5話
「うちの事情を話すとな。『とりあえずあと1人、戦闘員のヒーローが欲しい』ってところだ」
手つかずだった焼き菓子を勧められて食べる。
少し焦げた砂糖の風味が素朴で美味しい。
「うちさあ、ヒーロー、4人しかいないの。事務員とかもナシ。かんっぺきに、ヒーロー4人だけの事務所。しかも、その内1人はメカニック兼ヒーロー頭数稼ぎ、みたいなかんじで。実質、戦闘員3人ぽっきりで回してるの」
……目の前の男性もヒーローなのか。
というか、この女性も回復専門ではないとは言っていたけれど、戦闘員なのか。
「だから今、うちのヒーロー業は殆どエースのカミカゼとこちらの彼女……『パラダイス・キッス』の2人だけに任せっきりでね。ノルマ達成が毎月ギリギリなんだ」
ノルマ、については『ミリオン・ブレイバーズ』の講義で勉強した。
ヒーロー派遣企業は、毎月、企業の規模に基づいて決められた数・レベルのアイディオンを討伐しなければいけない。
それに満たなかった場合、助成金が貰えない、等のペナルティがある。
だから、各ヒーロー派遣企業は積極的な出撃をしなくてはならないのだ。
「だから、戦闘員が増えてくれたら私達もラクになるなー、って。勿論、無理強いはしないけどさ。どうよ、ショーネン君」
「君さえよければ、是非ここで働いてみないか?」
戸惑いと混乱で返事をしあぐねていると、更に言葉を重ねてきた。
「もしうちのヒーローになってくれるなら、君の事は全力で守ろう。ヒーローとして強くなるための支援もさせてもらう。給料は……その、あまり出せないと思うが。でも、寝食の保障はできる!」
「え、えっと、ほら。それからさ、君さ、シルフボードに乗ってるでしょ?それの改良とかできるよ。うち、すっごく腕のいいメカニックが居るから!装備とかもさ、もし気にくわない所あったら、うちなら全部直せるし!君の希望、可能な限り全部聞くから!資材不足はどうしようもないけど!」
緊張した様な顔でこちらを窺ってくる男性と、恐らく意図していないであろう必死な上目づかいでこちらを見つめて来る女性。
……まあ、普通に考えたら。
普通に考えたら、だ。『ミリオン・ブレイバーズ』のこともあったし、警戒すべきだと思う。
あまりにも突然だし、これが仕組まれた何かではない、という保証は無い。
……けれど、『給料はあまり出せないが寝食の保障はする』とか、『資材不足の範囲内で装備の改良も好きなようにしていい』とか、妙に等身大なアピールが心地よかった。
嘘は吐かれてないような気がした。
というか、もう全部嘘でもいいような気もした。どうせ、拾い物の命なんだし。
それに、この人たちの話の通り、ヒーローが4人しかいないんだったら、俺を使い捨てる余裕も無いだろう。
そもそも俺は、この話を蹴ったら行く宛が無い。
「じゃあ、その……よろしくお願いします」
……そして何より、やっぱり……ヒーローは俺にとって、憧れの職業だったから。
「よっしゃーっ!ゲット!新入社員ゲット!ほら、叔父さん!イェーイ!」
俺が返事をした瞬間、女性は盛大にガッツポーズし、男性とハイタッチした。
「……じゃあ、改めまして、ヒーロー事務所『ポーラスター』へようこそ。君を心から歓迎するよ」
我ながら単純だな、と思うけれど……こうやって歓迎してもらえる、という事が、凄く嬉しい。
これからここで頑張ってみよう、と、素直に思えるほどに。
「さて、っと。自己紹介遅れてゴメンねー。私、天原茜。ヒーロー『パラダイス・キッス』とモデルの掛け持ちしてまーす!」
女性改め、天原さんはウィンクしながら、投げキスしてみせる。
……すると、不意に俺の右腕の痛みが消えた。
「今ので分かった?私の能力は、キスした相手に天国味わわせちゃう能力。回復より誘惑の方が得意なんだけどね」
成程。
会ってそんなに時間が経っている訳でも無いけれど、天原さんにぴったりの能力だと思う。
……というか、こんな能力もあるんだな。
「俺は古泉怜次。一応、『ポーラスター』のリーダーだ。ヒーロー『スカイ・ダイバー』をやってる。……最近は事務仕事に偏りがちなんだが、これでも……あ」
その時、また電話が鳴り、古泉さんはそっちに行ってしまった。
……忙しそうだ。
「……ほら、さ。私は見たまんまの性格だから、経営とか事務とかあんま得意じゃなくって。だから叔父さん1人に任せちゃってる状態なんだよね……あ、そうそう。古泉怜次は私の叔父さん。私は姪っ子、ってこと」
言われてみれば、天原さんはどことなく、古泉さんと似ている。
「ま、公には只の仲間、上司、ってことになるんで。そこんとこはよろしく頼むよ、ショーネン君」
ショーネン君、と呼ばれて、まだ自分の名前を名乗っていないことに気付く。
でも、古泉さんの電話が終わってからの方がいいかな、と思っていたら、突然、ドアが軋んだ音を立てて開いた。
「古泉さん、解析終わりま……あ」
出てきた人と目が合う。
と思ったら、そっ、とドアが閉まった。
……ええと。
「いやいやいやいや!恭介君!何してんの!」
困惑していたら、天原さんがその人……俺より少し年上であろう男性を追いかけていく。
……ドアの向こうで、ぼそぼそ、と低い声が何かを言い。
「あ、正式にうちのヒーローになったから。彼。書類はまだだけど」
そしてまた、ぼそぼそぼそ、と低い声が答え。
「は?……え、マジ?」
……そんな調子で、天原さんの声と、ぼそぼそ、とした低い声が往復するのをドア越しに聞いていると、古泉さんの電話が終わったらしく、古泉さんが戻ってきた。
「いや、すまん。こっちも色々立て込んでてなぁ。……あれ、茜は?」
どう答えるべきか分からず、とりあえずドアの方を示すと、それだけで古泉さんは何かを察したらしい。
「ああ、恭介君か。……うん、ちらっと見えたかな。彼がうちのメカニック兼・情報業務担当の非戦闘員ヒーローだよ。……いい奴なんだけどな。ちょっと人見知りで。……打ち解ければ普通に話すようになるから」
古泉さんがソファに座って、冷めた紅茶のカップを傾けたところで、ドアが開いて2人が出てきた。
「はい、座る」
天原さんの言葉に従って、落ち着かなげにその人は古泉さんの隣に座った。
「はい、自己紹介」
「……千波恭介です」
ぼそぼそ、と低い声で喋る人だった。
センバ、のところで長い前髪越しに一瞬こちらを見た気がしたが、すぐに視線は逸らされてしまう。
……『ちょっと』人見知り、なんだな、本当に。
「ヒーローネームは『カオス・ミラー』。ヒーローLvは2です。……よろしくお願いします」
かくん、と折れるように頭を下げた千波さんにつられて、俺も思わず頭を下げる。
丁度いいから、俺もここで自己紹介しよう。
「計野真です。……ええと、元居た所では、『ベイン・フレイム』っていうヒーローネームでした」
「『ベイン・フレイム』」
しかし、ヒーローネームを言った途端、千波さんが急に席を立って、ドアの向こう側へ行ってしまった。
……何か、気に障ったんだろうか。
古泉さんと天原さんを見ると、天原さんは首をかしげていて、古泉さんは難しい顔をしていた。
「……ん?なんかあった?」
「元々、限りなくグレーな白……只の無能で済ませるには無理があるけどなぁ」
俺が反応に困っていると、席を立った千波さんが勢いよくドアを開けて戻ってきた。
「『vein』。ブイ、イー、アイ、エヌ。静脈、血管。筋、裂け目。傾向、気質。……発音は同じで、ブイ、エー、アイ、エヌの『vain』は、無駄な、無益な、空しい、はかない」
千波さんが手に持っているのは、デジタルの辞書だった。
見せてもらうと、確かに。
ショックじゃなかった、と言ったら嘘になる。
……本那さんは、最初からそういう意図でいた、っていうことだったのか。
俺が出撃する前、結果を出す前から……もう、見切って……。
「変えよう!君の名前!ね、どうせ別人って事で活動するんだし。意図的じゃないかもしれないけどさ、こんな縁起の悪い名前、捨てちゃえ捨てちゃえ。そんでさ、なんかセンスのいい名前、皆で考えよ?ね?」
俺が落ち込んでいる、と思ったのか、天原さんが励ますようにそう言ってくれる。
……やっぱり俺、ここに拾われて良かった気がする。
「そういえば、恭介君。解析が終わったって聞いたけれど」
古泉さんが言うと、千波さんがちら、と俺を見てからドアの奥にまた引っ込んで、そして、何かをもって戻ってきた。
「とりあえず、返します。……意味、なさそうですけども」
差し出されたのは、俺のカルディア・デバイスだった。
……そういえば、首につけていたカルディア・デバイスが無い。ここに運び込まれたときに外されたんだろう。
「やっぱり、無くなってたの、今気づいたんですね」
言い当てられて、思わず千波さんの顔を見ると、思いのほかはっきりと俺を見ていた。
「え、ちょっとちょっと、真クン、君、それ大丈夫なの?」
確かに不用心だったか、と反省していたら、古泉さんから説明が入った。
「カルディア・デバイスは俺達の一部なんだ。……というか、カルディア・デバイスに使ってるソウルクリスタルが、っていうべきか……だから、それが離れていて違和感が無い、っていう事は普通、まずありえない」
そう言われても、俺は装備が来る前も、何の違和感も無く普通に……あれ、待てよ。
カルディア・デバイスにはソウルクリスタルを使う。
それは知ってる。けど……俺、いつ、ソウルクリスタルを取られたんだ?
考えられるのは、異能検査の時、とかだろうか。
「でも、そのカルディア・デバイス、ソウルクリスタルが使われてないんですよ」
……あれ。
カルディア・デバイスを見て気づいた。
ついていたはずの、赤い石が消えている。
「……つまり、真君のカルディア・デバイスには、ちゃんとソウルクリスタルが使われていた、っていうことか」
ひとまず、俺が『ミリオン・ブレイバーズ』に居た時の事や、その時の様子をざっと説明した。
そして、カルディア・デバイスには赤い石が付いていたはずだ、という事も。
「でも、ありえない……この首輪の窪みにソウルクリスタルが嵌ってたとしたら、相当小さなソウルクリスタルだったはずで……異能がまともに使えたとは」
……でも、確かに『相当小さなソウルクリスタル』だったよなあ、と、思う。
ソウルクリスタルの大きさが、大体そのまま異能の出力になる。
だから、異能レベルが低かったのもそういう事なんだと思っていたんだが。
「……ま、いいじゃん。細かいことは無しで。考えてもしょうがなさそーだし」
結局、天原さんの言う通り、考えてもしょうがないのだ。
ソウルクリスタルの性質はまだ分からないことも多い。
「とりあえず、真君は今、異能は使える?ちょっとやってみてよ」
天原さんに言われて、空中に炎を浮かべる。
特に異常なく、炎は空中で小さく燃えながらそこに留まった。
始めの頃から比べたら、大分制御も上手くなった。
……それも、殆ど無駄だった訳だけれど。
不意に、火を見ていた千波さんが火の中に手を突っ込んだので、慌てて火を消した。
「……あの、もう一回、出して貰えますか。消さなくていいんで」
訳が分からなかったが、とりあえず他の2人も止めなかったので、もう一度火を出す。
そして、千波さんはまた、火に手を突っ込んだ。
今度は火を消さずにいるが、千波さんは顔色1つ変えずに、手を火に晒し続けている。
……少しして、俺もその異常さに気付いた。
「……全然熱くない」
ずっと火に焼かれているはずの手は、傷一つついていなかった。