154話
一瞬で、街が消える。
街の一部と言ったって、そこに何百、何千、下手したら何万の人が居たはずなのに、それが一瞬で。
咄嗟に、俺は消えた街の部分に幻影を生み出して、また街を生み出す。
……それでも、一度『一瞬で消えた』街の存在を信じてもらうには足りないらしかった。
信じてもらうにはもう、この化け物の強さが分かってしまっているのだ。
〈ειμαι αιδιον〉
目の前の化け物が突如、その形をまた変えた。
それはめまぐるしく形を常に変えながら、その時その時に最も適した方法で攻撃を繰り出してくる。
腕か脚か尾か分からない何かが『イリアコ・システィマ』の『ガール・フライデイ』さんを刺し貫いて高々と掲げた。
『サウザンクロス』の『マーブル・ウォール』はその鉄壁の防御を崩し、肩口から引きちぎられた腕を押さえて尚、化け物の攻撃を引きつけようとしている。
そして、『スカイ・ダイバー』が。
「古泉さんっ!」
桜さんの悲鳴にも似た声が追いかけるが、そんなものは関係ない、とばかりに、化け物の手足が古泉さんの胸を貫く。
1本。2本、3本4本5678。
仰け反った体が、更に貫かれていく。
「古泉さっ」
古泉さんの救出に向かおうとした桜さんに迫る化け物の腕を見て、咄嗟にシルフボードを急発進させる。
横から攫うように桜さんを捕まえてその場を離脱すると、避けそこなった化け物の腕が俺の二の腕を薄く切り裂いていった。
「桜さん、落ち着いて!古泉さんなら大丈夫だ!」
大丈夫、なんて、軽々しいかもしれないが……それでも、俺は大丈夫だと思う。
古泉さんには、奥さんが付いてるから。
立て続けに8本もの手足を打ち込まれて尚、古泉さんは死んでなどいない。
「……流石に、これは、効く、な」
血を吐きながら古泉さんは壮絶な笑みを浮かべたかと思うと、自らを刺し貫く化け物の体を掴んで……握り潰した。
その程度で怯んでくれない化け物は、第二撃を繰り出す。
まだ第一撃の腕によって地面に縫い止められたままの古泉さんは、しかし半ば無理やり身をよじることで、ギリギリ致命傷を躱していった。
「この程度、かっ!」
古泉さんの縫い止められていない右脚が空を斬り、その次の瞬間には、化け物の腕は粉砕されていた。
しかし、第三撃が古泉さんにまた襲い掛かり……。
……それは、一瞬で砕け散った。
何が起きたか分からなかったが故に、何が起きたか分かった。
「待たせたなっ!」
「ごめんごめーん!待った?」
コウタ君が時を止め、その隙に茜さんが化け物の腕を蹴り壊したらしかった。
「全く、待ちくたびれたぞ!」
古泉さんは笑顔を浮かべながら、胸に刺さったままの化け物の腕を抜いて乱雑に地面に放る。
直視に耐えないような傷は、古泉さんの第二の異能……古泉さんの奥さんのソウルクリスタルによって即座に癒されていく。
その一方で、化け物は全く堪えていない、というように折れた腕の代わりをまた生やすのだ。
「じゃ、もう一回いくからな!皆心して殴ってくれよ!あんま長くは止めてらんねーからな!」
コウタ君がぱちん、と指を鳴らすと、世界の時が止まる。
その中で動けるのは俺達だけだ。
「よっしゃー蹴るぞーっ!」
時の止まった化け物めがけて茜さんと古泉さんが突っ込んでいき、後から恭介さんも追う。
一撃、また一撃、と、相当に重いであろう攻撃が化け物に与えられていく。
「動かすから離れてくれよ!」
コウタ君の合図で一斉に化け物から離れ、そこで時が動き出す。
その瞬間、化け物の体は大きくひしゃげ、折れ、壊れ、砕け……地面に埋没した。
止まった時の1瞬にも満たない間に、ヒーローの全力の攻撃を数えきれない程受けたのだ。
当然、こうもなるだろう。
〈ειμαι αιδιον〉
が、化け物の破片がぶるり、と震えたかと思うと、埋没した化け物の残骸が融け、結びつき……1つの塊になる。
〈ειμαι αιδιον〉
そして、歌うような音とともに、無数の腕が現れ、俺達に襲い掛かった。
「……駄目、きりがない……」
襲い来る化け物の腕を捌き、時に捌ききれずに傷を負う。
攻撃する隙を作って攻撃しても、一向に相手にダメージを負わせることができない。
そんな一方的な攻防が続いていた。
この間も、他の事務所のヒーロー達が化け物に攻撃を繰り出しているはずなのに、それも化け物を止める材料にはならないのだ。
「殺しても殺しても生き返ってくる、のかよっ!」
化け物は、ヒーロー達の攻撃をものともせずに、或いは、巧くダメージらしいものを与えられたとしてもすぐに元の姿に戻り、そして戯れの様にヒーローを刺し貫き、叩きのめし、吹き飛ばした。
そしてやはり戯れの様に、街に向かって手を翳し、街を消していくのだ。
……俺がいくら前もって幻影を張っておいても、その幻影ごと街を消される。
すぐに街の幻影を張り直しても、やはり無理があった。
そんな攻防を続けて、消耗しない訳が無い。
長時間の嬲られるような戦闘の果てに、俺達は疲弊していた。
俺の嘘は、散々回復に使う事になった。
そうでも無ければ、もう死者が出ていておかしくなかったと思う。
もっと根本的な解決をしなくてはならないのは分かっている。分かっているが……街は既に消え失せ、ここに居るヒーロー達にも絶望感が広がっている状況で、戦況を大きくひっくり返す嘘は吐けない。
……いや、実は既に試した。
化け物の姿を見えなくするように幻影を掛けたのだ。
……無意味だった。
一瞬で幻影は消え失せる。
俺が嘘を吐こうとしても、幻影を破られたり、俺が攻撃を受けて嘘どころでは無くなったり。
こんな状況で、誰を騙せるだろうか。
〈ειμαι αιδιον〉
化け物が、俺達に手を翳す。
それは、街を消した時と同じ動き。
「散れ!」
咄嗟に古泉さんが叫ぶが、間に合わない。
〈ειμαι αιδιον〉
俺達は、化け物の手から放たれたであろう何かに身構える。
……が、一向にその時は来ない。
見れば、他のヒーロー達はどこにもいなかった。その理由はこの際、考えない。考えたくない。
けれど、俺達だけは、消されずに残っている。
「……ロイナ」
ぽつり、とソウタ君が呟いた。
……『異能の効果を無効化する異能』。
ロイナの異能は、そんなかんじのものだった。
「……僕の、出番ですよね」
最初の攻撃のダメージが大きかったらしいソウタ君は、まだふらついている。
だが、その目に宿る意志は揺らぐ事なくそこに収まっていた。
「……ソウ、お前、何やるつもりだよ」
コウタ君が、そんなソウタ君を見て問うが、ソウタ君は笑うだけで答えない。
「ロイナが、やった事の分ぐらいは、僕だって……僕のカジノへようこそ!」
ソウタ君の声が響く。
「待て、ソウ!」
ソウタ君が何をしようとしているかは分かったが、コウタ君にも、勿論俺にも、止めることはできなかった。
……止められたとしても、止めるべきでは無いと分かっていた。
ソウタ君は化け物と一緒にその姿を消した。
あの化け物相手に、何を賭けて何をするのかは分からなかったが、有効打になり得る異能はもう限られている。
俺達はソウタ君の成功を祈ることしかできない。
……そのまま、30秒ほど、経過した。
ぱりん、と何かが砕ける音が響く。
そして、それと同時にソウタ君と化け物が姿を現した。
化け物が動く。
その腕か脚か尾かわからない部分で、地面に倒れたままのソウタ君を刺し貫こうとしている。
その瞬間、おそらくは時が止まり、そしてまた動き出す。
……コウタ君が、ソウタ君を抱えて戻ってきていた。
コウタ君は、じっと無表情にソウタ君の胸を見ている。
……俺もそれを見て、ソウタ君が何を賭けたのか、分かってしまった。
ソウタ君は……自分の心臓を賭けたのだ。




