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その夜から清太郎の資料に取りかかった。伯父はデータをびっしりとノートに残していた。餌の種類、仕掛けの数、ポイント、気象条件、月の満ち欠け、その他いろいろ。それらの組み合わせは軽く万を超えた。体が震える。伯父、清太郎は、これを実戦していたのだ……!
清太郎は、かと言って、黒鷹にばかり固執していたわけでもなかった。時に、風に誘われるように、一本の竿だけ持ってブラリと旅に出た。清太郎は初めての場所でも、その竿一本だけで思い通りに釣り、腕に覚えの現地釣り師連の心胆を寒からしめたという。――なんとも、格好いいことだ!
めくるページの、その紙の肌触り、匂い。独特な伯父の鉛筆文字。そこから立ち上る当時の空気に包まれると、ススムはまるで酩酊するかのような気分にさせられたのだった。
父、貞次郎は釣りの大半を、この兄に教わった。と言うよりも、盗み、盗ませてもらったそうな。そういうわけで父は、息子の僕にも、教えるっていうことをしない。斉藤家は、なかなか厳しいのである。
「――!」
とにかく、黒鷹湖から主を攫ってしまわなければならない。ススムは途方に暮れる。伯父は、考えられることすべてを試していた。いまさら同じ方法を繰り返しても、詮無きことと言うべきである。なんとかして、伯父の隙、ススム独自の手法を見つけ出さなくてはならない。
ヒントはあった。例えば、伯父の時代には、リールがなかった。これにはびっくりしてしまった。釣りが始まった太古の昔から存在していたものと、疑ったことすらなかったのに、ほんの三十年前には、この道具はなかったのだ!
肝心かなめのテグス(当時の釣り糸の名)だってそうだ。これも、(ナイロン糸が)なかった。え、釣り糸がない? なにそれどういうこと? その他にも、釣具の年代差とでも言うべき驚くような事実があった。
この点を見つめ直せば案外うまくいくかもしれない。
と思うものの、懸念もある。貞次郎の存在だ。父は、古き道具を新しき物に換えて、伯父の方術に、すでに再挑戦していたのではないだろうか。これは十分にありえることだった。
こうなると残るは人の差だ。同じ道具で同じように釣ろうとしたって、伯父と父と僕とでは、魚から見たら釣り針が全然違って見えるだろう。だけどこの考えは都合がよすぎる。伯父、父の釣り針を嫌って、僕の釣り針に食いついてくれるのだろうか。日頃の行いがいいからって釣れるわけじゃない。
投網、というアイデアが頭に浮かぶ。悪魔のささやきだ。ススムは首を振ってその悪魔を払い落とした。
釣り上げたいんだ! それ以外は邪道。
ススムは息を飲んで、そしてため息をついた。
せっかくの新聞記事だったが、結局、反響はなかった。
宮腰先生からも連絡があったが、町の記録にも、魚の大量死の歴史は見つからなかったそう。この町は、平凡な、どこにでもある町で、前身の村の成立後、大した事件もなく歴史を重ねてきたらしい。唯一のトピックとしては、町の蔵元、田中酒造が、実は江戸時代から続く老舗であったこと。その昔、酒造りで画期的な手法を編み出し、たいそう繁盛したとのことだ。
どんな分野にしろ、技術が要らしい。そう思わされたのだった。




