141話
直後、俺の体を衝撃が襲った。
アイディオンの腕が眼前に迫り、容赦なく俺の胴を横ざまに薙いだのだ。
それだけで俺は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
……身体能力がまた強化されていたから助かった、のだろう。
骨が砕ける感覚がまたあったが、それでいい。
《……成程な、お前の異能は『嘘を真実にする異能』か》
アイディオンがそう言った瞬間、俺は完全な勝利を確信した。
《貴様の異能は封じさせてもらった》
《所詮貴様は虫の息》
《お前に今更何ができるというのだ》
……触れることで相手の異能を知る事ができ、ついでに相手の異能を封じられる、のだろうか。
茜さんも古泉さんも、アイディオンに触れている。
それも、2人とも、アイディオンの腕で弾かれたり殴られたりしているはずだ。
相手のブラフかもしれないが、そこを考慮している余裕はなさそうだった。
「気づいてないのか?……無いんだろうな、だって、お前たちはそれが当たり前だって、思ってたんだろうから」
痛む体に鞭打って、なんとかアイディオンに聞こえるよう、声を張る。
「もう、遅いんだよ。……お前は、お前たちを信用しすぎた」
《……達?》
一瞬、アイディオンが傍目にも分かるほど、動揺した。
尤も、それは一瞬だっただろうが……それは、100%の防御を99.9%の防御に落とす程度の効果があったのだ。
そして、0.1%もあれば……命中率100%、回避率100%を誇るヒーロー『カミカゼ・バタフライ』は、ナイフの一本程度、簡単に当てられる。
ナイフがアイディオンの頭の1つに突き刺さった瞬間、アイディオンは何を思っただろうか。
……疑り深く、完璧なアイディオン。
自らが最強であると自負していて、そのための対策を行っていたアイディオン。
そんなアイディオンが俺の異能が何なのか分かっていて、それでいて俺の『嘘』を警戒しない訳が無いのだ。
それこそが俺の『嘘』を補強してしまうとは知らずに。
俺の『嘘』を形作り、『真実』にしてしまうとも知らずに!
……きっと、アイディオンはこう考えた。
『もしかして、本当にこいつは既に自分を騙しているのではないか?』と。
少なくとも、その可能性を考慮するため、一旦その可能性を思考に乗せた。
そして、その可能性は、アイディオンの頭の1つに突き刺さったナイフによって膨張する。
死角など無く、それぞれが警戒しているはずの頭達。
なのに、ナイフは突き刺さった。
それは……どれか1か所に穴があったからだ、と、考えてしまっても不思議ではない。
『お前たち』という言葉にアイディオンは反応した。
第一人称が『私達』『俺達』ではなく、『私』であり『俺』であったことから、アイディオンはすべての頭を含めて『1つ』であると考えていて、それが当然だと思っているのだろう。
アイディオンの頭は、それぞれに思考がばらばらだ。
それは『ソウルクリスタルの合成』の代価、あるいは、そもそも無数の異能を使うために必要だったこと。
だから、思考がばらばらになっていることに利便性は感じても、警戒は無かったはずだ。そしてそもそも、それが当然だと思っていたならば、猶更。
きっと、アイディオンはアイディオンの複数の頭がみな、『自分』であると思っていたから。
……実際、そうなのだろう。
アイディオンの頭は全て、1つの意志によって統率されていたはずだ。
少なくとも、ソウルクリスタルをいくら合成したって、核になる最初の1つはあったはずなのだから。
……しかし、アイディオンは良くも悪くも、頭ごとに異なる思考を持ってしまっている。
それらを共有することができたとしても、そもそも、そこにこそ嘘が既に入り込んでいるのではないか、と考え始めてしまったら……もう、止められない。
「お前の真の敵は、俺達じゃない。……お前たちだ」
こうしてアイディオンの頭は、『自分』以外の頭を疑い始めた。
つくづく、俺の異能は変な異能だ。
信じてしまえば、それが真実になる。
そして時に、『信じる』ということは、思い込みや疑いといった形に姿を変える。
……俺は今、漠然と『勝てる』と思っている。
今、負ける気がしていない。
それは即ち、俺自身が俺自身をそういうふうに『思い込んでいる』という事でもある。
だから、きっとそれは真実になる。よって、負ける気がしない。
……というように、メタな情報を孕んだ『嘘』は無限ループを始めるのだ。
『俺が負ける気がしていないうちは負けない』という、奇妙なループ。
俺が一旦、その思い込みを断ち切られてしまったらあっけなく崩壊するだけの、脆いループだ。
……でも、きっとそれは、俺の仲間にも支えられている。
思い上がりも甚だしいだろうが、俺は仲間に期待されている。信頼されてもいる。
『今まで散々ちゃぶ台返ししてきたんだからまたどうせちゃぶ台返しするんだろう』というような類の、ありがたいんだかありがたくないんだか良く分からない信用を得ている。
それもきっと、『嘘』を『信じる』という1つの形なのだ。
俺は今まで散々、『嘘』を『真実』にしてきた。
その結果がこの奇妙な無限ループになっている。
この類の俺の嘘がどこまで働くのかは分からないが……結果だけ見れば、『真実になった』と、言わざるを得ないだろう。
桜さんが鋭く、刃をアイディオンに向けた。
俺の目には見えなかったが、アイディオンの正面から迫る投げナイフの他に、ブーメランのように曲がって後ろから迫る、見えない風の刃の2種類を放ったのだろう。
アイディオンの頭は、ナイフを投擲した桜さんの方を一斉に向いた。
お互いにお互いが信用できないから、自分が何とかしなくては、と、そういう風に思考が向いたのだ。
……その結果、背後から迫った風の刃によってあっさりとダメージを受けることになる。
こうしてアイディオンの誤解は加速していくのだ。
自分の頭の中に自分とは違う思考をしているものがあって、それが自分を害そうとしているのだ、と。
桜さん1人でも、あとはなんとかなってしまった。
桜さんの投擲ナイフと風の刃は、桜さんの『未来を見る目』によって正確無比な軌跡をとり、アイディオンに迫る。
アイディオンはもう、自分以外の頭に任せていた死角を信用することができないから、一々、桜さんの攻撃に翻弄される羽目になる。
《……貴様か!》
《お前が裏切者か!》
そうしてアイディオンの頭は同士討ちを始めた。
……多分、全てが別の体を持ち、当たり前に別の思考をする、アイディオンの団体だったら、こうはならなかっただろう。
しかし、今まで当たり前にお互いを自分として扱い、それしかしてこなかったこの異形のアイディオンは、こうなってしまった時の対処法も知らない。
初めてのエラーに戸惑うアイディオンは、桜さんの投擲ナイフと風の刃、そして、途中から参戦した恭介さんの投げキス(やっぱり、茜さんの異能を『映す』ことで使えるようになったらしい)、そしてさらには、恭介さんに回復されたらしい茜さんと古泉さんの攻撃も加わり……倒された。
《馬鹿な、何故、完璧だった俺が》
《何故》
《何故……》
アイディオンの頭はそれぞれにエラーを抱えたまま、光となって消えていき、後には異形のソウルクリスタルだけが残されたのだった。
「おっつかれえええええええ!さっすが真クン!やっぱなんかした!何したのかよく分かんなかったし、何やるつもりだったのかもよく分かんなかったけど、なんかやったのは分かったよ!すごい!お疲れ!お疲れ様!」
きゃあきゃあ騒ぎながら茜さんが俺に飛びついてきて、俺は痛みに呻く事になった。
……緊張の糸が切れた今、体はぴくりとも動かなかったし、あまり感じていなかった痛みは今や、これでもかというほど俺の体を強く支配するまでになっていた。
喋れないので茜さんに回復を求めることもできなかったが、茜さんも馬鹿では無い。察してくれたらしく、すぐに回復してもらえた。
体から痛みが消え、すっかり元気になるとようやく、勝利の実感が湧いてきた。
「真君、よくやってくれたな」
古泉さんも腕が完治していたし、桜さんも今、茜さんにキスされているところだから、すぐ全快するだろう。
「異能封じされても嘘、吐いてましたよね?あれ、どういう仕組みだったんですか?異能封じされる前に嘘を吐いていたっていう事ですか?」
ソウタ君が目を輝かせながら聞いてきた。
……これについては、俺も良く分かっていないが……。
「多分、アイディオンに関しては何も真実になんてなって無かったと思うよ」
アイディオンが他の頭を疑い始めてしまうのに、異能は直接必要なかった。
ただ、その疑いと、その疑いの根拠になり得るものさえ、提示してやればよかったのだ。
「……つまり、アイディオンは真さんの異能でもなんでもない、ただの『嘘』でああなっちゃった、ってことですか?」
「もしかしたら、異能を封じられる前に発動した『嘘』はそのまま効果があって、『お前はもう騙されているんだよ』っていう『嘘』が『真実』になったのかもしれない」
どちらかと言えば、俺はそっちを真実と見て動いていた。
例の『無限ループ』は、それを前提に『無限ループ』になっていたものだし。
「でも、アイディオンが他の頭を疑い始めるきっかけは、別に異能でなくても良かったし……その後で桜さんのナイフがあって、それが『真実』っぽく見えてしまった、っていうだけだったかもしれない」
「ま、真実は闇の中、っていう所だろうなぁ……」
アイディオン自身に『嘘』が異能として働いたのか、ただの『嘘』としてしか働かなかったのかは分からない。
「けど、いいじゃん。勝ったんだし」
「真さんの異能じゃなく、単なる嘘でああなったとしたら、これ以上酷い勝ち方って無いんじゃないんですかね……」
……まあ、勝ってしまえばそれまでだ。
「……そろそろ、他のヒーロー達が心配、すると思う」
「ああ、そうだな。『ノヴァ・ブレイズ』の方も気になるし……帰るか」
全員が回復してしまった今、俺達は無傷でアイディオンを倒したのと同じようなものだ。
本当に、アイディオンとの戦いが嘘であったかのように……俺達は帰路についたのだった。




