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エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―【side:B】  作者: 長谷川
第4章 迷い子たちのバラッド
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95.唯一の真実


 思えば前にも似たようなことがあったなと、エリクの記憶が(ささや)いた。


 そう、あれは確か、エリクが初めて黄都(ソルレカランテ)の土を踏んだ日──かの街で憲兵隊長のマクラウドとことを構えたときのことだ。あの日もエリクはひとりの少女を人質に取られ、やむなくマクラウドに従った。恐怖と絶望に震える少女の眼差しを振り切れず、自らが身代わりとなることを(がえん)じたのだ。


 けれどあれからずいぶんと色々なことがあった。

 同じソルレカランテの景色も、今と昔とではすっかり色が違って見える。

 変わってしまったのだ。

 立場も、心も、状況も、自らが背負うものも何もかも。


「……さっきも答えたはずだ。私の名はエリク。救世軍の指導者たるジャンカルロ様の命令で、間者として黄皇国軍(おうこうこくぐん)に潜入している。私の役目は、表沙汰にならない国の内情や軍の動向を逐一救世軍へ報告すること……そして、同志の作戦を国家の内側から手引きすることだ」


 ──お前の正体と本名を言え。


 ドルフから提示された最初の質問に、エリクは半分の真実と半分の嘘で答えた。

 本名を答えたのは、嘘の中にはある程度の真実を織り交ぜた方が効果的だということを、様々な政敵と渡り合ったこの一年で学んだからだ。

 結果地方軍分隊の駐屯所には、(きぬ)を裂くような女の悲鳴が響き渡った。


 エリクはきつく唇を噛み、己の魂を引き裂かれるような痛みに耐える。

 娘の右手の小指は、ドルフの宣言どおり根もとから切り落とされた。

 小さな血溜まりに痩せ細った娘の指が転がり、(むせ)()く娘の嗚咽(おえつ)が室内の空気を震わせる。されどエリクは顔を上げなかった。泣きじゃくる彼女を見たら最後、味方を勝利へ導くための決意が揺らいでしまう予感があったから。


「……っおい! 私は真実を答えたぞ! なのにどうして彼女を……!」

「んなもんおれに()くまでもなく、てめえが一番よく分かってんだろ? おれァ他人の嘘が分かると、確かにそう言ったはずだぜ」

「だから正直に答えたろう! 今の救世軍にはまだ、国の内部から組織を助ける者が必要なんだ! だからトラモント黄皇国には何のしがらみもない異邦人の私がこの大役を任されて……!」


 とエリクが叫ぶように答えた直後、二度目の悲鳴が空を裂いた。

 もう見なくても分かる。今度は薬指だ。

 人質に取られた娘の右手から、既に二本の指が失われた。

 あまりにもむごい仕打ちだ。彼女が一体何をしたというのか。

 どうせ奪うのなら、無関係の彼女ではなく自分の指を奪えばいい。


 エリクはそう訴えたかったが、言ったところでドルフが聞く耳を持たないであろうことは分かり切っていた。この男は吐き気を催すほど深く理解しているのだ。

 エリクのような人間を苦しめるには、本人を肉体的に痛めつけるよりも、目の前で他人を傷つけた方がずっと効果的だということを。


「あァ、そうそう、おれが引っかかってんのはそこだよ、そこ。傭兵出身ってことは、てめえはもともと黄皇国の生まれじゃねえんだろ? そんな野郎がなんで反乱軍の世直しなんぞに協力してる? 腐れトラモント人がどれだけ死のうが生きようが、余所者のてめえにゃ関係ねえだろ。それがまず怪しいっつってんだよ」

「私はルミジャフタ……つまりトラモント黄皇国の建国を助けた太陽の村の民だ。ルミジャフタにとって黄皇国の腐敗は決して他人ごとではない。我々の祖先が黄祖(こうそ)フラヴィオに太陽神(シェメッシュ)の神託を与えたのは、この地に住まう民をエレツエル神領国(しんりょうこく)の暴政から救うためだった。だが建国から三百年のときが流れた今、トラモント皇家はもはや当時の誓いを果たしていない。だから私は……!」


 刹那、エリクを押さえつけるドルフの指先が、ぴくりと微か反応した──ような気がした。何だと思って視線を送れば、ドルフはしばし何事か考え込んだのち、意味ありげに口の端を吊り上げて言う。


「なるほど。ならてめえの言い分を一旦信じるとして、だ。だったらてめえはなんでジャンカルロがくたばった今も官軍にいる? 軍に入ったのは野郎の命令だったからだろ?」

「……確かにジャンカルロ様は無念のうちに亡くなられたが、救世軍はまだ滅んではいない。今も全国に散らばった同志が再起を図ろうと奮闘している。だから私は彼らを助けるために……」

「ハッ。そいつァご立派な心がけだが、黄帝(こうてい)の身内だったジャンカルロに代わる旗頭なんざそうそういるもんじゃねえだろ。(カシラ)のいねえ組織なんざ、頭を切り落とされた蛇と同じだ。前も見えねえまま無様にのたうち回って死んでいくだけ──」

「いいや。我々にはまだフィロメーナ様がいる。ジャンカルロ様の伴侶であり、遠く皇族の血を引くフィロメーナ様が」


 果たして自分は本当にこの男を騙せているのだろうか。そんな不安に(さいな)まれながら、しかし今更引き返すこともできずに、エリクはひたすら嘘を重ねた。とにかく持てる限りの情報と機転を駆使し、随所に真実を織り交ぜた狂言を回し続ける。

 ひょっとすると自分はまた試されているだけで、ドルフはやはり救世軍と何らかのつながりを持つ男なのだろうか。

 だが仮にそうだとしても、ここまでの自分の発言に大きな矛盾はないはずだ。ならばドルフがエリクを本物の救世軍関係者と誤認する可能性はまだ残されている。

 今はそのわずかな希望に懸けて、フィロメーナの名にすべてを託すしか、ない。


「ハハッ、そうかい。ならてめえはそのフィロメーナ様とやらが今どこにいるのか知ってんのかよ? いくら皇族の血を引いてるっつったところで、貴族のお嬢さんが国ひとつぶっ潰そうなんて無謀な企みのためにたったひとりで戦えるとでも?」

「……ああ。戦うさ、彼女なら」


 瞬間、エリクの唇から零れたのは確信だった。

 これだけは嘘でも真実でもない。ただ彼女の手を放したあの日から、エリクの中に確固としてある予感のようなもの。フィロメーナは屈さない。誰かが救いの手を差し伸べない限り、どれだけ傷つき苦しもうと戦い続けることを選ぶだろう。

 だからこそ、自分が。

 自分たちが止めてやらねばならない。彼女の祈りがこれ以上()(にじ)られる必要はないのだ。民の命と平穏を守るのは他でもない、軍人(エリクたち)の仕事なのだから。


「仮にもフィロメーナ様は『奇跡の軍師エディアエル・オーロリー』の末裔だ。戦場とはまったく無縁の世界で生きてきた、温室育ちの貴族令嬢たちとはわけが違う。何より、彼女は……ひとりじゃない」

「何?」

「イークが……私の友が今も彼女についている。あいつはこの世の何を敵に回しても、必ずフィロメーナ様を守り抜くだろう」


 それもエリクにとっては確信だった。

 イークは何があろうとも、一度心を預けた相手を裏切るような男じゃない。

 だからその一点だけは、誰に何と言われようとも揺るぎなく断言できる。

 刹那、ドルフの顔色を(うかが)った刃物男が再び短剣を振り上げた。

 肩を竦めた娘の唇から「ひっ……」と声にならない悲鳴が漏れる。しかし、


「待て」


 と、直後に上がった制止の声に、皆が驚きの眼差しをドルフへ向けた。

 娘の三本目の指が失われるのを止めたのが、他ならぬドルフだったからだ。


「なるほど、言い分は分かった。つまりてめえはあくまで反乱軍側の人間だと言い張るわけだな?」

「……言い張るも何もそれが事実である以上、私はそうとしか答えられない」

「ハハッ、じゃあそういうことにしといてやる。だがよ、てめえが本当に反乱軍のスパイだってんなら、今回人質なんてハズレ役を引かされたのには、表向きの思惑とは別の理由があるんじゃねえのか?」

「……? どういう意味だ?」

「つまりシグムンド・メイナードはお前の正体なんざとっくにお見通しで、だから自分(てめえ)の副官をアッサリ人質に寄越したんじゃねえのかって話だよ。てめえが反乱軍側の人間なら、村の中にいる()()()と共謀してついに尻尾を出すかもしれねえ。逆に村を占拠してるのがただの(ニセモノ)なら、スパイ疑惑のある男を名誉の戦死に見せかけて綺麗に始末できるわけだからなァ」

「……!」


 瞬間、エリクは思わず息を飲んだ。何故ならドルフが腰に吊っていた柳葉刀(りゅうようとう)を抜き、刃先をエリクの首もとへ突きつけたからだ。しかし確かにドルフの視点に立てば、そういった可能性も考えることができるだろう。黄都守護隊(こうとしゅごたい)は既にドルフの正体も目的も掴んでいるわけだから、シグムンドがエリクを死なせるつもりで人質役を任せたわけでないことは明白だが、ドルフはもちろんそれを知らない。


 とすればあらゆる可能性を警戒するのは、この男の性格からして当然だ。

 けれどもし彼の仮説を肯定すれば、エリクに人質としての価値はなくなる。目の前にいるのは死んでも構わない人間だと認識したなら、ドルフは何のためらいもなくエリクの命を奪うだろう。されどエリクも大人しく殺されるわけにはいかない。

 自分にはまだ為すべきことがあるのだ。可能な限り迅速かつ確実にカルボーネ村を解放し、囚われた人々を助け出すために──


「お、おい、待て。確かに可能性は否定できないが、だからと言って黄都守護隊との口約は無効にはならないぞ。今ここで私を殺せば交渉は決裂したと見なされて、将軍は今後一切の取引に応じなくなるだろう。そうなればお前たちは……」

「さて、そいつはどうかね。てめえひとりが死んだところで結局状況は変わらねえだろ。何せこっちにはまだ何十人も人質がいて、連中の命を握られてる限り、シグムンドは迂闊には動けねえ。黄都に敵の多いあの男がここで人質を見殺しにすれば〝反乱軍討伐の手柄欲しさに村人を犠牲にした〟と騒がれるだろうからな」

「……! お……お前のような男が、どうしてそんなことまで……!」

「ハハハッ、その顔はどうやら図星らしいな? 悪いがおれァこう見えて情報通でね。自分の敵になるかもしれねえ相手のこたァ事前に調べ尽くしてあんだよ。つーわけでここはシグムンドの反応を見るために、まずはてめえをぶっ殺して……」

「ま、待て! 私を殺せばお前たちは必ず報いを受けるぞ! 救世軍の名を(かた)り、さらには仲間の命まで奪ったとなれば、同志たちが黙ってはいない……!」

「ああ、そうかもな。だがそいつもおれにとっちゃ好都合だと言ったら?」

「何?」

「てめえの相方、イークとかいう野郎には結構な額の懸賞金が懸かってるだろ? 何よりやつには個人的な借りがあるんでな。てめえを殺すことでやつを(おび)()せるなら、むしろ願ったり叶ったりだ。つーわけで潔く諦めて、大人しく死ね」


 エリクは目を見開いた。ああ、そうか。この男もイークを知っているのか。

 予想していた形とは少し違うが、やはりドルフは救世軍との接点を持っていた。

 口ぶりからして恐らくは過去にイークと戦い敗れたとか、きっとそんなところだろう。途端に口の端が持ち上がりそうになるのを、エリクは懸命に(こら)えた。


 ──かかった。そう確信できたからだ。


 ドルフは未だ世間には公表されていないイークの名前や、彼の故郷でもあるルミジャフタの情報が出たことで十中八九、エリクは救世軍の人間だと誤認した。

 こうなってしまえばあとはこっちのものだ。エリクは今、ここにはいない親友の助力に感謝しながら、この瞬間のために用意していた台詞(せりふ)を口にする。


「分かった」

「あ?」

「そういうことなら……取引をしよう。お前たちがそこの女性と私の身の安全を保証するなら、官軍の作戦を教える」

「何?」

「昨夜、麓の陣の兵糧庫が燃えたのは事実だが、あれはメイナード将軍が案じた計略の一部だ。このままだとお前たちは──確実に攻め滅ぼされるぞ」


 今にもエリクの首を()()ばそうとしていたドルフの手が止まった。エリクが放った予想外のひと言に、取り巻きの男たちも目を見張って顔を見合わせている。

 さあ、ここから先が本当の勝負の始まりだ。

 エリクの嘘が勝つかドルフの猜疑心が勝つか、成否はその一点に懸かっている。


「……ほう。そいつは興味深い提案だな。ならまずは話を聞かせてもらおうじゃねえか」


 そう告げたドルフの刀が、ついにエリクの首もとを離れた。


 まあ、当然と言えば当然の結果だろう。


 何しろエリクは官軍(てき)の敵として、ドルフの信用を勝ち取ったのだから。


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