105話
「……でも、俺にそうは、言わなかったよね。……なんで、っていうのも変かな」
俺は、人を生き返らせられる。
……いや、正確には、『死ななかった事にできる』。『死んだことを嘘にできる』。
だから、桜さんに頼まれたら……やったと思う。
10年も前に死んだ人の死をどうやったら嘘にできるのか、少し頭を使わないといけないだろうし、コストもかかりそうだけれど、それでも、多分やったと思う。
しかし、桜さんは俺に頼まなかった。
……生命倫理が、とか、そういう今更な話じゃないだろう。
気になる理由をしかし、尋ねるのも不躾だし、俺も言い淀んで、そのまま数秒が過ぎた頃、桜さんは口を開いた。
「お姉ちゃんが『死ななかった』ら、もっと多くの人が死んだことに、なっちゃうから。……私のお姉ちゃん、ヒーローだったの。……10年前のLv30アイディオン襲撃の時、Lv30アイディオンと戦ったヒーローの1人が、お姉ちゃんだった」
1人のヒーローでは歯が立たなかった超高レベルアイディオン。
それは、複数人であっても十分すぎる程に強すぎるものだったはずだ。
事実、あの時のヒーローで生き残っているヒーローは、片手で数えられる程だ、というのだから。
桜さんのお姉さんはその時に亡くなったのだろう。
「お姉ちゃんは強かったから……すごく沢山、時間稼ぎできた。お姉ちゃんが居なかったら、もっともっとたくさん、人が死んだと思う」
……Lv30アイディオンは、街の真ん中にいきなり現れた。
当時、シルフボードも今ほど発達していなくて、空を飛んだりできるヒーローも限られていた。
第一、今よりもヒーロー個人の能力は低かった、と言われていた時代だ。
当然、Lv30アイディオンが現れて……その近くに偶々いたヒーローが、最初に1人で戦う事になる。
仲間が駆けつけてくるまでを耐えながら。
悲惨だ。
今でこそ、ヒーローは数人規模で組んで戦う事もできるようになった。
だから俺は、1人で超高レベルアイディオンに挑む絶望感を知らない。
俺が直面する死は、桜さんのお姉さんが直面した死よりもずっと温いのだろう。
……想像に余りある。
「……それから、もう、『カミカゼ・バタフライ』は戦いすぎてるから。……今更、もう無かったことにはできないから」
俺がその意味を問う前に、桜さんが髪留めを外した。
澄んだ翡翠色のそれは、桜さんのカルディア・デバイスだ。俺は、これで桜さんが変身するところを何度も見てきている。
「このカルディア・デバイスは、私のものじゃないの。……『カミカゼ・バタフライ』も、お姉ちゃんのヒーローネーム。『風祭蝶子』は風系異能で戦うヒーローだったから」
墓石には、『風祭家』と書かれた横に、『蝶子』と書かれている。
……パズルのピースが組み合わさっていく。
つまり、桜さんは。
「桜さんは、ずっとお姉さんの代わりに『カミカゼ・バタフライ』を続けてきた、っていう事?」
「……そう。お姉ちゃんが、このカルディア・デバイスをくれた時から……お姉ちゃんが死んだ時から、ずっと私は『カミカゼ・バタフライ』」
桜さんは、手にしたカルディア・デバイスを握った。
桜さんは異能を2つ使える。
1つは非エレメントの風系。
もう1つは、未来予知。
……このうちの風系異能の方は、古泉さんにとっての回復系異能の様に……桜さん自身のものでは無かった、という事だったらしい。
「お姉ちゃん、アイディオンにやられて。……それで、物陰に居た私に、これ、くれて……これで風を呼んで逃げなさい、って」
他人のソウルクリスタルも、使い捨てにすれば1回だけ、誰でも使える。
蝶子さんは桜さんにそういう意図でカルディア・デバイスを渡したという事だろう。
「……だから、お姉ちゃんがそのまま死んじゃって、私は……変身した」
当時7歳だったはずの桜さんは、そうして変身したのだという。
他人のソウルクリスタルで。
……いや、他人、とは言えないか。家族のものだったんだから。
古泉さんにしても、2つ目のソウルクリスタルは奥さんのものだったし……そういう関係があるのかもしれない。
「変身してね、避難場所まで風で飛んで行った。風の呼び方なんて分からなかったけれど、勝手に風が来て運んでくれた。……それで、避難所についたらね」
桜さんは見た事の無い表情を浮かべて、俺でも墓石でも無い位置に話しかけるように続けた。
「ヒーローなのになんで逃げてきたんだ、って」
「7歳の女の子に?」
「7歳でも、私はその時もう、『カミカゼ・バタフライ』だったから」
……当時、今ほどヒーローは多くなかった。
だから逆に、各ヒーローはそれぞれよく知られていて……きっと『カミカゼ・バタフライ』もよく知られていて……だから、装備が同じで、同じ異能を使う人だったら、それが7歳の女の子であったとしても……。
「なんにも知らないくせにね。……ううん、なんにも知らないから。『カミカゼ・バタフライ』がどうして死んだのか知らないから。死んだことすら知らないから。だから『カミカゼ・バタフライ』を責められた」
当時7歳の、姉を喪ったばかりの女の子に対して、どのような言葉が投げつけられたのかは想像に難くない。
何故ならその女の子はもう、『カミカゼ・バタフライ』だったから。
「……だから、『風祭蝶子』が死ななかった事にはできないの。もう、私が『カミカゼ・バタフライ』なんだから……」
……どういう嘘を吐いたら、そのあたりが綺麗に収まるのか、俺には皆目見当もつかなかった。
また、そういう嘘があったとして、それをどのぐらいの人が信じてくれるのだろう。
それに、ヘタしたら『カミカゼ・バタフライ』が死ななかった事にしたせいで『風祭桜』が消えてしまうかもしれないのだ。
複雑に絡んだ糸は、解し方などもう分からない。
「だから、真君にそういう嘘を吐いてもらわなくていいの。『カミカゼ・バタフライ』はここに居るから。……今日は、その確認」
そっと目を閉じた桜さんが胸中で何を思っているのかは分からないけれど……多分、桜さんは俺なんかよりもずっと頑張ってきたんだな、っていう事だけは分かった。
桜さんは少しばかりの瞑目を終えて、それからふと、申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね、真君、こんなことにつき合わせて……」
「いや、俺も来てよかったと思ってるよ」
もう記憶も朧になってきた俺の家族のことをもう一度思い出せた。
それは俺にとって、アイディオンと戦う大きな理由の1つなのだから。
桜さんもこうやって、1年に1度、気持ちを新たにするのだろう。
……それに、桜さんの事を知れた、というのも、良かったと、思う。
「帰ろうか」
「……うん」
桜さんは小さく微笑んで、墓石に背を向けて歩きはじめた。
帰宅途中、Lv8アイディオンを見つけて倒してお土産代わりにした。
……気持ちの変化だろうか。いつもより調子が良かったように感じた。
事務所に戻る頃にはもうそろそろ夕方になりかけていて、事務所からは夕食の支度をしているらしい音と香り、そして、人が居る証明である明りが溢れていた。
「……俺さ、こうやって、薄暗くなってから帰って、部屋に明りが灯ってる、っていう事が嬉しくて」
ほんの半年前位まで、帰っても冷たい空気と暗い部屋があるだけだったのだ。
それが今では、暖かくて、明りが灯っていて、そして、「おかえり」と言ってもらえる。
つくづく、恵まれてるよなあ、と思う。
……墓参りなんてしてきたから、センチメンタルになってるのかもしれないけれど。
「……私も、嬉しい」
桜さんと顔を見合わせながら、俺達は揃ってバルコニーに着陸した。
「ただいま戻りました!」
「ただいま」
窓を開ければ、応接間で書類仕事をしていたらしい古泉さんと、ソファに寝そべって雑誌を読んでいる茜さんが揃って「おかえり」と笑顔を向けてくれた。
翌日。
「ちょっといいか」
古泉さんが朝食の席に、何か紙を持ってきた。
「これを見て欲しい。……どうする?参加するか?」
それを見て、桜さんは首を傾げ、茜さんは顔を輝かせ、恭介さんは嫌そうな顔をし、コウタ君とソウタ君は楽しげに顔を見合わせた。
尚、ロイナはまだ文字を読めないので、金鞠さんに読んでもらっている。
「ええとね……ヒーロー大運動会、ですって」




