118話
「んー……真クン、ちょっと時間かかりそーね。……ま、丁度いっか」
茜さんはあっけらかん、と言うと、綺麗な姿勢でアイディオンに向かって立つ。
「ほら、真クン、ちょっと活躍しすぎだと思うんだよね。叔父さんも『赤い鎌のアイディオン』1人で討ち取ってるし、恭介君もカッコいいとこ見せつけてくれちゃったじゃない?……っつーことはさ、次はそろそろ私の見せ場かなー、ってさ」
茜さんの瞳がターコイズの光を湛えて、アイディオンを見つめる。
睨みつけるような、優しく見つめるような、複雑な視線は真っ直ぐ、アイディオンに突き刺さる。
「私ってさ、そろそろ真クンにもばれてる気がするけど、割とカッコつけなんだ。叔父さんと一緒でさ」
そして、その瞬間空気が歪んだ。
茜さんとアイディオンの精神攻撃が衝突したんだろう。
その余波だけで、また気分が悪くなりそうになる。
押され気味らしい茜さんがよろめきかけて一歩、足を後ろへ突く。
「……茜さん」
その茜さんを支えるように、恭介さんが茜さんの後ろに立った。
茜さんと同じようにアイディオンへと向けられた恭介さんの瞳が、ガラスのような緑色に染まっていく。
……異能を使っている。多分、茜さんを『映して』いるんだろう。
その精神攻撃の手段とか、精神攻撃に対する防御力の高さとか。
「俺も結構、恰好つけたがりなんで……お手伝い、します」
茜さんは一瞬驚いたような顔をし、それから至極嬉しそうに顔を緩め……すぐ、拗ねたように口を尖らせた。
「まーた恭介君、私の出番取る気?」
「駄目ですか」
茜さんは答える代わりか、恭介さんの手を握った。
そしてまた、精神攻撃同士が衝突する。
茜さんはより力強くアイディオンに視線を向け、恭介さんは歯を食いしばって耐えている。
恭介さんの異能がどの程度までものを『映す』事が出来るのかは分からないけれど……多分、茜さんの異能は、異能だけじゃなくて、茜さん自身が持っている素質みたいなものによって強化されている節がある。
茜さん本人の魅力だったり、茜さん本人の気質だったり。
そういったものが精神攻撃に関わっているのだとしたら、単純に異能だけ『映す』事が出来たとしても、恭介さんには荷が重いだろう。
〈たったそれだけの異能で勝てると思うなよ……!〉
アイディオンは出力を上げているらしい。
……茜さんと恭介さんに集中しないとまずいらしく、俺にまで精神攻撃が及んでいる訳では無いのが救いだ。
俺は、この間に何とか巧い嘘を考えて、吐かないといけない。
このアイディオンは、精神攻撃を行う異能を持っているのだろうか。
……多分、違う。それだけじゃない。
それは最初に気付いた事だ。
このアイディオンは、『物理的な攻撃が一切無効になるフィールド』を作る異能を使った。
それが使い捨てのソウルクリスタルによるものなのか、自前のものなのかは定かではない。
けれど、確実にこれはフィールドだ。
『ここでは物理的な攻撃は何の意味もなさない』と、アイディオンは言った。
『ここでは』という以上、ここにはフィールド系異能が使われていると考えるのが妥当だ。
そのあとの様子とも一致する。
……だから、このアイディオンの異能、『物理的な攻撃が一切無効になるフィールド』を突破するために最も簡単な方法は、『フィールド系異能を使って相殺する』事だ。
もし、コウタ君とソウタ君が真っ先に気絶していなければ、すぐにでも済んだんだけれど。
……ここで、俺が『フィールド系異能』を使う、という嘘を吐いたとする。
その時、当然ながら今の状況では多数決に勝てないので、フィールド系異能の相殺は真実とならない。
しかし、アイディオン本人は信じてしまう余地がある。そして、アイディオンが勘違いしてくれれば、アイディオンの異能を止めることができるかもしれない。
……そう、『アイディオンだけでもいいから騙せるならば』。
しかし、アイディオンは俺の嘘に疑問を抱くだろう。
『フィールド系異能を使えるなら、なぜ今まで使わなかったのか』という。
では、フィールド系異能を使う、という一発逆転技では無く、『俺自身が強力な精神攻撃系異能を使う』というのはどうだろう。
……俺、さっきまでアイディオンの精神攻撃をモロに食らってのたうち回っていた所なのだ。
そんな奴が精神攻撃系異能の使い手だと言っても、絶妙に説得力に欠ける。
攻撃特化の防御紙型だと言い張ったとしても、無理があるような……。
……というより、俺が嘘を吐くのに必要なのは『真実としてあり得るもの』では無く、『真実らしさのあるもの』なのだ。
極端に言ってしまえば、辻褄があっていない嘘だったとしても、『それらしい』と相手に思わせて騙しさえできれば、もうその時点で勝ちなのだ。
あくまで、俺が作るのは『嘘』なのだ。『真実』じゃない。ただ、『嘘』を『真実』らしく見せかけるために、『真実』らしさ、つまりは『真実としてあり得るもの』を想定しなきゃいけない、というだけで。
……俺が過去に使った手だが、『勝利を第三者に報告する』という類の嘘も、今回は使えない。
今回のアイディオンの厄介でないようで俺にとって厄介な部分は、『街に被害を与えていない』という点だ。
精神攻撃しかしないアイディオンだから、街の多くの人は、こんなに高レベルのアイディオンが居る、という事にまだ気づいてすらいない。
そして、気づいている人は大抵、もうここで気絶しているのだ。
……つまり、俺が例のちゃぶ台返し戦法を使おうとしたら、まず、『何も知らない第三者にアイディオンの存在を教える』所から始まる。
ヘタしたら、それで別に新たなアイディオンが生まれてしまう可能性すらあるのだ。
この手は避けたい。
……駄目だ。考えを戻そう。
やはり、『今まで使わなかった異能』の理由づけをした方が早そうだ。
今の今まで、盤面を大きく変える手段があるのに使わなかった、というからには、それ相応の理由が無ければ相手を納得させられないだろう。
真っ先に思いつくのは、コストの高さ、とかだろうか。
例えば、『異能を使ったら死ぬ』のなら、今の今まで異能を使う事を躊躇していた理由にはなる。
……当然、そういう嘘を吐いたら、俺がコストを払う羽目になる恐れは多分にあるのだけれど、そうも言っていられない状況ではある。
他には、条件がそろわなかったため今まで使えなかった、という理由づけができるだろうか。
例えば、『太陽が沈まないと異能を使えない』とか。
当然、そんな条件付けだったらとんでもない時間を待たされるわけだから、もっと効率のいい……つまり、都合のいい条件が必要だけれど。
他に考えられるとしたら、『今、ヒーロー適正に目覚めた』とか……だろうか?
しかし、これはちょっと難しい。
俺はいつから異能を持っていたのか、はっきり覚えていない。
……自分が体験した訳でも無いことについて嘘を吐ける自信が無い。
しかも、自分よりはるかに『異能』や『ヒーロー適正』について知っていそうなアイディオンというものに対して、となればなおさらだ。
……やはり、高いコストに躊躇した、というのが一番マシだろう。
俺が必死に考えている間にも、時間は過ぎていく。
アイディオンの攻撃も例外ではなく……茜さんと恭介さんだって、いつまでもつか分からない。
せめて、このフィールドだけでもなんとか解除できれば……あとは、古泉さんが何とかしてくれるだろう。
やっぱり、嘘は先手必勝だ。
当然、相手が動く前に動くのは難しい。
『嘘』で多数決に勝てる条件が揃っていたり、相手の手の内が事前に分かってでもいない限り。
……けれど、それでもやっぱり、先に動かなきゃいけなかった。
今回だったら、相手の異能がフィールド系異能だと気づいた時点で……。
あ。
……『相手の異能がフィールド系異能だと気づいた時点で俺は嘘を吐くべきだった』。
それは裏を返せば、『相手の異能がフィールド系異能だと気づくまでは嘘を吐かなくてもおかしくない』ということに、ならないか?
つまり……今の今まで異能を使わなかったのは、『気づかなかった』からだ。
俺は、『たった今』相手の異能がフィールド系異能だ、と、気づいた。
だから、今からフィールド系異能を使う。
……この嘘を見破ることはできないだろう。
だって、俺がバカかどうかなんて、外から見て分かる訳が無いのだから……。
「分かった!……アイディオン!」
急に、声を上げる。
明るく、正義感に満ち溢れたアホのふりをするのだ。
「お前の異能の正体が分かったぞ!お前の異能は……フィールド系異能だったんだ!」
〈遅い〉
アイディオンの何とも言えない声には気づかないふりをする。
だって俺、今気づいたんだもん。しょうがないもん。バカなんだもん……。
「お前はここ一帯をフィールドにして、近くに来た人たちに精神攻撃を仕掛けていた!……どうせ、精神攻撃の力を強化するような効果もあるフィールドなんだろう!そして、物理的な攻撃は一切効かない!なぜなら、ここがそういうフィールドだからだ!」
分かりきった事をまるで名探偵のように解説していく。
……気絶しないで残っていたヒーロー達も、なんとも言えない顔で俺を見ていた。
……後で釈明させてほしい。本当にごめんなさい。
「つまり!お前の異能……このフィールドは、新たなフィールドが現れた時、干渉しあって消滅する!……こういう風にな!」
そして、得意満面で……ここは本当に嘘偽りない得意満面で、懐からソウルクリスタル(の幻影)を取り出して……それを、使う。
「フィールドよ現れろ!」
使い捨てのソウルクリスタルの設定だから、別に俺がこのフィールドがどんなものかを把握している必然性は無い。
……だから、適当にソウルクリスタルの幻影を光らせて、辺りに……そうだな、深海の幻影でも出して……。
……それで、終わった。
〈な、っ……まさか、フィールド系異能のソウルクリスタルが……!?〉
「そのまさかさ」
深海が薄く溶けて広がっていき、やがて、完全に溶けると、不可視の力場が割れ砕けていく微かな音のようなものがあたりに広がった。
……フィールドが、相殺された。




