専門の研究職に就くのが難しいのですよ・・・」
そして、サラが自分の現状をブラジュロンヌに続いて話した。
「ランドルフ教授、私の方はフランス王国宰相のリシュリュー枢機卿を通じてローマ教皇に直接、「飛び級」で司教にさせて頂きました。無論、それはラングレー被告に代わって、何故、STAP細胞事件が起きたのか、世の人にわかりやすく説明して欲しいと、枢機卿に頼まれたのです・・・」
と、サラはランドルフに説明したが、まさか、リシュリューの真意が「ケイト・ノエル・ラングレーに代わる理系女子のアイドルになれ」というニュアンスは自らの口で言えなかった。
ここで、温和なメイスンが2人にアドバイスした。
「2人共、まだ20代後半だったな、学問を収めるのに30、40歳過ぎてもおかしくはない、ランドルフ教授の言ったことは君たちの心の中にとっておけばいい・・・」
サラが2人の老学者に別れの挨拶をする。
「それでは、お2人共、今日のところはお忙しいところ時間を割いて頂きありがとうございました」
「それでは・・・」
ブラジュロンヌはそう言って2人に頭を下げた。
それから、そのケンブリッジ大学の校舎をバックにサラとブラジュロンヌが少し会話をした。
ブラジュロンヌがサラにに話しかけた。
ブラジュロンヌがサラに話しかけた。
「ああ、まだまだカルマン司教はこのイングランド共和国での科学的事件と殺人容疑事件の解明の仕事が続きますね」
「ええ、そうですね、ブラジュロンヌ秘書官」
「それで、ランドルフ教授に言われたこと、どう思います?」
「僕らが理系の専門職になるって話は・・・、それぞれ僕らをこの官位に任命してくれた方に相談するしかないと思いますが・・・」
「そうですね、そうするしかありませんね・・・」
それから、ブラジュロンヌは思い出したようにサラにサザーランド教授殺害事件の真相について訊いてきた。
「ああそうだ、カルマン司教、この後、我々はロンドンに戻ってロジャース警視のサザーランド教授殺害事件の事件調書を閲覧することになるのですよね?」
「・・・・・・・・・・・・・」
暫くの沈黙の後、サラは重い口調でブラジュロンヌに答えた。
「ブラジュロンヌ秘書官、私は大学院修士課程修了後、リシュリュー枢機卿の勧めで同じパリ大学で神学を勉強しました。そこで、「人の身に取り憑く悪霊によって犯される罪は許されるが、聖霊を冒涜する罪は許されない」と、教えを受けました・・・」
「えっ?何が言いたいのですか?カルマン司教」
「つまり、キリスト教カトリックの教えでは、人の犯した罪は償えると教えられています。しかし、私たちが今、しようとしていることは、サザーランド教授殺害事件の真犯人を見つけ出し、刑法によって罰しようとしているのは、かなり相矛盾した行動を取ろうとしているのではないか?と、私は思うのです」
サラの述懐を聞いたブラジュロンヌはこう言って彼女を宥めた。
「まぁ、カルマン司教の活躍でラングレー被告の濡れ衣が取れるなら、それはそれでいいではないですか」
この時、ケンブリッジの初春の空は夕陽の最後の余光が残っているだけで、その余光が校舎や周りの木々、そして、流れる川に別れの光を与えていた。




