79話
夜中、ふと目が覚めて起きると、ごそごそと物音が聞こえた。
多分恭介さんだろうと思いながら食堂に降りると、やはり恭介さんが居た。
「冷蔵庫に茹でたうどん、入ってるみたいです」
後ろから声を掛けたら驚かせてしまったらしい。恭介さんは肩を跳ねあがらせて振り向いた。
「……あ、どうも」
なんとなく気まずげに恭介さんはいつも通り曖昧に、かくん、と頭を軽く下げる。
「ネギも入ってるみたいです。煮ますか?」
「あ、俺自分でやりますんで」
「恭介さんはシャワー浴びてきてください。俺もうどん、食べたいんです」
押せば恭介さんは断る口実を失って、やはり曖昧に何かぼそぼそ、と礼らしいものを口走ってから、洗面所の方へふらり、と消えていった。
湯に茹でたうどんを入れてほぐして、出汁醤油で味を整えて、ネギの小口切りを散らして、溶いた卵を流す。
良い具合に煮えた頃、恭介さんも戻ってきたので、2人分の器に、適当にうどんをよそって食卓に出す。
「経過はどうですか?」
息を吹きながらうどんを啜る。
恭介さん相手だから、相手の顔を見て話すよりはうどんを見ていた方がいいだろう。
「あー……微妙です。突破口が見つからないっていうか……いや、俺が踏ん切りつければもしかしたら、なんとかなるかもしれないんですけど、それ試すリスクが高すぎるっていうか」
恭介さんは苦い顔でそんなことをぼそぼそ、と言いながらうどんを噛む。
暫く、何も喋らずにひたすらうどんを食べ続けた。
「……いつだったか、俺が他人のソウルクリスタルで変身しようとしたことがある、って言ったじゃないですか」
突然、恭介さんは喋り出した。
うどんはまだ、器に残っている。……喋りたくなったらしい。
「俺はとにかく弱い、っていうのは知ってると思うんですけど……あー、その……なんつーか、その、茜さんより、弱いんですよね、俺。知ってると思いますけど」
茜さんは、妨害に重点を置いてはいるものの、それ自体が単騎で戦うのに有効な異能だし、身体能力の強化だって戦闘員としてやっていけるレベルだ。
全身をバネにして繰り出される茜さんの足技は強烈なのだ。アイディオン狩りに一緒に行ったりするとよく分かる。
「身体能力上がりまくってる茜さんと比べて、俺は腕力も体力も無いんで。異能は使えるものの、身体能力の強化は殆ど無いですし、変身した俺と変身してない茜さんだと茜さんが圧倒的に強いっていうか……そもそも、お互いにカルディア・デバイス装備してなかったとしても茜さんの方が体力あるんで、脱ごうが何だろうが俺の方が弱くて大体俺がいつも下……あ」
……。
もうそこら辺は察してるんだけれど、そう言う訳にもいかないし、かといって今知ったような顔もできないし、そもそもどういう顔をしていいのかまるで分からない!
俺、今うどん食べてて良かった。
「……で、俺以外のソウルクリスタル使えば強くなれるんじゃないか、って思って前、古泉さんのカルディア・デバイスで変身しようとしたんですよね」
恭介さんも失言を気にしない事にしたらしい。
……多分、気にする人だったら茜さんと普通に会話できてないと思うし、こんなもんだろう。
「まあ、当然上手くいかなくて。吐き気も頭痛も酷いし……古泉さんの一部っていうか、芯の部分っていうか、そういう精神的な何かがこう、色々分かっちまって、ああ、俺には無理だな、って」
「変身が、ですか」
「いや、ヒーローが。……いや、その、なんつーか、ヒーローっぽいヒーローは俺には無理なんだな、って、思って」
なんとなく、分かる気がする。
古泉さんがヒーローである理由はきっと、亡くなった奥さんに関わることだろうし、それに伴って悪を憎む心が古泉さんをヒーローたらしめているんだと思う。
……言っちゃ悪い気がするけれど、恭介さんはそういうものとは無縁そうに見える。
少なくとも、『ヒーローらしいヒーロー』では無い。
「俺がヒーローらしい中身してないの、俺自身も分かってるんで、今更俺自身の能力に期待してないんですけど……まさか、邪魔になるとは思ってなかったんですよね」
恭介さんはうどんのつゆを飲み干して、パーカーのポケットから何か取り出した。
「もう、できてるんですよ。『他人のソウルクリスタルで変身できるカルディア・デバイス』。滅茶苦茶造りは単純だったんで」
それは、恭介さんのカルディア・デバイスに似た形の腕輪だった。
「……でも、結果は芳しくなかったんですよね?」
「あー……はい。なんつーか、これ、『他人のソウルクリスタル』で変身できるのって、『自分のソウルクリスタル』が無い人に限るっぽくて。俺自身のクソみてーな性能のソウルクリスタルがあるせいで、干渉しちゃって変身できないんですよね」
……恭介さんが最初に言っていた、『俺が踏ん切りつければもしかしたら、なんとかなるかもしれないんですけど、それ試すリスクが高すぎるっていうか』の正体が分かってしまった。
「恭介さん」
「……はい」
「ソウルクリスタルを破壊しようとか、考えてませんよね」
「……ちょっと考えてます」
考えて『ました』じゃなくて、『ます』のあたりが、もうどうしようもない。
「やめてください。取り返しがつかないじゃないですか、それ」
ソウルクリスタルは不可逆なのだ。
……いや、元『ミリオン・ブレイバーズ』のヒーロー達のソウルクリスタルは直ちゃったけれど、それだって俺の『嘘』によるものだ。
俺が『嘘』を吐く異能だと分かっている恭介さん相手には通用しないだろう。
「……まあ、とりあえず古泉さんとか金鞠さんとかにそのあたり、聞いてみようと思います。もし俺の異能捨てる事になったとしても、もっと性能のいい異能使えるようになるんだったらそっちのがいいし」
古泉さんに、ソウルクリスタルが砕けた時の心境……『心が折れる』という感覚について聞いたことがある身としては、何とも言えない。
恭介さんの意志がそれほどまでに固い、という事なのか、それとも、恭介さんがそれほどまでに自暴自棄なのかは分からないけれど。
「うどん、ご馳走様でした。なんかすみません」
「あ、いえ。片付けておきますから、恭介さん、もう寝ちゃってください」
うどんの器を恭介さんが運ぶ前に俺が持って流しへ向かう。
恭介さんはなにやらぼそぼそもそもそと何かを言って、ぺこ、と頭を下げてから食堂を出て行った。
俺もうどんの器と箸を簡単に洗ってから、部屋に戻る。
……他人のカルディア・デバイスで変身しようとしたら、他人のソウルクリスタル……魂や意志の類が、分かるんだろうか。
猛烈な吐き気と頭痛に襲われるらしいけれど、少し気になる気もする。
翌朝。
朝食の手伝いでもしようと台所に向かうと……酷い光景があった。
「……あ、真君……」
「おはよう、桜さん、あの、それは……」
流しに張り付くようにしている恭介さんと、咳き込む音。
桜さんの手には、桜さん自身のカルディア・デバイス。
そして、恭介さんのカルディア・デバイスは机の上に置いてある。
「桜さんの奴で変身しようとした、のかな、これは」
恭介さんには聞けそうも無かったので桜さんに聞くと、こくん、と桜さんは1つ頷いた。
「朝早くから来て、それで、貸して、っていうから……」
「それで……この、ざまですよ……」
なんとか動けるようになったらしい恭介さんがふらつきながら流しを離れて、椅子に倒れこむように座った。
……流しの掃除まで自力でやったらしい。この人のこういう所は凄いと思う。
「古泉さんの時と比べて、どうでしたか」
「……古泉さんの方はまだ、どういうのか分からないでも無かったんですよ。桜さんのは、もう、全然分からなかったです。異質すぎて。なんかキレイすぎて駄目でした」
首を傾げる桜さんを見て、なんとなく分かる気がした。
桜さんがヒーローになった理由は分からないけれど……きっと、凄く綺麗で脆くて鋭くて強いような、そんなかんじ、のような気がする。
多分、古泉さんのはもっと強くて丈夫なんだろう。
「すみません、真さん。食後、真さんのも借りていいですか」
「せめて食前にしませんか」
「いや、俺、朝飯食わないんで……今出すもの出して胃の中空っぽですし」
うわあ、生々しい……。
「俺は構いませんけれど……大丈夫なんですか?恭介さん」
「まあ、俺がもうちょっとマシになる手がかりになるかもしれないと思えば、幾らでも」
そう言う恭介さんの目は、いつもの研究者然としたものでは無く……もっと強い、ヒーローらしさのあるものだった。