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今日も今日とて読み書きの練習をし、そして屋外での運動を始めた。
メイドは良い顔はしなかったが、なんとか認めてもらえた。
ラジオ体操の動きをすると「おかしなダンスですね」と笑われた。
そもそもこの時代の貴族の女性は運動をしなさすぎる。
私はこっそり妊婦生活について物申したいことを日本語で紙にまとめてみた。(ここでの言語はまだ難しいものは書けないので)
『食事:野菜が少なすぎる。葉物野菜(ほうれん草や小松菜)をとってビタミンや葉酸をとらなくては!あと鉄分はたりているんだろうか?
塩分はひかえめに。アルコールや薬・タバコは厳禁!赤ちゃんの発育によくない。
運動:日に当たらないとビタミンDが作られないから骨が弱くなる。適度な運動(散歩など)は必要。体重が増えすぎると出産が困難になる。
その他:コルセットでしめつけるのはよくない。』
「でもなあ……これをどうやってやってもらえばいいんだろう……」
はあ、とため息をつく。
急に突風が吹き、開いた窓から紙が飛んで行ってしまった。
「あっ!」
しまったと思い、窓の下を見る。
するとそこには執事のヘンリーがいた。
落ちてきた紙を拾ってこちらを見上げてくる。
「……へ……ヘンリー……」
先日のことで私はヘンリーがすっかり苦手になっていた。あれはこわいおじさんだ。
「お嬢様のですか?」
「ええと……はい……」
ヘンリーが尋ねるので私は正直に答える。
失敗したと思った。まあでも日本語は読めないだろう。
「お持ちいたします」
ヘンリーは子ども部屋まで届けてくれた。
「はい、どうぞ。今日は風が強うございますね」
渡してくれた紙を受け取る。
「ありがとう……」
受け取ったのにヘンリーはじーっとこちらを見ていた。
何……?こわい。こっち見ないでよ。
「……お嬢様はなぜヤポン語が書けるのですか?」
ヘンリーに尋ねられて私は固まってしまった。
「ヤポン語……?」
なんだそれは。
「ヤポンとは東洋の黄金の国でございます。私の友人がいまして文通しているので私も少し読み書きができるのです」
ジャパンってこと?微妙なズレがすごく気になる。
「それよりも私の質問に答えてください。なぜヤポン語を書けたのですか? まだアルヴァ語も書けないのに」
「……」
信じてもらえるとは思わなかったけれど、とっさに出せる嘘もなく、私は全てをヘンリーに打ち明けることにした。
話を一通り聞いてヘンリーは難しい顔で黙っていた。
「……信じる……?」
恐る恐る聞いてみる。
「……にわかには信じがたいですが……、お嬢様は魔法が使えるお方、特別なことが他にあってもおかしくはないのかもしれません。
……それにお嬢様は急に大人びました。二才はこんなに理路整然と話せません」
微妙な信用を得た。
確かに、二才っぽくはない。二才はもっと感情的で短絡的で頑固だ。
「……どうすればいいと思う?」
ついでに聞いてみる。こんな荒唐無稽な話を信じてくれた人に、私はつい甘えたくなった。
「どうしたいとお思いですか?」
「……私はお母様を無事出産まで正しい知識でサポートして、出産後は赤ちゃんを安全に育てたいと思っています。
……でも、この時代の常識どおりでは出産も育児も死の危険があるから、そういう危ないことを止めたいのだけど、言って聞いてもらえるとは思えないし……どうしたらよいのか……。
ヘンリーから言ってもらえれば信じてもらえるかなあって思うのだけど」
期待をこめて上目遣いで見つめる。
「私はただの執事です。そんな未来の知識をいきなり言っても信用されませんよ」
にべもない。
「そうかぁ……」
がっくりとうなだれる。
そんな私にヘンリーはまっすぐな眼差しを向けた。
「あなた方は家族ですよ。正直にすべてを打ち明けるのが得策だと思いますけどね」
「ええ……、おかしい子って思われない?」
不安すぎる。
「思いますけど、小細工をしたところで通用しませんよ。……ここは正攻法で突破するか、できなければそれまでです」
「……そうね……」
もっともなことを言われたが、やっぱり不安すぎる。
おかしな子でホントごめんなさい……
全世界に謝りたい。
「私も付き添いますから、参りましょう」
ヘンリーは言って私の手を引く。
「え!? 今から!?」
心の準備とかいるでしょ色々!
ヘンリーは無表情な瞳でこちらを見返す。
「早い方がいいでしょう? それに今はお茶の時間です」
広間では、お父様とお母様がお茶を飲んでいた。
「あら、シンシア、ヘンリーどうしたの?」
めずらしく今日は誰もお客様がいない。いつもはおやつは私も子供部屋で取るけれど、お客様が来ているかどうかぐらいはわかる。
「シンシア様がお話があるとのことですので、お連れいたしました」
「どうしたんだい?」
お父様が優しく尋ねる。
「……私……信じてもらえないかもしれないんだけれど……」
お父様の目をじっと見る。
こわい。信じてもらえなかったらどうしよう。
きっと私はもう二人には愛してもらえなくなるんだと思うと足がすくむ。
でも、もう引き返せやしない。
「うん」
優しくお父様が促す。
「実は……先日前世の記憶が目覚めたんです! 前世では私二九歳で夫と三人の子どもがいたんです! そして今よりも科学の進んだ世界で生きていたんです!」
思い切って一息に言い切った。
その後に続く沈黙が私にはとても長く思えた。
「まあ」
お母様が一言声をあげた。
「……そうなのかい……」
お父様も一言だけ返す。
そう言われてもみたいな気持ちになるのはわかるよ! わかるけどさ!
私は勇気を出してさらに言う。
「……びっくりさせてごめんなさい……でも私、お母様のおなかに赤ちゃんがいるって聞いて! お姉ちゃんになるんだって聞いたから!
お母様には健康で元気な赤ちゃんを産んでほしいし、生まれてきた赤ちゃんは健康に育ってほしいって思うんです!
……でも私の前世の記憶から考えると、今の生活は赤ちゃんを育てるのによくないことが多くて……心配なんです……なんとかしたいんです……。
……だって私、お姉ちゃんだから!」
不安で涙がこぼれそうになるけれど、ぐっとこらえる。今は泣くときじゃない。
しばらくの沈黙の後、お父様の大きな手が伸びてきて私の頭の上に置かれて、優しくなでられた。
「よく話してくれたね」
続いてお母様が私を抱きしめてくれた。
「ありがとう。お母様と赤ちゃんを心配してくれて」
優しくされると我慢していた涙があふれて、私は結局たくさん泣いてしまった。
一応ということで、ヘンリーは信じるきっかけとなった日本語の書付を両親に見せた。
「はあ、本当に前世の記憶がよみがえったんだねぇ」
お父様が驚きの声を上げる。
「ええと、享年二九歳ということは今シンシアちゃんは二才だから、実際には三十一歳ってこと? あら、ヘンリーと同い年じゃない」
お母様が計算して言ってくれる。
私とヘンリーは顔を見合わせる。
……同い年なのか……微妙な気持ちだ……
「それで最近お勉強を始めていたのかい?」
「うん……私が賢くなって、さりげなく色々フォローできないかなって思っていたんだけど……」
お父様は苦笑する。
「それは早いうちにヘンリーにバレて良かったね。シンシアが無駄に悩む時間が減った」
「そうよ、お母様もお父様もシンシアちゃんが困っていたら助けたいのよ」
お母様が少しぷんぷんして言う。
「それで、色々心配なことがあるって言っていたね、私には何が正しいことなのかわからないからなあ……。
ヘンリー、シンシアの話をよく聞いて検証してもらえるかな? それで良いようにしよう」
「わかりました」
ヘンリーがうやうやしくお辞儀をする。
「まあ、どんなふうに変わるのかしら? 楽しみね」
お母様はウキウキと楽しそうだ。
そうだった、お母様はいつでも何でも楽しめる方だった。
そんな様子を見て私はホッとする。
信じて打ち明けて良かった。私が二人に愛されていて本当に良かった。
じんわりと胸に暖かいものがこみ上げる。両親とやっと心が通じ合えた気がした。
「私も、お姉ちゃんになれるのがもっと楽しみになったわ」
私は久しぶりに心から笑った。