9 シンシア・ウィステリア、魔法を学ぶ
私は十三才になった。
レイモンド様は週二のペースでうちに来る。
そしてお茶を飲んでおしゃべりをしていく。ピアノはもう連弾しない。……危ないから。
一応アレクシスが一緒の部屋にいてくれて、二人っきりにならないようにしてくれている。令嬢とはそういうものだから、うん。
でもアレクシスももう慣れたもので、よほどのことがないとストップはかけてこない。ただ部屋の片隅で本を読んだり、自分のことを黙々としている。
お姉ちゃんのお守りをさせて本当にごめんよ……。
アレクシスはもう十歳だ。家庭教師をつけて勉強をしている。我が弟ながら成績も優秀、ヘンリー先生もアレクシスのことはほめてくれている。
自慢の弟に育っていて姉は鼻が高い。
そして、私には新しく侍女がつくことになった。
ローザというなかなかできる感じの女性だ。余計なことは喋らず、なんでもよくこなす。よく気がつくし、かといって冷たくはない。
ヘンリー先生の紹介という特大のお墨付きもある。
できる女性って素敵!と私はすっかりローザが大好きになってしまった。
「ローザ、ここがわからないのだけど……」
「シンシア様、そういうことは家庭教師の先生にきくものです。……ここはこちらを使うとよろしいですね……」
勉強のわからないところも教えてくれる。
「ローザ、一緒に体操をしましょう」
「……まあそのくらいなら……」
不承不承でも一緒に体操をしてくれる。
「ローザ! ベイカーさんちに赤ちゃんが生まれたって! 会いに行きましょう!」
「……またですか」
言いながらも、贈り物を一緒に用意してついてきてくれる。
ちなみに、私は領民に赤ちゃんが生まれたら、なるべく見に行く。赤ちゃんが大好きだから。あとお母さんは労わってあげたい。
そんな毎日ローザローザ言っている私をみて、お母様はくすくすと笑う。
「ローザは毎日大変ね、シンシアちゃんになつかれちゃって」
「……ありがたい限りです」
ローザは薄く笑う。
ローザは車が運転できるから、私はローザと一緒ならどこにでも行けるようになった。
アレクシスも私のお守りからやっと解放された。私はいつでもローザと一緒だ。
そんな折、ヘンリー先生がそろそろ魔法の訓練をしようと言ってきた。
「ずっと先延ばしにしてきましたから、そろそろやりましょう」
「はい」
ヘンリー先生は自作の練習メニューを見せてくれた。
紙にわかりやすく書いてある。
「えっと……毎日すること……2キロ走る……ストレッチをする……筋力トレーニングをする……植物を育てる……デッサンをする……ピアノを弾く……日記をつける……?」
魔法の訓練じゃなかったのかしら?
「そうです。まずは体力・集中力をつけましょう」
そんなわけで、私の魔法の訓練が始まった。
毎朝ローザに起こされて一緒に運動をする。植物(ひまわりにした)に水をあげて観察日記をつける。ピアノを弾き、そのへんにあるもの(人でも物でも)をひたすらデッサンをする。
三日目にして私はへとへとになっていた。
普段のお勉強とも並行しているのだ。遊ぶ暇がほぼない。
レイモンド様が遊びに来てくれても、お茶を飲みながらうつらうつらしていた。
「……シンシア、シンシアってば」
レイモンド様の声がはるか遠くに聞こえる。
あー夢と現の間だわー……もういっそ寝てしまおうか、と思ったところで、かすかに頬に何かが触れてなぞられた気がして目を開ける。
それはレイモンド様の指先だった。
顔も近い。
「うわああああっっ!」
私はあわてて身をよじる。
「残念、起きてしまいましたね」
さわやかな笑顔で言う。
「ななな……なにしてたんですか!?」
「別に、かわいい顔で寝ているからちょっと触っただけですよ?」
その微笑みが恐ろしい。
さ……触っただけって……
油断も隙も無かった。
もう彼の前では決して眠らないと心に誓った。
翌週、レイモンド様はデッサンのモチーフにしてやった。
これなら絶対に私は寝ない。
それに、綺麗なものを書くというのは案外気持ちのいいものだった。
似てる似てないは……まあ、素人絵なので……期待しないでほしい。
でも訓練を始めてから一週間もたつとこの生活にもだんだんと慣れてきた。
デッサンを描きながら思う。本当にレイモンド様はザ・王子様だ。
キラキラの髪も、青い瞳も、整った顔立ちも、スラリとした体も、完成された工芸品のようだ。
ただお茶を飲んでいるだけで一枚の絵画のよう。
……私の画力ではそうはならないのだけれど……
描きながら今更ながらに見惚れてしまう。美人は三日で飽きるというが、そんなことは全くなかった。何日でも見ていられそうだ。……喋ったり動いたりしない限り。
「レイモンド様ほど美しい王子様は他にいませんね」
私はなんとなく言ってみる。美しさはレイモンド様の美徳の一つであることは間違いがない。
「そうですか? まあ見てくれが良い方が何かと便利ですからね」
なんでもないことのように言う。
……腹黒さが垣間見えている。出ちゃってるよ、しまってしまって。
「でも、見た目の美しさよりもやはり中身が肝心ですよ」
……まあ、美しさをすでにその身に備えていれば中身にしか目がいかないのも道理だ。持っているものより持っていないものをほしがるのが人間というもの。
それにさすがにまだ十八歳、中身を自分で誇れるほどには持てないのは当たり前だ。私から見れば完璧にこなしているように見えるけど。
でもなあ。
「レイモンド様の良いところはちゃんと中身にもありますよ。うちで遊んでくれるためにお勉強もお仕事も頑張ってるってことも、私はちゃんと知ってますよ」
私は微笑んでそう言った。
そう、王子様というのは何かと忙しいらしい。新聞にもたまに載ったりするし、人づたいにアレコレ活躍している話を聞いたりもする。
第二王子だから王位はこのままいけばお兄様のフィリップ殿下が継ぐだろう。
それでも、王位を継げないとしても王子としてあるべき姿でいようとしている。それは傍から見ると目的地に決してゴールしない苦しいマラソンのようにも見える。
そんな中、私のところに遊びに来てくれるというのは本当にありがたいことだ。過剰なスキンシップさえなければ、私はこの高貴な友人が大好きなのだ。
なんてったってがんばりやさん、真面目で心優しい。子どものころから何も変わらない。
そして、がんばっていることはちゃんとほめてあげるのは育児の基本だった。
「……あなたは……もう……」
レイモンド様が顔を赤くしてうつむく。
ありゃ、照れさせてしまった。ごめんよ。
「僕も、あなたの良さはたくさん知っていますよ。」
優しく微笑む。
「あなたは……そうですね、はずみ車に似ています」
「?」
また難解な例えだ。これだから天才は。
「えーと、はずみ車っていうと糸つむぎとかの最初にまわすやつ?」
「そう、とりあえず思い立ったら行動する、そうすると運命が回り出す。……あなたは動くべきところでためらわない」
「そんな大げさな……」
「少なくとも僕はそう思っていますよ」
レイモンド様は自信ありげだ。
「……そうかなあ……、あんまり自分ではそうは思えないけど……」
うーむと私は頭をひねる。
だって、今まで数えきれないほど動いてもどうにもならないことがあった。
私が何を言っても、誰も聞いてくれないことだってあった。
……今思えば、事前にそういう道筋ができていなかったのだから、いくら無理やり動かそうとしても動くはずもなかったのだけど。
でも、そうか……。
「……そう感じてくれるのは、きっと私に前世の経験があるからですよ」
言われてちょっとわかったことがあった。
「たくさんの失敗や後悔があったけど、子どもたちが生まれてからは……こう、モジモジしてられないというのがあって、引っ張っていってあげないととか、大人としての恥ずかしくない態度をとらないととかそういう気持ちになりました。
……つまり、子どもに対して見栄を張りたかったんですね。そもそも子どもってストレートに『なんで』とか聞くし……答えられないことはなかなかできなかったから……。
その癖が今でも抜けないのかもしれない……って……レイモンド様にこんな話するのはよくないですよね……」
好きと言ってくれる相手に過去のことをうじうじ言うのは失礼な感じだ。
でもレイモンド様は首を振る。
「いいえ、僕はあなたのことならなんでも知りたいんですから、うれしいです。話が聞けて」
柔らかく微笑んでくれて、私は胸がギュッとなった。
私もうれしい。話を聞いてくれて。
「前世のことについては、僕にとっては邪魔だなと思っていましたけれど……。話を聞いていて、それも今のあなたを作っている大切なひとかけらだと分かりました。
……良いお母さんだったんですね、シンシアは」
優しく言われて、私はついに涙がでてしまった。
ああ……もう……こういうの……ズルい……
ほしい言葉なんて言ってもらったら、認めてくれちゃったら泣くしかないじゃない……
レイモンド様は優しく指先で私の涙をぬぐってくれる。
そして、そのまま私を抱きしめて頭をなでてくれた。
なんだかそれは嫌じゃなくて、私はついそのままにされてしまう。お父様にだっこされているような安心感があった。
しばらくそうしていた。
……そしてさすがに長いな、と感じる。
「……あの……ありがとうございます……なぐさめてくれて。でももういいので……放して……」
「いえいえ、せっかくだからもうちょっとこうしていましょう」
レイモンド様が嬉々としている。……しまった、罠にはまった。
「ぐ……ぐぬぬ……」
私が無理やり引き離そうとしても、ビクともしない。力の差を見せつけられる。
「ううう……もう……」
私は引きはがすのをあきらめて、もう成すがままに抱っこされている。もうどうにでもなれー。
「シンシアはやわらかいなあ」
喜色満面で言われる。
あああもう……恥ずかしい……顔から火が出そうだ……
そんなことを言われると、こちらもレイモンド様のいつの間にか男っぽくなった体を意識してしまう。
だめだ、これは無になるしかない……
もう私は全てをあきらめて、ぬいぐるみの気持ちで無心でいることにしたのだけど、しばらくしてレイモンド様は天を仰いで「うーん」とうなり、
「……ちょっと僕も限界なのでそろそろやめておきます」
そう言って残念そうに手を離した。
「……?」
限界とは?
よくわからないけれど、今がチャンスと私は逃げ出す。
「結婚したら続きをしましょうね」
彼は晴れ晴れとした顔でそう言った。