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66.星なき夜に


 この二ヶ月で、シェーンという馬について分かったことがもうひとつある。

 サバンが彼女をエリクのもとへ連れてきたとき、一緒に譲ってくれた取引証書によれば、シェーンはまだ三歳にもなっていない若馬だ。にもかかわらず、彼女は生まれながらに備わっていたとしか思えない強いリーダーシップを持っている。

 何しろシェーンはスッドスクード城へ来てからたったの二ヶ月で、本隊に所属する軍馬の頂点に立ち、彼らを従えるようになっていた。


 馬の群というのは確かに(メス)をリーダーとして成り立つものだが、しかしエリクの知る限り、こんなにも年若い雌が群を率いるなんて前例のないことだ。

 だから本隊の馬たちが何をもって彼女を群のリーダーと認めたのか、エリクには分からない。あるいは気性の荒い軍馬が集う黄都守護隊(こうとしゅごたい)内でも群を抜いて利かん気の強い彼女に恐れをなして、みな(こうべ)を垂れるしかなかったのかもしれない。


 が、いずれにせよ、彼女が群の頂点に立ってから馬たちの動きががらりと変わったことは事実だ。シェーンはどうやら群の馬たちを引っ張る見えざる力を持っているらしい。彼女が群の先頭を駆けると、ついてくる他の馬たちもいつも以上の力を発揮する。遅れまいと懸命に大地を掻き、結果、群の動きにかつてないほどの一体感が生まれ、機動力も格段に上がった。もっとも、だからと言ってシェーンを全速力で駆けさせてしまうと、後続の馬たちは普段よりも早く疲弊する。


 黄都守護隊の軍馬は通常、半刻(三十分)は駈歩(かけあし)を持続できるよう訓練されているが、シェーンを先頭に全速で走らせると四半刻(十五分)ほどしか持たない。

 当のシェーンは驚くべきことに、その速度を維持したまま人を乗せて半刻以上駆けてみせるものの、他の馬にまで彼女と同じ特異性を求めるのは酷だ。

 だからシェーンに騎乗して隊を率いるときには、後続の馬たちに対して細心の注意を払わなければならない。されど同時に、これは使えるとエリクは思っている。


「クェクヌス族との戦の前にお前と出会えたのは僥倖(ぎょうこう)としか言いようがないな、シェーン。今回の作戦の成否はお前に懸かってる。頼むぞ」


 と、野営地へ戻る道すがら、エリクが鞍上(あんじょう)からぽんぽんと背中を叩いてやると、シェーンは誇らしげにブルルッと鼻を鳴らし頭を上げた。そんな彼女の仕草が自信満々に「任せておけ」と言っているように見えて、エリクは思わず笑ってしまう。

 対クェクヌス族の最前線に着陣してからおよそ半月。

 残暑は既に過ぎ去り、アレッタ平野の西部にも秋の風が吹くようになった。


 エリクたちが現地入りすると同時に着手し始めた野営地の要塞化は着々と進んでいる。というか、こうして外から眺めてみるともはや完全に小要塞だ。

 地術によって築かれた長大な防塁(ぼうるい)に、いくつもの物見櫓(ものみやぐら)。敵が攻めてくれば櫓の上から即座に位置を確認し、矢を射かけることができる防衛体制。


 クェクヌス族が使う馬上弓(カマン)では到底届かない距離にそれはあり、さらに万全を期すべく現在は防塁の周りに塹壕(ざんごう)を掘っている。

 馬に乗ったままでは決して越えることのできない溝状の穴だ。

 そこに逆茂木(さかもぎ)の役割を果たす(いばら)でも植えてしまえば、この陣はもはや対騎馬民族の拠点としてアウローラ監視砦をも(しの)ぐ要塞となるだろう。

 唯一、未だ塹壕の敷設が進んでいない陣の西側を除けば、の話だが。


「敵はかなり苛立っているようですね、アンゼルム様」


 と、コーディが隣に立ってそう告げたのは、エリクたちが陣外での訓練を終えて戻ってから半刻ほどが経過した頃のことだった。

 現在エリクが佇む物見櫓の麓では、今日も今日とて懲りずに攻め寄せたクェクヌス族が、当たるはずのない矢を必死に射かけて櫓の上の黄皇国兵(おうこうこくへい)を威嚇している。


 先程まで陣の西側で騎馬隊の陣形確認をしていたエリクたちが訓練を途中で切り上げ引き揚げてきたのは、彼らの接近を知らせる伝令がブレントのいる監視砦から届いたためだった。見渡す限り遮蔽物(しゃへいぶつ)のないアレッタ平野では、雨でも降らない限り馬が駆けると砂煙が立ち、遠目からでも彼らの接近が容易に知れる。


 ゆえにエリクたちは野外で訓練や作業をしていても、砦から知らせがあるとすぐに兵を防塁の内側へ避難させ、弓と神術でのみ応戦するという体制を貫いていた。

 おかげで着陣以来半月の間、クェクヌス族は黄都守護隊に微瑕(びか)ひとつつけられていない。本隊と第一部隊が訓練という名目で、陣の外へ出ているときを見計らって攻めてきているにもかかわらず、だ。


 というのも馬という生き物は、三日も厩舎(きゅうしゃ)につなぎっぱなしにしていると途端に走らなくなってしまう。ゆえにエリクは現在第一部隊の指揮を代行している副隊長のエルダと相談し、毎日決まった時間に隊を陣の外へと出して、馬がなまらないよう走り回らせるという行為を繰り返していた。


 そんなことが半月も続くと、クェクヌス族もさすがに心得たようで、いつも昼をやや過ぎたこの時間帯に東の彼方から現れる。されどエリクたちは彼らに騎馬戦で応じることなく、土煙を見るなり堅固な岩壁の内側へサッと隠れてしまうものだから、クェクヌス族の苛立ちはいよいよ最高潮に達しようとしているようだった。


 その証拠に初めのうちは陣に攻め込む隙を(うかが)おうと躍起になっていた戦士たちが、こちらに戦意がないと知るや馬を止め、矢の届かない距離から罵声を浴びせてくるようになっている。内容は「臆病者」とか「腑抜け」とか、まあ、当初援軍を待って戦闘を控えていた第一部隊が浴びせられていたのとほぼ同じだ。


 しかしエリクは見え透いた挑発には一切応じずに無視を決め込み、部下にも決して相手をしないよう伝えた。こちらを野営地から引きずり出して野戦を挑みたいと考えているクェクヌス族にしてみれば、渾身(こんしん)罵詈雑言(ばりぞうごん)を涼しい顔で聞き流されるのが最もこたえるであろうことは言うまでもない。


 そうして今日も成果が得られそうもないと判断すると、彼らは口汚く悪態をつきながらも渋々退散していくのだ。エリクは二刻(二時間)ほど粘って、どうにか野戦に持ち込めないかと試みていた異民族がようやく退()いていくさまを眺めながら、味方に警戒体制を解き夕飯の支度を始めるよう伝えた。


 ほどなく眼下の野営地からは、炊事兵が上げる煮炊きの煙が上がり始める。

 戦場にも女を伴い、炊事や洗濯といった身の回りの世話をさせるのが当たり前だったルエダ・デラ・ラソ列侯国(れっこうこく)で育ったエリクの目には、何度見ても新鮮に映る光景だった。黄皇国の軍隊には兵士でありながら同時に調理員でもある炊事兵という兵種があって、戦地での食事の一切は彼らに(ゆだ)ねられている。


 さて、今夜の献立(こんだて)は何かな、と立ち上る炊煙に思いを()せながら、エリクはちらと東の方角へ視線を向けた。砂塵を巻き上げて駆け去る彼らがあと一刻(一時間)ほども居座るようなら、両者睨み合った状態のまま炊事兵に夕飯の支度を命じるつもりだったが、昨日も一昨日も同じ真似をされてさすがに腹が立ったのだろう。

 野営地から炊煙が上がるのを確認もせず去っていったクェクヌス族に一瞥(いちべつ)をくれて、エリクは内心、そろそろかな、と思った。


「まあ、それが敵の弱いところだな、コーディ。彼らの騎馬隊は確かに強いが、あくまで騎馬民族としての戦い方しかできないのが最大の弱点だ。あれにもし第三部隊のような工作能力や第四部隊のような隠密能力が加われば恐ろしい。が、自らが最も得意とする騎馬戦にこだわり続ける限り、彼らに勝利はないだろう」

「そう言えば、ハミルトン隊長がその第三部隊を率いて出ていったきり、もう何日も戻ってきていないようですが……」


 と、近頃特等席となりつつある櫓の上でコーディが首を傾げるのを見やり、エリクは意味深に口角を持ち上げた。今回の作戦の本筋は総大将であるエリクと部隊長のふたりにしか知らせていないから、事情を知らないコーディは、第三部隊が陣から忽然(こつぜん)と姿を消したまま戻らないことを不思議に思っているらしい。


「ハミルトン隊長はご無事なんですよね? 第三部隊はいくら優れた弓兵と神術兵を(よう)しているとは言え、やはり歩兵部隊ですから……」

「ああ。だがハミルトン殿のことなら心配はいらないよ。何かあればすぐに伝令を飛ばしてもらう約束になってるが、今のところそういった知らせもないし、敵も第三部隊が陣を出たことにまったく気づいてない様子だしな」

「ぼ、僕も気づいたら第三部隊が陣から消えていたので驚きましたよ。味方にも知らせずに夜中にこっそり出ていくなんて……あの、そろそろ僕にも教えていただけませんか? ハミルトン隊長は今どこで、何をされているのです?」

「ま、そう焦らずとも答えは近々分かるさ。ところでコーディ、ここ数日まったく戦闘がないからといって、剣の手入れは(おこた)ってないだろうな?」

「え? あ、は、はい、もちろんです! い、一応、いつ戦闘になっても問題ないように……準備だけはしています」

「ならいい。初めにも言ったが、実戦になったら俺の傍を離れるなよ。何があってもシェーンの尻尾を追いかけていればいい。戦場で何も考えられなくなったら、今の言葉を思い出せ」


 エリクが物見櫓の手摺(てすり)に身を(もた)せながらそう言えば、コーディはにわかに緊張した面持ちで頷いた。アレッタ平野からほど近い集落がクェクヌス族の襲撃を受けたという知らせが入ったのは、コーディとそんな会話を交わした翌日のことだ。

 まったく誘いに乗ってこない黄都守護隊に焦れに焦れたクェクヌス族が狙ったのは、エリクが当初目をつけていた集落のうちのひとつ。

 アウローラ監視砦の南西に位置する、小さな森の村だった。


 襲撃の結果は言うまでもない。彼らはエリクが事前に手配しておいた伏兵によって村に辿(たど)()く前に撃退され、這々(ほうほう)(てい)でアレッタ平野へ逃げ帰った。

 伏兵部隊の指揮を執っていた第三部隊副隊長(ロッカ)からの報告によれば、奇襲は完璧な形で成功し、六十騎以上の敵兵を討ち取ることに成功したらしい。

 無論、今回は防塁の外での戦闘だったため、伏兵部隊からも多少の犠牲を払ったが、死者だけに限定すれば数は十人にも満たなかった。


 これで味方の数が三百を切ったクェクヌス族はもうあとがなくなったはず。それでもまだ戦を続けるつもりなら、破れかぶれでも総力戦を仕掛けてくるしかない。

 エリクはただそのときを待った。必要な指示を必要な場所に飛ばし、あとはじっと機を待つだけ。そしてついに望んでいた場面がやってきた。

 クェクヌス族と伏兵部隊の衝突から四日後。

 敵がついに野営地への夜襲を仕掛けてきたのである。


「敵襲、敵襲ー!!」


 月のない夜だった。頭上には暗雲が立ち込め、星影ひとつ見えない。

 今にも雨が降り出しそうな天気だ。つまり、夜襲にはうってつけの空模様。

 クェクヌス族もこの機を逃すほど愚かではなかった。

 彼らは愚弄され続けた日々の鬱憤を晴らすように、塹壕の布設が保留されていた陣の西側から、防塁の切れ目を縫って攻め込んできた。

 すべてが彼らを懐へ引きずり込むために仕掛けられた罠とも知らずに。


「やっと来たか」


 時刻は美神(びしん)の刻(二時)を回る直前。夜襲があるとすれば今夜だろうと踏んでいたエリクは、天幕の外から聞こえる警鉦(けいしょう)を聞きながら鎧の留め具を確かめた。鎧と言っても、馬にあまり負担をかけないようにと選んだ最小限のものだ。

 具体的には上体の半分だけを覆う胸鎧と、負傷すると深刻な出血をする腿周りを守る腰鎧。そして両手両足に(くく)りつけた籠手(こて)脛当(すねあ)て。


 いずれも装甲はさほど厚くない。何故なら黄都守護隊本隊の騎馬隊は、重装騎兵を中心とした第一部隊と軽装騎兵を中心とした第二部隊の中間を担う部隊だ。

 つまり第一部隊ほどの防御力や第二部隊ほどの機動力はないものの、そこそこの防御力とそこそこの機動力を兼ね備えている。

 そのために肝要なのが、最低限身を守りつつ重すぎない装備だ。隣にはほぼ同じ装備に身を包んだコーディが緊張した面持ちで直立していて、エリクは彼に「行くぞ」と声をかけた。就寝用の天幕を出れば、すぐそこに日が暮れる前からつないでおいたシェーンとフラテがいて、エリクを見るなりどちらもピンと耳を立てる。


「アンゼルム副長!」


 杭につないでいた手綱をはずし、いつでも出動できるよう置いておいた(くら)(また)がるとすぐに本隊の兵が駆けてきた。事前に命じておいた出動準備は万全のようだ。


「状況は?」

「現在陣西方へ回り込んだクェクヌス族が馬防柵を引き倒し、陣内への突入を試みております。第一部隊は配置完了し、本隊も副長のご命令を待って整列済みです」

「よし。アウローラ監視砦への連絡も手筈(てはず)どおり済んでいるな?」

「はっ! 敵勢の出現と同時に、東の塹壕内に潜ませておいた伝令をブレント隊長のもとへ走らせております」

「完璧だ。では本隊も出るとしよう」


 とエリクが頷いた矢先、陣の西側でわっと喊声(かんせい)の上がる気配があった。

 いよいよクェクヌス族が陣内へ雪崩(なだ)()んで来たらしい。

 この日のために、陣の西側は遮蔽物を減らして見晴らしのよい空間を確保しておいた。塹壕を布かず、敢えて防備を手薄にしておいたのも敵を誘い込むためだ。

 今頃は先に配置を完了させた第一部隊が、罠とも知らず突っ込んできたクェクヌス族に物陰から矢を浴びせているはず。さすがのクェクヌス族もそれによって夜襲が読まれていたことに気づいただろうが、逃がしはしない。


「これより敵勢を排除すべく突撃を開始する。全軍、駈歩!」


 エリクはすぐさま整列を完了した本隊と合流し、号令を下した。

 兵力は五百。今晩夜襲がなかった場合に備えて残りの五百は休ませたためだが、相手が既に二百余りまで数を減らしていることを思えば不足はない。

 待機場所から西の馬場まで、夜間の道標(みちしるべ)として配置しておいた篝火(かがりび)の間を駆け抜け、エリク率いる本隊はまっすぐに敵勢を目指した。

 悲鳴と怒号混じりの鯨波(げいは)がぐんぐん近づいてくる。見えた。

 陣の西側に設けられた馬場。真昼のように明るい。


 篝火の数を倍にしておいたのが功を奏した。四方八方から矢を射かけられたクェクヌス族が、泡を食って統制を失っているさまがよく見える。

 あちこちの物陰から驟雨(しゅうう)のごとく矢が降ってくるせいで、どこに狙いを定めるべきか分からなくなっているようだ。

 おかげで皆が思い思いの方角に散らばり、弓兵を排除しようと暴れている。

 瞬間、エリクは本隊の到着を知らせる鏑矢(かぶらや)()たせた。

 甲高い合図の()を聞いた第一部隊の射撃がぴたりと止まる。


「かかれ!」


 本隊の先頭で、エリクは抜き身の剣を振り下ろした。途端に続く兵から勇ましい(とき)の声が上がり、敵勢が最も固まっていた一角に五百の騎兵が突撃する。

 蹂躙(じゅうりん)はあっという間だった。相手も馬に跨がっているとは言え、夜襲を仕掛けたつもりが返り討ちに遭って混乱している真っ只中のことだ。


 多くの敵兵はろくな抵抗もできぬまま、次々と馬上から突き落とされた。クェクヌス族の戦士と直接剣を交えるのは初めてだが、やはり彼らの装備は薄い。革の鎧を身にまとっているとは言え、文明の進んだ黄皇国軍の前ではほとんど裸同然だ。

 エリクは駆け抜けざま二、三人の戦士の首を()ね、止まることなく馬場を横切った。五百もの騎兵を旋回させるには、ここは狭すぎる。


(追ってこい)


 そう念じながら、迷わず陣を飛び出した。

 クェクヌス族が縄をかけて引き倒したと思しい馬防柵を踏み越え、原野へ出る。

 と同時に左手の雷刻ライトニング・エンブレムに神力を()めた。

 月のない夜空の下にひと筋の稲光が走る。

 神術によって生まれた雷撃が大地を穿(うが)ち、草原に火をつけた。

 炎はちらちらと不穏に揺れながら燃え広がっていく。松明の代わりだ。


 そうして生まれた炎を回り込むような軌道で旋回した。地鳴りに近い馬蹄(ばてい)の音が乱れることなくついてくる。次に自陣へ向き直ったとき、岩壁の隙間から飛び出してくるひと群の馬群が見えた。炎のうねりが照らし出す。数は二百騎ほどか。

 わずかな逡巡(しゅんじゅん)も感じさせない動きで、まっすぐこちらへ向かってくる。

 罠だと分かっているくせに、やはり乗ってきたか。あるいは騎馬民族としての自信と矜持(きょうじ)の表れか。彼らが待ちに待っていた騎馬戦だ。

 その誘惑に(あらが)えず、敵は(おの)ずから火に飛び込んできた。


「応戦!」


 エリクの号令と同時に喊声が弾けた。ぶつかる。すさまじい衝撃を感じた。

 馬と馬とが避け切れず激突し、騎手が投げ出されるさまが視界の端に映り込む。 彼らが悲鳴を上げる間もなく馬の津波に押し潰され、蹴り殺されるのを意識の隅に留めながら、刹那、エリクは自身の真横を駆け抜けていった男に一瞥をくれた。


 赤い羽根。見覚えがある。相手もすれ違いざま、はっきりとこちらを見ていた。

 ──チャンガル族の酋長(しゅうちょう)、ダミヤ。

 あれだけの被害を受けながらまだ生きていたか。だがやつを討てば戦は終わる。

 総大将同士のぶつかり合いだ。こちらも相応の危険は負うが、やる価値はある。


「コーディ、ついてきてるか!?」

「はい!」

「敵の先頭に敵大将(ダミヤ)がいる。やつの首を取るつもりで動くぞ!」


 後ろを振り向いている暇はなかった。声だけでコーディの無事を確認し、再び隊を旋回させようとする。ところがやはり、機動力では敵方が一枚上手だった。

 おまけに兵力が減っているおかげで、クェクヌス族は小回りがきく。

 完全に軌道を修正する前に、いきなり横腹に突っ込まれた。味方が為す術もなく蹴散らされ、隊が分断される。速い。とてもついていける速度じゃない。


 エリクは舌打ちし、あらゆる思考を束の間錯綜(さくそう)させたのち、分断されたまま全速で前進することを選んだ。当然敵もこちらに大将(エリク)がいることを知っているから、すぐさま()(すが)ってくる。敵の機動力をもってすればあっという間に追いつかれ、後方から槍で突くように貫かれるのは目に見えていた。

 ゆえにエリクは駆けながら手だけで合図を出し、真後ろにぴたりとついたふたりの小隊長に命令を下す。直後、シェーンの手綱を(さば)き、エリクは右へ旋回した。


 小隊のひとつがそれにぴたりとついてくる。そしてもうひとつの小隊は左──すなわち逆方向へ。合図はしかと伝わっていた。本隊の騎馬隊は一瞬にして左右に割れ、その間をクェクヌス族の騎馬隊がすさまじい勢いで駆け抜けていった。

 逃げ遅れた兵の中から何騎かの犠牲は出したが、どうにか相手の攻撃を透かすことができたようだ。


大気の精霊よ(イルラカ・アク)裁きの雷牙によりてジャスティ・アウクァ・ラユ敵を砕け(・マクァナ)──吼雷蛇(コル・ラアム)!」


 瞬間、エリクは味方の間から飛び出してきた敵勢にすかさず神術を浴びせた。

 雷刻より生まれし(いかづち)の蛇が轟音(ごうおん)と共に牙を剥き、走り去ろうとするクェクヌス族の背後を襲う。大地をのたうつ三叉(みつまた)雷蛇(へび)に貫かれた敵の人馬が弾け飛んだ。

 と同時に敵と味方の間には燃え盛る炎の壁が生まれ、エリクはそれを後目に悠然と隊を旋回させる。そうしながら分かれた隊と合流し、分断された後方の兵力も指揮下へ入れた。敵は炎の壁を迂回してきた分、今度は突撃に時間を要したようだ。


 再び正面から向き合った彼我の距離はまだ二十(アナフ)(百メートル)ほどある。

 エリクは隊の速度をゆるめた。敵は怒りで我を忘れた猛猪のごとく向かってくるが、そろそろいざというときのために備えて馬の体力を温存しなければならない。

 クェクヌス族の方は果たしてそこまで考えた上で馬を駆っているのか。

 はたまたここで全騎討ち死にするつもりか。

 もし後者だとすれば、彼らを止めなければならない。

 エリクは馬上で深く息を吸い、ほんの束の間瞑目し、そして、(まぶた)を上げた。


雷霆瀑(マドン・キール)


 敵勢の眼前に、雷の滝が降った。

 先頭を馳せていたダミヤがとっさに手綱を引いて乗騎を止めたのが分かる。

 しかし神術を予期できなかった戦士の大半が、馬の勢いを殺せず稲妻の滝に突っ込んだ。雷光と化した神の怒りに叩き伏せられるかのごとく、人馬が沈む。


「──おのれ、トラモント人……!!」


 悲鳴とも怒号ともつかないダミヤの絶叫が(こだま)した。


 次の瞬間、エリクが振り抜いた刃と、ダミヤの構えた(げき)が激突した。


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