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リールが軽やかに回りだし、ロッドが柔らかくしなった。赤い野球帽に黄色のTシャツ、黒いハーフズボン、スニーカー姿のその少年は、目を輝かせて糸の先を見つめている。やがて湖面に暴れながら現れたのは、銀色、体長三〇センチのヒメマスだった。そのまま空中に引き上げて手繰りよせる。ビチビチとくねる身を押さえつけ慣れた手並みで針を外した。網袋の中に入れ、少年は満足げに得物を見つめる。尺ごえがこれで四匹目。十分な成果と言えるだろう。
黒鷹湖の水面にさざ波が立った。真っ白い積雲が震える。周囲のコナラ、ブナ、クヌギなどの広葉樹が緑の葉をさわさわと鳴らす。少年は腕で顔の汗をぬぐった。……気持ちいいな。
七月。今日から夏休み。斉藤ススムの頭上には、まだ十時をすぎたばかりの暑い太陽があった。
黒鷹湖は、東北、狩場山脈のふところにあり、周囲を手つかずの自然に囲まれた湖である。むしろ、大型の池と言ったほうがしっくりするかもしれない。そんな大きさの湖だった。
空から見ると、南北に長い「くの字」形をしている。その南と北の両端に冷たい沢水が注ぎ込まれていて、「く」の字の真ん中の、ちょうど折れ曲がった所の西側から川となって流れ出ていた。通称、西口だ。ふもとの町、大森町へ通じる山道は、その谷川に沿っているのだ。ススムの足で下り二〇分ほどだろうか。ちょっとした秘境だった。
湖底の土は黒土。西口から眺めると、黒い猛禽類が両翼を広げているかのようで、それが名の由来だ。
湖に生息している魚は主にヒメマス、アユ、フナなどで、小型のものも含めると、わりと多品種な生態系を誇っていた。目立たない地方の山中にあるせいか、地元民以外に知られておらず、絶好の釣り場になっている。




