130話
その日の夜。
星間協会にはその日のうちに連絡を取って、明日の朝、会合を開くことにした。
流石に、夕食時から集まってあれこれするわけにはいかない。
どうせ、アイディオンに爆弾を仕掛けるならそれはそれで準備が必要なのだし。
ということで、今のうちに体調を万全にしておこう、という事でいつも通り早めにベッドにもぐりこんだ。
はずなのだ。
俺は確かにベッドに入った。
最近寒くなってきて、『ポーラスター』の布団事情は変化している。
夏は掛布団とタオルケットぐらいだったのだが、今はそこに毛布が2枚追加されている。
だから今日も、俺は毛布の柔らかさを感じながら、確かにベッドに入ったのだ。
……そのはずなのに、俺は今、良く分からない空間に居た。
あらゆるものがごたまぜになった空間だ。
シルフボードのコアのようなものが浮いていたり、桜さんのナイフが浮いていたり。
俺の傍に浮いているネクタイについているタイピンに見覚えがある。古泉さんがつけていたことがあったはずだ。
あっちに浮いている雑誌は茜さんが応接間のソファで寝そべりながら読んでいたものだ。
そっちに浮いている工具は恭介さんのものだろうか。
チェスの駒、碁石、将棋盤……トランプや花札は双子かな。
……こんな具合だ。
何から何まで、無秩序にただ浮いている。
そして、それ以外の場所は俺が認識しない限り、ただ『何もない』のだ。
……そんな状態だから、俺はすぐ気づいた。
『これは夢だ』と。
夢を見るのは久しぶりな気がする。
夢も見ずにぐっすり眠ってしまうほどに日中疲れ切る生活は、もう2年ちょっと続いているだろうか。
それより前に見る夢と言ったら、専らあの日の夢……つまり、悪夢だったので、まあ、こういう夢を見るのはかなり久しぶりなのだ。
……いや、『ポーラスター』に入ってから他に夢を見たような気もするけれど……あまり記憶には残っていない。
少なくとも、俺が夢の中で『ここは夢だ』と認識できるほどにはっきりした夢は久しぶりなのだ。
夢だ、と一度自覚してしまえば、ここは夢だった。
なんとなく体を動かして毛布の柔らかさを感じてみれば、俺の周りに毛布がいきなり現れる。
……これはきっと、明晰夢、というものなのだろう。
現実と区別がつかないぐらいリアルな夢。
しかし夢だ。あくまで、俺の頭の中で起きていることであって……だから、俺の思い通りに物事が変化するのだろう。
「……桜さん」
気づくと、桜さんが俺の傍にいて、きょろきょろとあたりを見回していた。
「……真君、ここ、どこかな……?」
不安げに油断なく辺りを見回す桜さんの動きに合わせて、桜さんの長い髪が揺れる。
……俺の夢の中に出て来るのだ。俺は案外、桜さんの事が気になっているのかもしれなかった。
俺と同じような……いや、もっと凄惨な体験をして、同じように孤独になって、そしてヒーローになった桜さんに、俺は多分、親近感を……いや、それ以上のものを感じているのかもしれない。
「どこだろうね」
俺の夢の中だ、なんて言ってしまうのもどうかと思われたので、適当に笑ってはぐらかす。
桜さんは不思議そうな顔をしたものの、それ以上は何も聞いてこなかった。
「気づいたらここに居たの」
「俺もだよ」
「……不思議なところ」
桜さんはつん、と、傍に浮いていた鉄パイプをつついた。
つつかれた鉄パイプはくるくる、と回りながら動いて、俺の方へゆったり動く。
それをキャッチすると、夢とは思えないぐらいリアルに、鉄の冷たさと錆のざらつきが感じられた。
……ここは夢の中だ。折角だから、試してみてもいいだろう。
イメージする。明確に木のぬくもりをイメージして、枝のごつごつしたかんじや、桜特有の皮の艶も、細部に至るまで思い浮かべる。
嘘を吐くときと似ているかもしれない。実際、似たようなものだ。夢も、嘘も。
「……わ」
俺の手の中で変化した鉄パイプは、同じ太さ、長さの桜の枝になる。
そして、枝分かれしたその先に桜色の霞を纏って……満開の桜の花になる。
桜の枝を地面(地面だと認識したら、俺の足は土を踏んでいた)に立てると、枝は根を張り、1本の桜の木になった。
「……『嘘』、吐いてるの?」
「いや、吐いてないよ。……ここは、そういう所みたいだから」
訝し気な桜さんに笑ってそう言えば、桜さんはそこらへんに浮いていたナイフを1本取って、何やら難しい顔で見つめ始めた。
……すると、ナイフの刃が深い緑色へ変わっていき、枝分かれしていく。
柄が温かみのある灰褐色に変化し、そのままそれは伸びていき……木の、枝になった。
桜さんはその木の枝を、桜の木の隣に立てる。すると、それはやはり根を張り、一本の木になった。
針葉樹だ。円錐形に葉を伸ばした姿が、閉じかけの傘か馬上槍の様にも見える。
「モミの木。……一年中葉っぱを付けている木だけれど、桜と並ぶと……ちょっと、変」
桜さんがくすくす笑うと風がふわり、と吹き抜け、桜の花びらを舞わせる。
「変なところ」
「変なところだね」
モミ、というらしい木の葉に、桜の花びらが雪の様に積もっていく。
俺達はあたりの探索に出ることにした。
桜さんいわく、いつまでもここに居る訳にはいかない、きっと皆心配している、という事だったので。
……俺の夢なのだから、目が覚めたらそれまでなのだし、そもそもこの桜さんも俺の見ている夢である訳だけれど……桜さんの手を引いて、俺は夢の中を歩くことにした。
「人込みじゃないと、歩きやすいね」
そういえば、桜さんと一緒にヒーローショーの会場を歩いた時は桜さんがしょっちゅう置いてけぼりになったっけ。
「その分物がたくさんあるけれどね」
「でも、物の動き方は分かるから……」
なのに、人の動き方は分からないのか。桜さんらしいと言えば桜さんらしいけれど。
「……誰もいないね」
暫く歩いても、誰もいなかった。
次第に物もまばらになってくる。
「出口も無いし……ソウタ君が居たら、フィールドをぶつけてもらうけれど……どうしよう」
俺はそんなことも無いのだけれど、桜さんはそろそろ不安になってきたらしい。
じゃあ、そろそろ仲間が見つかってもいいかな、なんて思った途端、前方に人影が見える。
「……アイディオン!」
そこには、アイディオンと、その周囲に浮かぶシャボン玉のようなもの、そして、その中で眠る様にしている『ポーラスター』のヒーロー達が居た。
……俺の夢、結構アグレッシブな展開だな。
まあ、いいか、折角の夢だし……。
〈まだ眠らせていない奴が居たのか〉
アイディオンがこちらを向いて、その手にシャボン玉のようなものを浮かべる。
〈さあ、眠れ。いい夢を見せてやろうじゃないか〉
そのシャボンはこちらに向かってふわふわと飛んでくる。
「真君!」
桜さんが投擲したナイフはシャボン玉に刺さり……通り抜けていってしまう。
物理的な攻撃が効かないのかもしれない。
シャボン玉は俺に向かって飛んでくる。でも、避ける気も無い。
「真君っ!」
桜さんが俺に駆け寄ってきて、俺を突き飛ばそうとする。シャボン玉から俺を逃れさせようと、必死なのだろう。
「悪いけれど、もう『いい夢』は間に合ってるよ」
でも、ここは俺にとって都合の良いようにできている。
〈な、何っ!?〉
俺を庇おうとした桜さんを抱きとめて逆に俺が庇うようにして、シャボン玉を軽くつつく。
シャボン玉はそれだけで、ぱちん、と爆ぜた。
〈なぜだ!なぜ効かない!〉
「効くわけないだろ」
効くとどうなるんだろうか。『いい夢』を見られるというなら効いてみてもいいかもしれないけれど、いくら夢の中だからといって、アイディオンに負けてやるのも癪だ。
折角だから、夢の中でだって勝ちたい。
そして、どうせなら、夢の中なんだから格好良く勝ちたい。
手に鉄パイプを握れば、手には鉄パイプがもう握られている。
この鉄パイプは形を変えることだってできるし、材質だって変えられる。
だってここは、夢の中だ。
「古泉さん、茜さん、恭介さん、コウタ君ソウタ君。朝だよ」
鉄パイプが熱を持ってどろり、と溶ける。
俺の手の上で溶けた鉄はボールぐらいの大きさに丸くなり、しかし、熱の色はますます強くなっていく。
溶けた鉄は赤から、白へ。
眩く輝くようになったそれを、そっと宙に浮かべれば、それは太陽となって輝く。
……俺が作り出した小さな太陽は、俺の思い通りの働きをしてくれる。
まず、暖かい光を浴びたシャボン玉が次々に割れていく。
皆シャボン玉から出てきて、そして、光を浴びて目覚めるのだ。
〈ば、馬鹿な、お前の異能は一体〉
戸惑うアイディオンが滑稽で、我ながら都合のいい夢だな、なんて思う。
少し発想がガキっぽ過ぎるだろうか。
いや、いいよね、夢なんだし。
……折角だから、という理由で、地面を蹴る。
それだけで俺の体は軽々と飛んで、アイディオンの眼前へ迫るのだ。
まるで身体能力補正特化のヒーローみたいに。
そして、一発。
古泉さんみたいに、拳をアイディオンに叩き込む。
……折角なら鉄パイプの方が良かったかな。
〈な、なぜ……強いヒーロー程、願望は強い、はず、だ……なぜ、取り込まれない……〉
俺の思い通り、綺麗に決まった右ストレートでアイディオンはよろめく。
もう一発、今度は茜さんみたいに踵落としを決めてやれば、今度こそアイディオンは動かなくなり、消えた。
後に残っていたのは薄い青緑色をしたソウルクリスタルと、頭を振りながら起き上がる仲間たち。
皆、目覚めて起き上がってすぐ、その姿をかき消していった。
悪いことじゃなくて、単に帰っただけ、と、俺の中で結論付けられたから、別に不安にもならない。
「真君、やっぱりすごい」
最後に残った桜さんが、薄く笑って、やはり消えていく。
達成感と切なさが混ざったような気持ちで桜さんの指先に触れると、すぐにその指先も消えていった。
残ったソウルクリスタルを拾い上げると、俺も、急速に意識が遠のいていく。
不思議な世界が薄れて、消えていく。
多分、目が覚めるんだろう。
……奇天烈な夢だったけれど、何もかも思い通りになるのは悪くなかった。
たまには夢も悪くないよな、と思わされる夢だった。
「……君、真君」
急激に意識が覚醒した。
「あー!起きた!起きたよ叔父さん!」
そして早速、茜さんの大きな声が耳を貫いた。
「真君、大丈夫か?」
そして、ベッドの上の俺の上に、古泉さんの顔がのぞき、横からコウタ君とソウタ君も心配そうにのぞき込んでくる。
「……ええと」
「え、大丈夫?真クン大丈夫?記憶変になってたりしない?」
……そして、茜さんの言葉に、記憶を辿る。
……とは言っても、夢を見ていたという事しか……。
「フィールド系のアイディオンと戦ったんだが、覚えていないか」
……。
「俺もソウも一発でやられちまって、相殺もできなくて……真さんがなんかやって助けてくれた、ってのは分かったんだけど……」
ええと……これは、いったい。
「俺、夢、見てたんじゃ」
「うん、真クン、そんでまた寝てた。つっても、一晩だけど」
待て。何のことだ。どうなってるんだ。
「俺、寝ましたよね」
「そうだな。夜の間に襲撃された」
「変な空間にバラバラに飛ばされたっぽかったよね」
「それで、変な異能を使われて……夢でも見てるみたいで……僕たち、それに魅せられちゃって……」
……成程。
「夢だけど夢じゃなかったんですね?」
「ちょっと、真クン、やっぱ変になってない?大丈夫?」
ちょっと、しばらく……うん、ほっといてほしい……。




