98話
……俺は生きている。
少なくとも、今、俺は、俺が生きていると思っている。
なんというか、『我思う、故に我在り』の気分だ。
俺は生きていて、『ポーラスター』に居て、ヒーロー業をやっていて……それは紛れもない真実だ。
……ただ、その真実が作りものでは無いという保証も、どこにもなかった。
『ミリオン・ブレイバーズ』に居た時の、最初で最後の出撃の時。Lv6アイディオンに殺されかけたあの時。
俺は確かに、『死にたくない』と思うと同時に……『死ぬはずがない』と、あの時の現実を受け止められずに、そう思ったのではなかったか。
人間は、死を目前にしたりして極限状態になったらどんな能力を発揮するか分からない、と、俺は思う。
だから、それは俺自身にも言える事で……『自分自身を騙す』事をやってのけていた、ということも十分にあり得るのではないだろうか。
つまり、俺はあの時死んでいた。
しかし、『死んでいない』という『嘘』を他でも無い俺自身が信じ、それを見た桜さんがやはり信じ……と、俺が生きていると信じる人が増えていき、そうやって俺が『死んだ』という事実は書き換えられた、と。
筋は通ると思う。というか、否定できる要素が今の所無い。
……そして、俺が死んでいたにしろ死ななかったにしろ、ロイナの異能……『人にかかっている異能を解除する異能』を警戒しない理由にはならない。
……ここで俺は1つの分岐路に立つ。
1つは、このまま、俺が生きているという事が『嘘』であるという可能性を俺自身の中に閉じ込めておくという道。
もし本当に俺が生きているという事が『嘘』だったとしたら、1人でも多くの人が『俺が生きている』と思い込んでくれていた方がいい……というか、『俺は実は死んでいた』という可能性になんか思い至らないでくれた方がいい。
もし、『俺は実は死んでいた』のではないか、と疑う人が増えたら、下手したら俺は死ぬのだ。
もう1つは、誰か……信頼できる人、つまり、『ポーラスター』のメンバーに、この可能性を伝えるという事だ。
『俺が生きている』という『嘘』を信じる人は減ってしまうが、それでもロイナの異能との兼ね合いもあるし、なにかあった時の事を考えると、誰か1人位には言っておいた方がいい気がする。
……『俺は実は死んでいた』という可能性を疑わせないためには何より、『そこに嘘がある(そこに嘘がある可能性がある)』という事自体に感づかれないのが一番だ。
『ポーラスター』のメンバーはもう俺の異能がどういうものなのか知っている。
だから気を回してくれる事もあるし……逆に、俺が何か不自然な事を喋ったり行ったりしたら、そこに俺の異能に関わる何かがあるのではないか、と、自然と思ってしまうだろう。
しかし、不自然な事をするのが俺では無く別の誰かだったなら、その疑いは俺に向きにくい。つまり、『そこに嘘がある』こと自体に気付かれない為としては、誰かが俺のフォローをしてくれるのがベストなのだ。
どちらを選んでも、メリットもデメリットもある。リスクもリターンもある。
……暫く考えて、俺は結論を出した。
『スターダスト・レイド』のヒーロー達が一度死んで生き返っている事を知っているのは、桜さんと……多分、古泉さんも分かっているような気がする。
だから、俺はその2人にはこの事を話しておくことにした。
「桜さん、ちょっといいかな」
帰ってきて、一仕事終わった達成感に皆が浮かれる中、俺は桜さんとバルコニーに出た。
「どうしたの?」
「他の人にはあんまり聞かれたくなくて」
それだけ言えば、桜さんは何の話かすぐ分かってくれる。
「……今度は何の『嘘』を吐いたの?」
しかし、そう言いつつ桜さんは、『何故それを話すのか分からない』というような顔をしていた。
それはそうだ。もし俺が『嘘』をついていたとしたら、それを知る人が増えるごとに俺の『嘘』が崩壊するリスクは高まるのだから。
「うん、『嘘』の中身を知る人が増えることによるデメリットよりもメリットの方が多いと思って。……冗談半分、ぐらいで聞いておいてほしいんだけど」
前置きをしてから、声を潜めて桜さんに打ち明ける。
「もしかしたら、俺が生きている事自体が『嘘』なのかもしれない」
桜さんはそれを聞いて、きょとん、とした。
それからゆっくりと瞳が虚空を見つめて、首が少し傾げられて……それから、桜さんはゆるゆる、と首を横に振った。
「でも、真君は今、生きてる。そんなこと言われても……急に、そんなの、信じられないし……信じたくも、ない」
じっと俺を見つめる桜さんの目が悲しげにふるり、と揺れて……俺は慌てて弁明する羽目になった。
「あ、いや、信じて欲しいわけじゃないんだ。俺もそんなの信じてない。俺は俺が生きてると思ってるし、事実、今俺は生きてるし。……そうじゃなくて、俺が気にしてるのはロイナの異能なんだ」
弁明に安心したらしい桜さんは、ああ、というように、1つ頷いた。
「『人にかかっている異能を解除する異能』」
「それ。……それが俺の嘘にも効くのかは分からないけれど、もし効くなら、下手にロイナの異能に巻き込まれたら、俺、危ないな、って思って」
そう言うと、桜さんは少し考える。
少しばかり視線をあちこちに彷徨わせながら考えて、考えて……そして、こんな提案をしてきた。
「……先にロイナを、だましちゃえばいい、と思う。……私も協力、するよ?」
桜さんの考えた案はこうだ。
まず、俺が桜さんに関する『嘘』を吐いて、桜さんの能力の底上げを行う。
あるいは、『底上げを行った』という『嘘』を吐く。
そして、『一度真実になった俺の嘘もロイナの異能で消えるかの実験』と称して、桜さんを対象にしてロイナに異能を使ってもらう。
そして、その異能が消えたにしろ、そうでないにしろ、桜さんは『異能が消えていない』ふりをするのだ。
そうすれば『俺の嘘で一度真実になったものはロイナの異能で消えない』ということにできる、と。
……そういう作戦である。
「だから、私以外の人にこの事は知らせない方がいい、と思う」
敵を騙すには味方から、と言うが、今回は騙す対象が味方だ。
古泉さんには黙っておいた方がいいかもしれない。
もっと『嘘』が定着してからでも遅くは無いだろうし。
「分かった。じゃあ、桜さん、悪いけど、協力してもらっていいかな」
「うん」
桜さんは大きく頷いた。
「共犯者、だよね」
「共犯者、か。……うーん、そうなるのか。なんかごめん」
「ううん。……真君はそれどころじゃないの、分かるけれど……ちょっぴり、楽しいから」
……桜さんもこういう表情、するんだな。
桜さんは、ほんのりと悪戯めいた笑みを浮かべていた。
「それから、仮の話に仮の話を重ねることになるけれど、もし『俺が俺を騙して』俺が生きているとしたら、俺は俺を騙せる、ってことで……そうだったら、色々な事が出来るような気がして」
例えば、俺を騙す人の勘定に入れられるなら、多数決が楽になる。
或いは、俺自身の強化をするのにはうってつけの方法だろう。
『その嘘が全ての人にとって真実になっていなかったとしても、その嘘を信じている人にとっては真実』なのだから、俺が俺の強化を信じて疑わなければ、他の誰も信じていなくても俺は強化される。
「そっか。真君自身の強化とかなら、敵を騙したりしなくてもずっと使えるもんね。……でも、コストは、大丈夫?」
桜さんはコストが心配らしい。
……よく思い出して考える。
俺が仮に『俺は死んでいない』という嘘を吐いたとしたら、それは俺が意識を失う直前だったのではないか。
それが、俺が受けたダメージによるものなのか、それともコストだったのかは分からないけれど……コストが高くつく可能性もあるのか。
「でも、精々1日とかだと思う。その程度のコストだったら払ってでもやってみる価値があると思う」
そう答えると、桜さんの表情が曇った。
「そっか……うん、でも、真君がそう思うなら……」
それから何かを言い淀むように何度か口を開きかけては閉じ……やっと、それを口に出した。
「……あのね、真君、私の我儘なんだけれど……あんまり、コストを払うことを、どうでもいいことだ、って、しないでほしいの。……じゃないと、私、きっと真君にいっぱい我儘言っちゃう……」
そこまでぽつぽつ、と零してから、桜さんははた、と何かに気付いたように顔を上げた。
「あ、でも、その……真君が吐きたい嘘があるなら、私、協力するから……その、あんまり、気にしないでね。ごめんね」
そして、慌てたようにそう付け足してから、桜さんは「先に戻ってるね」と、応接間へ戻っていった。
……『じゃないと、我儘を言っちゃう』、か。