56話
翌朝。
朝食は恭介さんの当番だったが、昨夜は茜さんがあんな状態だったので恭介さんもそれに付き合わされていた可能性は十分にある。
なので念の為、早起きして食堂へ向かった。
「あ、真クン。おはよ」
すると、もうそこには茜さんが立って、朝食を作っていた。
「ごめんね、昨日はなんか」
「大丈夫なんですか?」
へへへ、と、照れ笑いする茜さんの表情に陰りは無い。
「うん、恭介君以外は大体大丈夫」
恭介さん以外、というと……どういう事だろうか。
恭介さん、何かあったんだろうか。
「もしかしたら真クンにも手伝ってもらわなきゃいけないかもしれないけど、とりあえずは恭介君でいこうと思ってるから大丈夫」
……何が何だかわからないけれど、とりあえず、俺は心の中で恭介さんに合掌しておいた。
「恭介君はどうしたんだ、茜」
「まだ寝てる」
朝食の席には恭介さんこそ居なかったが、元気になったらしい茜さんの姿は十分食卓を明るくした。
昨夜の暗い空気が嘘みたいだ。
「ところで茜」
「ところで叔父さん」
朝食を全員食べ終わった頃、示し合わせたように古泉さんと茜さんが同時に切り出した。
同時に口を開いて、同時に口を噤む。
その様子がなんというか、血縁、って、こういう事なのかな、と思わされるというか……とにかく、似ていた。
「あ、お先どうぞ」
「いや、茜こそ」
「いやいや、叔父さんこそ」
そして2人は、やはり無駄に息ぴったりな押し問答を繰り返して……先に折れたのは古泉さんの方だった。
「一晩考えたんだがな、この依頼に関して、『スカイ・ダイバー』は『パラダイス・キッス』に全ての判断を預ける事にした。依頼を受けなくてもいい。受けてもいい。受けるなら、うちの所員を……『スカイ・ダイバー』も含めて、全員好きなように使っていい」
そこまで、茜さんと目を合わせずに一息で言い切って、古泉さんは一口コーヒーを飲む。
「以上が『スカイ・ダイバー』の出した結論だ。……ただ、古泉怜次は……お前の叔父さんは、この機会に決着は付けておいた方がいいんじゃないか、と、思ってる。和解じゃなくてもいい。どんな形でもいい。このままだとお前だって落ち着かないだろう。どうだ、茜」
そこまで言って、古泉さんはようやく茜さんを見た。
「……凄いなぁ、叔父さんは」
茜さんは、ほやぁ、と、感嘆らしき息を吐いて、にんまり、と笑った。
「うん。それ。正にそれ。私も、この機会に決着つけちゃお、って、昨夜恭介君と話してて思ったの」
「ずっと私さ、ママにもパパにも言いたい事碌に言えなかった。なんか言おうと思ったら先に涙が出てきちゃうタイプなんだよね、私。相手のペースに巻き込まれてさ、抵抗するだけで精いっぱいってゆーかさ」
ざくざく、と、フォークで櫛切りにしたトマトを突き刺しながら、茜さんは話し始めた。
「……茜さんってそーいうタイプに見えねーけど」
「うん。そーいうタイプじゃないもん。ホントは。相手がママとパパの時だけだよ。私が私になれないのは。そこはもうとっくに分かってんだ」
茜さんは突き刺したトマトを口に運ぶでも無く、ふらふらと弄びながら、にんまり笑った。
「……ま、だから、逆に私のペースに最初に巻いちゃえばいいんじゃないかって思ってさ。で、多分、親が一番子供……それも、娘に対して、一番動揺するのってどーいう時かな、って考えたのよ」
そこで茜さんは勿体ぶるようにトマトを口に運んで、ゆっくり咀嚼する。
「ええと……いきなり不良になっちゃう、とか、ですか?」
「甘いな、ソウは。それ言ったら茜さんなんてとっくに不良じゃん。家出少女じゃん」
なんとなく、俺は思い当たって……桜さんの方を見る。
桜さんはどことなく……恭介さんの部屋があるあたりの天井を見上げている。
古泉さんは、至極楽しそうに苦笑いを浮かべている。
茜さんは面々の表情を見て、満足げにトマトを飲み込んで。
「ま、いきなり結婚しますって言われたらさ、ビビるよね、多分」
「……茜、根本的な事を聞くが、この作戦、恭介君から許可は得てるのか」
「まだ得てない。どーせ嫌がられるの分かってたし、余裕ない状況にして言質取ろうとしたら返事聞く前に恭介君気絶させちゃって」
桜さんはそっと目を伏せ、コウタ君とソウタ君は顔を見合わせて首を傾げ、古泉さんは頭を抱えた。
俺は心の中で恭介さんに合掌した。
「ま、でも『スカイ・ダイバー』から所員を自由に使っていいって許諾が出てるからさ。自由に使わせてもらうよ」
茜さんはますます笑みを深くする。
「いや、そうは言ったがな……あ、というか茜!一応聞くがな、本気で結婚する気で」
「やだなぁ、お芝居だよ。目的はパパとママ混乱させることだもん。その後でなんかあったら恭介君に振られたって事にすればなんら問題は無いでしょ」
……そうか、と古泉さんは口ごもる。
なんというか……うん、さっき茜さんが『真クンにも手伝ってもらわなきゃいけないかもしれないけれど』って言ってたのは……この芝居に俺を使おうとしてた、って事だろうか。
うん、絶対にやめてほしい。
どっちに転んでも恭介さんがなんとなく不憫なんだけれど……うん。なんか、こう、うん。
「ってことでさ、とりあえず、今日は服、買いに行ってくるね」
「恭介君のか」
「うん。恭介君の服、ヒーローの恰好位しかフォーマルなの無くて」
恭介さんの服って、大体がこう、Tシャツとかパーカーとかで、襟が付いている服を着てるのは見た事が無い。
「一応、それっぽく見えた方がいいでしょ」
「そうかもしれんがなぁ……」
恭介さん、きちんとした服装して、似合うんだろうか。
猫背だし、表情暗いし……どっちかというと、服よりそっちをなんとかするべきなんじゃないかな。
「ん。ごちそさま。じゃ、早速行ってくるね。後片付けは恭介君がやる」
手を合わせて、茜さんは食器を流しへ運ぶと、ぱたぱたと食堂を出ていった。
「……なー、古泉さん、これ、いいのかよ」
「恭介さんに結婚相手のふりなんて、できるんでしょうか……」
古泉さんは苦笑いしながら、どうするかなぁ、と、腕を組む。
……まあ、手段はともあれ、古泉さんとしては嬉しい結論になったんじゃないかな、多分。
「……おはようございます」
茜さんが出ていってから数十分後、恭介さんも起きてきた。
茜さんが作っておいた朝食をもそもそと食べ始めた所に、古泉さんが話しかける。
「恭介君、茜とのけっこ」
古泉さんがそこまで言ったところで、恭介さんは吹き出しかけ、それは回避したものの、気管に食べ物が入ったらしい。
「……なんか、すまん」
げほげほぜいぜいやる恭介さんに古泉さんがなんとなく申し訳なさそうな顔を向けつつ、背中をさする。
「……茜さんが、話したん、ですよね」
「ああ。朝食の席でな。しかし、恭介君の意思も一応、聞いておこうと思ってな」
「嫌です」
咳き込みすぎたせいか、半分涙目になりながら恭介さんはきっぱりはっきりそう言った。
「……嫌じゃない人って、居ますか」
「ああ、うん、まあ……だよなぁ。全く知らない人とかならともかく、付き合ってる相手だもんなぁ」
……そこで、恭介さんの表情が凍り付いた。
「……まさか恭介君、ばれてないと思ってたか?」
「……え?」
ここにきて1月立っていない双子ですら気づいてるんだけれどな……。
「……付き合ってる、っていうか、単純に俺が茜さんに遊ばれてるだけです」
それ、多分そうじゃないと思う。
……色々ともう開き直ってしまったらしい恭介さんは死んだ魚のような目で淡々とそんなことを語り始めた。
「なんで、茜さんとしては俺は丁度いいんでしょうけど……俺としては複雑極まり無いっつうか、その……」
恭介さんは苦い表情を浮かべながら首の後ろを爪を立てるように掻く。
「うん、恭介君、叔父として謝る。本当にすまん」
「謝るなら何とかして下さい」
「でも正直、茜の力で姉と義兄混乱させるならこれ以上いい作戦無いよなって思ってる。本当にすまん」
「そんな……ひどい……」
恭介さんの目がますます死んでいく。
……うん、混乱、っていう事なら……俺は、親の気持ちはよく分からないけれど、けど、自分の娘が……死んだ魚のような目をしている、非常に暗い、娘とタイプが真逆なかんじの青年を連れてきて結婚する、といきなり言い出したら……混乱、するなぁ、きっと。
「恭介さん……その、なんかあったら、俺達も協力するからよ」
「フィールドが必要なら幾らでも準備しますから!ね!」
暗雲を纏ったかの如き恭介さんの周りで双子が一生懸命励まそうとしている。
健気だなあ。
「……桜さん、見えますか」
「……全然」
桜さんは、この件に関しての未来が見えたりするわけでは無いらしい。
元々、一瞬先が分かる異能だっていう話だし、遠くの未来はピンポイントで見られるものでも無いらしいし、しょうがないよな。
「真さん、嘘吐いてなんとかなりませんか」
「どういう嘘かにもよりますけれど、今回のケースだと難しいと思います。茜さんのご両親以外、全員身内ですから、嘘を信じてくれる人の割合が少ないです」
勿論、そもそも嘘を本当にしなくても、茜さんのご両親だけを騙せればいい、とか、そういう方法ならいくらでもやり様があるけれど。
「俺は、茜さんが自分で決着をつけるのがいいと思います」
一番の理由を答えれば、恭介さんは苦い顔で小さく、しかし確かに1つ、頷いた。