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夏休み最後の日曜日。天気は快晴、気持ちいい早朝だ! 僕の心も高ぶるままに、敦さんの車に乗りこんだ。
「すまんな、よろしく頼むよ」
父が声をかける。
「お任せを。では、行ってきます」
「スー坊、敦兄さんの言うことちゃんと聞くんだぞ」
「わかってるって、もう」
「あはは」
エンジンが掛かり、車は元気よく走り出す。さぁめざす地は――湖の、沢の、川の、水の流れるその先――
海だ!
海なのだ! もう大興奮だった。
忙しい父の代わりに、敦兄さんが連れてってくれる事になって! もう昨夜からワクワクものだった。
どんな大物が、僕を待ち構えてくれてんだろうか!? ちゃんと色んなの仕掛けをそろえてある! そしてなにより、今日は一日、兄さん、小林名人が付いててくれるのだ! なんて百人力だよ、どんと来い、てなものだった。
車を運転しながら敦兄さんが愉快げに、
「さて、ススム君。今回の事件は全て解明されたと思われている。が、実は、最後まで残った疑問があるのだ。それは何か。それは、目的だ。魚の王を創造し実際に放流まで行ったその心だ。なぜ、そんなことをやろうと考えたのだろう、その真意が分からない。
田中師の場合は明かだ。先達をある意味、凌駕したい、と熱烈に思ったのだろう。それはいい。肝心かなめは、その偉大なる高峰、平塚師匠の方なのだ。何も無かった所から、形ある、それも、よりによって魚の形したものを誕生せしめた。なぜだ。これこそ一番の不思議ではなかろうか」
「単純に、面白い、ウケる、と思ったからじゃないかな」
「ンだな。はは、それこそクリエイターの原動力だ! ところがね、当時は、江戸時代の末期、明治時代の初期が押し合い圧し合いをしている、という時代背景だ。維新の反対派、賛成派の人々が命がけで争う、いわば不穏な空気流れる世界だった。面白い、ウケる、その遊び心が保てる情勢だっただろうか。はっきり、よほど難しかったろう。ひょっとして源内は、だからこそ水中に、ひっそりとした湖に、安寧の領域、表現の、自由空間を見いだしたのかもしれない」
「そしたら百年だよ。あらためて、凄い」
「そう……。どんな形であれ、自分を覚えてくれる人がいるかぎり、魂魄は死なない。自分はどこまで生き延びられるか、自身の作品に命を託し、決然と送り出したのだ」
敦さんは続ける。
「より遠くへ。より高く、より深く、より重く、より美しく、より面白くそして、より永く! 果たしてどこまで行けるやら、逆にどれほどの大きさの舞台を用意すればいいのやら、それを見極めるために、神様は生命を生み出したのかもしれないな」
「まーた難しいこと言い出す……」
「あはは。ススム君」
敦さんは力を込めて宣言した。
「俺は、政治家に転向するぞ! 親父のあとを継ぐことにする。やっと、決心できた」
晴れやかな顔だった。
「――百年後の人たちに、あの時代は良かった、そう言わせてみせる!」
「将来は、もちろん?」
「総理大臣だ!」
二人して明るく笑い声を上げたのだった。
大空、そして、青く輝く、大海原が見えた!
敦がニヤリとする。
「太平洋にも、昔むかし誰かが放った、でっかいキッカイ魚がいるかもしれんぜ?」
瞬間、涙があふれた。「いるさ――!」
ススムは水平線に目を向ける。
ああ、潮の香り!
車窓から身を乗り出し、震えを覚えながら少年もまた決心するのだ。
遠くへ――と!
(了)




