桜の記念樹
「そこじゃ、駄目だよ!!」
大声で私は、ふりかえると、弟より少し大人びた見知らぬ少年が、いた。弟は、今年中1だから、この子は、中3くらいかな。
「何?駄目って」
私は、この見知らぬ少年に聞き返した。私が打ち込もうとしたのは、もちろん五寸釘とかじゃない。地中に埋め込むタイプの肥料だ。
「それ、この桜の木の肥料にするつもりだろうけど、距離が近すぎるよ。かえって害になる。もっと木から離れて打ち込むといいよ」
少年は、自転車に乗っていて”あそこあたり”と、指さした。
「そうなの?私は木の事については、まったくの素人なんだけど」
「木に近すぎると、肥料が根を痛めるんだ。」
なるほど。私は、肥料を一本、そこへ打ち込んだ。
この桜の木は、札幌の公園内にあり、弟の小学校入学の時に、記念植樹したもの。桜の木からちょっと離れた所に、うちの両親と弟・私の名前が書かれてあるプレートがある。弟がまだ低学年のころ、桜の咲く季節には、家族で2度ほど花見を兼ねて、ピクニックにきたっけ。
この春、ウチの家族は、バラバラになった。両親が離婚したから。
父が、単身赴任先で不倫してるのが母にしれた。よくあるパターンなのだろうけど、父は、浮気でなく本気だったらしい。父は土下座した。離婚してくれと。
それからは、修羅場の連続だった。父の不倫相手の両親がきたり、母の父が乗り込んできたり。
母は、この騒動で疲れ切ったらしく、離婚を承諾した。
母は、弟が中学受験でもあるし、実家の東京に帰った。私も一緒に来るように言われたけれど、今、高3の私。いまさら転校は面倒。”卒業したら、東京の大学に入る”という約束で、
1年間、札幌での下宿を許してもらった。来年、今ころには、私もここにいない。
皮肉なものだ。家族のプレートだけは、しっかり残ってる。桜の木も。
今日は、桜の木にたくさん肥料をあげようと、たくさん持ってきた。2本目の肥料を1本目のすぐそばに、打ち込もうとして、また、止められた。
「ヤリスギですって。肥料はもう十分です」
「でも、まだ3本はあるし、もう、ここに来る時間もなかなかないし、この際だから」
「いやいやいや。量が多くても駄目だよ。他の桜に、その肥料をあげたらどう?」
何この子?以外と詳しいのね。年下から言われた通りにするのもシャクだけど、カワイイ少年から言われたし、もう使う事ないだろうから、全部、使う事にした。
少年の言う通り、残りの3本を、かなり間隔をあけて打ち込んだ。
「大丈夫です。お姉さん。これはエゾヤマザクラ。山に自生してる木だから、あまり面倒みなくても、枯れる事はないよ。ここ、日当たりもいいし、水はけもよさそうな土地だし」
「両親がさ、離婚しちゃって。まあ、今どき、珍しくもないか。私も大学をでて、自立して余裕が出来るまでは、ここに来る事は、出来ないかも」
家族から忘れられた記念樹・・置き去りにされた家族の木・・。私たちも、家族だった時の事を忘れるかもしれない。
「思えば、この桜も迷惑よね。記念として植えられたのに、忘れられてさ」
私は、桜の幹を撫でながらつぶやいた。
「いいえ、そんな事はですよ。感謝してるって言ってます。植えてくれてありがとう、肥料をありがとうって。みなさんの事は忘れませんって」
少年の確信に満ちた言葉は、もしや電波系の子だったとか?
「ありがとう。気休めでもうれしい」
そう、たとえ頭がちょっと残念な子に、言われたとしてもだ。
「本当です。僕はわかるんです。なぜなら、僕は”桜守り”だから」
その言葉で、風が吹き、桜の花びらが、雪のように風にまっている。
視界が、一瞬、ピンク色になった。これが桜吹雪か。
風はすぐやんだ。少年はいなくなっていた。彼は本当に”桜守り”だったのかもしれない。桜守りが、”木は覚えていてくれる”というのなら、そうなのだろう。
私の足元は、花びらで埋まっていた。