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エマニュエル・サーガ―黄昏の国と救世軍―【side:B】  作者: 長谷川
第2章 シャングリラは微笑まない
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53.魔のものども


 エマニュエルは古くから〝三界〟と呼ばれる三つの世界で成り立っている。

 ひとつは神々の住まう天上の楽園であり、死者の魂が召される先でもある〝神界〟。もうひとつはエリクら人類の住まう地上の世界〝人界〟。

 そしてもうひとつが《原初の魔物》こと《魔王(ガロイ)》が地の底に築き、今なお神界と人界の征服を狙うものたちが住まう〝魔界〟。

 この三つの世界をまとめてエリクたちは〝エマニュエル〟と呼ぶ。

 何故ひとつの世界が三つに分かたれたのかというと、話は千年以上も前の神話の時代まで(さかのぼ)らねばならないからここでは割愛するが、ともかくことの発端は神界の神々がイーテ神族とアヴォテハ神族に分かれて戦った神界戦争だ。


 その戦いのさなか、劣勢に追いやられたアヴォテハ神族──イーテ神族の親神たち──は、戦況を覆すためになりふり構っていられなくなり、ついに《魔王》と手を組んだ。世界の始まりから神々と敵対し、地の底で着々と魔の勢力を育てつつあった《魔王》は彼らを拒まず、共にイーテ神族を殲滅(せんめつ)せんともくろんだ。

 そうして形勢を逆転されたイーテ神族が、《魔王》とアヴォテハ神族の連合軍に対抗すべく従えたのが、地上で独自の王国を築きつつあった人間たちだ。

 そもそもエリクら人類は、イーテ神族の母神たる《大いなるイマ》の涙から生まれた。そしてイマを始めとする神々の庇護の下、少しずつ数を増やして成長し、地上に自分たちの王国を持つまでになった。


 ゆえに当時の人類は、自らの母でもあるイマのためにイーテ神族と手を取り合い、魔道に堕ちた神々と戦うことを選んだのだ。結果としてアヴォテハ神族は再びイーテ神族に巻き返され、協力関係にあった《魔王》も討たれてしまった。神界を裏切り、魔のものどもと結託した罪を問われた親神たちはやがて《魔王》の根城であった地の底の世界に封じられ、神界への怨嗟(えんさ)に取り憑かれて邪神となった。

 で、その邪神どもが神々と人類への復讐を誓い、地上に放ったのがこの魔物たちだ。彼らは知性を持たず、ただ本能に従って行動し、人間を喰らうことしか頭にない。当然ながら言葉など通じるわけもなく、和解や説得など不可能だ。


 というか大地の裂け目たる〝地裂(ちれつ)〟から()()してくる魔のものどもは、どこからどう見ても地上の生物とは隔絶した存在で、仮に意思の疎通ができたとしても和解なんてできやしないだろうとエリクはそう思っている。

 何しろ彼らは骨の髄まで魔界を満たす瘴気(しょうき)に冒され、地上ではまずありえない進化を遂げたあげく、完全に凶暴化してしまっているからだ。

 邪悪なる神々によって〝人類への報復〟を本能に刻み込まれた彼らは、たとえどれだけの血を流そうと死ぬまで人間に向かってくる。

 生まれた瞬間から不死の存在として君臨する魔物たちは、死への恐怖というものを生来持ち合わせておらず、ただただ人間を(ほふ)ることにのみ執着するのだった。


 無論、不死とは言えど致命傷を負えば絶命するが、彼らの異常な生命力はちょっとやそっと斬りつけた程度では衰えない。

 ゆえに完全に息の根を止めるまで、決して攻撃の手を緩めてはならないのだ。

 そうしなければ彼らは首だけになっても地を這い、跳ね回り、たった一滴、一片でもいいから人間の血肉に食らいつこうとする。本当におぞましい生き物だ。

 だからエリクは剣を振ることを躊躇(ちゅうちょ)しない。たとえ瘴気に染まった魔物の黒血を浴び、全身が耐え難いまでの悪臭にまみれたとしても。


「──オスカル殿! そっちへ行きました!」


 黄都(こうと)ソルレカランテから、街道に沿って南へおよそ六〇(ゲーザ)(三〇キロ)。

 そこに鬱蒼と生い茂る森の手前で、商人と(おぼ)しき一団を襲う魔物と遭遇したエリクたちは、悩む暇もなく戦闘へと突入した。

 ひとまず逃げ惑う商人たちのことは街道の方へと逃し、魔物が彼らを追えないよう前方に立ち塞がる。黒死鳥(ズロヴェシュティ)。相手は俗にそう呼ばれている魔物だ。

 地を駆ける鳥のような胴体に長い首を持ち、その体高は三十六(アレー)(一八○センチ)を優に超える。漆黒の羽毛に覆われた翼は空のない地底の世界で生まれたためか完全に退化しており、飛べはしないが鋭い鉤爪つきの両脚から繰り出される跳躍力は、侮ればたちまち命を刈られる類のものだった。


 そして何より恐ろしいのが、長い首の先についた頭。そこにあるのは鳥類の最たる特徴である(くちばし)ではなく、白い陶器の面を貼りつけたような人間の顔なのだ。

 もちろん本物の面ではないことは、甲高く耳障りな鳴き声に合わせて開閉する口の動きを見れば一目瞭然だが、人の顔を模していながら色づいた唇も眉もない。

 あるのは濁った猛禽(もうきん)(まなこ)と上下二列ずつの牙が並んだ大きな口。

 そして白い面輪(おもわ)を囲むように生えた長い(たてがみ)

 それはともすれば(カラス)濡羽色(ぬればいろ)をした長髪に見えなくもないが、人間ならば本来耳があるべき場所や顎の下にまで同じものが生えているから、毛髪ではなく鬣だ。その鬣を振り乱して今、二体の黒死鳥がオスカルと彼の部下たちに迫っている。が、黒死鳥にも劣らぬ白面の美男子オスカルとて、曲がりなりにも黄皇国(おうこうこく)の軍人だ。


「二班は逃げた市民の傍についていろ。こいつらは一班(おれたち)だけでやる」


 迫り来る黒死鳥の巨体を見据えながら、馬上のオスカルが極めて冷静に指示を飛ばした。かと思えば彼は即座に馬腹を蹴り、自ら魔物へと向かっていく。

 そうして二体の間をすり抜けざま、牙を剥き出しにして喰らいついてこようとする黒死鳥の攻撃を(かわ)し、素早く剣を左右に振って斬り刻んだ。

 そこへさらに左右から後続の兵士が斬りかかり、容赦ない追撃を加えていく。

 さすが皇女の麾下(きか)というだけはあり、目を見張るような鮮やかな連携だった。


 胴体、首、顔面と、次々刃を浴びた二体の黒死鳥は身悶えし、さすがに怯んだようだ。するとオスカルは素早く馬首を返し、相手に体勢を立て直す暇も与えぬまま今度は背後から襲いかかった。彼の振るった剣は寸分の迷いもなく右の魔物の首を()()ばし、宙を舞った長い首がびたんと大地に叩きつけられる。

 さらに残ったもう一匹の魔物にも、オスカルはすかさず左手を(かざ)した。

 途端に彼の周囲で神気が逆巻き、悪魔の爪のような造形をした指鎧(しがい)の下から、風刻(ガスト・エンブレム)のものと思しき緑光(りょっこう)がほとばしる。


飛箭風(ルアハ・ヘッツ)


 かと思えば次の瞬間、オスカルの放った神気は無数の矢のごとき風となって黒死鳥へ襲いかかった。正面から吹きつけた可視の風は容赦なく魔物の全身を切り刻み、あたりに黒い羽毛と血とを飛び散らせる。

 神術を浴び、聞くに堪えない悲鳴を上げた魔物はやがてどうと地面に倒れた。

 魔界の生物は往々にして神の力の前には無力だ。

 中には一部、神術への耐性に特化した魔物もいると聞くものの、だいたいの魔物は神刻(エンブレム)を介した神々の奇跡の前にひれ伏すようにできている。


(オスカル殿も神術使いだったとは、少し意外だが……)


 対魔戦において、自分以外にも神術使いがいるというのは心強い。

 どうやらあちらはオスカルに任せておけば大丈夫そうだと判断して、エリクも素早く手綱を(さば)いた。七体いた黒死鳥は残り三体。

 うち一体はエリクの正面に立ち塞がって威嚇の声を上げており、もう一体はオスカルたちの方へと向かっていて、さらに残りの一体は──


「……! コーディ!」


 刹那、黒い巨体が自分に背を向けて走り出したのを見て、エリクは思わずぞっとした。見れば黒死鳥が奇声を上げながら駆けていく先には、遮蔽物(しゃへいぶつ)も何もない草原にひとりぽつんと取り残されたコーディがいる。

 とっさのことで出遅れたのか。彼は剣こそ抜いているものの、脇目も振らずに突撃してくる魔物を見やり、愛馬(フラテ)と共に縮み上がっていた。顔面は蒼白で、思考も体も見るからに凍りついている。まさか──魔物を見るのも初めてなのか。


「くそ……!」


 しかし駆け出した黒死鳥は既に神術の射程圏外。エリクはとっさに馬首を返したが、そこへ正面にいた黒死鳥がいきなり飛びかかってきた。

 馬上のエリクをも見下ろすほどの跳躍力で、高所まで跳び上がった魔物が鉤爪を振り翳して降ってくる。エリクは舌打ちと共に神術を放った。

 雷鳴が(とどろ)き、迫っていた魔物の巨体が吹き飛ぶ。だが出遅れた。

 今からもう一体を追いかけても、到底コーディの援護には間に合わない──


「わああああああああああああああっ!!」


 ところがエリクが改めてコーディを振り向いた直後、予想外の出来事が起きた。

 というのも突如として割れるような大声を上げたひとりの男が、コーディを乗せたまま固まっている鹿毛の前に飛び出したのだ。

 男は先刻森から逃げ出してきた一団の中のひとりだった。

 頼りなくひょろりとした外見の、三十四、五歳と見える商人風の壮年で、体格に不釣り合いな大荷物を背に負っている以外はどう見ても丸腰だ。

 だというのに男は気が()れたような大声で叫び倒すや、やにわに背負っていた荷物を両手で引き下ろし、それを凶器のごとくぶん回し始めた。

 見るからに無我夢中といった様子で、あれで魔物を威嚇しているつもりらしい。


 だが当然、知性のない魔物がその程度のことで怯むはずがなかった。黒死鳥は微塵も速度を緩めることなく、自ら食われに来たも同然の男へと向かっていく。

 が、次の瞬間、男の振り回していた背負い鞄が奇跡的に魔物の胴体へ直撃した。

 一体何が詰まっているのか、ともかく鞄は相当な重さだったようで、男の身長をも優に超える黒死鳥の体がよろめく。ところが不意討ちを喰らって横様に倒れた黒死鳥はグギャッグギャギャギャアッと名状しがたい吼声を上げるや、鋭い鉤爪の生えた両脚を苛立たしげにバタつかせた。すると爪の先が生地に引っかかり、蹴り退けられる要領で、男の鞄が明後日の方向へと飛んでいく。


「あっ……」


 自らが振り回した鞄の慣性に抗えなかった男が体勢を崩した。蹴り飛ばされた鞄に引きずられるように転倒し、べしゃりと地面に顔をうずめる。次に男が顔を上げたとき、そこには逆光を背に彼を見下ろす魔物がいた。白い面を貼りつけたような顔がニタァと笑みを刻み、地に転がった獲物を早速頂戴しようと、牙を、


「ヒッ──」


 と、男とコーディが同時に息を飲んだ、直後だった。

 再び野に轟音(ごうおん)がはたたいて、黒死鳥の巨体が宙を舞う。

 エリクの神術が間に合った。

 あの商人が多少なりとも時間を稼いでくれたおかげだった。

 しかし魔物は倒れていない。

 すんでのところでエリクの接近を察知し、自ら男の傍を飛びのいたのだ。


「オスカル殿!」


 だとしても二匹のうち一匹は第二軍に討伐され、残るはコーディを襲った一匹のみ。軍人であるエリクたちの敵ではない。現にエリクの神術を(かわ)した黒死鳥が飛びのいた先にはオスカルがいた。神術がはずれたときのことを想定して、魔物が退避するであろう方角に回り込んでいたのだ。

 ゆえに彼は魔物の死角から襲いかかることができた。銀の弧を描いた切っ先が、魔物の黒い羽毛に吸い込まれる。ところがあと一歩で根もとから首を刎ね飛ばせるというところで、ギエエーーーッと鳴いた黒死鳥が勢いよく身を(ひるがえ)した。


 傷口から黒い血を撒き散らしながら、魔物がオスカルに反撃する。自らに喰らいついてこようとした黒死鳥の牙を、オスカルは辛くも剣で受け、鋼を噛ませた。

 ガギンッと硬い音がして、両者の動きが止まる。黒死鳥はオスカルの剣を(くわ)えながら、それでもなお目の前の人間の肉を喰らおうと牙を鳴らして迫った。しかしそうして眼前の獲物にばかり固執するのが、魔物という生物の最大の弱点だ。


「……! おい待て、剣はやめ──」


 と、寸前、こちらに気づいたオスカルが何か言いかけたような気がしたが、構わずエリクは剣を振るった。オスカルと対峙する魔物のすぐ横を駆け抜けざま、ひと太刀で魔物の首を斬り落とす。すさまじい勢いで血が飛沫(しぶ)いた。

 当然ながら魔物の黒血は、眼前にいたオスカルに降り注ぐ。

 あたりは瘴気の悪臭にまみれた。が、どうにか一件落着だ。


「ふう……助かりました、オスカル殿。お怪我はありませんか?」


 ほどなくすべての黒死鳥が動かなくなったことを確認し、馬を返したエリクは朗らかにそう尋ねた。が、頭から魔物の血を浴びたオスカルは答えない。

 ただもとの色よりさらに黒く染まった前髪の向こうから、凍てつくような眼差しを湛えた半眼でエリクを睨んでいるだけだ。


「おや、もしやどこか痛みますか? 負傷されたのでしたらすぐに手当てを……」

「……アンゼルム殿。どうやら貴兄も見かけによらず、なかなかにしたたかな御仁(ごじん)のようですね」

「お褒めに(あずか)り光栄です。ですがオスカル殿も勇猛果敢な戦いぶりでしたよ」


 と、エリクが笑顔のままそう返せば、オスカルも口の端を持ち上げた。


 そうしてまたふたり笑い合ったが、両者の間には瘴気よりも禍々(まがまが)しい空気が渦巻いていたことは、言うまでもない。



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