3.太陽は沈まず
「──本気でおっしゃってるんですか」
ロベルトは唇から転がり落ちた自分の声の冷たさに、ほんの少し驚いた。
真っ暗な部屋の中には小さな円卓に置かれた燭台の明かりがひとつだけ。
その灯明かりを睨むように、ロベルトはじっと目を据える。自分はもう国家の狗ではない。ゆえにこれくらいの無作法は許されるだろうと踏んだ。
許されなければ、それまでだ。
「本気で俺に陛下を裏切れとおっしゃってるんですか」
「私がこんなときに冗談を言う男に見えるかね」
「少なくとも、俺の記憶ではそうですが」
「心外だな。さすがの私も、ただの冗談を言うために世捨て人を呼び出すほど暇ではないぞ」
「承服しかねます」
ロベルトは両手を後ろに組んだまま、険のある声で突っ撥ねる。
そんなロベルトの強情ぶりに雇い主は暗闇の向こうでため息をついた。
いや、しかしロベルトの勘が確かなら今のは呆れのため息ではなく、こちらの反応を面白がっているため息だ。現に淡い灯明かりの向こう、うっすらと見える彼の口もとには笑みが浮かんでいる。ロベルトは露骨に眉間を皺めた。相手はこの状況を楽しんでいるのかもしれないが、こっちはひたすらに不服で不愉快だ。
「見損なったぞ、ロベルト。私はお前の忠誠心だけは買っていたのだがな」
「買いかぶりだったってことですよ。俺の忠義は国じゃなくて、夢の隠居生活に捧げたもんです。でもってその夢を叶えた今、あんた方に尻尾を振ってご機嫌を取る必要もない。首輪はもう外れてますんでね、用件がそれだけなら俺はお暇させていただきますよ」
「黄皇国の歴史に終止符を打つことが、オルランド・レ・バルダッサーレにとっての救いになるとしてもか?」
付き合いきれず、本当に身を翻しかけていたロベルトは思わず足を止めた。
伸ばした手が扉に触れることをためらって、単純すぎる自分に舌打ちする。
「……詭弁ですよ、そんなのは。あんたは国を諦めるのか」
「諦めるしかあるまい。これ以上暗愚な王が玉座に居座っていたのでは、国は痩せ細る一方だ。ならば終わらせてしまった方がいい。託すときが来たのだよ、次の世代に」
「いい加減にして下さいよ。だったらあんたは、何のために七年前……!」
「──リカルド。後生だ。従叔父の最後の頼みを聞いてはくれぬか」
うなじの毛まで逆立つのを感じながら、ロベルトは拳を握り締めた。
この卑怯者。そう罵ってやりたいのをこらえて振り返る。
男はやはり笑っていた。頭に来るくらい穏やかな顔で。
「権限をやる。必要なものは何でも求めよ。金も物資も言われたものはすべてこちらで用意する。自分のやるべきことは頭に入っているな?」
「……まず手始めにガルテリオ・ヴィンツェンツィオを寝返らせればいいんでしょう?」
「そうだ。頼むぞ、ロベルト。我が国の未来はお前の働きにかかっている」
「隠居人には荷が重すぎて今にも潰れそうですよ」
「すまないな。お前たちの想いに、私は応えられなかった」
ああ、くそ。
今度こそ扉に手をかけながらロベルトは切歯した。
歳を取るとすぐに目が霞んでいけない。あと、ちょっとしたことで息が詰まる。
こんなことになるんなら、酒も煙草も控えときゃ良かったな。
そう思いながら軽く自嘲って、ロベルトは男を顧みた。
「分かってませんね、あんたは」
──だから最後の最後で読み誤るんだよ。
今生の別れ際、預かった手紙を陽に翳しながら、ロベルトはひとりほくそ笑む。