82 ただいま、おはよう
「わたしを助けていただいたこと、それは誠に感謝しています。ですがクロエ様は、最も愚かな選択をされてしまいました」
爆発の寸前、クロエは『шавв』を発動し、トラオムを連れて森の屋敷に避難していた。おかげでトラオムは助かったが、代わりにゲートが破壊されクロエが帰れなくなってしまった。
「夢幻世界に存在する物を再生できるのは『管理者』たるわたしだけ。クロエ様の時を操る魔法をもってしても、塔とゲートの再生は不可能です。そして力の弱まった今のわたしでは、再生するのに時間がかかってしまうでしょう。最低でも一年以上は……」
「心配ないよ。ボクにはまだ考えがあるんだ。それはね――――」
「えっ? それはあまりに危険すぎます。確実性もありません」
「分かってる。でもこの方法なら、黒幕の正体に近づけるかもしれないんだ」
この方法しか思い浮かばなかったとも言えるが、言わぬが花。
さっそくクロエは行動に移した。
◆
その後、クロエは街に蔓延る異形と戦い続けた。
前回の反省を活かして多勢に無勢にならないよう、できるだけ一対一の状況を作りながら、一体ずつていねいに倒していく。
慎重な戦術をとったので三日ほどかかったが、おかげで街はだいぶ静かになった。
「そろそろですね」
「うん……来るよ!」
その時、街の至る所に無数の『穴』が出現し始めた。
異形が急激に減ったことによる、増援。
この『穴』の出現こそがクロエの目的だった。
黒幕が『穴』を通して異形を送り込んでくるのなら、逆にこちらから『穴』に入ることで黒幕の元へ行けるはず。過去に異形がベルディアの住んでいた村を襲っていたことから、黒幕が現実世界にいる可能性も高い。
「ご健闘を」
「トラオムもね。これから出てくる異形はキミに任せるよ」
「はい、任せてください。この三日間クロエ様が戦っていただいたおかげで、わたしの力も回復できましたから。それではクロエ様……また、お会いしましょう」
クロエは頷くと、一番近くの『穴』に飛び込んだ――
◆
紫と緑とピンクと、それからよく分からない色がぐちゃぐちゃに混ざった空間を抜けると、そこは暗くて広い部屋だった。中央にはやたらと装飾の施された椅子。そしてその椅子に座するのは、黒いフードで顔が隠れた謎の人物。
「……驚いたよ。まさかそんな方法で脱出するとはね」
黒フードは立ち上がる。
「誰ッ!?」
クロエは思わず身を引いた。
異形を送り込むための『穴』を通った先にいた人物が、怪しくないはずもない。
黒フードが一歩進むたびに、クロエは一歩引く。
それを数回繰り返すと、二人は同時に動きを止めた。
「ボクのことはどうでもいいじゃないか」
「だったら質問を変えるよ。今までのことは、全部キミの仕業?」
「ああ、そうさ……と言ったらキミはどうする?」
「ここでケリをつける!」
クロエは前に一歩出る。しかし、
「残念ながらそれはできない。今キミは、無理やり夢幻世界を出たせいで肉体と精神が分離している。この世界での理から外れた状態を正すために、精神体のキミはすぐに肉体のある場所に戻ってしまうからね」
黒フードの言っていることは分からないが、直感では理解した。前に霊体となった時に似ている。そんな感じだ。
「ということでお別れの時間だ。バイバイ、クロエ」
「!? なぜボクの名前を……うっ!」
視界が狭まっていく。同時にどこかへ引っ張られる感覚もあった。精神が肉体に戻ろうとしていた。
「やっぱり最初の質問には答えておくよ。ボクの名はティアマト。やがてこの世界、この中央世界の『管理者』の座に着く者さ。大聖堂に帰ったらグリモア師匠によろしく伝えといてね」
「なっ、なんで――――…………」
薄れゆく意識の中。クロエが最後に目にしたのは、黒いフードの隙間から覗かせる顔の傷だった。
◆
微かな光をまぶたの外に感じる。片方ずつゆっくり目を開けていくと、見慣れた書物庫の光景が映った。
だが実際に目にするのは久々だった。紙やインクの匂い、空気の感触さえも懐かしく感じる。ほんの数日いなかっただけなのに、まるで10年ぶりに帰ってきたような感覚だ。
クロエはソファから起き上がろうとする。しかし数日ぶりに動かす現実の体は、思うように動いてくれない。腕がガクッと崩れ、床に落ちてしまう。
するとその音を聞きつけたのか、クロエの元に三人分の足音が駆け寄ってきた。
「我が主! 目を覚ましたのか!?」
「覚ましてます! わたしの目に狂いがなければ!」
「クロエ……よかった……! 急に倒れたから心配したわよ!」
グリモア、ユノ、ライナの三人が覆いかぶさってきた。
「みんな、重いよ……!」
揉みくちゃにされて上手く息もできない。
苦しいけど、すごく嬉しかった。
「そうだ、エリィは!」
「「「…………」」」
「ど、どうしたの?」
クロエがエリシアのことを聞くと、三人揃って静まってしまった。
まさか、まだ眠ったまま……そんな可能性が頭をよぎる。
……。
…………?
「あっ」
なんだ。そういうことか。
クロエは思わず笑ってしまう。
まったく、思わせぶりなことしちゃって。
「おかえり、クロエ……!」
ようやく本当の再開が果たせた。
二人は喜びを噛みしめるように、強く抱き合った。
――ただいま、おはよう。




