(3)・叢雲山
この作品は、長岡更紗 さん主催の第二回ワケアリ不惑女の新恋企画参加作品です
1~5同時投稿
皆が揃うとつららさんは、水を掻くような手つきで3人を盃の中へと送り込む。
「よし、乗った乗った!」
「おじーちゃんは?」
川辺さんが持ってきたらしい踏み台を使って巨大な盃によじ登りながら、たーちゃんと呼ばれた女の子が聞く。
「今日はお友だちとお祭りの練習よ」
「なあんだ、えんかいかあ」
お祭りの練習と言いつつ、そのあとの宴会がメインなのは、どこの国でも同じらしい。子供には、練習の部分は認識されていない。練習もちゃんとしているのだろうに、気の毒なことだ。
「ほれ、ラーニャさんも」
「ありがとうございます」
私も踏み台をお借りして、丹塗の盃に乗り込む。底には流麗な変体仮名で『徒良ゝ』と金泥で書いてあった。変体仮名は、漢字を崩して書く、昔の平仮名だ。
一文字に幾種類ものヴァリエーションがあり、現代では日本人でも勉強しないと読めないのだとか。
私は勿論、万能多言語習得装置のお陰様で読める。
星の見え始めた7月の夜に、私達を乗せた巨大な盃がふうわりと浮き上がる。
「ラーニャ、みょうじは?」
「マヤコフスカヤ。ラーニャ・エフゲエヴナ=マヤコフスカヤ」
「まやこっか??」
「ふふっ」
「ラーニャと、まやのあいだのは?なまえ?」
「お父さんの名前よ」
私が父称を幼児向けに説明すると、たーちゃんは眉を寄せて、言った。
「へんなの」
「これ」
川辺さんが嗜め、つららが、
「なんだい、さゆりちゃん。格好いいじゃないか」
と庇ってくれた。たーちゃんの本名は、さゆりちゃんか。
どうやら叢雲山の小さな鬼は、気のいい小人のようだった。頭の角も、月光を反射して綺麗だ。
私は、不満そうなたーちゃんが可笑しくて、
「よその国の人だからね」
と言いながらも、笑いをこらえるのに苦労した。
「ふうん」
尚も不満げなたーちゃんは、押し黙って星空に目をやった。
辺りはみるみる暗くなり、もうすっかり夜だった。低く飛ぶ盃から観る川は、黒く煌めきながら静かに流れている。水面に蝙蝠が群れている。カジカガエルが切ない声で鳴く。
「あははっ」
たーちゃんは、カジカガエルの声が面白いらしい。
「ころころころころっ、ぎーこぎーこ!」
美しい前半に、油の切れた古い木戸のような音が続くのがお気に召したらしい。暫く真似しているうちに、私達を運ぶ丹塗の盃はふっと上昇して山の上空に出た。
叢雲山だ。芍薬を緑にしたみたいな円やかな低山だ。今は黒々と夜に沈んでいる。上空に居るため、せせらぎは聞こえない。頂上には巨大な石の鳥居が建っている。随分と古い時代の物のようだ。
「狛犬さんは居ないんですね」
「いねえな」
「お社は何処ですか」
「もう無くなっちまった」
「それじゃ、神様は」
「ううん?神様、神様ねえ。ここにあったお社は、叢雲山の雲鳥さんにって、里の人が作ってくれたんだが」
どうやら、文献に載っていた霊鳥が神様らしい。つららさんは、そう思っていないようだが。
ふんわりとした弧を描き、私達は下降する。月夜に映える丹塗の盃は、石の鳥居を滑らかに通って飛んだ。
「ああ」
鳥居の向うは、四季の花咲く森だった。小鳥は歌い、蝶は舞い、リスは小枝を駆け巡る。
木々の根元の苔の上、柔らかな色の薄絹が、目に鮮やかで香りよいご馳走の数々を乗せて、私達を宴席へと誘っている。
甘い香りの果物や、宝石みたいな野菜料理を囲んで、色取り取りの小さな鬼達が、楽しそうに騒いでいる。角の色も様々で、観ているだけでも心が浮き立つ。
私達が降りると、盃は見る間に小さくなってしまった。最後はつららさんがポケットにしまう。
「さゆり!」
「いらっしゃい」
「ばーちゃん!」
「蛍狩りにいこう」
「新顔さんだね」
「よろしく」
小さな鬼達は、口々に歓迎の言葉を述べながら立ちあがった。
「ラーニャです」
「ラーニャか」
「鼻が高いな」
「ガイジンなので」
私がにこにこ答えると、小さな鬼達は顔を見合わせてざわめいた。
「ガイジンてなんだ?」
「よその国の者です」
「ふうん」
「遠くから来たのか」
「そうです」
私の髪は黒くて真っ直ぐだし、目も黒い。色合いだけなら日本人と同じだ。それで余計、小さな鬼達には理解出来ないのかも知れない。
「まあ、いい。いこうぜ」
「こっちよ!」
「今年は蛍の当たり年なんだ」
1列になって森の奥へと分け入る小さな鬼達に着いて行く。皆、一様に10センチ程度の身長だ。きっと、生まれたときからこの大きさなのだろう。
夜咲く花は甘やかに匂いたち、爽やかな沢音に乗って幻想的な香りのワルツを踊る。
やがて岩床を駆け降る渓流に出た。月下に踊る銀の飛沫が、あわい黄緑色の光と戯れている。
光の筋は時に梢まで昇り行き、また水辺のホタルブクロに留まって明滅する。
ふらふらと不規則な軌跡を描くその儚げな光こそ、人の魂とも草が朽ち果てた物とも言われる、不思議な光る虫なのだ。
「あら?」
戸惑った声を漏らす川辺さんの視線を追うと、生き物の気配がする。目を凝らしていると、岸辺に生えた紫陽花の木陰から、ぬっと人影が身を起こす。
ゆらりと立ったその影は、どうやら大きな瓢箪と、小さな盃を手にしているようだった。
お読み下さりありがとうございました
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