80話
朝食後、恭介さんにこっそりカルディア・デバイスを貸した。
が、当然のように、駄目だった。
……そんな気はしていたから驚きもしない!
「駄目ですね。真さんのも」
いつもの比では無い勢いで生気の抜けた恭介さんが、落ち着いた頃、そんな事を言った。
「何を考えてヒーローになったらああいうのになるんですか」
「知りませんよ、そんなの。俺が知りたいです」
大体、ああいうの、って、なんだ。
……大方、恭介さん自身と合わない、とか、そういう意味なんだろうけれど。
古泉さんは、ソウルクリスタルの由来が割とはっきりしている。無くなった奥さんの敵討ちの為だろう。
茜さんも、多分、そこそこ。自己表現の1つの手段なんじゃないだろうか。
コウタ君とソウタ君は多分、逃げ込む場所が欲しかったんだと思う。2人で世界を作り上げていって、それがそのまま異能になったんだろう。多分。
……しかし、俺は一体なんだろう。
古泉さんの様に、いつヒーロー適性が生じたか、俺にはよく分かっていない。
身体能力の強化があった自覚は無いから、そういうタイプだったのか、それとも、相当昔から強化されていたせいで気づかなかっただけか。
「……真さんは、金の為にヒーローになったんでしたっけ」
恭介さんは、気まずげでも無く、なんでもない、というように……実際、恭介さんにとっては何でも無いんだろうけれど、そんな調子で俺にそう問いかけてきた。
……考えるまでも無く、恭介さんの言う通り、俺があの時、『ミリオン・ブレイバーズ』のスカウトに乗ったのは、第一に金の為だ。
金が無かった。
家賃も時々滞納してたし、水道と電気とガスも時々止まったし、食うにも困る事があった。
だから、金が貰えて、住む場所も与えられて、教育も受けられる、となったらその話に飛びつかない訳にはいかなかったのだ。
「はい。『ミリオン・ブレイバーズ』に雇われることにしたのは、金の為です。でも、ヒーローになろうと思ったのは、単純に憧れだったからです」
死にかけて、でも『ポーラスター』に拾われてなんとか生き延びた。
その『ポーラスター』でヒーローをやろうと思ったのは、恩があったからだけじゃない。
生活の術が無かったからでもあったけれど、やろうと思えば、どこかで住み込みのバイトを探すなり、俺が居たボロアパートの大家さんに泣き付くなり……新しい生活を始める手段は幾らでもあった。
安全についてだって、きちんとした機関のお世話になればそれで事足りただろう。
それでも俺がヒーローになろうと思ったのは、単純に『ヒーローになりたかった』からだ。
つまり、それは憧れだったのだと、言えると思う。
「憧れ、か……真さん、憧れの由来、聞いてもいいですか」
珍しく、恭介さんがお茶を淹れてくれた。
覚束ない手つきながら妙にその所作は正確で精密だった。
多分、茜さんに教わったんだろう。……当の茜さんはもっとおおざっぱな所作だけど。
お茶請けに、という事で期限が切れて買い替えた乾パンの缶を開けて、中身を適当な紙の上にざっとあけたところで、話を再開した。
「俺、いわゆる10年前の生き残りなんです。今更ですけれど」
恭介さんは別に驚かない。
桜さんが何か見えていたかもしれないし、古泉さんあたりが何か調べていてもおかしくはないし、そうでなくても、勘づけるだけの材料は幾らでもあっただろうし。
「よく生き残りましたね」
淹れられた紅茶は、茜さんが淹れたものより渋く、古泉さんが淹れたものより薄い。
けれど、こうして飲みながら恭介さんと話すには最良のお茶かもしれない。
「ヒーローが、助けてくれたんですよ」
今もはっきり、覚えている。
友達と遊んだ夕方、夕日が照らす帰り道。いきなり目の前の道が消えた。
そして、道だけではなく、その先も。住宅街も、そこにあったはずの俺の家も。
……珍しいことじゃない。その時に死んだ人は数えきれない。
だから、そこに俺の家族が居た事も、別に、偶然による悲劇でも無ければ、特筆すべき不幸でもない。
そこはもう、俺の中で整理が付いた部分……というか、うまいこと誤魔化して、包んで、奥にしまいこんでしまった部分だ。今更引っ張り出してなんとかするべきものでもないだろう。俺は今、楽しく生活しているのだから。
……だからか、俺にとっては余計、ヒーローが助けてくれたあの瞬間は色鮮やかに残っているのだ。
「目の前で全部一気に吹き飛んだんです。今まで使ってた道とか、よく遊んでた公園とか、俺の家とか、家族も。一瞬で全部一気に無くなって、頭が追い付く前に、アイディオンが俺の方に向かって来たんです」
今、記録を辿れば、あれがLv30程度の超高レベルアイディオンだったことが分かる。
けれど、当時の俺にはその絶望も分からなかったし、何より、目の前で起きた信じられない出来事に対して頭が追い付いていなかったのだ。
「避けるとか、全然考えられなくて、ただ漠然と……助けが来るんじゃないかって、そんな期待だけぼんやり、思ってて。……そうしたら、幸運なことに、本当にヒーローが来てくれたんです」
あっという間だった。
俺の後ろから来たそのヒーローは、一瞬でアイディオンに迫り、アイディオンを殴り飛ばしたのだ。
「それを見て、ああ、カッコイイな、と、多分、その時に」
物語に出て来るヒーローみたいな、俺が話に聞いていた『実際の』ヒーローの姿そのものだった。
身体強化に突出したタイプのヒーローだったのか、それとも、そういう異能だったのか。何にせよ、とても強いヒーローだった。
Lv30前後のアイディオン相手に1人で向かっていって戦って、俺を逃がすだけの能力があったのだから。
「そのヒーロー、ヒーローネームは?」
「分かりません。聞く前に俺、逃がしてもらっちゃったんです」
風のように俺は運ばれて、気づいたら避難所でもあった小学校に居た。
当然、シールドも何も無い、只の少し丈夫なだけの建物だったけれど……幸運なことに、小学校にはアイディオンの攻撃がされなかったのだった。
そうして、俺は生きのこった。
ヒーローへの漠然とした、しかし強い憧れを焼き付けて。
「……なんか、その話だけ聞くと真さんの異能って、なんか……違うでしょ、これ……」
「ですよね」
しかし、そんな純粋な俺の憧れ……が今も純粋なままかと言われると、若干雑念が混じった気がするが、それでも割と純粋な俺の憧れが元になって……生まれた俺の異能が、『嘘』である。
こんなのってないと思う。
「物語みたいなヒーローに憧れた、っていうならまあ、分かるんですよね。ある意味で真さんの異能って『物語を作る』能力じゃないですか」
フィクションをノンフィクションにしている訳だから、ある意味ではそういうメルヘンチックな異能だと捉えることもできるか。
「……そういう異能だったら、俺も使えそうなイメージあるんですけど。やっぱ、過程が違いすぎるからか……」
ぶつぶつ、と恭介さんは何か言いながら乾パンの中から氷砂糖を選んで口に入れた。
俺も1つ貰って咀嚼する。
がりがり、と氷砂糖を噛み砕くのはなんとなく好ましい感触だったし、噛み砕いて細かくなった氷砂糖の冷たい甘さを熱い渋めの紅茶で流すのも好きだ。
恭介さんも同じだったらしく、氷砂糖ばかりが減っていく。
「恭介さんは、異能の由来、分かりますか?」
「さあ。はっきりとは。見当は付かないでもないんですけど」
恭介さんはちらり、と俺を見てから、また盛られた乾パンに視線を落として、いつもの如くぼそぼそ、と話し始めた。
「やられっぱなしが、癪に障ったからじゃないですかね。……俺、割とガキの時からこういう性格でこういう趣味だったんで、まあ、小中学校辺り……ずっとそんなかんじで」
どんなかんじ、なんて、聞かなくてもなんとなく察しが付く。
要するに、いじめられていたんだろう。
「……で、小学校では精々ものが無くなるとか、そういうレベルだったんですけど、中学生になると暴力入ってきて。かといって抵抗しようにも俺、見ての通りの運動能力しかないし、1対多数とか、最初から勝ち目無いんですよね。そしたらある日突然異能が使えるようになってました」
経過が端折られるように語られる事を咎める気にはなれない。
「面白かったです。俺を殴った奴が、俺が殴られた分そっくりそのまま受けたら、泣くんですよ。俺、顔には出ないんで、そんなに痛いとか思ってなかったらしくて」
昏い笑顔を浮かべる恭介さんを咎める気にもなれない。
……基本的に、異能を一般人に使用する事はタブーだ。
明確に『異能を』使う事に対して刑罰がある訳では無いけれど、異能で一般人を害した時は、それ相応に刑罰が重くなる。
「お察しの通り、それが原因で1週間、事実上の停学になったんですけどね。……それ以降は同級生も先生も誰も俺に近寄らなくなったんで、殴られるどころか物が無くなることも無くなったんで快適ではあったんで、まあ、いいかな、と。……なんとなく、分かりました?俺が弱いのも、真さんや古泉さんのソウルクリスタル使えないのも、多分そういう事なんですよね」
……成程。
そういう過程で生じた異能なら、異質であって当然、なのかもしれない。
「だから、ま……他人の力でなんとかしようとする以前に、俺の根性直せばもしかしたらソウルクリスタル、古泉さんみたいに2個目が手に入るかもしれない、とも思うんですけど。……それやったら俺じゃないんですよね、多分。やられたらやり返したい性格なんで……あ」
恭介さんが急に口を噤んだのは、階段を降りてくる足音が聞こえたからだ。
俺も乾パンと紅茶を口に入れる。
「ん?恭介君と真クン、何話してたのさ」
そして、食堂で2人、黙って乾パンと紅茶を挟んで向かい合っている俺達を見て首を傾げる茜さんを見て、なんとなく微妙な笑顔を浮かべたのだった。