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68.蛮勇が吼える


 あの晩、ダミヤが残していった言葉の意味を、エリクはずっと考えていた。


 ──強欲に目が(くら)んだ略奪者ども。


 ダミヤはエリクらを指して確かにそう言ったのだ。

 あれは果たしてどういう意味だったのか。少なくともエリクが出陣前に目を通した資料には、黄都守護隊(こうとしゅごたい)の設立以降、隊が反乱鎮圧以外の目的でアレッタ平野へ侵攻したという記録はなかった。昨年、先代守護隊長であるラオスが決行した大征伐すらも、彼らの蜂起を待って実行に移されたのだ。


 ならばダミヤの言葉が指していたのは黄都守護隊のことではなく、トラモント人という人種そのものということだろうか。

 エリクたちのまったく(あずか)()らないところで、クェクヌス族が黄祖(こうそ)フラヴィオから約束された地を荒し、何らかの略奪を働いた者がいた?

 仮にそうだとすれば、過去数年間に渡るトラモント黄皇国(おうこうこく)とクェクヌス族の争いは、黄皇国側に原因があるということになる。

 だから彼らはトラモント人を激しく憎み、和睦を拒み続けている……と考えると、困ったことにすべての辻褄(つじつま)が合ってしまうのだった。


 だが一体いつ、誰が何の目的で不可侵条約を破り、彼らの怒りに触れたのか?

 そこが分からない。スッドスクード城で目を通した記録にも、彼らが反乱に至った直接の経緯はどこにも記されていなかった。

 だからエリクもある日突然、彼らが略奪のために国境を侵すようになり、黄皇国側が一方的に不可侵条約を破られたと考えていたのだ。

 しかし前提からすべてが間違っていたのだとしたら。エリクたちが想定もしていなかった根深い禍根が、この地に残されているのだとしたら──


「アンゼルム殿」


 軍議用の大天幕で、ひとり。先日様々な情報を書き加えた地図を見据えてじっと考え込んでいると、不意に低く(いか)めしい声に名前を呼ばれた。

 そこではたと我に返り、地図から顔を上げれば、入り口の垂れ幕を払ってやってくるブレントの姿が正面に見える。今日も今日とて筋骨隆々の体躯(たいく)を白銀の鎧で覆った彼は、微かに金属の触れ合う音を立てながら歩み寄ってきた。


「ブレント殿、いらしていたのですか」

「ええ。どうやら本日も敵が攻めてくる気配はないようですのでな。我々もそろそろ次の行動を決めるべきかと、アンゼルム殿のご意向を(うかが)いに参りました。ハミルトンからの連絡はまだ届きませぬか?」

「いえ。実は一刻(一時間)ほど前に、任務完了を知らせる伝令が届いたのです。ですのでちょうど砦に使いを出そうかと考えていたところでした」

「おお、左様でございましたか。では早速作戦を実行に移されるので?」

「ええ……そう、ですね。黄都の情勢を考えても、あまり滞陣を長引かせるわけにはいきませんので……そろそろ決着をつけなければなりません」


 エリクはそう答えながら目を伏せて、再び机上の地図へ目を落とした。

 すぐ横で口を開けたまま放置されている懐中時計が、間もなく日の入りの時刻が訪れることを知らせている。

 今日も敵襲はなさそうだとブレントが判断したのは、この時間までクェクヌス族が姿を見せなかったためだろう。彼らが最後に襲撃してきたのは三日前。

 エリクが敵将ダミヤと直接剣を交えた例の晩以来、クェクヌス族はぱったりと攻めてこなくなり、黄皇国軍は束の間の安息を享受していた。


 ブレントとエルダが夜襲の翌日に取りまとめてくれた戦果報告によれば、あの晩の戦闘でクェクヌス族はさらに百騎以上の犠牲を払っていったらしい。

 初めは四百騎ほどいた兵力が、着陣初日の小競り合いで三百に減り、さらにロッカ率いる第三部隊との交戦で二百余りに。そこからさらに百以上の犠牲を払った、ということは、敵の兵力はもはや百騎程度しか残っていない計算になるだろう。

 対する黄都守護隊は先の夜襲への応戦で八十名超の死傷者を出したものの、うち死者は半数ほどで、残りの重傷者も医務官と水術兵の迅速な治療により、六割ほどが既に戦線に復帰できる状態となっていた。黄都守護隊の各部隊には最低でも十名程度の水術兵が配属されているから、戦闘後の負傷者の治癒率がかなり高い。


 一方のクェクヌス族は、交戦中にエリクが幾度神術を見舞っても同じ神術で対抗してこなかったところを見る限り、やはり味方に神術使いがいないのだろう。

 とすれば、彼らが夜襲で払った犠牲はエリクたちの計算よりさらに多いかもしれない。一族の命運はもはや風前の灯火。

 四つの羽族(うぞく)からさらに戦士を募るにしても、既に年端もいかない男児を戦力に加えるほど逼迫(ひっぱく)している彼らの兵力問題が解決するとは思えない。


 そう。思えない、のだ。


 ゆえにエリクは迷っていた。これ以上圧倒的な力で彼らを痛めつけることに、果たして大義はあるのだろうかと。


「……ブレント殿」

「何でしょう?」

「先日お話した、クェクヌス族側の言い分についてなのですが……その後、砦の方で何か情報は得られましたか?」

「いえ。残念ながら、将も兵も何のことやら思い当たる節がないといった様子で。そもそも家畜を財産として暮らしているクェクヌス族を襲ったところで、一体何の益があるのかと警備隊長などは申しておりました。あの男は能力的にも性格的にもまったくあてになりませんが、しかし言い分には一理あるかと思います」

「そうですね……クェクヌス族が所有する財産で、黄皇国でも相応の価値があるものと言えば、馬くらいしか思いつくものがありませんが……しかし先の戦闘で捕獲した馬を見ても分かるとおり、彼らの馬は外部の人間にはまったくなつきません。過去にもラオス将軍が鹵獲(ろかく)したクェクヌス族の馬を軍馬に転用しようとして、(ことごと)く失敗したと聞いていますし……そんな気質の馬を盗んで平野の外へ連れ出すというのは、現実的ではありませんよね」

「でしょうな。仮に連れ出せたとしても商品にならずに、食用にでもされるのが落ちでしょう。しかし彼らの言い分の真偽はどうあれ、戦の決着はつけねばなりませぬぞ、アンゼルム殿。ここで我らが情けをかけたところで、彼らが大人しく改心するような気性の持ち主でないことは既に明白です。であるならば我らは国土の安寧を守るべき軍人として、彼らに脅威ある限り討たねばなりません」


 エリクが腰かけた上座のすぐ横に自らも腰を下ろしたブレントは、まっすぐにこちらを見据えてそう言った。その揺るぎない灰色の瞳を見る限り、エリクの感じている迷いなどブレントは既にお見通しなのだろう。確かに彼の主張はもっともだ。

 エリクたちは黄皇国の軍人であり、国家とそこで暮らす民の安全を保障するために剣を捧げている。ならばいかなる理由があろうとも、争いを仕掛けてくる外敵は討たねばならない。彼らを野放しにすればまた罪なき民が略奪と復讐の対象として蹂躙(じゅうりん)され、無益な血が流れることだろう──けれど。


「……分かりました。では明日から予定どおり作戦を決行します。ですが、ブレント殿。戦の決着をつける前に、もう一度だけ私にチャンスを下さいませんか。どれだけ望みが薄いとしても……わずかでも可能性があるのなら、私は彼らに、再び講和を持ちかけてみたいと考えています」

「アンゼルム殿」

「無謀は承知の上です。しかし一歩でも歩み寄る姿勢を見せなければ、クェクヌス族との血で血を洗う争いは今後も延々と繰り返されることになるでしょう。この問題を根本から解決するためには、やはり和睦の道を探す他ありません。私はラオス将軍とは違ったやり方で、将軍が目指されたものの実現に動きたいと思います」


 エリクが決然と(おもて)を上げてそう言えば、ブレントは困り果てたように眉を寄せたのち、盛大なため息をついた。そうして束の間難しい顔で低くうなると、まるで頭痛を(なだ)めるように禿頭(とくとう)を撫で上げながら言う。


「確かにアンゼルム殿のおっしゃることも分かります。彼らが貴殿のご温情に応える可能性については、やはり疑問視せざるを得ませんが……それを承知で対話を望まれるのであれば仕方がありません。一度だけなら私も協力致しましょう」

「本当ですか、ブレント殿」

「士たる者に二言はありませぬ。して、どのように話をつけるおつもりで?」

「彼らの我々に対する疑念の濃さを見る限り、総大将同士が会合の席を設けて……といった定石の手法は取れないでしょう。ですので明日の開戦前に、ダミヤに向けて陣頭から降伏を勧告しようと思います。もちろんあの男が大人しく受け入れるとは思っていませんが……あわよくばクェクヌス族が蜂起するに至った理由を詳しく知ることができるかもしれませんから」

「なるほど。では我が隊の風術兵の中に、優れた術壁使いがおりますので護衛としてお貸しします。仮にダミヤが対話を拒み、弓矢(きゅうし)によってアンゼルム殿の御身を脅かすようなことがあったとしても、神術による盾を展開してしまえば安全を確保できるでしょう」

「ありがとうございます。確かに、あまりぞろぞろと供を連れて対話に臨むようではダミヤの不興を買うでしょうから……神術兵を用いることで、供の数を最小限に抑えるというのはいい案かもしれませんね。では今回はお借りする神術兵と、もうひとり……コーディのみを連れて説得を試みてみようと思います」

(かしこ)まり(もう)した。しかし、アンゼルム殿。くれぐれも御身に危険が及ぶような行動だけは慎まれますよう。貴殿は他でもない我が軍の総大将です。大将に万一のことがあらば兵は乱れ、たった百騎の敵軍にも蹴散らされる事態となりかねませぬ」

「はい。そこは肝に銘じておきます。一滴の血も流さずに済むのであれば、それに越したことはありませんが……平和的解決に固執するあまり、味方を危険に晒しては元も子もありませんからね」


 エリクが苦笑と共にそう言えば、ブレントは手甲に覆われた(たくま)しい腕を組みながら大仰に頷いた。かくして翌日、すべての準備を万端に整えたエリクはいよいよクェクヌス族との決戦に挑むこととなる。着陣からおよそひと月。

 終始守りの戦に徹していた黄都守護隊が、ついに攻勢に転じるときが来た。

 エリクは本隊の騎兵一千を率いて出陣し、迷わず西の国境を越える。

 アレッタ平野。地平の彼方まで続くその草原はトラモント黄皇国の軍人であるエリクらにとっての異郷であり、クェクヌス族の庭だった。


 季節の移ろいと共に、少しずつ色褪せつつある草の大地は本当に視界を遮るものがない。時折平原の真ん中にぽつねんと佇む樹木が目につくくらいで、森育ちのエリクにはあまり馴染みのない風景だ。風が吹けば足もとにサアッと緑の波が立ち、エリクたちを追い抜いて地の果てまで波紋を広げてゆく。美しい景色だった。

 春になればきっとそこかしこに色とりどりの野花が咲き乱れ、クェクヌス族が放牧する家畜たちが草を()みながら、ゆったりと穏やかな時間を過ごすのだろう。

 ほんの少し想像を巡らせるだけで、そんな情景が目に浮かぶようだった。


 だからこそエリクはこれ以上、この地を土足で踏み荒らしたくはない。

 ましてや力で彼らを押し潰し、根絶やしにして、草原を血で染めるなどもってのほかだ。長年に渡って続く争いの原因が黄皇国側にあるのだとしたら、なおさら。

 ゆえにエリクは腹を決め、目を細めて地平を見やった。トラモント人とクェクヌス族。ふたつの民族の間に横たわる問題を解決するには、どちらの民族にも属さない自分のような人間が奔走するしかない。今、目の前に広がる豊かな景色がクェクヌス族と共に淘汰され、消えゆく未来など見たくないのだ。


 ──お前もそうだろう、ダミヤ。


 胸裏でそう語りかけながら、エリクは手を挙げて全軍を停止させた。

 エリクたちが目指す西の彼方から、碧天を(けぶ)らせる砂塵が迫ってくる。

 小隊ごとに縦列を組んで進んでいた本隊にエリクは素早く密集隊形を取らせた。

 百騎が二百騎に相当すると言われるクェクヌス族の騎馬隊でも、そう簡単には突破できないであろう密度の壁を作る。

 アレッタ平野の奥地から現れた異民族の兵力はやはり百騎程度まで減っていた。


 しかし彼らの先頭には変わらずあの男の姿がある。

 〝赤羽根〟ことチャンガル族の酋長(しゅうちょう)、ダミヤ。

 彼が眼前までやってくるのを、エリクは味方の陣頭に立って待った。

 陣頭、と言っても、自軍の最前列との距離は六(アナフ)(三十メートル)ほどある。

 どう見ても不自然にエリクだけが飛び出している格好だ。

 傍らに従えているのは補佐官のコーディと、監視砦を守るブレントが貸し与えてくれた壮年の風術兵がひとりだけ。


 彼は神力を練り上げ、巨大な盾のごとく光の壁を展開することで、いかなる攻撃も跳ね退ける守りの術を得意としていた。攻撃特化型の雷刻ライトニング・エンブレム火刻(フレイム・エンブレム)とは違い、彼の刻む風刻(ガスト・エンブレム)は攻守どちらにも秀でた力を発揮するのだ。

 エリクは彼がクェクヌス族の矢を退けるために吹かせている追い風をうなじに感じながら、クェクヌス族の騎馬隊がいよいよ十枝(五十メートル)ほど先まで接近してきたのを見て、戛々(かつかつ)とシェーンを進ませた。


「聞け、誇り高きクェクヌス族の戦士たちよ。私の名はアンゼルム。今はトラモント黄皇国の盾としてここにいるが、もとはお前たちと同じ国の外からやってきた人間だ。チャンガル族の酋長、ダミヤ殿と話がしたい」


 そうしてエリクが名乗りを上げれば、敵の先頭を駆けていたダミヤが表情を険しくしたのが分かった。が、彼が肩越しに振り返り、軽く(げき)を掲げるや、百騎余りの人馬の群がゆっくりと減速する。

 ほどなくすべての騎馬が停止し、馬蹄(ばてい)の音が鳴り止むと、鍛え上げられたクェクヌス族の馬の中でも一際大きな青鹿毛(あおかげ)が堂々と歩み寄ってきた。


 他でもないダミヤを乗せた馬だ。額から鼻先にかけてすっと伸びた流星型の白斑(マーキング)は凛々しく、引き締まった馬体を覆う黒い毛皮もまた気品と威厳を感じさせる光沢を帯びていた。その背であの晩と同じ装いに身を包み、方天画戟(ハルバード)を携えたダミヤはじっとこちらを睨み据えている。怒りと憎しみに燃える男の眼は蒼穹(そうきゅう)の下にあってなお暗く、瞳の奥に奈落を飼っているかのようだった。


「俺に何の用だ、黄賊(ズィワザ)の小僧」

「黄賊、とは、トラモント人を指す言葉だろう。言ったはずだ。私は黄皇国軍に属してはいるが、トラモント人ではない。この大陸のずっと南、森深き異郷から来たキニチ族の末裔だ」

「貴様の身の上話など興味はない。今すぐ我らが父祖の地から立ち去れ、小僧。さもなくば今日という今日こそ貴様の首を胴から切り離し、野鳥の餌にしてくれる」

「ダミヤ。異郷の出身である私にとってはクェクヌス族もトラモント人も等しく異民族だ。だからどちらか一方だけを差別したり拒絶したりする気は毛頭ない。私はお前たちがあるときを境に不可侵条約を破り、黄皇国の領土を荒らすようになったというトラモント人の主張を信じてここへ来た。だが先日の晩、お前は言ったな。先に誓いを破ったのはトラモント人の方だと。あの言葉の真意を教えてほしい」

「ふん。それを知ったところでどうする? たとえ異民族の出身だろうと、今の貴様はまぎれもないトラモント人の狗だろう。ならば話すことなど何もない。我々はただ貴様らの欲望に殺された同胞(はらから)の魂を慰めるために、命尽きるまで(とむら)いの血を捧げるのみだ」

「そうやって互いの憎しみを積み上げ、一族を滅びに導くことがお前たちの弔いなのか? 父祖の地を蹂躙され、奪い尽くされたあげく、一族の血を絶やすことが本当に亡き者たちへの慰めになるとでも? だとしたらお前に一族の長たる資格はない、ダミヤ。偽りの言葉で仲間の耳目を塞ぎ、彼らの命を利用するお前こそ、クェクヌス族にとっての真の敵だ」

「黙れ、無知を晒すしか能のない小僧が! 誰に何と言われようと、これは我ら四翼(しよく)の一族の総意だ!」


 日に焼けた頬を勃然(ぼつぜん)と紅潮させたダミヤが、刹那、怒号と共に弓を構えた。

 途端に背後で上がったコーディの悲鳴を制し、エリクはダミヤを睨み据える。

 次の瞬間、獣の咆吼にも似た矢音が耳を掠めた。

 風術による加護は働かなかった。自分が手を挙げたら決して動くなと、コーディにも風術兵にも事前に言い含めておいたためだ。

 両軍の間にどよめきが走る。エリクはその動揺を見逃さなかった。何故ならダミヤの放った矢は、エリクが避けるまでもなく()()()()()()()のだから。


(やはりそうか)


 と、エリクは内心確信する。

 未だ憤怒を(たた)えてこちらを睨むダミヤの表情は屈辱に歪んでいた。

 つまり本人も分かっているのだ。

 今の矢は避けられたのではなく、当たらなかったのだと。


 何しろ先日の晩、弓を抜くなり驚異的な精確さでエリクの額を射抜かんとしたダミヤの弓術ならば、今も充分エリクを狙えたはず。しかしそうできなかったのは恐らく、エリクの放った言葉がダミヤの心を乱したから。

 ゆえに狙いが狂ったのだ。エリクにはそうなる予感があった。手がかりとなったのはひと月前、アウローラ監視砦でロッカが口にしていたあの疑問だ。


『けど、敵軍の半分が赤羽根ってのが気になりません? 仮に四百のうち二百が赤羽根だとすれば、残りの三羽族の戦士は一羽族につき百人もいない計算になるじゃないですか。今までは四羽族からほぼ均等に戦士が集まってたのに、何でだろ?』


 その異変の原因を考えたとき、エリクはあるひとつの推論に辿(たど)()いた。すなわち、クェクヌス族を構成する四つの羽族のうち、チャンガル族以外の三羽族はダミヤほど今回の戦に乗り気ではなく、ゆえに兵力を出し渋ったのではないか、と。

 何しろ彼らは昨年、ラオスが一族を威圧するために率いてきた一万もの大軍勢を目の当たりにしたばかりだ。

 四羽族の人口をすべて合わせてみても、到底埋めようのない圧倒的な物量差。

 おまけにラオスが提案した講和を()ねつけ、無謀にも一万の壁に向かって突撃した六百人の戦士たちは、熱砂に落ちて蒸発する水滴のごとく一瞬で消え失せた。


 普通、そんな現実を目の当たりにしてしまったら、人は誰しも心を折られる。

 何より一族を守り、栄えさせてゆくはずだった戦士のほとんどを失ったことは、クェクヌス族にとって取り返しのつかない痛手だったことだろう。

 ゆえにエリクは考えたのだ。先の絶望的な敗戦はクェクヌス族から戦意を奪い、これ以上の反抗は本当に一族の滅びにつながるかもしれないという恐怖を植えつけた。ところが先代酋長の遺志を継ぎ、黄皇国への復讐に燃えるダミヤはなおも徹底抗戦を叫び、残りの三羽族と対立したのではないか、と。


 そうして最後に落ち着いた妥協点が今回の戦の形だ。

 ダミヤは己の率いるチャンガル族から全体の半分に相当する戦士たちを駆り出すことを条件に、残りの三羽族からわずかな兵力を借り受けた。

 若く未熟な少年まで戦力として引き連れていたのもそのためだ。

 ダミヤは厭戦(えんせん)を主張する三羽族を説得するために、無理矢理戦士の頭数を揃え、自分たちはまだ戦えるとでも訴えた──以上の推測が正しければ、今度こそ彼らに揺さぶりをかけられるかもしれないとエリクは思った。


 だからこうして賭けに出たのだ。

 密室での会合という形を取らず、両軍の将士から見えるところでダミヤの説得に臨んだのも、本当は戦など望んでいない者たちに動揺を与えるのが目的だった。

 彼らがダミヤのやり方に疑問を抱き、やはり黄皇国と争うのは間違っていると気づいてくれたなら和睦の芽はある。されどどうあってもトラモント人を殺し尽くしたくて仕方がないらしいダミヤは刹那、エリクの思惑や味方の不信、そして何より己が失態を吹き飛ばすかのように、腹の底から咆吼した。


「思い出せ、(おおとり)の子らよ! (いや)しき者どもの私欲のために犠牲となったお前の母を! 姉を! 妹を! そして聞け! 嘆きの(うろ)に沈められた女たちの魂を解放すべく勇猛に戦った父の、祖父の、兄の声を! 我らは天翔ける四翼の末裔! その誇りある者は俺に続け! 今こそ一族の無念を晴らすときだ……!」


 ダミヤの有無を言わせぬ雄叫びは、どよめきに揺れていた戦士たちを打擲(ちょうちゃく)した。果たして何人が心の底から彼の言葉に賛同したのかは分からない。

 しかし彼らはもう引き返せなかった。ダミヤの思想に同調する戦士たちの唱和が迷いを呑み込み、押し流し、うやむやにして、彼らを戦いに駆り立てた。

 ズン、と大地が沈み込むような震動と共に、人馬の群が動き出す。


「アンゼルム様、お戻り下さい!」


 背後でコーディが叫ぶのが聞こえた。次の瞬間、ダミヤが逞しい青鹿毛の腹を蹴ると同時に放った矢が、エリクの鼻先で見えざる壁に弾かれる。

 結局風術の加護を受けることになってしまった。

 エリクは苦々しい思いで舌打ちし、瞬時に剣を抜き放つ。


「あくまで憎悪の神(サーナー)の邪義に従うか、ダミヤ……! ならばこちらも容赦はしない。全軍、突撃! 敵兵を殲滅(せんめつ)せよ!」


 迫る馬群へ向けて(つるぎ)を振り下ろしたエリクの号令に、勇ましい喊声(かんせい)が続いた。

 生き残った敵兵の十倍にもなる軍勢が一斉に動き出し、巨大な人馬の津波となってダミヤたちへと押し寄せる。決戦の幕が上がった。

 エリクは一抹の迷いと共に馬腹を蹴り、そして、覚悟を決めた。


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