第一章 第一節
「ランッラランッラーン」
ここは、蛇の半身を持つ人々が住む小さな集落です。
かつての全種族を巻き込んだ大戦で最後まで持ち応えたものの、結局人間に負かされ、彼らは豊かな平原を仕方なく人間に譲りました。
そして彼らは新しい家を探すためにいくつかの地を巡り、最後はこのマングローブの森に新しい棲み家を作ることにしたのです。
「あ、ネコさんだ!おはようー!」
「にゃあー」
マングローブは、しょっぱい水のなかでも逞しく生長できる不思議な樹木です。
その赤くて大きい実は味こそ薄いが栄養満点であり、その強靭な樹幹は水を撥ね退けられるため建材に使われ、さらにその長くて迷路みたいな根っこは水の中に生きる様々な動物たちの棲み家にもなっているのです。
そのおかげで、彼らは平原に住んでいた頃ほどではないけれど、のどかで豊かな日々を過ごすことができました。
「どうしようネコさん、今日は大漁だよ!ほら、ヤツメアンコウと、グンカンウツボと…あのまぼろしのヒョウモンクラゲまで!」
「にゃあー」
そしてこの物語の主人公である、真っ黒な蛇の半身と二本の小さい角をもつ幼い少女は、今日も集落からすこし離れた森の中で魚たちを獲っていました。
数日ぶりの大漁のためでしょうか、その少女は獲物を乗せた小舟を引きながら、見るからにうんざりしている表情で昼寝をしているネコさんに楽しそうに話しかけています。
「そして最後はなんと…ドドーン!ヨツハガラスの羽根!ぱちぱち!」
「…にゃあー」
この森に棲息しないはずのヨツハガラスの、珍しいけれど特に価値のない羽根を手に持ちながら、それをネコさんに見せびらかす少女。
そしてつまらなそうな顔をしていながらも、その少女に気長に付き合ってくれるネコさん。
もちろんそこに、この沈黙を破ってくれる人はいません。
「…うん、何もないです、はい…」
我に返ったのでしょうか、少女はすこし恥ずかしげに咳を払い、その羽根をポケットに収めました。
「話に付き合ってくれてありがとう、ねこさん!また明日ねー」
「にゃあー」
その後にもう少しだけ世間話をして、少女はネコさんに手を振りながら帰りの道にもどります。
その小さい割には力持ちな手で小舟を引きながら、蛇の半身を動かして水の中をスイスイと泳ぎます。
そうしていたら、少女はいつの間にか集落の近くまで来たのです。
「そういえば鍛冶屋のおじさん、堅い素材が欲しいっていつも言ってたよねー…このグンカンウツボで、新しい鍋とかと交換してもらえないかな?そうすれば、ママも久々にプリン作ってくれるかも…って、え…?あれは…」
小舟に乗せているさまざまな獲物を見ながら期待を膨らませる少女の目に映ったのは、彼女の住む集落から立ちあがる真っ黒な煙でした。
家をマングローブの上に建てて、水と隣り合いながら生きていくような生活のなかで、火事は集落に住む人々にとってほぼ縁のない出来事なのです。
少女はあわてて小舟を隣のマングローブにつないで、全速力で集落に向かって泳ぎ出しました。
「急がなきゃ…!!」
…しかし、ようやく自分の家の前にたどり着いた少女を待っていたのは、彼女にとってあまりにも残酷な出来事でした。
「…あ…あたしの、黒魔術グッズがーーーーー!!」
そこには彼女のお母さんと、もとは彼女が隠し持っていた黒魔術グッズだと思われる燃えカスがありました。
「柚、話がありますの」
「なんの話なの、ママ」
少女のお母さんがこの気まずい沈黙を破るまでに、すでに数分間も経ちました。
ここまできてようやく名前と趣味が明らかになった主人公の少女が、マングローブの木の上に建てた家の中で険しい表情をしながらお母さんと面向かって座っています。
「すまんな、柚…お父さん止めようと思ったんだが…」
「「パパ(あなた)は黙ってて(なさい)!!」」
「…はい」
思わず涙が出そうになったお父さん。
それでも、一家を支える大黒柱がこのような挫折で泣くわけにはいかないのです。
しかし喋ることすら禁じられた彼にできることは、いつものように隅っこからこの話し合いの行方を見守るしかないのです。
「…そろそろ、その黒…魔術?やらなんやらをやめましょうか、柚」
「断らせていただきます、お母さん」
ピリッ
どうやらお父さんには、妻娘二人の視線がぶつかり合う効果音が聞こえたみたいです。
しかしやはり、ヒエラルギー的な理由で彼は見守るほかに何もできないのです。
「そもそもなんなの、あの不気味な紙細工は!?そのようなことをやる暇があるなら、もうすこし年頃の女の子らしい趣味をもちなさい!!」
「不気味ってひどくない!?カエルの折り紙なの、カ・エ・ル!!黒魔術だから生贄とか必要だけど、本物のカエルを使うのってかわいそうじゃない!!」
「カエル!?え、あれカエルだったの!?」
思わず大声を出してしまったお父さんですが、二人の愛しき家族に睨まれて、すぐに口を閉じました。
しかしお父さんが大声を出すのも仕方ないことなのです。
足が六本、頭が二つ生えたカエルなんてどの平行世界にも存在しないでしょう。
折り紙の技術的な意味でいうとほぼ達人の領域に達する少女でしたが、どうやら美的感覚と一般常識は壊滅的のようです。
「なんでいつも言うこと聞かないの!!もういいわ、地下室に行って反省してきなさい!!冷えるから毛布をもっていって!!」
「お母さんこそ、なんでいつまでもあたしの気持ちを理解してくれないの!!もう、お腹が減るまで出てこないんだから!!」
お母さんの言う通りに毛布を手にとって、少女は地下室に入ります。
お仕置きは必要ですが、体を壊すと元も子もないのです。
そしてお腹が空いたらたっぷり食べるのが、健康に育つコツなのです。
どうやら蛇の半身を持つ一族は、正しい教育の仕方を心得ているようですね。
「まったく…一体誰に似てきたのかしら…」
「いや、それは…」
若き頃のお母さんを思い出したのでしょうか、お父さんは何かを言おうとしましたが…
身の危険を感じたのでしょうか、彼は言葉を飲み込みました。
少女は地下室の扉を閉じて、不敵な笑顔を見せます。
地下室と呼ばれていますが、そもそもこのマングローブの森の地下では部屋を作られないのです。
それはただの一階の床とマングローブの木の間のスペースを有効利用して作った、倉庫として使っている部屋でした。
「ふふん、折り紙のカエルなんていくらでも作り直せるし!」
そして驚異的なメンタル的回復力で生贄たちを失った悲しみから立ち上がったその少女は、地下室にこっそり隠していた儀式の台を取り出し、大好きな黒魔術の準備を進めます。
「そして今日は、なんとヨツハガラスの羽根もあるの!これでようやく、召喚術に必要な素材の一式が揃ったの!」
他に誰一人もいない地下室で騒ぐその姿だけは黒魔術を操る者に相応しいほど不審でしたが、本人はさほど気にしていない様子です。
「えーと、大悪魔の召喚の章、と…ドラゴンの心臓は持ってないから赤いマングローブの実で代用して、生きているミズガエルはかわいそうだからさっき折った折り紙で代用して…そして最後に、フェニックスの羽根を、このヨツハガラスの羽根で代用するの!」
まるで本物の不死鳥の羽根を扱っているかのように、少女はその羽根を慎重に儀式の台の上に供えました。
「あぁ…やっと、それっぽいのができた!」
黒魔術の本に記載している材料を見事にひとつも使わずに作り上げた、その果実や折り紙などを乗せた儀式の台には黒魔術らしき禍々しさはまったくなく、もはやただの年頃の女の子のデコレーションにしか見えません。
しかし当の本人は自信満々に、それで大悪魔を召喚できると思っているのです。
「えーと、最後は詠唱だっけ…」
急いで本のページをめくりながら、少女は期待を込めて召喚の術式を口にしました。
「門の聖霊よ、汝らが伴う友の願いを聞け…召喚の扉をひりゃけよ!!」
そして、あっけなく噛みました。
それも仕方ないことなのです。
今まで一回も材料が揃ったことがないため、実際にこの術式を唱えるのは彼女にとって、記念すべき一回目なのです。
しかし残念ながら上手に唱えたかどうかにもかかわらず、一度召喚に使った生贄を使いまわすのは黒魔術の禁忌なのです。
耳の根っこまで真っ赤になったその少女はがっくりと肩を落とし、悲しそうに儀式の台を片付けようとする…その時でした。
なんと、そのおままごとの食卓みたいな儀式の台が、光ったのです。
「きゃっ!」
薄暗い地下室で折り紙を作ってきた少女の目にとって、それはあまりにも眩しすぎる光でした。
ポンッ
そして思わず目を隠したその少女の耳に、どこか気の抜けた効果音が響きました。
「まさか…」
とても大悪魔が召喚されたような効果音には聞こえませんが、何かが起こったのは間違いないのです。
ようやく長年の努力が実をなしたと思い、少女は居ても立っても居られません。
そしてその光が収まるのと同時に、少女は慌てて目を開いて儀式の台を確認しました。
カチ、カチッ
なんと、そこには一匹のカニさんがいました。
どうもはじめまして、タラバガニです。
あれ、カニ可愛くない?みたいな気まぐれで書き始めた作品ですので、
具体的なストーリープランすら詳しく決めていません。
国語力も壊滅的ですので、気になったところはガンガン言ってくれると助かりますー
更新頻度はできるだけ週2あたりにしたいと思います。
よろしくお願いしますー