4.また会う日まで
「二九九戦、九九勝九九敗一〇一分け」
互いの喉もとに、銀色に閃く切っ先がぴたりと突きつけられていた。
直前までふたつの剣が打ち鳴らす鉄の音しか聞こえなかった平原に、穏やかな風が吹く。剣を向け合ったふたりはどちらも汗みずくで、ぜえぜえと息を弾ませながら、しかし口もとには満足げな笑みがあった。
「……また引き分けかよ。こんなときくらい、親友に華を持たせるのが戦士の礼儀ってもんじゃないのか、エリク?」
「そう思うならお前が大人しく負けてくれればいいだろう、イーク。そうすれば俺だって記念すべき百勝目を上げられたのに」
言いたいことを言い合ってから、肺が萎むほどに息を吐いた。
そうして剣を引きながら、互いに顔を見合わせて笑い合う。
十九歳、冬の終わり。トラモント黄皇国の南部、グアテマヤン半島のルミジャフタ郷から旅立ったふたりの青年は今、別れのときを迎えていた。
現在ふたりが佇んでいる街道は、目の前で西と東に分かれている。
東は黄皇国の都、ソルレカランテへと至る道。西は広大なラムルバハル砂漠――果てはその先にあるルエダ・デラ・ラソ列侯国へと至る道だ。
故郷を発ってから数日。いよいよ旅の岐路に立ったエリクとイークは、別れの前の手合わせに二刻(二時間)あまりも没頭していた。結果はいつもどおり引き分けだ。幼い頃から良きライバルとして育ったふたりは、互いの手の内などとうに知り尽くしてしまっていて、勝負をしても決着がつくことの方が稀になっている。
だからこそ、最後くらい勝ちたかった。
エリクはこれからイークと別れて西へ行く。成人の儀式を兼ねたこの旅が終わるまで、彼と再び手合わせできる機会はないだろう。
そして互いの旅が終わるのは半年後か一年後か。はたまた五年後か十年後か。
クィンヌムの儀と呼ばれる故郷の英雄の足跡を辿る旅に明確な終わりはない。
ルミジャフタ郷で育った男児は、郷の外で一端の戦士になれたと思ったときにようやく郷へ帰るのだ。
つまり次にイークと再会できるのはいつになるか分からない。エリクは剣を鞘に収めながら、兄弟のように育った親友との別れに一抹の寂寥を覚えていた。
次に会うときは、それぞれが立派な戦士となって故郷へ帰るときだ。
どちらが先に、どれほどの戦功を挙げられるか。そんな楽しみはあるものの、再会がいつになるか分からないというのはやはりちょっと心細い。
けれどエリクはそうした名残惜しさを押し隠して、笑った。
二刻ものあいだ道端に放置していた荷物をようやく担ぎ上げ、この十五年、己の半身のように思ってきた青年を顧みる。
「ま、引き分けたものはしょうがない。だったら念願の百勝目は、郷で再会したときのためにとっておくことにするよ」
「それはこっちの台詞だ。三〇〇戦目は俺がもらう。次に会うまでに剣の腕も武勲もたんまり上げて、度肝を抜いてやるからな」
同じくイークも荷物を背負いニヤリと不敵に笑ってみせた。親友は儀式の成果に今から自信があるようで、これは負けていられないなとエリクも気を引き締める。
いよいよ別れのときだった。エリクは西へ、イークは東へ。
しかし別れの前にどうしても、エリクはイークに伝えておきたいことがある。
「なあ、イーク」
「ん?」
「この旅の途中で、俺にもしものことがあったら……そのときはカミラを頼む。あの子には必ず帰ると約束したが、万が一ということもあるだろう。たとえそうなっても、お前があの子の傍にいてくれれば安心だ。なんだかんだ言ってカミラもお前のことは慕っているし──」
「何言ってんだよ」
と、ときにイークが旅嚢を軽く揺すりながらエリクの言葉を遮った。
彼の鼻先は既に東を向いていて、エリクの方を見ていない。
「まあ、そりゃ、俺の方が先に帰ることがあれば、お前が帰ってくるまでの間あいつの面倒を見るのは別にいいけどな。そもそもお前はあいつを遺してくたばるようなタマじゃないだろ?」
「……」
「守るんじゃなかったのか、親父さんとの約束」
「……ああ、そうだな」
エリクはそう答えながら、自分も背中の荷物を背負い直した。
皮製の簡素な旅嚢には数日分の食糧や野宿用の寝具と一緒に、金色の蛇が巻きついた緋い鞘の剣が収めてある。腰に提げた自分の剣とは別の大切な借り物だった。
エリクはその重さを確かめる。そこに亡き父の魂を感じようとした。そして父が命懸けで守ろうとした──故郷にひとり置いてきてしまった妹の存在を。
「必ず帰ってこいよ、エリク。お互いの百勝目が懸かってるんだからな」
「お前こそ。旅先でつまらないヘマを踏むなよ、イーク。そうじゃなくてもお前は周りに敵を作りやすいんだから」
「キレると何しでかすか分からないやつにだけは言われたくない」
「もともと短気なお前よりはマシだ」
そんな軽口を叩き合って、また笑った。
東へ伸びる道を見やっていたイークが振り返る。
「また会おう」
示し合わせたわけでもないのに声が揃った。
ふたりは拳を差し出して、コツンと軽くぶつけ合う。
そうして互いに背を向けて、各々の道を歩き始めた。
彼らは知らなかったのだ。ふたつに分かたれた道。
その道がもう二度と交わることのない運命を。




