10話
俺が『死んだ』事になっている、という事は、『ミリオン・ブレイバーズ』から俺の死亡届が出された、っていう事だろう。
少なくとも、今探されてる訳じゃないって事だ。
「ということで、真君には今日から苗字を忘れてもらう」
そして、俺は今日から、『計野真』ではなく、『真』として生活する。
「……ま、記憶喪失のふりをして貰う、っていう事だな。じゃないと、君を拾った俺達が届け出なかった事が罪になるし……かといって、届け出ると君の存在が公になるしなぁ」
なので、『ポーラスター』は、記憶喪失の『真』を拾って、生活基盤を支えるために雇ってあげた、という体を取る。
それに合わせて、俺は自分の下の名前以外の個人情報は……ヒーローの卵だったことも含めて、全て『忘れている』という事にする。
……当然、そんなのは言い訳でしかないんだけれど、逆に、そんな言い訳だからこそ、否定する事もできないだろう。
いざとなったら正当防衛が働くかな、位の覚悟でいる。
向こうだって事を公にはしたくないだろうし。
「とりあえず、俺は徹夜で真さんの装備、作るんで。明日の昼過ぎから業務に入ってもらえるようにやってみます」
……装備って、そんなに早くできるものなんだろうか。
恭介さんの体が心配だけれど、本人がやると言っているからか……それ以上に、楽しそうだからか、誰も止めずに、部屋に入っていく恭介さんを見送った。
「それじゃあ、多分、明日の昼過ぎから真君には業務の手伝いをして貰うと思う。慣れてきたら、その内他の業務も手伝ってもらうだろうなぁ……依頼の類、とか」
ヒーローの業務は、アイディオンと戦う事だけでは無い。
月ごとに課せられたアイディオン討伐ノルマは、あくまで、ここが『ヒーロー事業者』を名乗る為の最低ライン。
助成金は一応出るけれど、ちゃんと稼ぐ、となったら、それだけでは足りないはずだ。
だから、ここも、『依頼の受付』をしている。
つまり、依頼人から依頼を受けて、その業務内容をヒーローがこなす、と。それだけのものだ。
「うちは零細だから、大抵はえり好みせずにやってるよ。当然、法とか人道に反するものだったり、あまりにも無茶だったりするものは断ってるが」
「この間は身代金目的の誘拐事件の解決だったっけ?」
……世の中には、その異能を正しいことに使わない人もいる。
当然、ヒーロー適性がある人は登録を義務付けられているけれど、それでもその網の目を掻い潜ろうとする人は後を絶たない。
そして、そういう人たちを取り締まれるのは、同じく力を持つヒーローなのだ。
「さらにその前はおばあちゃんの買い物の付き添い」
「テレビの修理とかもやった記憶が……」
……ただし、そういう事件はやっぱり数が限られている。
ここみたいな零細事務所だと、どうしても、便利屋扱いは免れないようだった。
そして翌日。
恭介さんは朝食の席に現れなかった。
「あー、そりゃ、今日の昼までに何とかする、ってんだったらさ、多分昼まで、ほんとに部屋から出てこないと思うよ。恭介君はいっつもそうだからさ」
茜さんを始め、他の面子も当然、といった顔なので、そんなに珍しいことでも無いらしい。
……なんとなく、想像は付いたけれど。
朝食を終えた茜さんと桜さんがアイディオン狩りに出てしまうと、俺はひたすら装備ができるのを待つことになった。
恭介さんの工作室……機材や工具が大量に置かれた、装備を作ったりメンテナンスしたりするための部屋からは、ひっきりなしに物音が聞こえている。
そわそわと落ち着かない気持ちで待っていると、古泉さんのデスクの上に置かれた電話が鳴った。
「はい。『ポーラスター』です……あ、はい。ご依頼ですね。……はい。……はい。そうですか。ではすぐに……うちのヒーローと向かいます。新米ですが、腕は確かです。……はい。そうですね。はい。……畏まりました。では」
短く何かをやり取りした後、古泉さんは受話器を置いて、俺を振り向いた。
「ちょっと想定外だったが、真君の初仕事だ。荷物を受け取って、指定の場所まで届ける仕事だ。……ただし、恐らくだが、妨害が入る、とのことだ。敵は俺が引きうけるから、真君は全速力で指定の場所まで向かってほしい。シルフボードと透明化があれば何とかなると思う」
……成程。確かに、そうだ。
透明にする事は出来たんだから、透明に「なる」ことも可能だろう。
そして、透明になれたなら、こういう仕事にうってつけじゃないか。
「さて。じゃあ、これを適当に左胸に付けておいてくれ」
古泉さんは外していたネクタイを締めながら、俺に何かを投げて寄越した。
……それは、星のようなマークが入った、銀色のバッチだった。
「うちの社章だな。それが身分証明書の代わりになる。荷物の受け渡しの時にはそれを見せてくれ」
胸にバッチを留めて、部屋からシルフボードを持ってくる。
その時には古泉さんもしっかりスーツ姿になっていた。
「よし、戸締りOK。それじゃあ行くか」
玄関の鍵を閉めたと思ったら……バルコニーに出て、そのまま宙へ飛び出した。
慌ててそれをシルフボードで追う。
……古泉さんは、途中まで重力に従って落ちると、途中で急に、上昇してきた。
まるで、空中でトランポリンに乗ったような……そんな不思議な軌道を描きながら、どんどん進んでいく。
とにかく速かった。
上下に跳ねるような移動の仕方は茜さんに似ているかもしれない。
けれど、そのぶれなさと速さからからは技術の高さが窺い知れる。
……古泉さんは何の異能を持っているんだろう。
『スカイ・ダイバー』なのだから……そういう異能なんだろうけれど。
「よし、真君。そろそろ透明になっておいてくれ」
ビル街に差し掛かる所で、古泉さんからそう指示された。
「目的地を教えておくから、覚えておいてくれよ」
若干速度を落とした古泉さんが、透明になった俺にこっそりと伝える。
「いいか……あそこのビルの、6階だ。窓から入れるようになっていると思うから、窓から突っ込めばいい」
そっと示された建物を、しっかり覚えておく。
これでも、地図の把握は得意な方だ。忘れるなんていうヘマはしない。
「荷物の受け渡しが済んだら、先に事務所に戻っていてくれ。俺は……見えるか?ビルの上だな……ああいう連中を片付けてから戻る」
反対側のビルの屋上を見ると、確かに、黒っぽい恰好をした集団が居るのが見える。
……5人、ぐらいだろうか。
「連中の死角で君に荷物を預ける。俺はそのまま荷物を持っているふりをして出るから、君はできるだけ俺から離れて目的地に向かってくれ」
「分かりました」
つまり、古泉さんが囮役を買って出てくれる、という事だ。
……それを気に病むことはしない。
古泉さんなら5人程度を相手取っても勝てるんだろうと思うし、俺は俺に与えられた仕事をこなすだけだ。
「よし。じゃあ、着いたぞ。……あそこのビルの、非常階段に着陸するからな」
古泉さんが着陸したのを見て、俺はその隣に浮いておく。
狭い場所だし、別に俺も着陸する必要はないだろう。
古泉さんが非常口をノックすると、小さくドアが開いて、中から人が出てきた。
「こんにちは。『ポーラスター』です。お荷物の受け取りに参りました」
「ああ、いつもありがとうございます。……こちらが荷物です」
中から出てきた人が、紙包みを古泉さんに渡す。
「はい。では、確かに」
古泉さんは包みを受け取ると、徒歩で階段を下りはじめた。
下り切った所で非常ドアの閉まる音がしてから、古泉さんは包みを俺に渡した。
渡された包みはずしりと重い。
「じゃあ、さっきの通りに。事務所でまた会おう」
古泉さんはジャケットの内側に、そこら辺に落ちていたコンクリートブロックを隠すように入れてから……空へ、落ちるように飛んでいった。
……俺も、シルフボードを起動させて高度を一気に上げた。
高度を上げると、さっきの黒っぽい恰好の集団が古泉さんに襲いかかっていくのが見えた。
勿論、それに構わず、俺はさっき説明されたビルまでの道程を急ぐ。
透明になっているからか、全力で進んでいるからか、特に誰かに邪魔されるわけでも無く、案外あっさりと目的地に着いてしまった。
古泉さんの事前の説明通り、空いている窓があったので、そこから飛び込む。
「うわ!なんだなんだ」
ブレーキを掛けたものの、強く風を起こしてしまったらしい。
部屋の中の人たちが警戒するように身構えた。
あわてて透明化を解くと、部屋の中の人達は驚き……その後、俺の持っている紙包みに目が行き、俺の左胸の社章を見て納得した様な顔をした。
「『ポーラスター』の新人さんかな?」
その中から、年配の男性が笑顔でやってきた。
「はい。荷物をお届けに参りました」
こちらです、と、その男性に荷物を渡すと、ありがとう、と礼を言って男性は包みを受け取った。
「……はい、確かに受け取ったよ。これが代金だ。古泉君にもよろしく伝えておいてくれ」
この人は古泉さんの顔見知りらしい。
……恐らく、こういった荷物の受け渡しとかで、『ポーラスター』を利用しているんだろう。
さて、これで仕事は終わったわけだし、俺は指示通り、事務所に戻ろう。
と、そう思った矢先。
……室内にサイレンが響いた。
「……嘘だろ!?突破されたのか!?」
「シールド装置に不具合が発生しています!」
「くそ、ハッキング能力持ちか!」
焦るような声が次々と飛び交う。
……もしかして、これ、ヤバいんじゃないのか。
「……すまない、『ポーラスター』の新人くん。もう1つ、依頼を受けて貰えないだろうか」
……ほらみろ。これ、ヤバいやつだ。