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117話

「ええい、もう返事なんて待ちませんよーッ!全員街のど真ん中に移動しますからねーッ!」

 茜さんが今どういう状況なのか。

 被害はどの程度なのか。

 気になることを気にするより先に、同行していたヒーローの中に瞬間移動系の異能もちが居てくれた事で、俺達はすぐに街へ戻ることができた。




 街のど真ん中、大通りのど真ん中に全員が移動することができたが、そこにはアイディオンの気配もない。

 誰が何を言うでもなく、誰からでもなく、上空へ上がって街の被害を確認する。

 ……も、特に建物の被害も見当たらない。

 こういう時にすぐに現場を見つけるための手段である、火の手や土煙の類も、見当たらないのだ。

 一瞬の困惑の後で、俺の横を風が通り過ぎていった。

 それは、普段の安定した飛び方からかけ離れた飛び方で飛んで行く、恭介さんによるもので。

 茜さんの場所、恭介さんは分かってるんだろうか。

「真君、あっち!風が変に巻いてるの!」

 そして、恭介さんが飛んで行った方向へ桜さんも飛んで行く。

 俺もすぐ、シルフボードを起動させて後を追った。


 茜さんは今、苦戦しているのだろう。

 古泉さんが連絡を受けたときの様子では、それは間違いない。

 あの強がりな茜さんが、『手柄を取られたくなかったら早く来た方がいい』と……つまり、『早く来て』と。そう言ったのだ。

 状況が芳しくない事はすぐ分かる。

 ……茜さんは『ポーラスター』の中で、コウタ君とソウタ君の次に戦闘力が低い。

 それは、茜さんの異能が防御よりも攻撃、攻撃よりも妨害に重点を置いた異能をだからだ。

 だから……言っちゃ悪いけれど、茜さん1人だったら時間稼ぎすら心もとない。

 せめて、攻撃力はともかく、防御力が高ければ、と思わずにはいられない。

 茜さんは回復もできるけれど……茜さんは、茜さん本人を回復させることはできないのだ。

 何から何まで、茜さんは1人で戦うのに向いていないヒーローだった。

 ましてや、Lv48のアイディオン、という強敵。

 そして、それにもかかわらず損壊の様子が見られないというような、奇妙な状態。

 茜さんにとっていい方向に働いているなんて思えない。

 俺達はとにかく先を急いだ。




 現場は、奇妙、の一言に尽きた。

 アイディオンの巨体と、その前に仁王立ちする茜さん。

 その周りには、倒れたヒーローや一般市民。

 外傷は見当たらない。

 けれど、無事だとも思えない状況だ。

「茜さん!」

「来ないで!」

 恭介さんが叫ぶように茜さんを呼ぶと、茜さんは振り返らずに、やはり叫ぶように返事が返ってくる。

 その代わりに、桜さんが黙ってアイディオンにナイフを投げる。

 ……すると、アイディオンにそのナイフは刺さり……落ちた。

 アイディオンの体には傷がついていない。

 〈もう遅い。手遅れだったな〉

 アイディオンが勝ち誇ったように言い、茜さんが憎悪をむき出してアイディオンを睨んだ。


 〈ここでは物理的な攻撃は何の意味もなさない〉

 アイディオンが、先ほど桜さんが投げたナイフを拾いあげて、アイディオン自身に突き刺した。

 〈この通りな〉

 そして、そのナイフをするり、となんなく引き抜くと……そこには、傷も何も無いのだった。

 血一滴、流れない。まるで、ナイフで刺したこと自体が無かったことになったかのように。

 〈この戦いに武力は必要ない。必要なのは、精神力だ〉

 アイディオンが、手を掲げる。

「伏せてっ!」

 茜さんが鋭く叫び……それと同時に、俺の頭の中で、一気に何かが膨れ上がって、一気に弾けた。

 ……それは、誰かの、誰か達の憎悪だ。

 理由も根拠もない、ただの憎悪。

 何故それが俺に向けられているのかもわからないけれど、ただ、憎まれている感覚だけが俺を支配する。それも、酷く強く、強く。

 憎悪はひたすら俺の頭の中を……体を、浸食していく。

 形の無いそれは、しかし確実に、痛みとなって俺を襲う。

 覆い尽くされるようにそれに纏わりつかれて、最早何も見えない。何も聞こえない。

 体の奥深く、柔らかくて弱い部分を握りつぶされるような、鈍器で殴られるような……そんな鈍い痛みを伴う感覚に、思わず叫びそうになる。

 ……実際、叫んでいたかもしれない。

 とにかく、衝撃は生半可では無かった。

 全て放り出して、どこかに逃げ込みたくなるような、そんな類の衝撃。

 それは、確実に俺から様々なものを奪っていく。奪われて、空っぽになって、それでも尚。

「真クン!こっち!」

 ……永遠にも思える苦しみの中、暗闇のような、砂嵐のような、見えているのか見えていないのか分からないような視界の中に、一瞬、ピンクゴールドの光を見たような気がした。

 途端。

 俺の中の一部が、甘く溶ける。

 暖かくて、甘くて、柔らかくて……どうしようもなく、心地いい。

 苦しみの中、その甘さを毒だと思う理性すらもう無くて、俺はすぐ、それに縋りつく。

 もう全部、溶かされてもいいと思って、それにすべて委ねてしまって……それから、不意に、放り出された。

「っ、はは……やっぱ真クンも、そこそこ耐性、あるんだ。さっすが男の子。ちゃんと立ってるだけでえらいえらい」

 急に霧の晴れた頭、視界、聴覚……。

 ありとあらゆるものが急に、現実として俺の中に戻ってきた。

「……俺、何して……」

 俺の視界には、倒れたヒーロー達……古泉さんが、コウタ君とソウタ君、そして……桜さんをも抱きかかえて、後方へ退避していた。

 3人とも、気絶してしまっているらしい。古泉さんが厳しい表情を浮かべていた。

「精神攻撃ですよ」

 そして、茜さんの隣では恭介さんも青ざめた顔で立っていた。

「……あれが、精神攻撃、ですか」


 今回初めて、精神攻撃を受けた。

 精神に働きかける攻撃だ、という、字面程度の情報でしか知らなかったそれは、実際に体験してみて初めて、その恐ろしさを俺に教えてくれる。

 ……正直、想像以上だった。

 あんなに酷い苦しみを伴うものだなんて、知らなかった。

「あはは、ごめんね、真クン。ちょーっと真クン、自力で払うのは無理そーだったからさ、誘惑で上書きさせてもらっちゃった」

 さっきの、酷く甘い感覚は茜さんの誘惑、だったらしい。

 ……成程、確かに、『天国味わわせちゃう』異能だ。

「結構強くやっちゃったけど、大丈夫?後遺症無い?わたしと桜とどっちが綺麗だと思う?」

「大丈夫です、ありがとうございます。茜さんと桜さんはジャンルが違うと思います。綺麗なのは桜さんです!」

「よっしゃ真クンも正常だ。若干理性とび気味だけど!」

 気の抜けたやりとりをしながら、後方を振り返る。

 古泉さんは、例の2つ目のソウルクリスタルのおかげか、精神攻撃にも自力で耐えられたらしい。

 しかし、コウタ君とソウタ君、そして桜さんはそうもいかなかったようだ。

 ……双子はまだ幼いぐらいだし、精神攻撃で受けるダメージに耐えられるだけの強靭な精神を持っていなくても仕方ない。

 そして、桜さんは、精神攻撃に耐性がほとんどないらしいから、仕方ない。

 ……想像だけど、桜さんの精神は多分、強化ガラスのようなものなんじゃないだろうか。

 凄く強いし、硬い。でも、ある一点だけに力がかかったら、全てばらばらに壊れてしまう。そんな気がする。

「……で、どうするんですか、アレ」

 恭介さんはうまく『鏡』を使ったのか……いや、もしかしたら、単純に耐えきったのかもしれない。

 恭介さんも、茜さんほどじゃないけれど精神攻撃への耐性は高かったはずだ。

「精神攻撃しか攻撃手段として使えないなら、古泉さんすらお荷物なんですが」

「それね。……そーだなー、真クン、あれ、なんとかできそ?」

 ……周りを見る。

 精神攻撃にやられて、倒れたヒーロー達。

 立っている人は少ない。それだけ精神攻撃が強力だった、ということか。

 ……生きのこったのは、俺と茜さんと恭介さん、古泉さんと……他に、ヒーローが3名、という所か。

 それから、アイディオン。

 ……嘘を吐くとしたら、どうすればいいのか。

 何を騙せばいいか、と考えれば、真っ先に『物理的な攻撃が効くようになった』という嘘が思い当たる。

 しかし……アイディオンは、精神攻撃を使ってきている以上、幻影系にも耐性があると考えた方がいいだろう。

 なら、アイディオンは騙しにくい。

 ……そして、残るヒーロー達7人のうち、4人は『ポーラスター』の人間だ。

 この時点で、多数決もできない。

「……難しそう、です」

 咄嗟に、思いつく嘘が無かった。


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