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64.クェクヌス族討伐戦


 剣把(けんぱ)の先端に(くく)りつけられた霊鳥の羽根に、サッと手を滑らせた。

 なめらかで繊細な手触りが、白絹の手套(しゅとう)をはずした指先に伝わる。

 ふと目を落とせば、今日も水に濡れたように(つや)やかな鮮緑の羽根がそこにあり、故郷の森を思わせるその色が心に(なぎ)をもたらした。


 ──大丈夫だ。うまくやれる。


 胸奥にあるグアテマヤンの森が、エリクにそう語りかけてくる。

 しかし妙だ。ひと月前、サバンからこの羽根飾り(カラリワリ)を受け取ってからというもの、たびたび脳裏をチラつく微かな既視感は何だろう。自分はもっとずっと昔に、同じものをどこかで受け取ったことがあるような……。


「アンゼルム様、来ます!」


 刹那、意識を覆いかけていた正体不明の霧の奥から、コーディの鋭い呼び声がした。そこではっと我に返り、エリクは野営地に設営された物見櫓(ものみやぐら)の上から東の大地へ目を向ける──あれが、クェクヌス族。


「……やはり砦を無視してきたか」


 エリクが目を細めて吐き出した呟きは、砂塵と共に巻き起こる馬蹄(ばてい)の音に掻き消された。盛んに吹き鳴らされている角笛の音に導かれ、四百騎からなる馬群がひと塊となって押し寄せてくる。黄皇国軍(おうこうこくぐん)の騎兵とは違い、必要最低限の馬具の他には鎧も装飾品も身につけていない馬の群。

 目を見張るほどの速度と一糸乱れぬ動きで迫り来る彼らの背には、見たこともない戦装に身を包んだ屈強な男たちが乗っていた。頭には色鮮やかな羽根で飾った馬の頭蓋骨を被り、鉄の(びょう)が打たれた革の鎧で胸から上だけを覆った──


「ホワワワワワワワワ……!」


 直後、櫓の上に立ち尽くすエリクの眼下を、奇っ怪な雄叫びを上げた異民族の集団が駆け抜けていった。

 彼らは右手に握った得物を掲げ、空いた左手で自らの口を叩きながら、怪鳥ごとく甲高い咆吼を上げて駆けている──つまり誰ひとりとして手綱を握っていない。

 (あぶみ)だけで馬に乗り、まるで己の半身のごとく操っているのだ。


(なんてやつらだ)


 四百騎の馬が蹴立てる砂塵を引き連れて、クェクヌス族はエリクたちのいる野営地の外を回るように駆けていた。というのも現在黄都守護隊(こうとしゅごたい)の本隊、第一部隊、第三部隊が()もっている野営地は、四方をブレントの築いた防塁(ぼうるい)で守られている。

 しかもただの防塁ではない。最も高いところでは一(アレー)(五メートル)を優に超えるあの壁は、地刻グラウンド・エンブレムの力によって大地の底から隆起した岩の壁だった。


 当然ながらちょっとやそっとの攻撃で崩せるものではなく、あれを破壊しようと思ったら敵も神術を駆使するしかない。しかし外界との交流をほとんど持たないクェクヌス族にとって神術使いはかなり稀少だ。

 神刻石(エンブレム・ストーン)が採掘されたという記録の少ないアレッタ平野では、神刻(エンブレム)自体そうそう手に入るものではないはず。ゆえに彼らは野営地の外周を巡り、内部に侵入するための突破口を探っているのだろうが無駄だった。


(確かに陣の拡張は間に合わなかったが──)


 敵の狙いが征伐軍の築陣を妨害し、逃げ込む先のない援軍を蹴散らすことだというのは読めていた。だからと言ってこちらも野戦で応じたのでは敵方の思う壷だ。

 ゆえにエリクは可能な限りの兵を防塁の内側へ逃げ込ませ、さらに兵が溢れた場所には()()()()を築いた。

 地術によって巡らされた防塁の切れ目をつなぐそれは、無数の馬車の荷台だ。

 歩兵部隊である第三部隊が、騎兵のみで構成された本隊に遅れることなく戦地に到着できた理由は、あの大量の馬車を見れば誰の目にも明らかだろう。


(フラクシヌス家の全財産を投じてあれだけの馬車を揃えて下さったラオス将軍に、今は感謝しないとな。将軍の先見の明がなければ、今回は援軍さえ満足に率いてこれなかった)


 実は黄都守護隊の機動力が国内一と称讃されているのは、単純な騎兵の多さだけが理由ではない。先代隊長のラオスは精強な騎馬隊の育成に力を入れる傍らで何百頭という優秀な輓馬(ばんば)を育て、兵士や物資を戦地まで速やかに運搬できる輸送体制を作り上げた。有事の際は国内のいかなる軍団よりも迅速に行動し、黄都ソルレカランテとかの地に住まう黄帝(こうてい)を守る、という黄都守護隊の存在意義を、確実に遂行できる組織を育て上げることが創設者たるラオスの悲願だったのだ。


 おかげで皇位継承者(セドリック)が隊長を務める第二部隊が動かせない今の状況でも、充分な兵力を動員することができた。

 騎兵中心の第一、第二部隊と歩兵中心の第三、第四、第五部隊、いずれの部隊もほぼ同等の進軍速度で運用できるのが黄都守護隊の強みだ。

 そして他の軍団にはない特長がもうひとつ。エリクは防塁の外側を巡る敵軍の動きに充分な注意を払いつつ、塁の切れ目をつないだ馬車の群へと目を向けた。


「──今だ、()て!」


 それはクェクヌス族の騎馬隊が、いよいよ防塁の陰を抜けて馬車群地帯へ差し掛かったときのこと。折り重なるように連結し、道を塞いだ荷台を目撃したクェクヌス族が、ここも無理かと察して駆け去ろうとした瞬間に号令がかかった。

 直後、荷台の上を覆っていた天幕用の織布が次々と舞い上がる。

 と同時に布の下から現れた第三部隊の弓兵が一斉に弓を構え、まったくの無防備に眼前を通りすぎようとしていた異装の騎馬隊に矢の雨を浴びせかけた。


 エリクが共に戦地へ向かう部隊として、ハミルトン率いる第三部隊を指名した理由がこれだ。ただの歩兵で騎馬隊に立ち向かうのは分が悪いが、黄都守護隊に三つある歩兵部隊はそれぞれまったく毛色の異なる特長を有している。

 ジュードの第四部隊は夜戦や工作。キムの第五部隊は対歩兵の白兵戦。

 そして第三部隊は、弓兵や工兵、神術兵といった特殊な兵科の運用に長ける。

 だから今回の征伐戦でも存分に力を(ふる)ってくれるだろうと思った。

 結果として、エリクの読みは正しかったようだ。


「あっ……!」


 陣の北側でわあっと喊声(かんせい)が弾けると同時に、コーディが櫓から身を乗り出した。

 いつもなら危ないぞと警告して引き戻すところだが、今回ばかりはエリクも眼下の光景に目を奪われる。ハミルトンの号令のタイミングは完璧だった。

 無数に連なる馬車の上から射かけられた矢が、クェクヌス族の戦士を次々と射落としている。まさか馬車の上に敵が身を伏せているとは思ってもみなかったらしいクェクヌス族は、かなり泡を食ったようだ。

 見惚れるほど美しい軌道を描いて駆けていた馬群の動きが止まり、乱れた。とっさに応戦すべきか逃げるべきか。その一瞬の判断の迷いをエリクは見逃さない。


(かね)!」


 傍らに待機していた物見兵に短く命じると、すぐさま味方に退却を指示する鉦の音が響き渡った。すると数枝先に設けられた別の櫓の兵が同じ合図の鉦を鳴らし、陣の隅々まで聞こえるよう音を伝播(でんぱ)させていく。

 それを聞いた第三部隊の弓兵が、引き波のごとく一斉に馬車を飛び下りた。同時に馬車の陰に伏せていた盾兵が瞬時に大盾を構え、退避する弓兵の背中を守る。彼らがそうして構えた盾には案の定、クェクヌス族が放った反撃の矢が突き立った。


 かの一族の戦士が騎射を得意とすることは過去の文献を当たって調査済みだ。

 クェクヌス族は彼らが馬上弓(カマン)と呼ぶ小型の弓を用いて非常に精密な射撃をする。

 しかも弓が小さい分、飛距離が短く貫通力も小さいことから、矢を抜こうとすると高確率ではずれる作りの(やじり)に毒を塗り、威力を補っているらしい。

 命中した矢を安易に抜けば毒の鏃が体内に残り、かと言って抜くのに手間暇をかければあっという間に毒が回るという、何とも嫌らしい戦法だ。


 ゆえにエリクは彼らの弓による反撃を恐れ、回避する道を選んだ。

 何しろ時刻はもうすぐ日没を迎える。当然クェクヌス族もそのことを承知で攻めてきているはず。とすれば彼らの今日の目的は本格的な交戦ではなく、援軍としてやってきたエリクたちの実力を測るための瀬踏みだと思っていい。

 そんな前哨戦(ぜんしょうせん)の段階で犠牲者は出せない。こちらの損害は可能な限り小さく留め、築陣の邪魔をしようと飛び回る羽虫を追い払う。それだけに集中すべきだ。


「エルダ殿にも合図を」


 まんまと奇襲にかかったクェクヌス族が反撃に躍起になっているうちに、エリクは次なる展開を見越して指示を出した。櫓の下に待機していた伝令が敬礼し、『鉄馬隊』を率いて待機しているはずのエルダのもとへ()せてゆく。

 他方、不意を()かれて逆上したクェクヌス族は、ただの矢が効かないと知るとすぐさま次の行動に出た。刻々と迫る夕闇の中に突如ともる無数の光──火矢だ。


「……だろうと思った」


 エリクがそうひとりごちたのと、敵軍が虚空へ向けて火矢を放ったのが同時だった。星が瞬き出した空に一際明々と輝く火の雨が、彼らの行く手を阻む馬車の壁を燃やそうと降ってくる。が、木造砦であるアウローラ監視砦を攻めるクェクヌス族が、火矢を常備しているであろうことは予測済みだ。


 馬車さえ破壊してしまえば陣に攻め込めると思っているなら、甘い。


「水術兵、前へ!」


 すかさずロッカの号令が上がった。

 杖を構えた第三部隊の神術兵が横列を組み、一斉に神気を炸裂させる。

 夜空を覆わんばかりに放たれた青色の光は瞬く間に降り注ぐ水流となり、馬車に突き立った無数の火矢の炎を押し潰した。

 当然ながら積み重なった馬車はいずれも水浸しとなり、あれだけ水を吸えば第二、第三の火矢を射かけられたところで簡単には燃え上がらないに違いない。

 エリクは物見台の上で腕を組み、ふーっと深く息を吐いた。


 ……よかった。王手だ。


「とりあえず、緒戦はどうにかなったな」


 エリクが安堵と共にそう吐き出したのは、火矢による対抗手段も奪われたクェクヌス族が、やがて防塁の反対側から回り込んできた『鉄馬隊』に追い立てられて撤退を開始したのを確認したときだった。

 白銀の鎧に身を包んだ一千の馬の群が、三百ほどに数を減らしたクェクヌス族の騎馬隊を呑み込もうと迫る。が、さすがに今回は分が悪いと判断したのか、敵勢はエルダ率いる第一部隊が岩陰から現れるや、すぐさま身を(ひるがえ)して逃げ出した。


 当然ながら重装騎兵部隊である『鉄馬隊』では、全速力で遁走(とんそう)する騎馬民族には追いつけない。しかし出撃の目的が彼らの殲滅(せんめつ)でないことは、エルダも承知しているはずだ。ただクェクヌス族の騎射をものともしない鋼鉄の馬群が迫り、圧力をかけることに意味がある。エリクはそうして反撃の手をすべて潰され、逃げ散るしかない異民族の姿を目で追った。刹那、日没間際の残照の只中から、刺すようにこちらを見上げてきた眼差しがある。


(赤い羽根──)


 そう。眼差しの主は、先端を真っ赤に染めた鳥の羽根を頭上に(いただ)き、駆ける馬の背中から確かにエリクを睨み上げていた。

 視線が絡み合った瞬間、はっきりと読み取れたのは底なしの憎悪。

 男は怒りと憎しみでギラついた眼を、(たてがみ)のごとき赤羽根で飾られた馬骨(かぶと)を下ろしてサッと隠し、あとはただ東へひた駆けていく。

 直接言葉を交わさずとも分かった。

 あれが今回、エリクが黄都守護隊副長として倒さねばならぬ敵。


「……チャンガル族のダミヤ、か」


 馬蹄の音が遠ざかっていくのを聞きながら、エリクは小さく呟いた。

 足もとの野営地からは、早くも味方の()(どき)が上がっている。

 されどエリクの心は晴れなかった。むしろ何か重たく、雨雲のような湿度を(はら)んだものが胸中に垂れ込めて、自然とため息が漏れる。


 ……嫌な戦になるな。改めてそう思った。


 緒戦で黄都守護隊が討ち取った敵兵のほとんどは、二十歳に届くか届かないかの、年若い戦士ばかりだった。


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