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「文久三年。つまりウオオオの、さらに二年前の作だ。まず、平塚源内なる者が先にギョオオを創り、黒鷹湖に放流したのだろう。そして、理由は分からぬ。なぜか、田中師が同様のものを、追いかけるようにして創り、放流したのだ。全く同形、同じ構造体であるからにして、二人は同門、それも師弟関係にあったとするのが妥当だろう。さらにだ。ウオオオは小型で小回りが利く。その上その意図が不明だった武器まで備えつけられていた。今こそ分かる。これは、先に放流されたギョオオを、『攻撃する意図があった』、ということだ。主の座を奪おうとしたのだな。これらを鑑みて、ギョオオの方こそ真の主であったとして間違いあるまい。田中師と平塚師。果たして二人の間にどんな確執があったのか。今となっては想像もつかぬことだ……」
一息ついて、
「私らは結果だけ見ているから中々思い至らぬことがある。浮力、動力、作品一つのその製作過程は、それはそれは難事の連続であったろう。ゆえ尊重するべし。今、私らにできることは、二人によってそれぞれ生み出された、百年を生き延びた奇跡のカラクリ魚、貴重な宝物を――百年を生き延びたこの二頭の王を――分け隔てなく、大切に、文化遺産として、さらに後世に残すことではないだろうか」
と、結んだのだった。
「――」
敦兄さんが、ゆっくりと、頷いたのだった。そして、みんなで賛同の拍手。
家に帰って。そして僕らは仏壇に手を合わせたのだった。
さぁ、ここからの展開はまさに、一気呵成だった。
敦さんが県庁にて大々的に発表する。とたん、再びのマスコミの来襲だ。
今度こそ僕ら斉藤家は主役としてもみくちゃにされた。夢と真。先祖代々釣り師としての意地。激闘の歴史が全国に披露されて。まるでお祭り騒ぎ。わっしょいわっしょいと、あっという間に有名人の仲間入りだ。たいへんだったけど、清太郎を知る全国各地の釣り師から祝電が届いたのが、うれしいことだった。
平塚源内に関しても徹底的に調べられ、驚いたことに、隣町、平田町の一民家から古記録が発見される。それによるとまさしく、平塚師と田中師は師弟関係にあった模様だった。没年はギョオオ放流の翌年、元治元年。その翌年の慶応元年に、ウオオオが放たれるという事の並びになる。
“からくり源内(一門)記念館”なる構想を町役場がぶち上げて――
田中酒造の小父さんの鼻息が少し静まったのが、正直、胸のすくことだった。あ、銘酒“魚王”は予定通り販売するらしいよ。漢字表記でよかったね!




