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それを機に、レイモンド様とは家を行き来する仲になった。
アレクシスもレイモンド様にはすっかりなついている。
「僕、お母様が亡くなってずっと何もやる気が起きなかったんです」
あれから一年ほどたって、我が家の中庭で遊んでいるときレイモンド様は告白してくれた。
「みんな励ましてくれたり構ってくれたりしてたんですけど、どうしてもそんな気分になれなくて……。
でもそんなとき、シンシアが体を張って励ましてくれました。
ホントびっくりして、こんな小さい子が一生懸命僕のことを思ってくれてるんだって思ったら、一緒に踊ってしまって……周りのみんなで踊ったらなんだか楽しくなって、その間はお母様のこと忘れていました」
そして困ったような笑い顔をする。
「本当に、僕はあなたといると楽しくて時間を忘れてしまうんです。……お母様のことを忘れてしまうなんて、我ながらひどいと思うんですけど……」
「そんなことないわ!」
私はレイモンド様の手をぎゅっと握る。
「レイモンド様のお母様だって、レイモンド様が楽しい方がうれしいに決まっているわ! これは絶対よ! たまに思い出してくれたらうれしいけど、落ち込んでいたらとても心配に決まっているわ!」
私は自分のことと重ねて言ってしまう。
私だってそうだ、もし前世の家族がずっと泣いていたらと思うと、胸が張り裂けそう。
なんとしても励ましに行って助けてあげたい。……そんなことできないけど。
レイモンド様は顔をちょっと赤くする。
あ、しまった、ちょっとはしたなかったかしら。ついおばちゃんモードに入ってしまった……。子どもとはいえ女の子から手を握ってきたらびっくりするよね……。
レイモンド様は今十一歳だ。十一歳といえば小学五年生くらいだ、そういうことも気になるお年頃だ。いかんいかん。
私はあわてて手を離す。
「ご……ごめんね」
「いいえ……」
微妙な空気が流れる。
……なんか失敗しちゃったな……
「まあ、笑顔が一番ということで……」
しどろもどろに言う。
「ええ、ありがとうございます。……シンシアは最近は他のお友達と会っているんですか?」
レイモンド様が話を変えてくれる。
「あ、ええ。あれ以来、たまに家に来て踊ってくれだのちょっと頼まれちゃって……。ピアノの先生に頼んで、踊りの楽譜も作ってもらって弾いたりもするのよ」
前世の時に惰性で続けたピアノ歴十二年がここでついに役に立った。
「すごいですね」
「うーん、私はピアノはあんまり上手じゃないんだけど、楽譜があればご家庭でも楽しめるからね」
ほしい家庭には楽譜はあげている。ちびっこたちがとても喜んでくれているらしい。
「あ、でも大きい子たちと連弾したりするのも楽しいんだよ」
「……大きい子?」
レイモンド様の眉がぴくっと上がる。
「うん、エヴォンシャー公爵家のジョーダン様なんだけど、すごく合わせるのが上手でね、私のへたっぴなピアノでも連弾になってて感動しちゃったよ~」
思い出してうっとりとする。
やはり音楽は一人よりも大勢でやった方が楽しい。前世の時も思い切って連弾とか他の楽器に合わせるとかすれば、もっと楽しめたのかもしれない。
「……僕もピアノが弾けますよ、一緒に弾きましょう」
急にレイモンド様が言って私の手を引く。
なんか、怒ってる……?
「え……ええ……、いいけど……、アレクシスもいこっか」
私はレイモンド様の態度に戸惑いながら、アレクシスの手を引いてピアノのある部屋に入っていく。
レイモンド様とピアノの前に並んで座る。私が高音部、レイモンド様が低音部を担当する。ぴったりと体がくっつくほどに近く座る。連弾とはそういうもの。
最近習っている一番ましに弾けそうな曲を選ぶ。
「ええと、まずはゆっくりこのくらいでいい?」
テンポを決めて、「せーのっ」と言って弾き始める。
レイモンド様は、私の方を見ながらしっかり合わせてくれた。途中つまづいた時も「大丈夫」と言って待っていてくれる。優しくてありがたい。
なんとかつまづきながらも一曲を弾き終わった。
「ふーっ……」
安心してためた息が漏れる。
「あー緊張した。でもやっぱり連弾って楽しいね。レイモンド様はピアノもお上手なんですね」
言いながら隣のレイモンド様の方を向く。
にっこりと微笑んでこちらを見つめているレイモンド様。
「……」
……意外に距離が近かった。
近くでレイモンド様の顔を見ると、綺麗すぎてドキッとする。そうだ、この王子様は王子様なんだった。遠くから見てる分には目の保養なのだけど、このくらい近いとどうにも照れてしまう。
「あ……あはは……、ありがとうございました……」
私が立ち上がって離れようとすると、レイモンド様が肩を抱いてそれを引き留めた。
うわ……ちょっと待って……ゆるみそうな顔を立てなおす時間が欲しいんですけど……
「ちょっと待ってください。ここをもう一回やりましょう」
言って楽譜を指さす。さっき私がつまずいたところだ。
耳に近い距離から言われて、息が顔にかかって、うろたえる。
「え……ええ……」
私は弾いてみる、がうまく指が回らない。練習不足すぎる。無様だ。
「うう……」
「ここはもっと力を抜いて……こうです」
レイモンド様が私の前に体を乗り出し、お手本を見せてくれる。
近いって……
ふんわりいい匂いまでして、顔も熱くなるしクラクラくるし、正直逃げ出したかった。
なんだこの状況……助けて……
でもせっかく教えてくれているのだし、と思って私は同じ部分をもう一度弾く。今度はちゃんと弾けた。えらい私。
そしてもう一度最初から合わせてみる。もう一発で成功させて一刻も早く離れようと思うと、緊張して……メタメタに失敗した。
もうだめだ。泣きそう。
「あはは……ごめんなさい! もっとちゃんと練習してから、またやりましょうね!」
私はそう言って立ち上がる。もうとても待ってはいられなかった。
一刻も早く離れて気持ちを立て直さないと……
自意識過剰すぎて恥ずかしすぎる。
でも、レイモンド様は私の腕をつかんだ。
「シンシア」
真剣な声で私の名を呼ぶ。見つめてくる真剣な青い瞳。吸い込まれそう……
魔法にかかったように目をそらせない。ぼうっとしてきた……まずい……まずい……
「シンシア、僕と結婚してください」
「…………は……?」
……意味をとらえ損ねた。
結婚……? ……結婚……? 誰と、誰が……?
無言でいると、レイモンド様がさらに続ける。
「シンシア、愛しています」
言われた瞬間、ぶわっと体中の毛穴が開き首から上に血が上るのがわかった。たぶん耳まで赤い。
つかまれている腕のその指の感触を意識してしまい、私は何も考えられなくなる。
「……え……えと……」
もう、どうしたらいいの……?
まさかの展開に、頭が混乱してついていかない。
だって……レイモンド様は十一歳で……私の友達で……王子様で……
混乱する私に、レイモンド様はニッコリと微笑んでから手を離す。
私はピアノの椅子にへたり込む。
「考えておいてください」
さわやかな笑顔でそう言って、レイモンド様は帰って行ってしまった。
残されたのは、混乱する私とグランドピアノの下で遊んでいるアレクシスだけだった。