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55話

「俺、よく分かんねーんだけどさ、親なんだろ?別にいいんじゃねーの、会っても。何も殺そうとしてるわけじゃないんだろ?」

「人間、殺されるのは肉体だけじゃないんで」

 茜さんが部屋に戻った後、頭の上に疑問符を浮かべたコウタ君の言葉に答えたのは恭介さんだった。

 尤も、その答えはコウタ君の頭の上にさらなる疑問符を浮かべさせただけだったけれど。

「俺は茜さんが嫌なら断るべきだと思いますけど」

 珍しく恭介さんが……機械関係でも、悪だくみでも無いのに喋る。

「無駄にストレス抱える事もないでしょ。トラウマ抉り出す必要も無い。金なら俺が特許売れば、その位は」

「けどなぁ、茜だって、いつまでも逃げっぱなしって訳にもいかんだろう」

 恭介さんの言葉を古泉さんは遮り……しかし、それに更に被せるように……恭介さんが、珍しく声を荒げた。

「逃げて何が悪いんですか。別に何の問題も無いでしょ。生きやすい所で生きていくことに問題でもあるんですか。それとも古泉さんは魚にわざわざ空中で生きていけって言うんですか!」

 恭介さんが真っ直ぐ前を向いているのも初めて見たし、こんなに大きな声を出しているのも初めて聞いた。

 恭介さんとしても久しぶりの事だったのか、言い終わって少しすると咳き込み始め、机の上のカップを取り……中身がもう無い事に気付いて、渋面を浮かべてそれを机に戻す。

「何も、魚に空で生きろとは言わないけどなぁ、その魚にとって海が広くなればいいとは思うよ」

 恭介さんが一頻り咳き込んでから、古泉さんはぽつん、とそう零した。




「……駄目だな。ちょっと頭を冷やしてくるよ。期限は3日ある。今日いっぱい考えるぐらいなんでも無い」

 古泉さんは依頼書を持って席を立った。

「茜は俺を『スカイ・ダイバー』と呼んだ。だから俺は『スカイ・ダイバー』としてこの依頼をどうするか決める」

 茜さんは古泉さんの事を『叔父さん』ではなく、『スカイ・ダイバー』と呼んだ。

 つまり、『天原茜の叔父』ではなく、『ポーラスター所長』として判断しろ、ということなのだろうけれど。


 古泉さんも部屋に戻ってしまうと、恭介さんもふらり、と立ち上がって部屋に戻っていく。

「恭介さん、茜さんの所、行ってあげたほうが……」

 ソウタ君が心配そうに言うが、恭介さんは何も反応せずに恭介さんの部屋に消えていった。

 ばたん、と、重く扉が閉まる音が響く。

 コウタ君とソウタ君は落ち着かなげに不安げに、俺と桜さんの顔を見る。

「大丈夫だよ。皆、俺なんかよりよっぽど大人だから」

 俺も、不安が無いと言えば嘘になる。

 けれど、多分茜さんと恭介さんと古泉さんなら、大丈夫なんじゃないか、とも思うのだ。

 桜さんも、こっくり、と頷く。

「うん、大丈夫。茜さんは……恭介さんが必要だったら、窓から入るだろうから」

 そっ、と……しかし、躊躇う様子も無く、桜さんは茜さんの部屋のドアを開ける。

「ね?」

 ……成程、そこに茜さんは居なかった。




 今日の夕食の当番は茜さんだったが、流石にあんな状態の人に家事を任せる程鬼でも無いので、俺と桜さんで作ることにした。

「こういう時、俺は全然役に立てないんだよな」

 どういう意図なのか、言わなくても桜さんには伝わったらしい。

「……私も真君も……コウタ君もソウタ君も、茜さんや恭介さんや古泉さんとは……違う環境で生きてきたし……でも、それは悪いことじゃない、と思う」

 前金で300万、ぽんと出せるんだから、茜さんの実家は相当裕福なんじゃないかと思う。

 ……というか、両親が健在、って……運が良かったか、高級住宅街に住んでいたか、っていう事だから。

 多分、茜さんは後者だったんだろうと思う。

「分からない訳じゃないと思うんだよな。多分。でも、やっぱり俺は何も言えない」

 ジャガイモの皮を剥きながら、考える。

 親、っていうものがこう、逃れられない位置にいるっていうか、そういうのは分かるし……茜さんにとって嫌な存在だ、っていうのも分かるし……茜さんのご両親が茜さんにしてきたことの意味も、なんとなく分かる気はする。

 でも、それだけだ。

 想像上の事だけでとやかく言える程、俺は自信家でもないし、お節介でも無い。

「私も、何も言えない」

 多分、俺と桜さんは……コウタ君とソウタ君ほどには、親というものへの憧れみたいなものが強い訳じゃない。

 けれど、夢見ていないなんて、どうして言えるだろうか。

「古泉さんと、恭介さんに任せるしか、ないよね」

 桜さんは人参を切りながら、少し寂しそうに呟いた。




 夕食に、茜さんと恭介さんは来なかった。

 珍しく、恭介さんが伝言役として現れて「皆が寝た頃食うらしいんで、俺もその時一緒に食います」とだけ言ってまた戻っていった。

 まだ茜さんは古泉さんと顔を合わせるのが気まずいんだろう。

「……どーすんだよ、古泉さん」

「どうするかなぁ」

 コウタ君の不安と苛立ちを含んだ声に対して、古泉さんは至極のんびりした調子でのらりくらりと躱すだけだ。

 ……それがわざとなのか、それとも、本当に上の空なのかは判断が付かない。


 そんな調子で夕食を終えた。

 後片付けは俺が1人でやることにした。桜さんは……高校生だから、夏休みの課題があるのだ。

 ヒーロー業ばかりだったから、進捗はあまり芳しくないらしい。

 桜さんの事だから、やればすぐ終わってしまうのかもしれないけれど、その時間を奪うのも気が引けるから桜さんの手伝いの申し出は断った。

 食器を洗って、カゴに立て掛けていく。

「お疲れ様」

 5人分の食器を洗って、流しを簡単に掃除した所で、古泉さんが後ろにやって来ていた事に気付いた。

 いきなり背後に古泉さんが居たことに驚くと、「飲み物を取りに来たんだ」と、言い訳するように古泉さんは空のカップを小さく掲げてみせた。


「悪いね、任せてしまって」

 蛇口をしめて、古泉さんの向かいに座る。

「古泉さんも仕事、沢山あるじゃないですか」

 この事務所の事務関係は全て古泉さんが1人でやっているのだから、負担はさぞ大きいんだろう。

「それは俺が半分好きでやってることだしなぁ。……なぁ、真君」

「はい」

 古泉さんは空になったカップを片手に、やや疲れた顔をしていた。

「君が『スカイ・ダイバー』だったら、どうするのかな、と思ってね。聞いてみてもいいかな」

 戯れ程度、という事なんだろうけれど……ここで嘘を吐くのも、躊躇われた。

「分かりません。……俺は、茜さんの所の事情も、親ってものも、分かりません。だから多分、判断を『パラダイス・キッス』に任せます」

 俺なら、そうする。というか、そうするしかない。

 何も分からないから、一番分かっていそうな……知っていることが多そうな、本人に決めてもらうだろう。

「……すみません、こんな事しか言えなくて」

「いや。いいんだ。俺もそう思っていた所だったから」

 見れば、古泉さんは疲れた笑みを浮かべていた。

「茜は17も年下だし、女の子だし、俺は男だし……正直、どういう気持ちでいるのか、分かりかねる所がある。俺がいいと思う判断が茜にとってもそうとは限らないだろう。年長者だから俺の判断が結果的に正しくなるはずだ、なんて驕る気にもなれないしなぁ」

 この人は、とにかく真摯なんだな、と思った。

 相手の立場になって考えられる。だから、自分の考えた事を相手に押し付ける気になれないんだろう。

 それは良くも悪くもある。

 人間としては好ましいと思うけれど、所長としては、頼りない、という事になってしまうのかもしれない。

「『スカイ・ダイバー』は所員のプライベートに対して、お節介を焼けるほど神経が太くないらしい。……こんな情けない所長で、ごめんな」

 へらり、と笑う古泉さんの表情は、昼に見た、茜さんの表情と似ている。

「……俺は嬉しいですよ。古泉さんがそういう人で」

 俺は、まだ幼いから。きっと幼いから、そう感じるだけなのかもしれない。

 古泉さん位の年齢になったら、それだけじゃ駄目だ、って思うのかもしれない。

 けれど、今の俺は、それでいいと思っている。

「俺は古泉さんを尊敬してます」

 大人、というものはまだはっきり分からないけれど、古泉さんがそこからやや外れてしまっているのはなんとなく分かる。

 でも、そこが好ましかった。

 古泉さんは事務仕事をしている時は凄く有能そうな……エリート商社マンみたいに見える。

 けれど、ひとたびヒーローとしての面が出れば、そこに居るのは『ヒーロー』だった。

 人を助けるのが好き。悪を挫くのが好き。戦うのが好き。

 そして、迷ったり、落ち込んだり……ひたすら人間らしい人でもあった。

 人間らしさが幼さとか、頼りなさなのだと言うなら、それでも良かった。

 俺はそういう所を含めて、この人を尊敬している。

 20年後、俺もこんなヒーローになっていられたらいいな、と思える位には。




 古泉さんは何故か俺にお礼を言って、インスタントコーヒーをカップに濃く作ってから部屋へ戻っていった。

 ……俺は、コーヒーは普段飲まない。

 ここで出て来るのは大体紅茶か緑茶だし、このインスタントコーヒーは古泉さん専用のようになってしまっている。

 けれど、なんとなく気が向いて、俺のカップに茶色の粉末を入れ、ポットの湯を注いだ。

 黒い液体に口を付けてすぐ、俺は砂糖壺を探す羽目になった。


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