7 この手に治癒魔法を(3)
嵐を呼ぶお嬢様・ライナが、まさに嵐のように去っていった日の晩。
クロエは書物庫にて、ライナがのたうち回ったことで散らかった本の片付けに追われていた。
ずぼらな性格の彼女にとって、片付けなどという面倒な作業は苦痛でしかない。
しかし、今回に限っては多少なりとも罪悪感を感じていた。
これは彼女なりのけじめだ。
ちなみに、ライナが書物庫に来るより前にあった本の山は片付け対象外である。
――あぁ、あれはね。読みたい本とか読み返したい本を、手の届く範囲に置いてるだけだよ。一々本棚に取りに行くのは面倒でしょ?
クロエとは、そういう人間だ。
そんな自分への甘さたっぷりのけじめをこなしていると、遠くの方から扉の開く音が聞こえてきた。振り向いてみると、エリシアがすでに近くまで歩いてきていた。
もはやお馴染みの光景、しかし――。
「…………」
エリシアの様子がおかしい。
普段なら「ごきげんよう」「こんばんは」といった挨拶を始めに、クロエへの愚痴や文句に発展していく所だが、どういうわけか今日は暗い顔をしたまま一言も発してこないのだ。
「どうしたの? なんだか元気がなさそうだけど……」
さすがのクロエも心配になって声をかける。
するとしばらく経ってから、エリシアはその重い口を開いていった。
「今日、私ね……ライナっていう子の治療を買って出たんだけど、失敗しちゃってさ」
「へぇ、エリィでも失敗する時があるんだね。まあでも、あまり気にしない方がいいよ?」
「……それで、その子には期待外れだって言われちゃった」
「はぁ、なるほどぉ。エリィはそう言われてショックを受けちゃったわけだ」
「違うわ! ……いえ、違うって言えば嘘になるけど……とにかく、この話には不思議な続きがあるの」
「不思議な?」
「うん。……実はあの後、ライナっていう子は怒って部屋を出ていっちゃったんだけどね。一時間くらいしたら、また部屋に戻ってきたの。すごく息を切らしてて、顔も真っ青で」
「ふ、ふぅーん……」
相槌を打つクロエの脳裏には、ある少女の姿が浮かぶ。
今日、闇魔法の実験台にしてしまった名も知らぬ眼帯少女の姿だ。
それが、エリシアの言うライナという少女なのだろうか。
もしそうだとすれば、唯一の心残りである彼女の目の状態が気になる。
クロエは探りを入れてみることにした。
「えーと、ちなみにさ……その子の目はちゃんと治ってた?」
「うん、不思議なことに……って、あれ? 私、あの子がどこを怪我してたかなんて言ったかしら」
「あっ――!」
「そもそもの話、そんな質問をすること自体おかしいわよね。私ははっきりと治療を失敗したって言ったんだからさ」
「……うっ」
痛い所を突かれ、クロエは「あっ」とか「うっ」としか言えなくなる。
そしてこの時エリシアは、とある疑問が疑惑から確信へと変わっていっていた。
エリシアが書物庫を訪れた理由は、この疑問に決着を着けるためである。
決してクロエに慰めて欲しかったわけではない……いや、その気持ちも少しだけあるけれども。
とにかくエリシアは意を決し、その疑問を思い切って吐き出した。
「ねぇクロエ……あの子の目は、貴女が治したんじゃないの?」
クロエが治癒魔法を使えない聖女であることは、ロージア大聖堂の関係者ならば誰もが知る所である。長年の付き合いがあるエリシアなら尚更だ。
にも関わらず、エリシアはこんな矛盾を孕んだ質問をぶつけてきた。
それは、クロエの奥底に秘められた「何か」に気づいたからに他ならない。
そしてそんな「何か」と言ったら、考えられるのは一つだけしかあるまい――。
「ボ、ボクが……? ははは、そんなわけないじゃないか、ははは……」
言うまでもないことだが、クロエは嘘を付くのが上手くない。
とにかく笑って誤魔化す癖がある。
当然エリシアはこの癖を見抜いていた。
(やっぱり、クロエが……?)
と言ってもたかが癖でしかないので、疑問を晴らす決定的証拠にはなり得ない。
しかし、またしても確信へと一歩近づいたのも事実だ。
エリシアはさらに追求する意味合いも兼ね、クロエの前に立ち、そして彼女の目をじっと見つめた。
互いの瞳に、互いの姿が映り込む。
やがてエリシアは、再びその重い口を開けた。
「クロエ……貴女、隠してることがあるでしょ」
「――ッ! や、別に隠してることの一つや二つ、誰だって持ってるでしょ? ははは……」
(なるほど、そう来るとはね。けど笑ってるってことは……)
エリシアは、さらにもう一歩踏み込んでいく。
「確かに隠し事なんて誰だって持ってるわ。けどね、今はそんな一般論を言ってる場合じゃないの」
「うっ、なんという正論攻め……」
「それに、怪我を治してあげたのなら別に隠さなくたっていいでしょ?」
「…………」
「どうやって治したの? 本に治療薬の作り方が書いてあったの? それともまさか、やっと治癒魔法が使えるようになったとか……!?」
「うぅぅ……」
「親友の私にも言えないことなの?」
「――――じゃあ」
クロエは絞り出すように言った。聞こえるか、聞こえないか、ギリギリの声量で。
「じゃあ、今から言うことを聞いても……エリィはボクの親友でいてくれる?」
「当たり前じゃない」
エリシアは即答した。
するとクロエは深く息を吸い込み、こう言い放った。
「――《уад》」
クロエの手の平から一発の紫色の珠が放出され、まるでろうそくに灯る火のように指先で静止する。
「ボク、魔法が使えるようになったんだ。治癒魔法じゃなくて、闇魔法だけどね」