135話
ぼんやりとした感覚の中で、目を開く。
その先でぼんやりと赤く光が灯り、その中で女の子が何かを抱えて、それに齧り付こうとしているのが見えた。
女の子の透き通って赤い髪が灯す光が、女の子の抱えている……両手に乗るぐらいのサイズの紺色の石に反射して……。
その紺色の石が、俺が倒したアイディオンのソウルクリスタルだという事に気付いた。
「何やってるんだ!」
急に覚醒した意識とともに、体も急に目覚めて、女の子が今まさに齧ろうとしていたソウルクリスタルを奪い取る。
「こんなもの食べてもおいしくないよ?」
「でも、今食べないと間に合わないよ?」
少々乱暴にソウルクリスタルを奪ってしまったというのに、女の子はただ、不思議そうな顔をするだけで……不思議な事を言うだけだった。
「今、食べれば間に合うよ。これ、5つ全部食べれば、間に合う。……でも、桜さんが事務所に運んじゃって、ベッドに寝かされちゃって……そうしたら、もうこれ、食べられなくなっちゃう。持って行かれちゃうよ」
「……どういう、意味だ?なんで君がそんなことを知ってる?間に合わなくなる、って、何に?」
見知らぬ女の子が、急に現実味を帯びた事を言うものだから、ますます意識が覚醒していく。
それと同時に、思い出していく。
俺は多分、異能のコストとして意識を失った。
……数えきれないほどのアイディオンを無力化し、多くの人を生き返らせた。
そのコストが今までのコストよりも相当大きなものになるであろうことは、とっくに覚悟している。
もしかしたら、数年単位で俺は眠り続けることになるのかもしれない、と。
「だって、ずっと一緒だもの。帰してくれた時から、ううん、その前から、ずっと」
「一緒、だった?」
「一緒だったよ」
勿論、俺はこんな女の子と一緒だったどころか、会った事すらない。
俺の困惑を見てか、女の子は少し笑って見せた。
少し、笑い方が桜さんに似ている。
「間に合わなくなったら、ずっと寝てなきゃいけないよ。もう、夢を見る事もできないよ。そんなの、嫌でしょ?」
ずっと寝ていなくてはいけない、という事は……。
「コストの、事?」
女の子は答えずに、笑って後ろからソウルクリスタルを取り出した。
女の子の腕に抱えられたそれらは、俺が今日倒した超高レベルアイディオン達のものだ。
「これ、私が食べる。そうしたら、強くなれるよ。寝てる時間も短くていいよ。全部食べたら、明日、お日様が昇る頃に起きられるよ」
「……意味が分から……」
ふと、首を傾げた女の子の髪が、ちらり、と光を放った。
それは夕陽が一日の終わりに投げかける最後の一片の光の色に似ていて、暗い部屋で灯した豆電灯のようでもあって、物悲しくも咲き誇る彼岸花の色にも見えて……それらは、俺に炎を連想させた。
一瞬。
何が起きたのか自分でも分からないほどの速度で、今まで見つかりすらしていなかったピースが嵌り、一枚の絵になる。
何故理解したのかは分からないが、俺はその瞬間、確かにそれを理解したのだ。
「君は、俺のソウルクリスタルか」
女の子は、にこにこと嬉しそうに笑っているだけだった。
「アイディオンのソウルクリスタルを吸収すれば、俺のコストは抑えられるのか」
「きっとね。強くなればいろんなことができるようになるよ。願い事がいくつあったって全部叶えられるようになるよ」
それは酷く魅力的な言葉だった。
何だって、願い事が幾つあったって、叶えられる。
……そんなことが俺にできたら。
「でも、そんなことして、大丈夫?」
しかし、アイディオンのソウルクリスタルを吸収することに不安が無い訳が無い。
ましてや、金鞠さんから以前、『ソウルクリスタルの吸収が自分のソウルクリスタルに影響を及ぼす可能性もある』なんて聞いている訳だから。
「強く思っていてくれさえすれば、大丈夫。全部食べて、それでも足りないって思っていれば、きっと」
「自分を強く持っていれば、っていう事?」
「ううん。……ねえ、君の願い事は、何?」
脈絡の内容な、良く分からない飛び方をする会話にも、しかし、不自然さをそこまで感じなかった。
不自然さを感じない、不愉快では無いという事が何よりの証拠のような気もする。
「俺の願いは多分、都合の悪いことを嘘だったことにする事だったんだと思うよ」
叶わない願い事でもあった。
都合の悪いことなんていくらでもあったし、一番都合の悪かったことはどうしようもないほど大きくて、俺の能力で変えられるようなものでは無かったから。
「でも、今は違うかな」
きっともう、俺の願いは叶わない。
あの日あったことを嘘にはもうできない。
俺にとって一番都合の悪いあの日の出来事を無かったことにしたら、きっと今も無くなってしまうから。
……そして、非常に都合の悪いことに、俺は、そうなってほしかった過去のあの日と同じぐらい、今、そして明日、明後日、明々後日……この先ずっとが、大切になってしまった。
もう戻れないのだ。2つを同時に手に入れることはできない。
「じゃあ、今の願い事は?」
女の子の赤い瞳が、炎の様に煌めき、その先にもっと別な……無限に広がる色彩の海が広がっているのが見えた。
「ヒーローが要らない世界にしたい。アイディオンに人が殺されたり、傷つけられたりしない世界にしたい。利権がらみのくだらない諍いが少しでも減るような世界にしたい。明日も明後日も、笑っていたい。そのための力が欲しい」
女の子の髪が、毛先から変色していく。
燃えるような赤色の代わりに、無数の色が混じって、黒になる。
そこに煌めく光の粒は、宙に撒かれた星だろうか。
「それで?」
俺の欲望を煽る様に、女の子の瞳が挑戦的な光を帯びた。
「嘘でもいいから……いや、『嘘で』世界を救いたい」
俺がそう口にした途端、女の子は大きく口を開けて、ソウルクリスタルに噛みついた。
不意に、柔らかな布の感触。
温い温度。
瞼越しに漏れる、明るい光。
……そういったものを感じて、俺は目を覚ます。
上体を起こせば、そこは俺の部屋だった。
カーテンから漏れる光は朝のものだ。
……本当に、俺は『翌日の朝』に目覚めることができたんだろうか。
応接間に続く扉を開く。
……誰もいない。
が、声は漏れ聞こえていた。
「……からさー、やっぱもう今日の夕方にでも行った方が……ッわっ!?嘘ッ!?真クン!?」
食堂のドアを開ければ、丁度朝食を摂っていたらしい皆が、揃って俺を見て驚愕の表情を浮かべた。
「どしたの!?なんか間違えてない!?大丈夫!?まだ1日も寝てないよ!?」
我慢ならない、というように茜さんは席を立って俺の肩を掴んでがくがく揺さぶった。
「大丈夫ですよ」
揺さぶられながらなんとか笑って答えれば、茜さんはふにゃ、と泣きそうな顔で笑った。
「う……っわー、流石、真クンだよ。あんなことして、こんなに早起き……っ」
茜さんの涙腺がなぜかそこで決壊してしまったらしく、滂沱の涙を流しながら、茜さんは席に戻っていった。
「……いや、信じられないが、信じるしかない、よなぁ……真君、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫です。……あの、俺、昨日の昼ごろ倒れて、今目覚めたんですよね?」
「ああ、その通りだよ。……あんなことをして、まさか1日足らずのコストで済むとは……」
古泉さんも、珍しい表情を隠そうともしない。
「正直、もう当分真君と話せないんじゃないかと覚悟していたが……本当に、良かった」
「真さん、ここぞって時に強いよな。その豪運としぶとさ、俺にも分けてくれよ」
「でも、本当に良かったです……年単位で、真さん、起きないんじゃないか、って……」
「俺は十数年単位かと」
俺もそう思っていた。
少なくとも、1年ぐらいは寝っぱなしになるんじゃないか、と。
けれど、実際には1日足らずで済んだのだ。
「……あれ、真、ソウルクリスタル、どしたの?」
「……あら、本当……。真さんのソウルクリスタル、無くなって、ます、よね……?」
ロイナと金鞠さんに指摘されて初めて、ベルトを見る。
すると、そこに今まであったはずの、透明な銀化ガラスのような石は消えていた。
しかし、それへの不安は無い。
「ああ、これなら仕様です。恭介さん、申し訳ないんですが、食後にソウルクリスタルの抽出、お願いします」
「それはいいですけど……え?」
不安が無いのは俺だけのようで、皆は不審げに、或いは不安げに表情を曇らせていた。
……いや、違うか。
「おはよう、真君」
桜さんだけは、薄く……しかし、至極嬉しそうに、笑っていた。
「おはよう。桜さん」
俺も、笑顔で返した。
「……すみません、朝食、俺の分ってありますか?」
「ある訳ないじゃん!真君こんなに早起きなんて思わないもん!バーカ!バーカ!早起きすんならそう言ってから寝てよ!バアアアアアカ!」
「すまん、真君。飯がもう無いんだ。冷凍していた奴を温めて食べきってしまって……参ったな、どうするか」
「お味噌汁はあるけれど……」
「でも、主菜がありませんよね……ごめんなさい、とっておけばよかったわ……」
「ロイナのおやつあげるー!」
「あ、食パンあったぜ」
「こっち、切り餅ありますよ!」
……俺の朝食は、食パン半分と切り餅2つ、そして味噌汁とおやつカルパスという事になった。




