57話
「あ、茜さんとけ……けっ……ぐあああああ」
恭介さんの言葉が刃物なら、間違いなく恭介さんは躊躇い傷だらけだろう。
練習を始めて30分。
恭介さんの顔色は赤を通り越して最早青い。
「恭介君、大丈夫か?無理するな」
「大丈夫じゃないです無理です」
「頑張れ」
「そんな……ひどい……」
……恭介さんの心境は察するに余りある。
いくら相手が好きな人でも、いきなり結婚云々っていうのはなんというか……うん、なんというか、かんというか。
もうちょっと心の準備してから、とか思ってしまう。
その一方でお芝居だとか、恭介さん自身は茜さんに遊ばれてると思ってるとか、なんというか、もう、本当に不憫だ。
「恭介さん、恭介さんならやれますよって暗示掛けましょうか?」
「それ、俺に言ってる時点でもう駄目なんじゃ……」
しかし、なんというか……『他人の不幸は蜜の味』と思える程度には、俺は『ポーラスター』に馴染んでしまっているらしかった。
合掌。
「ただいまー。恭介君、多分サイズ大丈夫だと思うけど、一応着てみて」
帰ってきた茜さんは死体の様にぐったりした恭介さんを慣れた手つきで着替えさせた。
「うん、サイズぴった!流石私!」
ジャケットに綿のスラックス、という恰好になった恭介さんは……うん、成程、表情と猫背がどうにかなればそこそこの見た目になりそうだった。
「なー、茜さん、これさ、いっそ普通の状態の恭介さんの方が親御さんへの衝撃、でかくね?そこそこの見てくれにしちまったら逆効果な気がするんだけど」
「この間恭介さんが着てた『大貧民』って大きく書いてあるTシャツにいつものジーパンとかだったら衝撃は無限大だと思いますよ」
確かに、相手を混乱させることが目的ならその方がいい気がするけれど。
「それでも恭介君自身が言ってくれないとさ、芝居だって相手にばれちゃうし。でもこの様子じゃあんまり期待できそうにないじゃん。だったらせめて、『その気はあるけど緊張してる』ぐらいのふりはしてくんないと」
言いながら茜さんは部屋に戻って、すぐに何かを持って戻ってきた。
「さて、じゃ、髪、切ろっか」
……茜さんが持ってきたのは、鋏だった。
「前に切ったのは真クンが来る3か月ぐらい前?」
「4か月です」
成程、そういう髪だ。
茜さんは慣れた手つきでさくさく、と恭介さんの髪を切り揃えていく。
「いつも茜さんが恭介さんの髪切ってるんですか?」
「恭介君が自分で切ろうとしてるの発見してからはずっとそうだね。美容院とか行かないんだもん、恭介君」
「あー、金、勿体ないもんな」
「いや……店員に話しかけられるのが苦痛で……」
……分かってはいたけど、この人、筋金入りだ!
髪が大分短くなると、割とそれっぽく見えてきた。
未だに表情と態度と姿勢でマイナスになってるけれど。
ここまで恰好変えてもまだマイナスって、ある意味凄いな。
「あとは恭介君自身だけど、最悪それは私がなんとでもするから大丈夫!」
……まさか。
「キスすると」
「そーいうこと。恭介君1人ラリらせるぐらい問題ないよ」
本当にそれでいいのか!?
色々と不安になる作戦だけれど、茜さんが大丈夫って言ってるんだから多分大丈夫だろう、という見切り発車で作戦は決行されることになった。
皆が見守る中、茜さんが電話をダイアルする。
受話器を耳に当てて、少し待つ。
「……もしもし。『ポーラスター』ヒーロー事務所です。天原惟子さんはいらっしゃいますか?」
そして、淡々と、事務的に話し始めた。
「……『お客様』。この度はご依頼ありがとうございます。この度依頼を達成いたしましたので……『お客様』」
茜さんの表情が険しくなる。それでも一切声に出ない。
……机の下で、恭介さんが茜さんの手を握ったのが見えた。
「『お客様』。……探していらっしゃった『天原茜』さんとお会いになりますか?……そうですね。ええ。……はい、ご足労頂くにも、こちらは辺鄙な場所ですし。ええ。では駅前の喫茶店はいかがでしょう」
茜さんの声は震えなかったし、早口になりもしなかった。
ただ淡々と、話を進めていく。
「……はい。では、明日の15時に。……はい。こちらの所員が『天原茜』さんを連れて行きますので。……それでは」
茜さんは電話を切ると、表情を一気に緩めてソファにへたり込んだ。
「ふぇー、やんなっちゃう、ほんとさー、こっちが普通に電話に出てやったらいきなり『茜、茜なのっ!?』だよ。こっちは『ポーラスター』の『パラダイス・キッス』だ、っつーのに……ったく」
がしがし、と頭を掻いて茜さんは席を立った。
「じゃ、明日の15時に駅前の喫茶店で、ってなったから。野次馬するなら皆さん14時ぐらいから張っててねん。……明日は『天原茜』の引率頼むよ、『カオス・ミラー』。……じゃ、ちょっくら気晴らしにアイディオン狩ってくるよん」
緊張していながらも、どこか楽しそうな茜さんはそう言って窓から飛び出していった。
その日の夜、なんとなく目が覚めて、水でも飲もうかと思って食堂へ降りる。
……が、食堂の手前で、中から古泉さんと恭介さんのものらしい話し声が聞こえてきたので、俺はこっそり部屋に戻ることにした。
翌朝。
朝食の席には全員がそろっていた。
「じゃ、茜は恭介君と15時に喫茶店、だな。……一応、聞こう。野次馬したい者は挙手」
そして、古泉さんを含めて全員が手を挙げた。
……いや、だって、なんかこう……気になる、よなぁ……。
なんとなく、桜さんまで手を挙げたのが意外で、思わず桜さんを見ると、「茜さんが心配」と、返事が返ってきた。
桜さんにとって、茜さんは姉みたいなものなのだろう。だから邪な気持ち一切抜きで気になるんじゃないかな。多分。
「よし。じゃあ、最初に俺が入る。14時ぴったりだな。……それから、真君と桜ちゃん、2人で入ってくれ。時間は14時50分。その頃にはもう姉さんも来てるだろうから、丁度いい席を選べるだろう。……双子もそこら辺で、だな。できるだけ大人っぽい恰好してた方がお前らは怪しまれないぞ、多分」
古泉さん自身は最悪の場合、茜さんのサポートに回るだろう。
俺は……窓の外にいきなりアイディオンでも出現させれば、話の腰を折る位の事はできるんじゃないだろうか。
双子に関しては、頑張って盗み聞きに勤しんでもらう位しか出番が無いだろうけど。
「……茜。あんまり気負わず行け。いざとなったら恭介君と俺に任せて席を立つ位の事はやっていい」
「分かってる。大丈夫だよ、叔父さん。……ね?恭介君?」
茜さんは……恭介さんとは対照的に、楽しそうに笑顔を浮かべた。
14時52分。
薄水色のワンピースに、薄出の白いカーディガンを羽織った桜さんと一緒に、喫茶店に入る。
……実は、喫茶店という店に入るのは初めてだったりする。
ほら、貧乏人には縁のない店だから……。
「真君、こっち」
俺よりは慣れているらしい桜さんに引っ張ってもらいながら、店内を移動して、桜さんは席を選んだ。
……観葉植物を挟んで隣に、高そうなスーツ姿の男性と、やはり高そうなジャケットにスカートの女性が緊張気味に座っていた。
女性の方は、茜さんによく似ている。そして勿論、古泉さんとも。
この人が茜さんのお母さん、古泉さんのお姉さんだろう。
ただ、茜さんとお母さんの一番の違いはその表情だろう。
真面目そうな、かつ少し苛立ち交じりの緊張をにじませた表情は、茜さんのものでは無い。
「真君」
桜さんはつんつん、と俺の肘の辺りを突く。
「あんまり見てたら、ちょっと、怪しい」
……そんなに見てたか。教えて貰えて助かった。
「ありがとう。気を付けなきゃな」
「うん。……こういう時は、携帯端末を見てるふりするといい、って、前、あ……言ってた」
茜さん、と言いかけて、桜さんは慌てて誤魔化した。
その様子に思わず笑ってしまう。
桜さんもこういう場面に慣れている訳でもないんだろう。
俺達から少し離れた席で、壁に向かってノートPCを広げている古泉さんはやたらと手馴れているけど。
「……とりあえず、その、注文、しよっか……真君、何にする?」
「ええと……桜さんは?」
「私?私は……ええと……カフェオレにする」
「じゃあ、俺もそれで」
店員さんを呼んで、注文して、内心ほっと息を吐いた。
桜さんがブラックコーヒーとか頼んだらどうしようかと思った……。
注文が届いてから5分経ったか経たないかの所で、からん、と、店のドアに吊るされたベルが鳴る。
「真君」
携帯端末からお互い目を離さずに、桜さんが小さく声を出す。
「見えてるよ」
店の入り口に、茜さんと恭介さんが来ていた。