Anyone can't separate my soul from me except love of God
第3章 ジュール・レイモン・マザラン参上
先程と同じように、リシュリューがラングレーに国の減反政策と同じように、「男女産み分け」政策が必要なことを説明しようとした時・・・、
この時、聞き覚えのある声がリシュリューの背後から聞こえた。
「ちわーす、丞相閣下。ジュール・マザラン只今参上しました」
その声にリシュリューはかなり驚いたようであった。
「な、何だ、マザランか、脅かすなよ」
「脅かすなって言われても・・・、昨日、僕の家に来てくれと頼んだのは他ならぬ丞相閣下ではありませんか」
「ああ、そうだったな、すまない・・・、しかし、マザラン、家の正門は門が閉められていたのに、卿はどうやってここまで来たんだ?」
「そりゃ、俺は跳躍力が人一倍ありますからね、この家の門を一気に飛び越しました」
「それはわかった。しかし、従兄弟のマクシムの奴、こんなんじゃ夜の門番も失格だな」
実は、このリシュリューの従兄弟、マクシム・ド・ギャスパル・リシュリューはリシュリューに多額の負債を「一旦」肩代わりする代わりに、暫く、この家の執事兼門番をしていたのであった。
それから、リシュリューはそのマクシムを守衛所から呼んで、リシュリュー、マザラン、マクシム、エステル、そして、ラングレーの5人で「軽食」を取りながら話をしようとしたが、その前に・・・、
「皆な、ちょっと食べる前に顔を合わせてほしい者がいる、今から紹介するから・・・」
そう言うと、30代後半ぐらいの女が5人の前に現れた。
リシュリューがこの女の説明をする。
「この者の名はカミーユ・ヴァランチノア、大体5年位前から今に至るまで私の秘書を務めている女だ・・・」
「初めまして、皆様、私の名はカミーユ・ヴァランチノアと申します。宰相閣下の秘書をする前は、パリの市役所で監査委員をやっていました」
この後、リシュリューは驚愕の事実を皆に披瀝する。
「実は、皆な、この僕はヴァランチノア、2年前位に彼女のせいで数ヶ月間、監獄へ入れられたのさ」
「エエッ?!」
その場にいた一同はリシュリューの発言にざわめきを立てた。
リシュリューがその説明をする。
「ここに丁度、男3人、女3人で男女比は1:1と、でも哺乳類の出生比は必ずしもそうならないということはラングレー研究員に話したばかりなんだが・・・」
そう言うと、リシュリューは先程エステルが持ってきた赤ワインを飲み干した。
「実はその「男女産み分け論」は、数年前、僕が枢機卿に任命されてから、このフランス王国産婦人科学会に匿名で論文として提出した経緯がある。しかし・・・」
リシュリューが話を続ける。
「この僕がその産婦人科学会に論文を提出したことをローマ教会に密告したのは他ならぬヴァランチノアだ。そうだよな、ヴァランチノア?」
「はい・・・、確かに、丞相閣下は私のローマ教会への報告で3ヶ月ぐらい入獄されていました」
ヴァランチノアは力なくリシュリューの応答に答えた。「密告」という言葉を「報告」に加工して・・・。
それを聞いたマザランがヴァランチノアに憤った。
「何だって?!それじゃあんた、自分の上司をローマ教会に売ったってことじゃないか!なんだってそんな真似を?!」
「それは、宰相閣下をあなた、ラングレーさん以上の「悪人」にさせないためです・・・」
ヴァランチノアがラングレーを一瞥した。
「ハッ?!あんた、自分で何言っているかわかっているのか?」
マザランの詰問に、ヴァランチノアは、こう反論した。
「マザラン法相、あなたはまだ分かっていない、この欧州においていかにローマカトリック教会が科学、いや、万物の法則は全て神のなするところという固定観念で構成された組織なのかを・・・」
その時、その会話にラングレーが口を挟んだ。
「ああっ、確かに、私の方もあのSTAP細胞の騒動の時、何者かの嫌がらせの電話、手紙、電子メール・・・、果ては、住むマンションにC-4と呼ばれるプラスチック爆弾まで仕掛けられました・・・」
リシュリューが頷いた。
「そう、確かあの時、君は「頸椎ねんざ」「右肘筋挫傷」という奇跡的に軽い負傷で難を逃れたことは皆が知っている、高性能爆薬の攻撃にもかかわらず、それで助かったのなら、神のご加護に感謝すべきだろう・・・」
そのリシュリューの言う、「神」という言葉にラングレーは反応した。
「でも、その後、私の方も何か怪しげな新興宗教の団体から励ましのメッセージを頂きました・・・」
それについて、リシュリューは少しラングレーに言いたげな顔を向けた。
「今、僕は「神」という言葉を使った。自分自身、枢機卿という立場で言うのもなんだが、僕はあまり「神」という言葉を使わないようにしているんだ・・・」
ラングレーが不思議に思って言った。
「エッ?それは何故ですか?枢機卿閣下?」
「ゼノビア暦1095年、我が国のクレルモン=フェランにおいて、当時のローマ教皇ウルバヌス2世が、「神、それを欲したもう」と述べられた。その結果、第1回十字軍が始まった」
「はい」
ラングレーの短い返答に、リシュリューは、
「さっきの作家、楊文七はその作品の中で、「十字軍」を聖地奪回の大義名分の下、神の名の下に侵略、略奪、虐殺、都市の破壊と、この十字軍は無知と狂信と自己陶酔と非寛容によって生み出された歴史上の汚点と、楊はそう言っているが・・・」
リシュリューの話は続く。
「僕は「十字軍」を歴史上の汚点とは思っていない。確かに、その十字軍の中で略奪や虐殺はあったのかもしれないが、ゼノビア暦の732年のトゥール・ポワティエの戦いや、15世紀後半のイベリア半島でのレコンキスタも、「異教徒との戦い」であることには何の変りもない」
「・・・・・・・・・・・・」
皆が黙ってリシュリューの話を聞いた。
「けれども、1095年のウルバヌス2世の「神、それを欲したもう」という言葉で十字軍、つまり、戦争が始まった。モーセも言っているが、みだりに「神」という言葉を使ってはならないということはこういうことも意味しているのだと思う」
ここにいるラングレー、マザラン、マクシム、エステル、そして、ヴァランチノアはそのリシュリューの発言に沈黙するだけだった。
しかし、ここでリシュリューは「希望的観測」を皆に述べた。
「ただ、今現在、我が国の外相をしているヒューゴー・グロチウスは最近、「戦争と平和の法」という著書を出版し、戦争の防止や収束のためには、自然法の理念に基づいた国際法が必要であると主張している、彼の思想がもっとドイツで敷衍すれば、戦争の終結も近いと思う・・・」
更に、リシュリューはマザランの方を向いた。
「マザラン、これで、もしも、隣国の神聖ローマ帝国での内戦の終結が近くなったならば、僕はこの宰相の座、卿に譲ろうと思う・・・」
しかし、マザランが首を横に振った。
「いえいえ、リシュリュー丞相閣下、まだまだ俺みたいな「青二才」が宰相の椅子に座れるとは思えないっスよ・・・」
しかし、それでも、リシュリューはマザランをこう説き伏せる。
「いや、マザラン、例えば、外相のグロチウスがあの作家の楊文七と違って、「現実的平和主義者」であることは皆が知っていると思うが、僕も、神聖ローマ帝国の内戦が終わった後は、「カトリックの教えを忠実に守る聖職者」にでもなろうと思うよ」
その言葉でやっとマザランは頷いた。
「わかりました、丞相閣下、自分はもっと閣下の後継者として自分を磨きます」
「うん、宜しく頼んだぞ、マザラン法相」
ここで、リシュリューはラングレーの方を向いた。
「ところで、ラングレー研究員」
「何ですか?リシュリュー丞相?」
「今度、時間があったら、そのクレルモン=フェランに2人で行かないか?その時に、聞いた話によると、卿が作家を目指したいということについて、僕から一言二言伝えておきたいことがある」
「はい、わかりました・・・」
ラングレーは素直にこのリシュリューの依頼に応じた。そこに更にリシュリューは話を続けた。
「それと、卿がメディアで付けられた「空想虚言者」のレッテル、それは自分の力ではがしてくれ、その為の力添えを、僕はある若い女性司教に頼んであるから・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
それについて沈黙を守るラングレーであったが、それでも、彼女はリシュリューの監獄生活に関心を持った。
「あの、付かぬことをお聞きしますが、枢機卿閣下の監獄生活とはどんなものだったのですか?」
「いやあ、それはその・・・」
リシュリューはその入獄生活を思い出すとき、どちらかと言えば怒りより恥ずかしさを表情に出して答えた。
「まず・・・、初めに僕の体が鎖のベルトで雁字搦めにされ、聖書の言葉を暗唱させられた・・・」
「それだけですか?」
「いや、間違えると刑務官の鞭が飛んだが、それよりも恥ずかしかったことは、下の世話を彼らにやってもらったことが僕としての恥ずかしさだよ・・・、でもその数日後は拘束も解かれ、3食昼寝付きだったな・・・」
「はあ・・・、なるほど・・・」
ラングレーが頷くと、リシュリューはもっと背筋が寒くなることを言った。
「ただ、東アジアの大国、かつての明や清という帝国には大逆を犯した者には凌遅刑と言って罪人の体を少しずつ切り刻む刑罰があるらしい。もっとも僕がそんな目にあっていれば、政治だの科学だの言っている余裕はなかったと思うが・・・」
ここで、リシュリューはラングレーの方を向いた。
「ラングレー、卿は理系女子だよな?ならばこの話は一番卿に聞かせたいが、科学の発達が必ずしも全体の幸福につながらないことを知って欲しいんだ。例えば、旧約聖書の「創世記」の一説、バベルの塔の訓戒を知っているか?」
それには、ラングレーも頷いた。
「いいえ、そんなに詳しくは知りません・・・」
リシュリューがラングレーに諭した。
「バベルの塔の訓示には、世界中の言語による違いだけでなく、科学技術の進歩を万能と考えることへの過信を戒める内容も含有している」
リシュリューの話は続いた。
「ただ、科学者や技術者が技術革新をしなければ、今日の我々の社会はない。理系の人間が技術革新を第一に考えることは、7割8割間違っていないことであっても、幾らかは、負の面があることをできれば皆、知って欲しいことだ」
「はい・・・」
この時、ラングレーはオックスフォード大学のブリストル教授があのiPS細胞を製作しなければ、今頃サザーランド教授は健在だった・・・と、心の中で考えたが、口に出すことは決してできなかった。
更にリシュリューはこの件に付け足しを加える。
「今、清朝の武漢経由で新型コロナウイルスという伝染病が発生している。その対策として、「アビガン」や「レムデシビル」という治療薬、それにワクチンが開発されているが、人体への副作用も考えられるから、使用には細心の注意を払うべきだと思う」
それでも、マザランは出された飲み物を一口、口にしてから話を元に戻した。
「しかし、宰相閣下、何で自分を売った者を秘書として勤務させ続けているのですか?」
「それはだね、このヴァランチノアのいうことにも一理あるかもしれないということだ、もしも、早い段階で僕が投獄されていなかったならば、こいつの言う通り、もっと重い罪で投獄されていたかもしれないからだ・・・」
「だからって・・・、それじゃ両者の信頼関係は・・・」
マザランの指摘にリシュリューが答える。
「信頼関係?ああ、それは我々2人の間の問題ではなく、ローマ教会との問題であり、だから、我々はバチカン市国で教皇猊下の前で贖罪している。マザラン、卿がそのことで心配する必要はない」
「・・・・・・・・・・・」
そのリシュリューの返答にマザランはやや懐疑的な目を向けた。
そのことに加え、リシュリューはヴァランチノアの身内の不幸にも言及した。
「実はな、マザラン、このヴァランチノアは去る9ヶ月前に実の母親を新型コロナウィルスの感染症で亡くしている。そのことも労ってあげないといけないんだ」
「そうっすか・・・」
マザランのその短い返答の後、リシュリューは、ラングレーの方に顔を向け、
「しかし、ラングレー研究員、卿の方はもう二度とこのような問題を起こしてはならぬぞ」
と、言って、ラングレーの方に視線を向けた。
「・・・・・・・・・・・」
たとえ、その指摘が正しいことであったとしても、理系の専門職でないリシュリューにそう言われることはラングレーの矜持を幾らか傷つけたのであった。
しかし、ここで、リシュリューとマザランはまるで漫才師の2人のような振る舞いをした。
「さあ、ここで、話題を変えまして、今回、我らフランス王国軍は、ドレスデンでの戦いには敗れましたが、あのストラスブールで兵5000を率いた若者、ゲアーハルト・クロヴィス・セザールですが、何と奴の救出は・・・」
マザランが右手を自分の頭にやって答えた。
「ええ、恥ずかしい話なんですが、俺、数年前まで、スペインのマドリードの刑務所で刑務官やっていたもので、その時に、セザールの「冤罪の弁」を聞いてやったんですよ・・・」
それで、リシュリューが右手の小指を立てながら他の4人に話した。
「それで、僕とこいつ、そして、こいつの「これ」とで、あのマドリードの刑務所に潜入し、見事奴を救い出したって話よ」
マザランがその言葉に突っ込みを入れる。
「宰相閣下、その表現は余りに誇張が過ぎています」
この時、メイドのエステルがこの2人に更に突っ込みを入れた。
「あの、お2人とも、そのセザール准将を救い出した顛末を私たちに話して頂きませんか?」
「ああ、いいよ」
快く答えたのは、マザランであった。
マザランが思い出しようにその場面を回想した。
「思い起こせば、今から1年数か月前のクリスマスの頃、俺と丞相閣下、それに俺の「連れ」がジープでマドリードの刑務所の入り口までやって来た・・・、そこの囚人たちにクリスマスダンスパーティーを一緒に楽しもうと言って・・・」
そこにリシュリューが突っ込みを入れる。
「無論、そのジープの後続にはバックダンサーや楽団を乗せたトラックが走っていたけどね・・・」
リシュリューが話を続けた。
「そこで、そのマドリードの刑務所の囚人たちに前座のダンサーたちの踊りの後、このマザランとこいつの「これ」がペアで見事なダンスを見せたって訳だが・・・、その間に・・・」
今度はマザランが突っ込んだ。
「ええ、うちらが舞台で踊っている間、丞相閣下がセザールの番をしている刑吏を羽交い締めにして、牢の鍵を奪い、見事、セザールを救出したように思えましたが・・・」
そこからリシュリューが話を進める。
[回想時の会話]
「おい、セザール、卿のような才能のある男がこんな場所にいるとは蛆の中に繭を入れておくのと同じだ、さあ早く、ここから出ろよ」
「あんた、確かリシュリュー枢機卿じゃないか?何だってこんな場所に?」
「話は後々、今はここを抜け出すのが先決だ・・・」
「しかし、やはり世の中そんなに甘くは行かず、我々2人が刑務所の入り口に来たところ、多くの刑吏に我々2人が取り囲まれ、僕が現国王陛下の父、アンリ4世から下賜された「蜃気楼の細剣」を腰から抜いて、それに、セザールが初陣の時から使っている剣をあいつに渡し、屋外ではこのスペインに何十年ぶりの大雪が舞う中、こっちもマザランたちに負けないぐらいの「剣舞」を舞ったんだがね・・・」
リシュリューが一息置き、代わりにマザランが説明した。
「と、そこに、身長2メートルはあろうかという超巨漢で髭面の獄長がやって来てしまってね・・・」
[再び回想の会話]
「貴様ら、このようなことをまさかこのマドリードの刑務所の獄長、エセン=ハンがみすみす見逃すとでも思ったか?」
「ハハ・・・、そりゃ見逃すと思わなきゃこんなことしないでしょうねぇ・・・」
リシュリューは薄ら笑いを浮かべて言い放った。しかし、リシュリューとセザール2人を取り囲む数十人の刑務官を前にたった2人では多勢に無勢、この時の鍔迫り合いで、ある刑務官の剣の切っ先が セザールに向けられた時、
「あ、危ない、セザール」
と言って、自ら持つ「蜃気楼の細剣」でその刃を弾いたが、リシュリューは勢い余って、このマドリードの刑務所の入り口の階段から落ちてしまった。
と、そこへ、この刑務所の獄長、エセン=ハンが棘とついた太い棍棒を持って、セザールの前に立ちはだかった。
「その階段から落ちた男の処刑は後だ、まずは、セザール、貴様をこの棍棒で始末する」
と、エセン=ハンが言ったところ・・・、
「シュン」
何者かの投げた手裏剣がそのエセン=ハンの右腕をかすめたのであった。
その手裏剣を投げたのはあのジュール・レイモン・マザランである。
その手裏剣を投げた後、マザランは後についてきたバックダンサーや楽団を務めた[兵士たち]に号令を掛けた。
「皆の者、あの獄長は俺と枢機卿、それにセザールで相手をする。ほかの者は残りの刑吏と戦え」
「はっ、かしこまりました。マザラン閣下」
そのジブラルタルの刑務所の獄長、エセン=ハンと、リシュリュー、マザラン、セザールはあの「三国志」の呂布奉先と虎牢関で戦った、劉備玄徳、関羽雲長、張飛益徳のような戦いを示したが、ここは、口八丁手八丁のマザランが一つ、このエセン=ハンにハッタリをかました。
「ああここの獄長殿!実はこれから、フランス王国軍の大軍がここへやって来る。今すぐにこのセザールを我々に引き渡してくれれば、何もなかったことにしてやるよ。できれば今すぐこの刑吏たちと共に退いてくんな」
しかし、これを聞いたエセン=ハンは、こう反駁した。
「ふざけるな・・・、この大逆罪人をみすみす貴様らに渡すものか」
「・・・・・・・・・・・」
先程までこのマザランと華麗なダンスを舞った、マザランの内縁の妻、シルヴィ・バルテルミーは心配そうにこの戦いを見ていた。
「じゃあ、仕方ねぇな、丞相閣下、セザール、やりましょうか」
「ああ・・・」
「おうとも」
セザールとリシュリューはそのようにマザランに呼応したが、反面、疲労困憊による敗北の可能性を頭の中に描かざるをえなかった。
「では行こうぜ」
と、気合を入れ、リシュリューとセザールは剣を持ってエセン=ハンの前へと立ちはだかったが・・・、
「ブウン」
と、2人ともエセン=ハンの棍棒の一合で吹き飛ばされてしまった。
ここで、エセン=ハンは自らの能力を誇示した。
「フハハハハハ、この俺をただのウドの大木だと思うなよ。俺は動体視力が一般の人間より3倍はある、貴様らが小賢しい動きをしても、すぐに察知できるのさ」
その後、エセン=ハンはこう宣言した。
「それじゃ、この中で一番小さい奴から始末してやる」
そう言って、エセン=ハンはその得物である棘のついた棍棒をマザランに寄って来て振り下ろそうとしたところ・・・、
突然、シルヴィが走って来て、手に持つナイフで自らの髪の毛を少し切り、それをライターで燃やしてエセン=ハンの近くに投げつけたのであった。
「うん?!」
その時、
「ザクッ、ドスン」
その髪の毛の焦げる臭いに気を取られた隙にマザランはエセン=ハンの額に自ら投げつけたマンゴーシュと言うダガーナイフを命中させたのであった。
エセン=ハンはこの小雪の舞うマドリード刑務所の中庭にその巨体を倒し、二度と起き上がることはなかった。
ここで、マザランは十八番のハッタリを残りの刑吏たちにかました。
「お前らの獄長の命運もここで尽きた。もうじき、フランス王国軍の大軍がここにやって来る。お前らもここの獄長と命運を共にするか?」
「・・・・・・・・・・」
残った刑吏たちはこのエセン=ハンの戦死で戦意を失い、遂に、ゲアーハルト・クロヴィス・セザールをここから釈放することに同意したのである。
しかし、長い髪の毛の一部を切ったシルヴィがマザラン、リシュリュー、そして、セザールに寄って来て言った。
「あなたたちに伝えておきたいことがあります」
このクリスマスに、スペインに珍しく降った雪にシルヴィはその足をハイヒールのつま先を入れた。その深紅のドレスと白いハイヒールが新雪の純白と見事な対比をなしていた。
「この後も、あなたたちの目指すところに幾多の大義名分のある戦いが待っていることでしょう、しかし、その戦いごとに「犠牲」が出てくることでしょうね、こんな髪の毛なんてものではなくて・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
マザラン、リシュリュー、セザールの三者はシルヴィに何も反論できなかった。この場でのシルヴィの言動が何一つ間違ってなかったからである・・・。
[そして、回想のシーンが終わる]
マザランがこの場の漫才を〆る。
「ということで、そのセザール救出の最大の功労者は俺の「これ」のシルヴィかもしれないんだよ・・・、皆さん」
エステルがそれに答える。
「そうだったんですか、あのシルヴィさん、意外に度胸のある方だったんですね・・・」
それを聞いたヴァランチノアがマザランに言った。
「そうだとしたら、マザラン法相、あなたがご結婚するかもしれないお相手には尻に敷かれるかもしれませんね」
それを聞いたリシュリューはそういうプライベートな話から話題をそらした。
「ま、まぁ、そういう話より、マザラン、明後日の御前会議の段取りはできているか?」
「ええ・・・、でも、その会議にセザールは来るんですよね?当然、将官だし・・・」
マザランは危惧をしていた。当然、現国王ルイ13世とセザールの仲を懸念してのそれだった。
「その件に関しては一応、フランス王国軍の最高司令官であるアンリ・フィリップ・ペタン元帥に連絡を入れておいた。だから、そのご子息であるカミーユ・ジスラン・ペタン少将も来られる予定だ。つまり、セザールの意識をそらせるように配慮はしてあるよ・・・」
ここで、リシュリューはラングレーの方を向いて言った。
「ところで、ラングレー研究員、卿に言っても仕方のないことかもしれないが、卿の上司だったサザーランド教授は疑いなく良き家庭と良きライバルを持っていた人だ。世間が言うほどひどい人生ではなかったと思うがな・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
このリシュリューの言葉にラングレーは沈黙を守った。
「ライバル意識ですか・・・」
急に、マザランはリシュリューの方を向いた。
「丞相閣下には誰かライバルと呼べるような者はいますか?」
そう聞くと、リシュリューは何かを思い出したように言った。
「ライバルねぇ・・・、まぁ、確かに25年以上も前にそう呼べるかもしれない奴が僕の通ったリセにいた。そいつの名前は・・・」
リシュリューは一息置いた。
「そいつの名はヴァレリー・エル・ルシード、今はロシア帝国、ロマノフ王朝女帝イゾルデ1世の下で技術将官をしているらしいが、詳しいことは僕もよくわからない・・・」
そのように、リシュリューは答えたが、心中何か複雑な心境を吐露した。
「しかしまあ、確かに、国王陛下とセザールが王位を巡って相争うことは絶対避けねばならないが、例えば、マザラン、セザール、コルベール、そしてペタン少将のように比較的年齢の近い者たちが軍事・政治面でライバル意識を持つのは、度が過ぎなければいいことだと、僕は思うよ・・・」
「・・・・・・・・・・・」
マザランは黙ってその話を聞いていた。
「それに比べ、僕はそのルシードのように「理系一筋」で生きなかった。自分のやって来たことは「政治と宗教と科学技術の折衷」だった・・・、無論、そのことが無駄だとは思っていないが、ただ、「誰もやっていないことだった」ので、真のライバルと呼べる者は今まで誰もいなかったということさ・・・」
それでも、マザランはリシュリューをいたわった。
「そんな・・・、丞相閣下の方が遥かに努力しましたよ、そのルシードとかいう奴よりも・・・」
それを聞いたリシュリューは少し微笑んだ。
「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいよ・・・、しかし・・・」
「しかし、何でしょうか?丞相閣下?」
「いや、何でもない・・・」
ここで、マザランの質問を遮ったリシュリューであったが、もしかして、これから、あの隙間風の吹き始めた神聖ローマ帝国のプロテスタント側のイシュタール最高司令官がロシア帝国、特に、あのルシードに接近し始めるのではないのか?と、疑問に感じ始めたのであった。
「?」
ここで、ラングレーは疑問に思った。風の噂によれば、あのサザーランド教授が亡くなる前、なんでも、ケンブリッジ大学の自らの研究室で1人の聖職者と、もう1人、若い「リケジョ」と会ったという噂であり、あのサザーランド教授がその2人に後事を託したという噂である。もっとも、そのそんな噂、あくまで噂かもしれないが、サザーランド教授も「溺れる者は藁をもつかむ」精神で何か理科系で新しいことをしようとする者たちに過剰な期待を掛けたのかもしれないと、ラングレーはそのように推測したのであった。
その考え事していたラングレーに対し、リシュリューが言った。
「ところで、ラングレー研究員」
「はい」
「卿は保釈中の身だが、ここでその保釈金を出した者から指示を出す。パリ11大学はパリ南部オルセーにあるが、そこで生殖医療の研究を命ずる。以上だ」
「・・・・・・・・・・・・」
沈黙を守るラングレーに対し、リシュリューは怪訝な顔つきをした。
「どうした?私の指示に何か不満でもあるのか?」
「先程言った通りです。私の進路変更にはもう少し時間を下さい・・・、お願いします。でも、もしも、私の元々の研究に宰相閣下が興味を示してくださるのなら話は別ですが・・・」
「残念ながらそれはできない。それなら、暫くは卿の好きにするがいいさ。ただ、かつて、週刊誌に、「ケイト・ノエル・ラングレーが大反論」とか言う見出しが載っていた頃があったが、その時のことを、この先何年経っても後悔し過ぎないようにして欲しい」
「・・・・・・・・・・・」
リシュリューのこの発言を聞いた時、ラングレーの表情には後悔の念を隠したような様相があった。
リシュリューは正真正銘の「理科系専門職」ではなかった。しかし、実は彼はこう見えても、「効率と能率」をとびきり重視するタイプであったのだが、自分の研究の夢を断たれ、挙句に上司に先立たれた女の気持ちを理解する力には劣っていたのである。




