19.始まりの場所
やあ、カミラ。元気にしてるか?
こうして手紙を書くのは半年ぶりだな。ひとつ前の手紙はラムルバハル砂漠を渡る前に書いたんだったか。〝死の砂漠を越えてくる〟なんて書いたせいで不安にさせたかもしれないが、お兄ちゃんは無事に戻ってきたぞ。
あれからとにかく色んなことがあって、今はトラモント黄皇国のグランサッソ城というところにいる。黄皇国の北の方、亜竜が暮らすルチェルトラ荒野の真ん中にある城だ。そこにいる伝達官という人がお前宛の手紙を届けてくれると言うから今、慌てて筆を執っている。怒らないで聞いてほしいんだが、実は前の手紙に書いていた年末の帰郷が難しくなってしまった。というのも俺はこれから黄都へ行かなければならなくて……カミラも名前くらいは聞いたことがあるだろう?
トラモント黄皇国の美しき黄昏の都、ソルレカランテ。
俺はとある人の頼みでそこへ行き、黄帝陛下に会わなければならなくなった。
陛下というのは、つまり……黄皇国を治める王様ってことだ。
なんでこんなことになったのか、正直俺にもいまいちよく分からない。だが黄皇国のとても偉い人からの頼みだから、どうしても断るに断れなくてな……。
だからお前にはもうしばらく寂しい思いをさせてしまうと思う。約束を守れなくてすまない。だがソルレカランテには、ルミジャフタでは決してお目にかかれないようなものがたくさんあると聞いた。特に六聖日──年明けから六日間続く新年祭には世界中から商人や旅芸人が集まるらしい。せっかくそんなところへ行くからには、カミラにも何か珍しいお土産を買っていくよ。何を買うかはまだ決めてないけど、楽しみに待っていてほしい。俺もカミラの喜ぶ顔を見るのが今から楽しみだ。
郷の方は変わりないか? 族長やアクリャは元気にしてるか?
イークのやつは、もうそっちに戻ったかな。
まだなら黄都でばったり鉢合わせるなんてことがあるかもしれない。あいつは郷を出たあと、とりあえずソルレカランテへ行ってみると言ってたからな。
だけどもし俺より先にイークが郷へ戻ったら伝えておいてくれ。
俺は俺自身想像もつかなかったくらいの武勲を立てたぞ、って。
まあ、詳しい話はまた今度。ラムルバハル砂漠を渡ってから本当に色々あったんだよ。手紙じゃとても書ききれないくらいのことがな。
ともあれ俺の方は相変わらず元気でやってる。
予定より遅くはなるが、必ず帰るからもう少しだけ待っていてくれ。
次はソルレカランテに着いたら手紙を書くよ。族長やみんなによろしくな。
最愛の妹へ エリクより
● ◯ ●
思わず身が竦むほどの大歓声の嵐だった。巨人でも難なく通り抜けられそうなくらい大きな門をくぐった途端、真冬だというのにあちこちから花が降り、無数の旗がチカチカと翻りながらエリクの視界を埋め尽くす。
黄暦三三二年、翼神の月、識神の日。
グランサッソ城から三ヶ月の旅を経て、生まれて初めて訪れる黄都ソルレカランテへ足を踏み入れたエリクは馬上から唖然と天を仰いだ。
何故って、高い。都の南門から伸びる大通り、それを挟む左右の建物がいずれも高いのだ。窓の数を数えるに、恐らく三階建てから四階建ての建物ばかり。
そこから住民と思しき人々が我勝ちに身を乗り出し、通りを練り歩くエリクたちを見下ろしては黄色い歓声を上げている。
西の国境でシャムシール砂王国との戦いに勝利を収めた、黄皇国中央第三軍の凱旋だった。戦勝の報告はエリクたちよりもひと足早くこの黄都に到着し、人々は祖国を守った英雄たちの帰還に沸いている。
その熱狂の中心にいるのがガルテリオだ。整然と進む陣列の先頭で馬に乗り、人々の喝采に応える常勝将軍の姿に群衆はとにかく夢中だった。
それにしたところで彼の出迎えに一体どれだけの人数が集まったのだろう。通りの両脇で押し合い圧し合いしている群衆の数はとてもじゃないが数え切れない。
誰もが皆、国境の守護神とでも言うべきガルテリオをひと目見たくてたまらないのだ。胸を張って行進を続ける第三軍の行列の中、エリクは前髪に引っかかった花びらを摘み上げながら、改めて街の様子に呆れ返った。
「すごい人出だな……まるでもう新年祭が始まったみたいだ。将軍が黄都へ帰ってくるときはいつもこうなのか?」
「ああ、そうさ。俺たちもちょっと前まではガル様が帰ってくるたびにああして通りに集まってた。何たってガル様は俺たちと同じ平民から大将軍まで上り詰めた英雄だからな。みんなあの人にあやかりたいんだよ」
そう言って誇らしげに笑ったのは、隣で戛々と馬を歩ませたウィルだった。
傍らにはリナルドの姿もあって、半年ぶりに訪れるという黄都の景色をまぶしそうに眺めている。年明けまであと半月。グランサッソ城のあるイーラ地方から竜牙山脈の麓に広がるトラジェディア地方を渡り、黄都に入った第三軍の将士はみな喜びと矜持に満ち満ちた顔をしていた。と言ってもガルテリオが城から率いてきたのは五千の本隊のみで、残りの兵は今も国境の守りに残ったままだ。
いくら砂王国軍を撃退した直後とは言え、マクランス要塞やグランサッソ城を空にして黄都へ帰るわけにはいかない。ガルテリオはそう言って、城塞に残る将校たちに自分が不在の間の指示をあれこれと残してきたようだった。
ウィルやリナルドが一緒に帰都できたのは今回限りの特例で〝エリクを黄都まで案内する〟という名目の下、ガルテリオが許可を出したらしい。
そうでもしないとエリクが気詰まりを起こし、やはり途中で逃げ出すのではないかと彼らは危惧したのだろう。おかげでエリクはすっかり逃走の機会を逃し、いよいよ黄都の門をくぐってしまった。しかし通りに集まった人々の数もさることながら、なんと大きな街だろう。さすがは『黄金の国』と呼ばれる皇国の都と言うべきか、その規模はエリクの想像を遥かに超えていた。
西のルエダ・デラ・ラソ列侯国で最も栄えている主都だって、さすがにここまで大きくはなかったと思う。おまけにこの噎せ返るような熱気、熱気、熱気。
今が真冬のさなかだということを失念してしまうほど、ソルレカランテは賑やかに活気づいていた。隣のウィルと会話するのにだっていちいち大声を上げなければ聞こえないくらいで、ここが別名『百万都市』と謳われているのにも頷ける。
何より目を引くのは美しく統一された景観だ。ソルレカランテは街を囲む城壁から民家に至るまで、あらゆる建物が黄砂岩と呼ばれる淡黄色の石材で造られていた。加えて家々の屋根は赤茶けた瓦葺き。おかげで時刻はまだ午前だというのに、夕日に照らされたような色彩がエリクの視界を埋め尽くしていた。
ここが『黄昏の都』と呼ばれているのは、建国者である竜騎士フラヴィオが『黄昏の騎士』と渾名されていたことに由来するという。
しかしエリクはたとえフラヴィオが人々から別の名で愛されていたとしても、きっとこの街は『黄昏の都』と呼ばれていただろうと思わずにはいられなかった。
「んー、しっかし残念だなあ。ケリー殿とオーウェン殿、今年は帰都に間に合わないなんてさ。一緒に帰ってくる機会があればオーウェン殿の行き着けの酒場を教えてもらうって約束をしてるのに、結局まだ一度も叶ってないんだよなあ」
「しょうがないさ。おふたりはオディオ地方まで遠征していた上に魔物退治まで請け負うことになったというんだからな。近頃国のあちこちで魔物が暴れ回ってるって話はお前だって聞いてるだろう? 増えてるんだ。やつらの数が、全国的に」
「そりゃまあ俺だって分かってるけど……」
と頭の後ろで両手を組みながら、ウィルはつまらなそうに唇を尖らせた。
彼とリナルドの会話にたびたび登場する〝ケリー〟と〝オーウェン〟なる人物はどうやらふたりの先輩に当たるらしい。彼らは先の第百六十七次国境戦役において竜騎兵団を誘き出すべく殺到した竜人の迎撃に駆り出され、戻らなかった。
グランサッソ城から遥か南へ下った先にあるオディオ地方まで遠征に赴き、そこで現地の軍と協力して作戦行動に当たるという任務だったから、パッと行ってさっさと帰ってくるというわけにはいかなかったのだ。
おまけに竜人の脅威が去ったかと思えば、今度は魔物の大群がオディオ地方に現れた。ケリーとオーウェンはその魔物討伐へ向かう現地軍に引き続き協力すると言って、帰投予定が大幅に遅れることをガルテリオに伝えてきた。
ゆえにガルテリオも今回は彼らを西に置いてきた……という流れだったそうなのだが、ウィルとリナルドは軍の中でも特別彼らを慕っているらしい。
ケリーとオーウェンはシグムンドに次ぐガルテリオの腹心で、彼が黄都へ帰還するときは必ず供を務めているというから、ウィルはたぶんふたりと一緒に帰ってくることを心底楽しみにしていたのだろう。
(俺もぜひ会ってみたかったんだけどなあ。剛毅にもガルテリオ将軍のお屋敷に居候してるっていうおふたりに……)
と、傍らで交わされるウィルとリナルドの会話に聞き耳を立てながら、エリクもほんの少し残念に思って嘆息を零す。ウィルの話ではケリーやオーウェンもガルテリオと同じく平民から出世した叩き上げの将校だというから、どんな人物なのかひと目会って話をしてみたかった。しかしリナルドの言うとおり、黄皇国の領内に魔物の大群が現れたというのなら仕方がない。昨今、政治の腐敗に伴ってこの国の治安が乱れつつあることはエリクもよく知っている。そして同時にその腐臭と争乱の気配を嗅ぎつけて、あちこちから魔物が集まりつつあるという噂も。
(敵は人間だけじゃない……か)
グランサッソ城からの旅の途中で聞いたガルテリオの言葉を思い出し、エリクは凱旋パレードの遥か前方を行く彼の背中へ目をやった。実は西から旅してくる間にもエリクたちは数回魔物と遭遇し、彼らを駆逐しながらここまでやってきたのだ。
神話の時代、神界戦争で神々に敗れ、地の底の世界へ追いやられた邪悪なるものたち。それが世に〝魔物〟と呼ばれる存在だった。
彼らは神界戦争から千年あまりのときが流れた今もなお神々への復讐と地上世界の支配をもくろんでおり、たびたび地上へ現れては無差別に人間を襲っている。
何故なら人類は神々のしもべであり、今、こうして地上で栄えているのも眠りに就いた神々に代わってエマニュエルを守るという使命を帯びているからだ。
地上世界の守護は眠りに就く前の神々と人類の約束であり、天使たちが《新世界》の到来を告げる《夜明けの喇叭》を吹き鳴らすまで、この世を魔界の住人へ明け渡してはならぬと神々は厳命した。
ゆえに人間と魔物は決して相容れない。両者の関係は常に殺すか殺されるかだ。
稀に魔界の側へ寝返り〝魔人〟や〝魔女〟と呼ばれる存在に堕ちて猛威を振るう者もいるが、そういった人間は異端も異端。一度でも魔のものと契りを交わしてしまったら、その時点で人は人ではなくなってしまう。
『赤い髪の魔女に気をつけなさい』
刹那、いつかの晩に聞いた少女の声が脳裏をよぎって、エリクは手綱を握る手に力を込めた。三年前、父を殺めたという〝赤い髪の魔女〟。ひょっとしたらそいつも混沌の波に乗じて黄皇国へまぎれ込んでいたりするのだろうか……。
(……もしも黄皇国にいる間に〝赤い髪の魔女〟の情報が掴めたなら……)
エリクは先刻前髪に引っかかった花弁を改めて見下ろしてみた。
掌の上にあるそれは瑞々しく、血のような赤色をしている。
エリクの父は三年前、郷を襲った何ものかに殺された。郷を治める族長は災いの正体を〝白き魔物〟と呼び、イヴは〝赤い髪の魔女〟だと言った。
ふたりの話のどちらが正しいのかは、あのとき父に代わって妹を守っていたエリクには分からない。ただ共通しているのは、父の命を奪ったモノが〝魔物〟か〝魔女〟か──とにかく魔界に関わる存在であったということだった。
イヴから魔女の話を聞いて以来、エリクは暇さえあればそのことを考えている。
旅を始めたばかりの頃は儀式のついでに何か少しでも父の仇の情報を得られればいいと考えていた。別に見つけ出して復讐しようなどと思っているわけではない。
エリクはただ知りたいのだ。あの日、父は何故死なねばならなかったのか。
よりにもよってあんな無惨な殺され方で。
「おっ、見えてきた見えてきた! おいエリク、あれが陛下のおわす城──ソルレカランテ城だぞ!」
ところが暗い記憶の澱を浚っていたエリクは、耳に飛び込んできた明るい声で我に返った。見れば隣でニッと笑ったウィルがパレードの行く手、まっすぐ伸びた目抜き通りの先を指差している。
彼の人差し指が示すものに目をやってエリクは図らずも絶句した。何故なら視線の先に伸びるのは天をも貫かんばかりに高く聳える摩天楼。やたらと尖った瓦葺きの屋根を戴く塔の群──あれは俗に〝尖塔様式〟と呼ばれる建築物だ。
この国の王の居城、ソルレカランテ城。
それはあまりにも巨大で美しく、言葉を失うほど荘厳な城だった。街と同じ黄砂岩の煉瓦で組まれた壁は陽の光を浴びてうっすら輝いているようにも見える。
正面に見えるふたつの塔は見張り台だろうか。いや、あるいは鐘楼?
最も目を引くそのふたつの塔以外にも、ソルレカランテ城にはいくつも尖塔が付随している。一番高いものは優に四枝(二十メートル)を超えるだろうか。あそこに登ったら街を一望できるどころか、太陽にも手が届きそうだとエリクは思った。
黄都ソルレカランテは文字どおりあの城を中心として広がっている。
城は貴族たちが暮らすいくつもの屋敷に周囲を囲まれ、そうして形成された街の中心地は俗に〝貴族街〟と呼ばれているらしかった。その貴族街と城壁を隔ててさらに四方へ広がるのがソルレカランテの城下町だ。先刻エリクたちが潜った南門の先は商店街も兼ねた大通りになっており、貴族街へ至る門は通りの終点、円形の広場の向こうにあった。〝城前広場〟と呼ばれるらしいそこは実に広々としていて、女神の彫刻が佇む噴水やシンメトリーの水路、花壇が美しい。
さらに広場の周囲には東方金神会の大聖堂やらグリーヴ金融協会の支店やらトラモント商工組合の本部やら、とにかくこの街の主要施設とでも呼ぶべき建物が集まっていて、ここがソルレカランテの心臓なのだろうとひと目で分かった。
ガルテリオはこれから広場の先にある貴族街の門をくぐり、ソルレカランテ城へ登って黄帝へ帰投の報告をしてくるという。
彼に呼ばれて行進の先頭へ向かったエリクは、ガルテリオがその報告の席でエリクを引見して下さるよう黄帝に具申するつもりでいることを聞かされた。
「さすがに上奏して即日謁見、とはならぬと思うがな。陛下のご叡断を仰ぎ次第君のところへ知らせをやる。というかひとつ、私から提案があるのだが……」
「ご提案、ですか?」
「ああ。エリク、君さえよければしばらく我が屋敷に泊まっていかないか。ひどく小さな屋敷だが、先の戦の功労者をひとり泊めるくらいの部屋はある。黄都滞在中はそこを好きに使ってもらって構わん。どうだね?」
「えっ……わ、私が将軍のお屋敷に、ですか……!?」
突拍子もないガルテリオの提案にエリクはまたしても肝を潰す羽目になった。
何の身分も持たない一介の傭兵が、一国の大将軍の屋敷で寝泊まりするだって?
そんなの喜劇でもありえない。
ゆえにエリクは今度こそ、全身全霊を賭してガルテリオの誘いを断った。
彼はあくまで善意のつもりなのだろうが、さしものエリクも黄皇国最高の爵位を持つ人物の家にやあやあと上がり込めるほど図太い神経は持ち合わせていない。
というかむしろ心労と緊張で胃に穴が開くこと間違いなしだ。
ですのでお気持ちだけで充分です、と必死でガルテリオを説得すれば、やがて彼は残念そうに「そうか」と眉尻を下げた。その反応が大好きな菓子を買ってもらえなかった子供のように見えた、とは口が裂けても言えない。
そうして話し合った結果、エリクはひとまず街の北区にあるという軍営の宿屋でしばし世話になることになった。グランサッソ城からガルテリオに率いられてきた将兵の大半も、黄都滞在中はそこを兵舎代わりにするのだという。
「無論宿代はいらぬ。我が軍の将兵の宿泊費はすべて経費で賄うのでな。君も一時的な軍属という扱いで宿代を浮かしておく。分からないことがあればウィルかリナルドに尋ねるといいだろう」
「お気遣い感謝します、将軍。本当に何から何までお言葉に甘えてしまって……」
「いや、私がやりたくてやっていることだ。君が恐縮する必要はない。しかし残念だな、君にはぜひ息子を紹介したいと思っていたのだが……」
「お気持ちは分かりますがこれ以上彼を困らせますな、ガルテリオ様。ティノとエリクを引き合わせたいのでしたら場所も方法も他にいくらでもありましょう。何よりいきなり大将軍の屋敷へ泊まれなどと言われても、彼とて気が休まらぬはず。まずは宿舎で存分に旅の疲れを癒やしてもらうのが客人に対する真の心配りというものでしょう」
となおも諦めきれない様子のガルテリオを苦笑しながら諫めてくれたのは、グランサッソ城から共に帰都したシグムンドだ。彼の説得のおかげでガルテリオもようやく──渋々、という感じではあったが──エリクが宿舎に泊まることに納得し「詳しいことは後日改めて話し合おう」と引き下がってくれた。
かくしてガルテリオとシグムンドは数人の供のみを連れて貴族街の門をくぐり、残されたエリクたちは将校の引率で宿舎へ向かうこととなる。ウィルとリナルドは実家で寝泊まりすると言っていたが諸々の案内のために宿舎まで同行してくれた。
エリクが割り当てられた部屋は四階建ての宿舎の最上階だ。いかにも軍営の宿屋らしく、客室は質素で機能重視の内装だったがエリクはかえってそちらの方が落ち着いた。部屋はひとり部屋で、四階だから見晴らしもいい。曇り硝子の嵌まった窓を開けると、途端に知らない街のにおいが風に乗って訪ねてきた。
「さっきガル様が言ってたとおり、ここ、軍人・軍属は宿泊も食費もタダだからさ。腹が減ったら一階の食堂で好きなときに食事できるし、味もまあ悪くない。ただ生憎と酒は出ないから、飲みたかったら盛り場まで足を伸ばすしかないぜ」
「そうか。せっかくソルレカランテまで来たんだから、どうせなら名物の葡萄酒や蜂蜜酒も飲んでみたいな。ウィルたちはいつまで軍務に就くんだ? 年末年始は休日扱いになるんだろ?」
「ああ。こっちでも先の戦の事後処理に勤しまないといけないから、数日は司令部に缶詰めだけどな。夜ならいくらか時間はあるし、金神の日から六聖日までは連休になる。ある程度落ち着いたら俺とウィルの行き着けの酒場を紹介するよ」
「だな! まあ、それまでお前は退屈だろうけど、暇を潰せる場所ならソルレカランテにはわんさとある。この北区には学院とか劇場とか聖戦場なんかがあるし、南の商工業区は〝ここで揃わぬ品はなし〟って言われてるくらいだ。あちこち店を覗いてるだけで数日なんてあっという間に過ぎちまうさ」
「そうか。なら俺はしばらくのあいだ街を観光して過ごすとするよ。妹への手土産も見繕いたいし、武器屋や本屋も回ってみたい。こんなに大きな街なら確かに数日は退屈せずに済みそうだ」
「ははっ、なら良かった! んじゃ俺たちも予定がはっきりしたら連絡するよ。陛下との謁見の件もあるし、あとでまた話そうぜ」
ウィルとリナルドの好意に礼を言い、彼らとはそこで一度別れた。
ふたりはこのあと、ソルレカランテ城の西にある軍司令部というところに顔を出し、ガルテリオの補佐として細々とした軍務をこなすのだという。
許されるならエリクも彼らを手伝いたいが、軍属というのは仮の肩書きであってエリクはあくまで傭兵だ。さすがに軍部への立ち入りは拒まれるだろうし、戦術的なことならまだしも軍の事務作業なんてきっとちんぷんかんぷんに違いない。
何だか自分だけひと足早く休暇をもらってしまって悪いなあ……と思いながら、ひとりになったエリクは窓辺に寄りかかってみた。本当に賑やかで美しい街だ。窓縁に両腕を預けて見やった先では水路が流れ、人々が笑い、小鳥が囀っている。
「さて……それじゃあまずはどこへ行ってみようかな」
広場、商店街、聖堂、協会、学校、劇場、聖戦場。
ここまで仕入れた情報だけでも行ってみたい場所がよりどりみどりだ。
こんなところへ来られるのはきっとこれが最初で最後だろう。
──なら、最高の思い出を作って帰ろう。
そう心を決めて踵を返したエリクはまだ知らない。
この街が決して忘れられない〝始まりの場所〟になることを。




