72話
「終わった?」
気づけば、桜さんの方も方が付いたらしい。
「もう追手は来なさそう。今の内に早く帰った方がいいと思う」
「そうだね。鮭も痛みそうだし」
女性に断りを入れてからまた横抱きにさせてもらって、あまり高度を上げずに飛ぶ。
「……追手が『何だったか』の説明は、ちゃんと着いたらしてもらう」
飛びながら、桜さんは静かな声で女性にそう言った。
女性は1つ、強く頷く。
……倒れて、光になって消えて、後にはソウルクリスタルが残る。
俺は、そんな生物は……いや、生物なのかもよく分からないけれど……アイディオンしか、知らない。
「あ、お帰りなさい」
双子は例の女の子と遊んでいたらしい。2人とも孤児院育ちだった訳で、小さい子の相手は得意なのだろう。
そういう意味では、俺もそんなに苦手じゃない。
女の子は帰ってきた俺達に気付くと、にこ、として、女性に向かって歩いてきて、女性の脚に抱き付いた。
女性はどこか困惑した様な表情を一瞬浮かべてから、すぐに嬉しそうに笑って、女の子を抱き上げた。
茜さんは古泉さんと何か話していたようで、恭介さんは既に部屋に退散済みらしい。
「お帰り。お疲れ様。とりあえず、その鮭の切り身を冷蔵庫にしまってきてくれ。依頼人の話を聞こう」
桜さんが古泉さんの指示に従って鮭を冷蔵しにいき、茜さんは恭介さんを引きずり出すべく、恭介さんの部屋に押し入った。
茜さんがお茶を淹れてきて、早速俺達全員に女性と女の子を加えた会議が始まった。
「じゃあ、とりあえず、依頼の確認からさせてもらいます。今回の依頼は……ええと、お名前をお伺いしても?」
「あ、申し訳ありません。申し遅れました。私、金鞠唯子、と申します。……この子は、617、という番号しか名前を持ちません」
女性……金鞠さんがそんなことを言い、俺達はますます疑問を深めるしかない。
金鞠さんは少し女の子を見つめて……意を決したようにそれを口にした。
「この子は、人工的に作り出したアイディオンです」
「……え?アイディオン?この子が?」
確かに普通の子、というかんじでは無い。
大人しすぎるような、感情に乏しいような、そんな印象を受ける。
けれど……アイディオン、と言われても、全く信じられない。
「はい。アイディオンです」
「人間に見えるけれど……」
桜さんが女の子をつつくと、女の子はくすぐったそうに少し身じろぎする。
「一応、お伺いしましょう。危険はありませんね?」
「ありません。……アイディオン、って便宜上言っていますけれど……つまりは、ソウルクリスタルを元に人工的に生み出した生命体なんです。だから、人を襲う事も、戦う事もありません。異能は使えますが、人に危害を加える異能ではありませんから」
……ソウルクリスタルから生み出した生命体。
ぽんぽん、と俺の理解を超える内容が出てきて、正直頭が追い付いていない。
ソウルクリスタルからどうやって生命体にするのか、とか、つまりアイディオンはソウルクリスタルでできてるのか、とか。
なんとなく、恭介さんだけは何か分かっていそうだけれど、基本的には皆、俺同様に理解が追い付いていないらしい。
「信じていただけなくても結構です。無理があるっていう事は分かっていますし、この子がアイディオンであるかどうかより、それに伴う価値の方がきっと重要になりますから」
この子の持っている価値、というと……人造アイディオンの証拠、ということか。
人造アイディオン本人が居るのであれば、これ以上の証拠はないだろう。
金鞠さんは膝の上に置いた紙袋……白衣が入った袋を握りしめて、真っ直ぐ俺達を見た。
「……ですので、改めて依頼させてください。……『助けてください』」
「……お引き受けする前に、もう少し条件をお伺いします。具体的な内容、何から、どの程度、どのぐらいの期間で助ければいいでしょうか」
「……2つ、あります。1つ目の依頼は、私とこの子の保護。期間は、1週間。私とこの子は、逃げてきた組織から追われています。それらから守って欲しいんです。……人造アイディオンについても、人造ソウルクリスタルについても、漏洩されたくないでしょうから、きっと、殺しにかかってきます」
成程、それはそうだろう。
もし、人造アイディオン、とやらが本当なら、間違いなくそれは最新の技術、世紀の大発見だ。
その情報を漏洩されたくはないだろう。
「……引き受けていただけるなら、報酬として、これを差し上げます」
金鞠さんは、袋から白衣を取り出して広げた。
……白衣の裏側には、びっしりと文字や記号の羅列が書き込まれている。
「……化け物じみてる」
それを見た恭介さんはそう言って白衣に釘付けになった。
「人造アイディオンと人造ソウルクリスタルについての研究のまとめです。然るべき場所へ持って行けば、億単位、いえ、下手したら兆単位の利益になると思います」
億、で、兆、とまで来たか。
……当然か。
もし、アイディオンはともかくとして、ソウルクリスタルを人造できたら、とてつもない革命だ。
今までアイディオンからしか得られなかったソウルクリスタルを人工的に作れば、ありとあらゆるエネルギー問題が解決するだろうし……狙ったソウルクリスタルを作れるなら、珍しい異能を使い捨てとはいえ、あらゆる人が使えるように……。
……そこまで考えて、思い出した。
古泉さんが戦った『赤い鎌のアイディオン』は。
……こう、言っていなかったか。
『我らは最早、限りなく魂に近いものを幾らでも生み出せるようになったのだ。紛い物の力に過ぎないが、お前たちを殺すには十分すぎる』と。
そして……対象の動きを完全に封じる異能、という、極めて珍しい異能のソウルクリスタルを湯水のように使っていた。
異能の珍しさだけならまだ分かる。
しかし、それを複数持っているとなれば……当然、あまりにも不自然だった。
つまり、『ソウルクリスタルを人造した』と考えてしまえる程度には。
「ソウルクリスタルの人造、なんて、できるのかよ?」
「私達はそれをずっと研究していたんです。……ヒーローじゃない人たちにも、使い捨てでも異能が使えれば、アイディオンが街に攻めてきた時にでも、生存できる可能性は高くなる。回復系の異能は勿論、瞬間移動系や状態異常系も、十分人の役に立つでしょう」
そこで金鞠さんは、目を伏せた。
「……尤も、殆ど進展はありませんでした。ソウルクリスタルの屑から1つのソウルクリスタルを生み出す程度にしか、私達の技術は無かったし、それも……」
そこで金鞠さんは目を閉じて、少し頭を押さえて言葉を途切れさせた。
……コウタ君とソウタ君はピンときていないようだったが、俺達はなんとなく、身構える。
「……私も研究者ですから。技術に善悪は無いと思っています。技術から善悪が生まれるなら、それは使った人の責任であると、そう、思っています。でも、そんなことも言ってられないんです。……2つ目の、依頼、についてですが」
2つある、という依頼の内1つは聞いた。
では、残る1つは。
金鞠さんの目には、強い意志が宿っているように見えた。
「2つ目は……私が居た研究所を、私を含めて……あなた達の判断で裁いてください。私の居た研究所……元『ミリオン・ブレイバーズ』の研究所は、アイディオンと手を組んでいるんです」