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11.おまえは誰だ


 エリクが案内された城の客間はグランサッソ城本丸の二階にあった。

 その区画は客人用の部屋がずらりと並んだ造りになっているらしく、通路には等間隔で同じ(あつら)えの扉が設けられている。たぶん室内(なか)の造りもすべて統一されているのだろう。エリクがウィルとリナルドのふたりに連れられてそこへ足を踏み入れる頃には、石の壁を()()いただけの窓の向こうで日が傾き始めていた。

 風と共に舞い上がる砂塵で(かす)んだ空は、燃えるような橙色(だいだいいろ)に染まっている。

 この城では一刻(一時間)置きに現在の時刻を知らせる(かね)が鳴らされるようで、乾いた鉄の()光神(こうしん)の刻(十七時)を告げていた。確か城に到着したのは命神(めいしん)の刻(十三時)頃のはずだから、城内を案内してもらうだけで四刻も経過したのかと、エリクは改めてグランサッソ城の広大さを思い知る。


「んじゃ、ここが当座のお前の部屋ってことになるから。部屋の中のものは自由に使ってもらって構わない。何か足りないものがあれば女中に声をかけてくれ。用意できるものは可能な限り用意するように俺たちから頼んでおくよ」


 そう言って部屋の扉をガチャリと開き、中へ招き入れてくれたのはウィルの方だった。やや古めかしい意匠の扉の向こうには、エリクが想像していたよりひと回りほど大きな客間があり、(わら)が敷かれた寝台や衣裳棚(いしょうだな)、書棚つきの小さな机、二脚の椅子を従えた木製の円卓などが目に入る。恐らくエリクが城内を巡っている間に、女中たちが室内を整えてくれたのだろう。寝台にかけられた敷布や掛布は(しわ)ひとつなく、他の調度品も隅々まで綺麗に埃が払われていた。いずれも年季を感じさせる品々だが、おかげでどこを見渡しても不潔な印象はまったくない。むしろ(ほこり)の代わりに降り積もった歴史の趣が感じられて、エリクはひと目で気に入った。


「ありがとう、ウィル、リナルド。何から何まで世話になってすまないな」

「なーに、大恩ある太陽の村の戦士殿をお迎えするのに粗相があっちゃ俺たちの首が飛ぶからな。っていうのは冗談にしても、大事な客人をぞんざいに扱ったなんて知れたら、あとでシグ様からどんな折檻を受けるか分かんねーし」

「ああ、ウィルの言うとおりだ。何より城内を案内する間、俺たちも色々と有意義な話を聞かせてもらった。その返礼になるのなら何なりと申しつけてくれ……と言いたいところだが、〝足りないもの〟と言われて好みの女中を部屋に引っ張り込むのだけはやめてくれよ。戦の前に第三軍(うち)の鉄の風紀が乱れるのは困るからな」

「お前がそれを言うのかよ、このナンパ野郎!」


 と肩を怒らせたウィルの怒声を、リナルドはそよ風でも浴びるかのような爽やかな笑顔で受け流した。三人で城内を歩き回っている間、すれ違う女中たちがリナルドを見るたびに黄色い声を上げているなとは思ったが、なるほど、そういうわけかとエリクも傍らで苦笑する。

 ウィルの反応を見る限りどうやらリナルドはよほどの女殺しらしく、道中での女性の扱い方を見てもかなり()()()()()いるのが見て取れた。

 実際、彼は同性のエリクから見ても美青年と呼ばれる部類の人間だと思うし、黙っていても女性の方が放ってはおかないだろうな、という気はする。

 ウィルとしてはそれがなおさら気に入らないようではあるけれども。


「はあ……とにかく、だ。お前も砂漠越えのあとの強行軍で疲れてるだろうし、今夜の食事は部屋に直接運ばせる。風呂や便所の場所はさっき案内したとおりだ。他に何か分からないことがあれば城の者に()いてもらって構わないし、何なら兵舎にある俺たちの部屋へ来てもらってもいい。明日の朝食は部屋で食うのと食堂で食うの、どっちがいい?」

「うーん、そうだな……ウィルたちが食堂で食べるのなら、俺も同席させてほしい。そうした方が城の人たちにも顔を覚えてもらいやすいだろう?」

「そっか。まあ、お前の髪の色なら一度見ればそうそう忘れないとは思うけど、そういうことなら明日の朝、俺とリナルドで迎えに来るよ。起床の鉦が鳴るのが永神(えいしん)の刻(五時)だから、愛神(あいしん)の刻(六時)前くらいになると思うが問題ないか?」

「ああ、大丈夫。よろしく頼むよ。ところで……」


 とようやく人心地つき、周囲に人の目もなくなったところで、エリクは城へ来てからずっと気になっていたことをふたりに尋ねることにした。一体どう切り出したものか束の間考え込んだのち、ひとまず最も無難な訊き方を選択することにする。


「ええと……昼間ガルテリオ将軍が言っていた、ヤレイという傭兵のことなんだが。彼もこの城に逗留(とうりゅう)してるんだよな?」

「あっ、そうだった。そういやあいつと引き会わせるって話だったよな。ヤレイはここの隣に泊まってるんだよ。ちょうど部屋にいてくれるといいんだが……」


 ウィルはそう言って一旦部屋を出ると、迷わず右隣の扉を叩いて「ヤレイ!」と声を上げた。既に見知った仲なのかそこに遠慮の気配はなく、エリクに接するのと同じ調子で語りかけている。


「なあ、ヤレイ。ウィルだけど、今、ちょっといいか? お前に会わせたいやつがいるんだ。今日から隣の部屋に泊まることになった客人なんだけど……」


 数拍の沈黙。耳を澄ましても物音ひとつ聞こえず、てっきり留守なのかと思いきや、突如ガチャリと錠が回った。かと思えば微かな軋みを上げて扉が開き、中から派手な金髪の十七、八歳くらいと(おぼ)しい青年が顔を出す。


「やあ、ウィル。僕に会わせたいやつって?」


 部屋から顔を出すなり朗らかな笑顔でそう尋ねた青年は、奔放そうな髪型とは裏腹に、凍った湖のごとき静けさを(あお)い瞳に(たた)えていた。肌は白皙(はくせき)と形容して差し支えないほど白く、鼻の頭から頬にかけてうっすらそばかすが散っている。

 エリクはその青年を見るなり眉をひそめ、されどすぐに平静を装った。

 そうして自ら青年に歩み寄り、可能な限り友好的に見える態度で言う。


「やあ、ヤレイ。会えて嬉しいよ。俺のこと、()()()()()?」


 ヤレイと呼ばれた青年は微かに碧眼を見開いたあと、ふっと笑みを取り戻した。

 かと思えば小首を傾げ、人当たりの良さそうな顔で笑いかけてくる。


「ああ、もちろん分かるとも。()()()()()()、エリク」


 ……なるほど、とその瞬間、エリクはすっと目を細めた。

 こちらもある程度予想はしていたが、やはりひと筋縄ではいかないか。内心そう警戒を高めたところで、事情を知らないウィルがぱっと嬉しそうな顔をする。


「おお、やっぱりお前ら、知り合いだったのか! いやー、こんな偶然もあるんだな、同じ村から旅立った仲間と旅先で再会するなんて」

「うん、正直僕も驚いたよ。ここまで同郷の仲間とは一度も出会わなかったから。君も今日からこの城に泊まるってことは、次のシャムシール砂王国(さおうこく)との戦に参加するつもりなのかい、エリク?」

「ああ。郷を出てからまだ大した武勲を挙げられてなくて、今のままじゃクィンヌムの儀を果たしたとは言えないからな。君もここで()()()()()()つもりなのか?」

「まあ、そんなところだね。よかったら中で話をしないか? せっかくこうして再会したんだ。酒でも飲みながらお互いの近況を話し合おうじゃないか」

「へえ、酒か。それはいいな。なら、ウィル。さっき頼んだ夕食はヤレイの部屋に運んでもらっても構わないか?」

「ああ、もちろん。何ならヤレイの分も一緒に運ばせるよ。久々の再会みたいだし、今夜は同郷のふたりで楽しくやるといい」


 屈託のない笑みをニッと湛えて、ウィルは気持ちのいい心配りをしてくれた。

 自分たちの言動をまったく怪しんでいない彼に一抹の申し訳なさを感じつつ、ときにエリクは視線を感じてふと振り返る。そこではじっとこちらを見つめたリナルドが、何か怪訝(けげん)なものでも見るように眉を寄せていた。

 どうやら彼の方は気づいてくれたか──と察したエリクは悟られぬようにヤレイへ一瞥(いちべつ)を向けたのち、リナルドへ笑いかける。


「リナルドも今日はありがとう。明日もまたよろしく頼むよ」

「ああ……それは、構わないが」

「これから将軍のところへ戻るなら、どうぞよろしく伝えてくれ。近いうちもし本当に砂王国が攻めてくるのなら、()()()()()()()()だからな」


 そう言って笑ったエリクの笑顔の裏にあるものを、果たしてリナルドは読み取ってくれたのかどうか。彼は数瞬口を閉ざすと、静かに「そうだな」とだけ頷いた。

 かくしてウィルとリナルドは持ち場へと帰っていき、エリクはヤレイとふたりきりになる。ウィルたちを見送ったヤレイはすぐに自室へエリクを招き入れた。

 案の定客室の造りは家具の配置までエリクの部屋とまったく同じだ。ただ寝台の脇に寄せられた机の上には、ヤレイのものと思しい旅の荷物が広げられていた。


「だけど本当に驚いたな。まさか僕以外にも太陽の村の戦士がこの城へやって来るなんて。ガルテリオ将軍から聞いたよ。君も砂王国から旅して来たんだって?」


 その荷物の中に紛れていた酒瓶を手に取りながら、ヤレイは依然笑顔でそう語りかけてきた。円卓の傍に置かれた椅子を勧められ、腰を下ろしたエリクは、そんなヤレイの様子から片時も目を離さずに言う。


「ああ……どうりで俺を見ても驚かなかったわけだ。将軍から事前に聞いてたんだな。太陽の村の戦士がもうひとり、間もなく城へやってくると」

「うん。君の名前を出されて〝知り合いか?〟って確認されてね。太陽の村の戦士が一度にふたりも、しかも別々に訪ねてくるなんて今までになかったことだって、将軍も驚いてたよ」

「そうか。なら、ヤレイ──ここから先は(ティク・チフ)同郷者同士(・アズクェ)気兼ねなく(イチタカ・)話そうじゃ(リマイ・)ないか(クィン)


 刹那、棚から取り出してきた銅の杯に酒を注ごうとしていたヤレイの手が止まった。彼はしばし沈黙したのち、傾けかけていた酒瓶を卓に戻すと、変わらぬ笑顔で笑いかけてくる。


「ごめん、聞き取れなかった。今、なんて?」

俺たちの(カー・)故郷の言葉だよルミジャフタ・スィミィ分かるだろ(アン・クィ・マティ)? 君も郷の人間ならティズ・トラ・カティニ」 


 貼りつけたようなヤレイの笑顔は変わらなかった。されど彼は答えない。瞬間、エリクの疑惑は確信へと変わり、ため息と共に自嘲じみた笑みが浮かんだ。


 まったく()()()()()()()、と。


「やっぱり分からないよな。当然だ。今はエマニュエルのどこへ行ってもハノーク語が話されていて、ルミジャフタ語が分かるのはルミジャフタ郷の出身者だけ。つまり君はヤレイじゃない──彼の名をどこで盗ったんだ?」

「……」

「俺の知っているヤレイは、二年前にクィンヌムの儀に出たきり戻らなかった。異国の戦場で命を落としたと風の便りに聞いている。君はヤレイの生前の知り合いか? あるいは……彼を殺した張本人か?」

「……」

「将軍たちが君をヤレイだと信じて疑っていないということは、傭兵斡旋協会ようへいあっせんきょうかいの会員証でも偽造したんだろう。だが君は顔も体格も本物のヤレイとは似ても似つかない。言われるまでもないと思うが、身分の詐称は立派な犯罪だ。もしも君が傭兵としての実績欲しさでヤレイに成り代わり、俺の故郷(ルミジャフタ)の名を(かた)っているのなら──」


 エリクがそう忠告しかけた、直後だった。

 突如ぞわりと殺気が逆巻き、エリクの戦士としての本能が警鐘を鳴らす。

 とっさに腰の剣を抜き放つまで、わずか一拍。

 すさまじい鉄の()が響いた。あと半瞬反応が遅れていたら、男が突き出した凶刃が、エリクの胸をまっすぐ貫いていたに違いない。


「──今回だけは条件つきで見逃してやってもいい、と言うつもりだったんだが、どうやら余計なお世話だったみたいだな……!」

「ククッ……お人好しめ(ホチヨ・ソミエ)


 次の瞬間、交差した刃の向こうでほくそ笑んだ男が発したのは、エリクの知らない言語だった。聞き間違いかとも思ったが確かめる暇もなく、鍔迫(つばぜ)()っていた刃を弾かれる。どうやらエリクの悪い予感は的中したらしい。死んだはずのヤレイが実は生きていたのかも──などと一瞬でも期待した自分が馬鹿だった。

 目の前の男は恐らく、いや十中八九、砂王国が送り込んできた刺客だ。

 きっと太陽の村(ルミジャフタ)の名を出せばトラモント人が手放しで信用することを知り、死んだヤレイの名と肩書きを利用することを思いついたのだろう。

 それだけでも死者に対する冒涜(ぼうとく)だと言うのに、エリクがたまたまやってこなければこの男は故郷の名まで(おとし)めるところだった。野放しにはしておけない。


 エリクは剣を下段に構え、すぐさま踏み込む素振りを見せた。

 ところがこちらが床を蹴る寸前、男はふたりの間にあった円卓を蹴倒してくる。

 栓が抜かれたままの酒瓶と杯が床に叩きつけられた衝撃で騒音を立てた。

 瓶の中身がぶちまけられ、キツい酒のにおいが飛び散る。エリクがその予想外の行動に怯んだわずかな隙を()き、相手が得物を()()んできた。

 迷わず喉を貫こうとしてきた切っ先を辛くも(かわ)し、エリクも即座に斬り返す。

 しかし向こうも反撃を見越していたのか、難なく回避して後ろへ跳んだ。

 背を反り返らせるようにして後方へ一回転し、床に手をついた反動で瞬時に体勢を立て直す。曲芸じみた体捌(たいさば)きだ。得物の扱い方を見てもかなりの手練れ。されどエリクは再び相手と睨み合い、彼の手にある奇妙な得物に眉をひそめた。少なくとも大陸南部ではまず見かけないかなり細身の直刀だ。刃渡りは一般的な刀剣に比べて短く、ぞっとするほど磨き込まれた刃には見たこともない刃紋が波打っている。


 ──何だあれは?


 片刃の刀であることは間違いないが、あんな得物は見たことがなかった。

 さっき聞こえた異国の言葉も気になるし、目の前の男は本当にただの間諜(スパイ)か?

 白すぎる肌やどちらかと言えば華奢(きゃしゃ)な体格は、エリクの知るシャムシール人ともかけ離れているように感じる。とすると第三の勢力?

 この時期に『常勝の獅子』ことガルテリオの懐へ潜り込もうとする相手とは?

 エリクが剣を構えながら考え込んでいるうちに、再び相手が突っ込んできた。

 目にも留まらぬ速さで繰り出される連撃を()なしながら見極め、ここだ、と思ったところで思いきり剣を振り抜く。

 エリクが振るった刃は刀の根もとをしたたかに打ち、文字どおり弾き飛ばした。

 丸腰になった相手にすかさず右手を(かざ)し、神の力の名を唱える。


雷槍(ラアム・キドン)……!」


 左手に()めた手套(しゅとう)の下で雷刻ライトニング・エンブレムが瞬いた。

 一拍遅れてやってきた雷鳴が城中に(とどろ)(わた)る。威力は加減したつもりだった。

 ここで相手を殺せば情報が引き出せなくなってしまう。ゆえに今は気絶させるに留め、捕らえてガルテリオに引き渡そうと思った。ところが雷撃が生んだ薄煙が晴れたとき、そこに男の姿はない。エリクは思わずぎょっとした。


 躱された? ならば、敵は──


「……っ!」


 背後から殺気。次いで疾風のごとく迫った刃を、ギリギリのところで身を反らして回避した。前髪の先を掠めた刃は、さっきまで男が握っていたあの奇妙な刀ではない。革の長靴(ちょうか)の爪先から突き出した仕込み刃だ。

 そんなものまで入念に用意していたということは、この男は暗殺者か?

 だとしたら狙いは? 決まっている。ガルテリオだ。

 今ここで命を狙われるほど重要な立場にいる人間など、彼以外にありえない。

 目の前の男は砂王国の手先か、あるいはもっと別の勢力なのか。

 こうなったらどちらでもいい。とにかく今はやつを止めなければ……!


「待て……!」


 素早く繰り出した両足の仕込み刃でエリクを怯ませた男は、一瞬の隙を衝くや身を(ひるがえ)して駆け出した。そのまま部屋の扉を突き破り、まろぶようにして廊下へ飛び出し、脇目も振らずに逃げていく。エリクもすかさず追いかけた。

 まっすぐに伸びる通路を疾走していく男の背中に、もう一発神術を見舞おうと神力を溜める。雷刻が宿った左手を青白い雷気が包んだ──今度こそ、仕留める。


捕らえよ(ティカシヅ)雷神(ラアム)……!」


 今度は祈唱(きしょう)を省略しなかった。

 神術というのは行使する前に神への祈りを捧げれば捧げるほど強くなる。

 ゆえに〝祈唱〟だ。術者が唱えた祈りの言葉は精霊によって天界に()す神々のもとへ届けられ、祝福という名の奇跡となって還元される。それが世界(エマニュエル)の法則だ。

 エリクの祈りもまた例外なく聞き届けられた。左腕に絡みついていた(いかづち)の蛇たちが、神々の許しを得てひと筋の矢へと姿を変える。

 放たれた雷撃は一直線に暗殺者の背後へ迫った。ところが直撃の寸前、こちらを顧みた男が両手を素早く組み合わせたのが見える。


「オン・アロリキヤ・ソワカ……!」


 聞き慣れない言語が再び耳に飛び込んでくると同時に神術が炸裂した。

 祈りの力によって先刻よりも威力が増した一撃が、爆風を巻き起こす。

 洪水のごとく押し寄せた白煙に呑み込まれ、エリクはとっさに腕で頭部をかばった。神術は確かに命中した──と思う。術が標的に直撃すれば術者にも相応の手応えが伝わる。ゆえに今度こそ仕留めた、と思った。


 だが煙が晴れたとき、そこには無傷で佇む男の姿がある。


「なっ……!?」


 これにはさすがのエリクも目を疑った。直前の神術は手応えからして確実に命中したはずだ。なのに何故? 相手も守りの神術を使ったのだろうか?

 しかし神術使いというのは往々にして神気の流れを感じ取ることができる。

 目には見えないが確かに世界を満たしている神気という存在は、神術を行使する際に術者に向かって引き寄せられるものだ。その神気の流れがエリクには一切感じられなかった。相手も神術を用いてエリクの攻撃を防いだのなら、周囲に満ちる神気が彼に向かって流れないとおかしい。ならば一体どうやって?

 困惑するエリクの視線の先で、男はニタァと細く不気味な笑みを浮かべた。

 三日月を描く両目に〝何度やっても無駄だ〟と言われたような気がして、不覚にも背筋が寒くなる。


「おい、今の音は何だ……!?」


 ところが刹那、通路の向こうからバタバタと駆けてくる足音が聞こえ、エリクははっと我に返った。見れば男が逃げようとしている方角から鎧を着込んだ黄皇国兵(おうこうこくへい)が集まってくる。恐らくエリクが放った二度の雷撃の爆音を聞いて彼らも異変に気がついたのだろう。助かった。おかげで刺客を挟み撃ちにすることができる──


「──皆さん、あいつです! あの男です! あいつが突然僕に襲いかかってきて……! やつの正体は砂王国のスパイだ! お願いです、手を貸して下さい!」

「はっ……?」


 だがエリクが覚えたわずかな安堵は一瞬にして打ち砕かれた。

 エリクが男を告発するよりも早く、男の方がエリクを告発したのだ。

 しまったと思ったときには既に遅し。駆けつけた黄皇国兵は誰もが男の言葉を信じ、血相を変えてエリクを見ていた。かと思えば手に手に腰の得物を抜き放ち、怒りと殺意を込めた眼差しを投げかけてくる。


「馬鹿な、砂王国のスパイだと……!? 一体どうやってこんなところまで……」

「さては傭兵のふりをして潜り込んだか。これだから雇われ者(ノラ)は信用ならん……! おい、ヤツを引っ捕らえろ! 場合によっては殺しても構わん!」

「ちょっ……」


 と待ってほしい、と釈明する暇もなかった。殺気立った兵士たちは各々雄叫びを上げ、武器を振り上げながら迫ってくる。彼らに剣を向けるわけにはいかず、エリクは慌てて繰り出される攻撃を躱した。そうしながら見やった先では目を細めて嘲笑(わら)った男が、悠々と身を翻して去っていく。


「おい、待て! 卑怯だぞ! くそっ……!」


 暗殺者に道理を説くだけ無駄か。エリクは逃げる男の背中を見送り切歯(せっし)した。

 やつはこのまま混乱に乗じてガルテリオの命を狙いに行くかもしれない。

 第三軍の統帥(とうすい)たる彼の身に万一のことがあれば、男を逃したエリクの責任は重大だ。それどころか砂王国に黄皇国侵攻の糸口を与えてしまう。


 ならば今、自分が取るべき行動は?


 自問し、エリクは即断した。

 暗殺者を追おうにも、エリクの四方は既に囲まれ、逃げ場はない。

 だったら()()()()()()()()だけの話だ。エリクは喊声(かんせい)を上げて突っ込んできた兵士の攻撃を躱し、そして──剣をしまった。兵士たちがみな怪訝な顔をする中で、抵抗の意思が皆無であることを示すべく両手を上げる。


「降参です。逃げる気もありませんので、あとはどうぞご自由に。そして今すぐガルテリオ将軍にお伝え下さい。城に()()()()()()()()()()()()()とね」


 予想外の行動に面食らったのだろう、ぽかんとした兵士たちが互いに顔を見合わせた。おかげで何とか斬り殺される事態は免れ、エリクはその場で捕縛される。

 現場の混乱は収まり、集まっていた兵士の中から報告の使者が立った。

 彼らが暗殺者よりも先にガルテリオのもとへ辿(たど)()いてくれることを祈りながら、エリクは人知れず嘆息する。


 さて、それでは喜ぼう。


 こちらはこちらで、記念すべき三度目の牢屋行きだ。


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