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Ⅳ-ii 舞台裏の種明かし

 歴史に残る演説を終え一通りの戴冠式のイベントを終えたシーナは、疲れ果てたように極上のソファに倒れると、寛いでいた黒猫の耳をかいてやった。

「――左手はもう痛まんのか?」

目は黒猫に向けたまま、愉快そうに笑いながらシーナはレントに言った。レントは嫌そうな顔をしながら答えた。

「これもお前さんの思惑通りかな、お陰様ですっかりよくなったよ。」

皮肉たっぷりに言うその言葉は、しかし全く彼女に刺さりもしなかった。

「へたれの君が私のためにサーヘル殴ってくれるなんて、全くの予想外さ。……だが素手で殴り倒すってのは笑えたな。ありがたいことに他の連中は、私に飛んできた矢を止めるのに精一杯で弓兵操ってたサーヘルにまで魔法を使う余裕がなかった、と解釈してくれたようだが。――下手したら君の魔法のへたれっぷりがばればれだったな?」

「誰がへたれだ誰が!」

レントが怒鳴ると、シーナは意に介さず、笑った。そして思いがけず素直に言う。

「でもま、助けてくれたのはホントに嬉しかったよ。……どうだい、生まれて初めて人を殴った感想は?」

「は、最悪だな。……その後おかしな素振りを見せれば魔導師誰でも首刎ね宣言した誰かさんよりゃよっぽどましな人間だとは実感できたが。」

 レントの脳裏に、蔑むようなサーヘルの目が、焼き付いている。


――はっ、ならば私もさっさと殺せばよいものを

そう言って首を振ったサーヘルは、しかし何も起こらなかった。……恐怖に顔を引きつらせ、何度も首を振る。壊れた人形のようなその素振りは、しかしサーヘルに何ももたらさない。

――我が身風に乗せ空へ運べ!

呪文があっても同じだった。

シーナがくつくつと笑う。ケパルドとラカの兵士たちもにやにやと笑っていた。……レントはその場にいるのが嫌だった。

――竜になぜ魔法が効かぬか知っておるか?その身を覆う鱗によって自らの身に及ぼされるあらゆるイメージの変化を拒むのだ。では……魔法使いの身を竜鱗で覆ったならば、魔法によるイメージの変化が、外に伝わるであろうか?

……ああだから、あのシーナがすぐに首を刎ねなかったのか。そう気付いたレントの胸に、絶望とも失望とも呼べる苦いものが、ゆっくりと酸味を増して広がってゆく。取り押さえられたサーヘルは、何故かケパルド兵の鎧兜を着せられ、その上で縛りあげられていたのだ。


 目の前のシーナはあの時と同じように、「当り前だろう?」と言う。

「執法団の連中に聞いてみろ、ちゃんと我が国の法律で反則的な力持ってるから魔導師はおかしな素振り見せたらすぐ首刎ね、ってなってんだぞ。」

ならばいっそその場で首を刎ねればよかったものを……。怒りと嫌悪と混乱で、レントは自分が何を考えているのかよくわからなかった。それでも怒りの炎を抑え込むように、静かにシーナに言葉が向けられる。

「……それを実行でき、かつ本気でする人間は少ないがな。お前の望み通り、俺が殴っただけのサーヘルも帰国後絞首刑だ。」

吐き捨てるようにレントが言うと、シーナはふっと、笑った。

「そんなにサーヘルを救いたかったか?それとも……十年前に偽りの力で負かしたままなのが気にかかってるのか?」

きっと、レントの目じりが吊りあがり、黒猫は目を細めた。

「お前は……昔からそうだ!何が俺の力が欲しい、だ!結局は魔帥の息子という俺の立場を利用しているだけじゃないか!」

黒猫が「シャア」と唸り声をあげ、毛を逆立ててレントに警告する。しかしシーナはチィを優しく撫ぜ、穏やかに微笑んだ。

「否定は、しないさ。……幾ら私だとて魔導師全部敵に回したくない。君も知っての通り、君の親父殿は立ち回りが上手い。かつての執政官以上にな。サーヘルがあちら側、君がこちら側とどちらに転んでもいいようにするのに、賛成してくれたんだろ?」

「ああ、お陰で行きたくもないケパルドへの公式使節に加えられた上、サーヘルから聞きたくもない事実を聞かされたさ。……お前、シグロを殺しただろ?」

 途端、黒猫の体が一転二転三転し、少女の白い手が長身の男の頬を張ったいて赤く染めた。

「シーナ様がそんなことをなさるはずがないでしょう!その件については……。」

「……アズリル、離してやれ。この場合殴られるべきは私の方だ。……シグロの死をお前に黙っていたのは事実なんだからな。」

「それは……言えなかったのでしょう?」

泣きそうになりながら、アズリルはシーナに笑いかけた。シーナは目を伏せ、肯定も否定もしなかった。

「全てを捨ててシーナ様の味方だと宣言したばかり、シグロ様の死を知ったところで私はお別れを告げに師を訪ねることもしなかったでしょう。……だからあなたは黙っていた。それなのに、この馬鹿なへたれは、シーナ様を責めて……!」

きっと、アズリルの瞳がレントを睨みつける。レントは少々たじろぎ、アズリルの向こうのシーナを見ることができずに、目の前の少女に視線を吸い寄せられる。

 シーナはそんな二人を見て、ふっと笑みを漏らすと起き上がり、アズリルの言葉を肯定するでも否定するでもなく、静かに言った。

「ありがとう、アズリル。……チィ、すまんが二人きりで話したいことがある。しばらく外してくれないか。」

アズリルは驚いて振り返り、眉を顰めたが、その目を見つめると大人しく一転二転三転して、黒猫の姿に戻って部屋を出て行った。後に残された二人が何を話しているのか、聞こうと思えばアズリルには容易かったが、逆に何者も話を聞けないよう部屋に結界をかけて、彼女は部屋を離れた。






――これはこれは、魔帥ガルガレント殿のご子息、レント様ではございませぬか。

にやにや笑いながら近づいてきたのは、少年と言うには背が高く、青白く、ひょろ長い。その横に立つ今一人は、立派な服を着ながらも、その顔に浮かべた表情は下卑たものだった。

――兄上に、サーヘルか。うちのレントに何か用か?

微笑みながらも、その瞳は険呑な光を帯びている。一緒にいたアズリルも、警戒するように身を強張らせる。

――おお姫君、失礼いたしました。魔法も使えぬ役立たずをまさか姫君がお連れしているとは露ほども思わなかったもので……。

……シーナを男の子と主張し正統な王位継承権を主張していたシェーハザード様が亡くなり、周囲は公然とシーナを姫と呼ぶようになっていた。だがシーナ自身は、軽く肩を竦めて、自らの腹違いの兄に素っ気なく言った。

――兄上、このような品のない輩を連れて歩くなぞ、王家の恥、供にはもう少しまともな者を連れた方がよろしいでしょうな。

――ふっ、はっはっははは、王家の恥、とな?女子のくせして男の格好をしているような輩に言われたくはないわ。

しかしシーナは笑ったまま、にこやかに告げた。

――その女子に、つい先日剣で負かされたのはどなたでしたか?剣の腕前もさることながら、供の質もこちらの方が余程上だと言わざるを得ませんね。

第二王子の顔が紅潮する。……しかし、こちらを見ると、ふっと笑みを漏らした。

――そなたの供とは、魔法も使えぬ役立たずのことか?それともそちらのどこぞのあばずれ娘か?……ふはは、確かにどちらも夜の相手をさせるには役立つかもしれないなあ?おおそうか、そなたが男の子の格好をしておるのはそういうことか!!

……アズリルは今すぐにでも殺してやりたいという形相をしていたが、黙ったまま、何も言わない。口を開こうとした俺を制して、シーナがにこやかに微笑む。

――そのように下卑た冗談をおっしゃるのは御供の影響でしょうか?魔法も使えぬ役立たず?誰のことを言っているのでしょう?

――決まっておろう?そちらの顔ばかり麗しい大魔導師殿のご子息のことよ。

――ふっ、おもしろいことを仰る。レントでしたら、こ奴は確かに立派な才能を父上殿から引き継いでおられますよ?やるときゃやる男ですからね。何でしたら、そちらの下品な魔法使い殿と勝負させてみては如何でしょう?

驚き、抗議しようとした俺を、アズリルが引きとめる。その傍らで、勝手に話は進む。

――よいのか?そ奴が魔法を使えぬことは、周知の事実ぞ?

――兄上こそよいのですか?私に剣で負かされたばかりでなく、供の者まで負かされては、また母君に叱られて尻を叩かれるのではないですか?

途端、王子の頬が真っ赤になる。

――お前っ、どこでそれを……!!

――さあ?兄上よりは、人望がありますもので。

――っっ!!よかろう!明日正午、宮殿前の噴水広場で、魔法使い同士の決闘を行うとする!

――よいのですか、そのような目立つ場所で?兄上の敗北が、民に知られることとなりますよ?

――笑止っ!そなたこそせいぜいそやつが怪我をせぬよう、今の内に謝ればどうだ?

――それこそ笑止。我が友人二人に対する数々の無礼、レントが勝利した暁には必ず詫びて頂きましょう。

……最早、二人を止めることはできそうになかった。第二王子もサーヘルも、こちらをにたにたと見て笑うばかり。


――っっ何を考えてるんだ、お前は!

やっとそう言えたのは、後宮シーナの居住区域に戻ってからだった。

――実際魔法が使えないわけじゃないだろう?まあ確かに、決闘に向いた魔法ではないがな。それにソルの奴、お前だけならまだしもアズリルのことも馬鹿にした。

――っっっ!!それは確かにそうだが、それでどうして俺がサーヘルと決闘するんだっ!

負けるに決まっている、そう叫ぶと、シーナはふっと笑いをもらした。

――お前、悔しくないのか?……ふんっ、まあいい。本当にお前がそう思っているのなら、策がないわけじゃあない。だから、逃げるような真似だけはしてくれるなよ?

――なっ……!!

それ以上、有無を言わせず、シーナは話を切り上げた。

そして次の日、彼女の言った通り、俺は偽りの勝利を手に入れ、そして王都を離れる決意を固めたのだった。






 アズリルがいなくなった部屋を、重い沈黙がおりる。……思えば、アズリルなしでさしで話すのは初めてかもしれない。シーナの学友として召しあげられてから、アズリルのいないことはいくらもあった。それでもこうしてシーナとだけ向かい合って話すのは、初めてに違いない。……いつだって彼女は、唯一人の主を思う少女の他に、何人もの人間に囲まれていたのだから。

シーナはどこから話そうかと考えあぐねたように視線をさ迷わせていたが、やがてレントに焦点を定めた。

「……母上が。」

覚悟を決めたように、疲れたように微笑んで、シーナは口を開いた。その背筋はいつものように、ピンと伸びている。レントは黙って立ったまま、その先を待った。

「――母上が用意していた筋書きは、ここまでだ。あの人は三人の妃の中で正統に絶大なる寵愛を受けながらも、美しい仮面の下に憎悪を隠した。」

「……知っている。シェーハザード様は、お前以外に子を望まなかったからな。」

シーナは微笑んで、その言葉を肯定した。

「そう、本物の王子がほしいのであれば、私を男の子と思いこみ、王になるべく育てる必要はなかった。それよりももう一人子を成し正妃の子である正真正銘本物の王子を推挙する方が容易い。事実、父上はそれを望んでいた。……しかし母上がそれ以上子を成すことはなく、故国から連れてきた精霊使いの死をいたく悲しみ、後を追うようにして亡くなった。……当時既に私は、自らが女であることなどとうの昔に気づいていた。」

「……ああ。」

レントの脳裏に、シーナの母、シェーハザードの姿が思い浮かぶ。目の前のシーナと同じ黒い髪、白い肌――。しかし絶世の美姫と謳われた彼女は、王との間に唯一成した子を男の子だと言い張り、正統な王位を主張した。シェーハザードのいる場所で、彼女を姫と呼ぶのは禁句であった。

――淡い花びらが舞う庭で、一人の少女が踊っていたのを思い出す。

「それは、アズリルも同様だ。――母上が死に、父上を含め連中は私を改めて姫に仕立て直そうとした。ジーノが来て、唯一の姫としての扱いに甘んじよ、と忠告しに来たこともあった。それから魔導師の連中は顔を合わすたびに、そろそろよき婿をみつけませんとな、と遠まわしに言ってきた。そんなことをわざわざ言われずとも、私もアズリルも、私が“女”であることはとうの昔に知っていた。」

「……。」

レントが彼女を“姫”と呼んだのは一度きり、本当の意味で初めて言葉を交わした、花の舞う庭でだけ、直後に主よりよほど姫らしい忠実なる従者に頬をはたかれた、その一度きりだけだった。

「……それでも母上の遺した言葉があった。」

「シェーハザード様は何と?」

絶世の美姫、自らの娘を、王子と言い張り正当な王位を死ぬまで主張し続けた正妃、死ぬ間際は、病でやつれてなお、壮絶な美しさを保っていたと聞いている。

 シーナはしかし、微笑んで、素っ気なくその言葉を口にした。

「ただ一言、王になりなさい、と――。それだけが遺された私たちの心の拠り所だった。」

レントは何かを言おうとして……そして結局何も言わなかった。シーナは、目ざとくそれを見つける。

「不服そうだな?」

「いや……何でもない。続けろ。」

その物言いを聞いて、シーナはくつくつと笑った。

「今や一国の主に対して『続けろ』、か。お前は本当に昔から変わらない……。」

懐かしむように、目を細める。

 ――花びらの舞う庭に、同じ笑い声が響く。あの時と変わっていないのは、一体どちらだろうか。

 「母上が死に、それまで私を取り巻いていた連中は静観を決めこんだ。変わらず訓練に顔を出す私を見れば軍の連中は戸惑い、母上にこびへつらっていた連中に話しかければ曖昧に言葉を濁して目を逸らす。母上が死ぬ前と変わらぬ私の振舞いに、以前と同じく接してきたのはアズリルとその母、そしてお前くらいなもんだった。もっともお前は、目こそ逸らさなかったものの、寡黙になったがな。」

愉快そうに、再びくつくつと笑った。レントは神妙な面持ちで、口を開いた。

「……そもそも俺がお前の学友として紹介された理由が理由だったからな。」

「ああ、親父殿はお前を私の婚約者にする腹積もりだったのだろう?なんだ、それでお前、柄にもなく私を女として意識でもしていたのか?」

「なっ……はぁ、そういうことじゃなくてだな……。」

レントにとって、シーナは男だとか女だとか、そういうことを抜きにした、関係だった。例え本人の境遇だとか親の思惑だとか意識せざるを得ない状況があったにしても、本音を言ってしまえばそういうものをシーナに対して意識したことはない。レントは深く溜息を吐き、首を振った。

「無理矢理婚約者にされてもおかしくない状況だったんだぞ……お前わかってたのか……。」

「そりゃないさ。王家の直系とはいえ、中々に厄介な姫だったからな。他国に嫁がせるには余りに危ういし、国内の貴族で喜んで私をもらおうなんて輩は母上のあの態度ではおるまい。母上にすり寄っていた連中はそういう腹積もりもあったようだが、母上がそれを許さなかった。お前が唯一の例外だったわけだが、母上亡き後は希望者多数で互いに牽制しあってお前の親父殿ですら容易に手は出せん状況だった。」

唯一の例外という言葉に、レントは驚いた表情をした。その様子にシーナは呆れて、肩を竦めた。

「なんだ、私にそういった話が一つもなかったとでも思っていたのか?母上がそんなこともわからずにおめおめ魔帥殿の思惑通りお前を受け入れたとでも?……一つ教えてやろう、レント。アズリルのあの演技力は我が母上直伝のものぞ。」

「……は?」

脳裏に、幼い子どもそのものの、チィの姿が思い浮かぶ。レントもカイも、確かに年の割に賢い子どもだとは思っていたが、シーナが弟子にしろと連れてきたのだし、何よりその仕草や何やらは至って普通の子どものそれで、疑いようがなかったのだ。

シーナはやれやれと首を振った。

「本当のところを言えばな、母上が真実我が女であることをわかっていなかったのかどうかさえ、怪しいものだと私は思っているのだがな。母上を狂気におかされていた、と考えていた者は多くいたが、ならばどうして単身シャシーから嫁いできた身で軍を始めラカ貴族の連中を言いくるめることができた?我を男の子と言い張るくせに、貴族の同年齢の友人をお前を除き、決してつくらせようとしなかったのは何故だ?……答えは至って簡単だ。我の友人にと息子を差し出す連中の真意を母上は見抜いていたからだ。」

「……なら、どうして俺は選ばれた?」

完全に戸惑うレントに、シーナはあっさり「さあな。」ともう一度肩を竦めた。

「魔帥殿との伝手がよほど惜しかったのか、もしくは単純にアズリルに見劣りしないお前の容姿が気に入ったのか。母上亡き今、その真意なぞ私にわかるわけはなかろう?まあ実際母上は、お前のことを相当気に入っていたようだったから、存外単純にその容姿で例外になったのやもしれんぞ?」

シーナはからかうように笑ったが、レントの方は褒められたばかりの顔を歪ませて、複雑そうな表情をしていた。

 一しきり笑い終えると、シーナはふっと、レントの顔をまじまじと見やり、口の端をあげると、ふっとその指でレントの顎をつまんで自分へと向ける。

「本当に、顔ばかりの執政官と言われかねんほどに整った造作よな。」

「……気色悪い。やめろ。なんでお前そんな手慣れてんだ。」

微笑み、ふっと指を滑らせ、離れる。……全くもって手慣れている。手慣れすぎている。花街の大妓女ジェンヌを一体どうやって口説き落としたのか、どんなに気になっても絶対聞くまい、とレントは心に誓った。

「つまらん。もう少し反応してくれてもいいものを。」

「……それで話の続きはどうなった。」

シーナの期待を黙殺し、真面目な話に戻れと促す。シーナは残念そうに肩をすくめると、一瞬で真面目な顔に戻った。

「……そうだな、アズリルの話に戻るか。

お前も知っての通りアズリルは、母上が連れてきたシャシーの侍女とラカの騎士の間の子どもだ。どちらの親も精霊使いや魔法使いの資質を発揮していたわけではないが、偶然にも血が混じり、アズリルが生まれて、眠りし二つの才能は開花した。……あいつはな、切り札だったのだ。魔導師連中は皆ジーノに取り入り、母上につく奇特な魔法使いはシグロくらい。シャシーから連れてきた精霊使いも唯一人、後は鍛え上げられているとはいえ、味方にいるのは唯人の軍人ばかり。しかしながら偶然が重なって、史上最強の魔法使いにして精霊使いが生まれた。しかも私の一番身近な人間として、だ。」

淡い花びらと共に舞う少女の姿を再び思い浮かべる。目の前の幼馴染は彼女を金の妖精と呼び、レントもその言葉の通りだと思った。妖精のように軽やかで、可憐で、そして美しすぎるほどの舞い――。

 シーナの現実の声が響く。

「――切り札は隠さねばならぬ。当時アズリルが魔法と精霊術の両方を扱えることを知っていたのは母上の他にはあれの母と、あれに魔法と精霊術を教えたそれぞれの師くらいだった。そして精霊使いは死に、母上も亡くなり、知っている人間はごくわずかになった。」

「……そして裏切る可能性があったのは唯一人、ということか。」

――花びらの舞う庭は遠ざかり、美しい光景はあの時と同じく、目の前の幼馴染によって終わりを告げる。……嫌悪に表情を歪ませるレントに、シーナは微笑んだ。

「シグロは……特殊な魔法の修行方法を提起していた人間でな。認められず、あまつさえ魔導師の地位も剥奪され、母上にすり寄るしか、魔導師連中を見返すチャンスはなかった。そしてその唯一にして最高傑作のアズリルが生まれた。……隠せという方が無理であろう?」

「水神を呼び出したのは、反応を見るためか。」

レントは、再び煮え出した怒りを抑えているかのような、夜叉のごとき形相になっていた。その鬼のような形相に対し、シーナの顔は穏やかで、微笑んでさえみせる。事実、レントには到底理解し得なかったが、嬉しそうに、満足の笑みを浮かべていた。

「……流石、真実を見抜く目は確かだ。それもある。事実あ奴は、あの魔法の真犯人にすぐに気が付き、私を問い詰めた。『いつまで貴方様の強大な武器を隠しておくつもりですか、シェーハザード様亡き今こそ、その武器を正当に扱うべきでしょう』、と。」

「そのやり取り……アズリルは知っているのか?」

今にも泣きそうな、唯一絶対最強無二の強大なる兵器――。その顔が浮かび、レントは目を伏せた。――花びらの舞う庭で踊っていた金の妖精は、いつでも唯一人のことしか考えていなかった。

責めるような、それでいてどこか泣きそうな声に、シーナは軽く肩をすくめたが、伏せられたレントの目には入るはずもない。

「さあな……知らんはずだが、もしかしたら精霊や魔法を介して知っていたかもしれん。あいつは本気になれば、私にさえも嘘を突き通す。母上直伝の演技力は、時に我からもその真意を覆い隠す故に、な。

 とにもかくにも、アズリル自身の意向は師のそれとは真逆で、自らの死を演じてまで自分の存在を隠した。……いつでも私がその力を使えるように。」

「――だから、殺したのか。」

相変わらず伏せた目のまま、それでも確かにその咎を責める口調で、レントは言った。唯一人、切り札の威力を知り、口外するかもしれない人間の存在を、消したのだろう、と。……しかしシーナは、ゆっくりと、そして確実に、その首を振ると、はっきりとした声で告げた。

「……アズリルの死を知り、絶望の果てに自殺したんだ。」

はっと、レントの顔がシーナへと向けられた。シーナはその瞳を真っ直ぐに見て、頷いた。続いて説明するその言葉はやはり、はっきりと、そして簡潔なものであった。

「あ奴は、アズリルを実の娘以上に心血注いで育てていたからな。一しきり私に嘘だろうとつめより、私が嘘ではないと告げるとやがて帰ってゆき、翌日部屋で首をくくっているのを発見されたそうだ。」

「それは……。」

レントの手はしばしさ迷い、そしてどこへゆくこともなくその場で空をつかんで握られ、再びその視線はシーナから逸らされた。シーナはその間ずっと、十年ぶりの幼馴染の顔を見つめ続けていた。

「…………それでもお前は……使わなかったんだな。」

しばしの沈黙の後、言葉と共に、レントの目が、戸惑いながらも、シーナの瞳をとらえた。

……使おうと思えば、いつでも使えたはずだ。邪魔な執政官を殺すのでも、二人の兄を殺すのでもいい。……しかしそのように、彼女が乳姉妹を使うことはなかった。それどころか、父の死にそうな大事な政治の局面に、わざわざレントを呼び戻すという名目で、遠ざけたのだ。幾らレントでも、シーナのその真意はわかる。

シーナの瞳が一瞬煌めき、嬉しそうに目を細めたような気がしたが、すぐにそれは寂しい微笑みへと化した。

「……私にとってあれは、唯一無二の友だ。それはお前も変わらないよ、レント――。」

その言葉にレントは眉を潜めたが……ただそれだけだった。シーナはすぐにもう一度微笑み、言葉を紡ぐ。

「水神を呼びだしたのは、シグロの本心を確かめたかったのもあるが、それ以上に、たかが魔法が使えないというだけで頭脳も血筋もそれから充分すぎるほどの理想を備えている自慢すべき友人を、表に引っ張り出したかったんだ。」

「…………。」

レントはしばし無言の内に、目の前の幼馴染を見つめた。

 男として、王子として母に育てられ、そして王になれと遺された言葉に従い、自らを女と知って尚その態度を変えなかった幼馴染――。彼女が“王”となるためには、決して綺麗事だけで通用するはずがない。そもそもその目指す理由が、綺麗事のためではない。それでも彼女はその歩みを止めず、終には今日、父と二人の兄の亡くなりし城で、その頭に冠を戴いたのだ。

 一瞬目をつむり、やがてゆっくりとその目を開く。瞬いてもなお、変わるはずのない、幼馴染の姿がそこにあった。

「……ゆくゆくは執政官にするために、か。」

苦々しく、吐いた。それが、結局のところレントの知る、シーナという人間だった。

目の前の幼馴染は、人の心をつかむ魅力を持つのも確かだが、計算ができないわけではない。魔法大国ラカで、魔導師をまるきり無視するわけにはいかないのだ。対立する魔帥には退場してもらうにしても、魔導師をまとめられる人間を掌中に置いておかなければならないのは火を見るよりも明らか、そしてそのために、彼女は自分を執政官にしたがっているのだと、レントは思っていた。……水神うんぬんかんぬんは、結局のところ魔導師を納得させるためのもの、友人のためと言いながら、そういった計算をしない幼馴染でないことは、レントは充分知っていた。

しかしシーナは、意外なことに笑った。レントの疑いをはねのけるかのように、もしくは知っていたからこそか、無邪気に笑った。そう、笑ったのだ!!

「ああ。……だってこれを、実現させたかったからな。」

シーナはそう言って、乱雑にまとめられた紙の束を放って寄こした。

レントの目が驚きに見張られた。

それは一見、何のことはない、古びた紙の束であった。しかしレントはその束をよく知っていた。そしてそれが今ここで出てきたことに、大いに動揺していた。

「……お前が、持っていたのか。」

震える手で綴じていた紐を解き、頁をめくる。

 それは彼女と出会うよりも以前、魔法が使えないと見切りをつけられ、蔵書室にこもってばかりだった毎日、書き綴ったものだった。シーナと出会い、魔法の才がない代わりに姫に取り入れとばかりに学友にされて蔵書室に足を運ぶ機会が減ってからも続き、しかしアズリルが水神を呼びだしたその日、置き去りにして王都を飛び出した。そして十年ぶりに王都に戻ってから捜したものの、どこへやら消え失せて、それきり記憶の片隅にしまいこんでいたのだ。

 流麗とは言い難い文字列、今よりはるかに少ない語彙――。それでもそれは、確かにレントが描いたものだった。

 その内容をたどるように、シーナが目を閉じ、口を開く。

「『何故魔法をもっと有効に使わないのか。何故医術を始めとする有用な智慧の数々が深まらないのか。』……その答えを読んで、私は実現させたいと思った。だから、母上が亡くなってなお、自らを女と知ってなお、私は王を目指してきたんだ。」

戸惑う瞳に、シーナの熱を帯びた瞳が映り込む。

突然の告白に、レントの頭がついていかない。今更、そんなことを言われて信じられるだろうか。

そう、彼女はいつだって魔法を期待しているわけではない、と言い続けてきた。それならば血筋を期待しているのだろうと、ずっと思っていた。……しかしそうではないのだと、彼女は笑って告げる。今更だ、今更、その言葉を信じられるというのだろうか。

 「……何故これを実現したいと思ったんだ?」

わなわなとふるえる唇に、シーナは躊躇いなく答えた。

「理想、だったからだ。」

「理想?」

ふっと、自嘲するかのように、シーナは嗤った。

「自らを女だと自覚した時、私が何も迷わなかったと?そんなはずはない。女が王になった試しのないラカで、わざわざ我が母上を除けば周囲に評判のよい兄を押しのけてまで我が玉座に就く必要はあるのかと何度も考えた。そんな折に、お前がこれを書いているのを見かけて、隙を見て読んでいった。そしてこれを実現させるためならば、私が王になる意味もあるのではないかと思った。」

「……お前は、これを実現できると、本気で思うのか?魔法大国のこのラカで、実現できると?」

ふ、っと、シーナが笑う。

「実現させるために、我がやってきたことをお前は知っているだろう、レント――。」

まっすぐと、その視線は目の前の幼馴染へと注がれる。その藍色の奥を見透かそうとでもするかのように、レントはただじっと見つめ返した。

 「……一つ、聞きたいことがある。」

「何だ?」

微笑んだまま、シーナは先を促した。まるでもう、王手は積んだ、と言わんばかりの笑顔である。

レントは一つ呼吸をし、そしてその瞳を睨みつけるように見据えた。

「……リュイ殿下が、やっていなかったらどうするつもりだったんだ?」

その言葉に、今度はシーナが不意をつかれたかのように、目を見開いた。しばらくの間、口が何も言えないかのように、開いては閉じ、閉じては開く。

 やがてその目がほそまり、一気に険呑な光を帯びた。……そう、レントがよく知る彼女の顔、アズリルには決して見ることのできない、幼馴染の表情だった。

「……その名は他言無用だ。二度と、口にするな。」

一言一句、くっきりと区切られ発音された言葉に、レントは首を振った。

「……事実は事実だ。リュイ殿下が、お前が王となるのに最大の障壁だった三人、つまり執政官ケイロン、第一王子ジーノ、そして第二王子ソルの三人を殺したのは、どれだけ覆い隠そうとも、紛れもない事実だ。」

目の前の幼馴染を睨みつけ、彼女もレントを睨みつける。両者睨みあったまま、しかしシーナは変わらず険呑な光をその瞳に宿していたものの、何も言わずに、レントの断罪に耐えるかのようにして黙っていた。

「親父は俺がお前を助けたのに加え、リュイ殿下の仕業を全て手下の魔導師のせいにして恩を売ることで、うまくお前と同盟を組んだ。だが軍の連中はともかく、お前自身は親父を放逐することを望んでいなかっただろう?俺を使節に加えさせたことからして、そうだ。」

シーナは肯定するでも否定するでもなく、じっとレントを睨み続けている。レントは、言葉を重ねた。

「いくらお前が軍の連中を鍛えて強くしたとしても、他国の認識は、魔導師がいるからこそ桁違いに強大な国、だ。魔導師を完全に駆逐すれば、いくら軍が強かろうとも攻め入る隙ができたと思われる。しかも親父の魔導師としての立場は絶大だ。親父を放逐すれば、魔導師の大半の者の心が離れる。その代わりとして俺を据えるには、俺は余りに魔導師連中から離れすぎていた。だから親父の体面も保ちつつ、より確実な味方となる俺へと代替わりさせる必要があった。だが軍の連中は魔導師なぞ駆逐したいに違いない。一番の味方である軍の連中の手前、堂々親父と同盟を結ぶわけにもいかない。だからリュイのような、弱みのせいにする必要があった。」

再び出された名前に、シーナの目が、すっとほそまる。

「……その名を、出すなと言っただろう。」

「ではやはり、リュイ殿下がやったことも、お前の計算の内なのか?」

「違うっっ!!」

瞬間、空気が震えた。

その恫喝に、レントは怯むこともなく、シーナの瞳を見つめていた。シーナは、肩をわななかせていたが、やがて自らを落ち着かせるかのように、ゆっくりと口を開いた。

「……執政官とジーノ、そしてソルを殺したのは、あいつ自身の意思だ。あいつは自らの意思で義母妹(わたし)のために、祖父と実兄、そして今一人の義母兄(あに)を殺した。……そんなことをせずとも、父上の死の真相を暴けば、あやつらを縛り首にできたっ!!ガルガレントも証言する手はずだった!!あ奴が手を汚さずとも、何もかもうまくいくはずだったんだっ!!」

シーナの頬を、涙が伝い落ちた。……レントは驚いた。母が亡くなった時でさえ、シーナは涙を見せなかった。王になる人間が、涙を見せるわけにはいかぬだろう、と微笑んでさえ見せて。

 ケパルドから戻った一行を待ち受けていたのは、一の王子ジーノ、二の王子ソル、そして執政官ケイロンの訃報だった。彼らを殺したのは、二人の魔導師兄弟だと言う。動機は私怨、かつて二人は両親を執政官の命により亡くしたも同然だった。……できすぎたかのような、おあつらえの舞台、シーナが玉座につくのに、堂々異論を唱えるものはなかった。

 しかしそれは偽りで、内々にレントの父、魔帥ガルガレントが、真相を手土産に取引を持ちかけてきた。同じ王家による血生臭い真相を隠し、自らは引退する代わりに、新政権における魔導師の地位の保障を求めてきた。……そしてシーナは、異母兄のために、その取引に応じた。

 その言葉の通り全てが計算でないにしても、第三王子リュイでなくとも誰かがそのような行動を取りそうなことぐらい、シーナならばわかっているだろうと思っていた。シーナがいない間に彼らを殺せば、シーナの地位はこの上なく正当で確固たるものとなる。紛れもなく、それはシーナの命令であるはずがないのだから。……恐らく、アズリルが残っていたとしたら、躊躇いなく同じ行動を取っただろう。リュイとアズリルは、その点とてもよく似ていたのだから――。

 あぁだから、こいつは涙を流すのか。彼もまた、彼女にとってかけがえのない大切なもので、アズリルと同じように、本当ならば手を汚さずにいてほしかったに違いない――。

「……やはり陛下は、殺されたのか。」

驚き戸惑いながらも、やっと、それだけを問う。

 王の死の真相を暴けば、とシーナは言った。その真相の意味するところは、他に考えられない。

 目の前の幼馴染と同じ、藍色の瞳、威厳のある風貌が脳裏に蘇る。

目の前の彼女は絶世の美姫と謳われた美貌を受け継いだわけではなかったが、かと言って亡き王と瓜二つ、というわけでもなかった。ちょうどよい塩梅に血が混ざり、唯一その瞳だけが強烈に王の子だと主張する。

シーナは何かを思い出すように、もしくは涙を止めるためか、静かに目を閉じた。

「ああ。……死の間際、熱に浮かされ私を呼び正式に王位を譲ろうとしていたらしい。流石の執政官殿も、父上のそのような言動は許せなかったのだろう。どの道私に暗殺の罪を着せるつもりだった。躊躇いなく、殺せと命じたそうだ。……その頃には、既に私は城にいなかったわけだが。」

「どうやって城を抜け出したんだ?」

王都に戻ってすぐに、ブレッドから簡単に聞かされはしたが、それでもどうやって魔導師の連中の目を欺いたのか、レントにはわからなかった。

シーナは簡単なことだ、と言わんばかりに、肩をすくめた。

「見たことのない場所のイメージを引き出すのは難しい――。父上が死ねば、連中が強硬手段に出るのはわかっていた。だから容態が悪化したと聞き、月の穢れを理由に後宮の月宮に籠るふりをして、隠し通路から逃げた。月宮に入れるのは生粋の王家の女とその限られた世話係だけ、妃とて例外ではない。当代では私だけということになる。隠し通路に至っては魔導師連中は存在さえも知らぬはずだ。魔導師連中が覗き見れない、数少ない場所さ――。

月籠りは大概一週間、ケパルドへ逃げる手配はあらかじめしてあったからな。一週間もあれば北の国境は既に超えていた。……まさか殺すとは思っていなかった。寿命で死んだのを、私のせいにされるだけだろうと思っていたんだ。だから先手を打って、ケパルドへ急行し、身の潔白を証明するため、死亡と暗殺の嫌疑がかけられてすぐに求婚状が届くようにした。そうすれば、私ではない何者かの手によって殺された事実だけが残る。その何者かをジーノと執政官に仕立て上げるのを、無事に帰国できた暁にはお前の親父殿に協力してもらう手筈だった。」

そして溜息をつき、首をふった。

「早まった真似をするなと、軍部の連中には散々釘を刺してあった。私自身の手で、連中を追い詰めなければ意味がないのだと言って。……まさかあのリュイが、実の家族を殺すなんて思ってもいなかった。連中もそう思っていたからこそ、あっさり毒殺されたんだろう。」

穏やかな表情の、碧眼が頭に浮かぶ――。

 第三王子リュイは、第二妃の真ん中の息子、第一王子ジーノと第四王子ゴンザレスと並んで執政官の孫に当たったが、他の二人の王子や、第三妃の息子第二王子ソルのように、話題にのぼることはほとんどない人物だった。病がちで、王家の参列すべき公式行事も休みがち、この年齢まで生き延びることができたのは奇跡とさえ言われていた。

 レントも、彼のことをよく知っていたわけではない。城にはほぼ毎日出入りしていたが、顔をあわせることはおろか、見かけることさえも殆どなかった。……ただ、一度を除いては。

「……あのサーヘルとの決闘の日、」

人びとで溢れかえる、噴水広場、こちらを馬鹿にしきった魔法使いと第二王子の表情、それなのに、背後で余裕綽々にシーナが嗤う。……今、現実の幼馴染は、黙って耳を傾けている。

「何もしていないのに水神が呼び出され、最初は驚いたが、次第に怒りの方が募って来た。どうやったかはわからなかったが、とにかくお前の仕業だとはわかった。それにその意図もな。シェーハザード様が亡くなられて、それでもお前から離れなかったのは俺なりの友情の証のつもりだったのに、お前はそれを利用するのかと腸が煮えくりかえった。

とにかく広場から遠ざかりたかった。裏道を通って城下に行こうと思ってたんだが、人混みが多くてとても誰にも見られず姿を消せそうになかった。仕方がなく城内を、人気のない方へない方へと歩いていった。」

時折聞こえる噂話は、先ほどの偽りの勝利について。それから遠ざかりたくて、普段は入らないような場所を歩いているのに気付かなかった。

「無茶苦茶に歩いていたから、どこを歩いているのかなんてわかっていなかった。全然見たこともなければ人気もない区域で、正面から人が来て、咄嗟に誰もいない部屋でやり過ごそうと思って、中に入った。そしたら……殿下がいた。」

誰もいないと思った部屋はやたら広く、子どものための魔道具やら玩具やらが、整然と並んでおり、一目で誰かの部屋だと知れた。そして窓際の寝台には、驚きに碧眼を見張る、自分と同年代の少年がいた。

「それまで殿下を見たことがあったわけではなかったが、部屋の様子からすぐにわかった。すぐに詫びて出て行こうとしたが、俺の名を呼び、引きとめられた。」

碧眼の主は、にっこりこちらに笑いかけてきた。


――君、“レント”だろう?いつもシーナが話してくれるよ。


正妃の娘シーナと第二妃の息子リュイがそれほど仲がよいとは全く知らなかった。同じ第二妃の息子ゴンザレスは、しょっちゅうシーナとつるんでくだらない悪戯をして一緒に遊んでいるのを知っていたが、リュイの話はシーナから聞いたことなど一度もなかった。

「何を、話したんだ?」

疲れ切ったかのような、シーナの声が先を促す。


――水神を呼び出したんだって?おめでとう。

――違うっ!!あれは俺の力じゃ……。


レントは目をつぶり、一度、深呼吸をする。

「――魔帥の息子なのが、羨ましい、と言われた。」

その言葉の意味を計りかねるかのように、しばし、沈黙が落ちる。レントは溜息を吐き、思い出す。

「……頭に血がのぼった俺に、殿下は言った。自分が義母妹(おとうと)にしてやれることはほとんどない。魔法が使えないのだとしても、魔帥の息子であればできることはいくらでもあるだろうに、と。」

……お前には、それしか価値がないのだと、言われたような気持ちだった。そして目の前の王子は、真実心の底からその価値を、欲していた。

 正直、欲しいのならば、幾らでもくれてやると思った。……魔法の才がほしかったわけじゃない。血筋が大事だったわけじゃあない。城の奥底で、大事に大事にされているという噂の王子に、そんなことを言われたくはなかった。

「……それで、出て行ったのか?」

多少の驚きを含んだ目で、シーナが問う。

 母親そっくりの、美しい碧眼、それに出会ったのは、後にも先にもそれ一度きり。王家殺しの真実を知る彼は、病気の療養という名目で、今もなお、城の一角にひっそりと軟禁されている。

一度きり交わした会話を思いながらも、レントは首を振った。

「いや……それだけではない。元から、外つ国には興味があった。いつか、王都を出たいと思っていた。だから、その時期を早めただけのつもりだった。」

本で知った数々の冒険譚、さらなる知識、広い世界――。しかし結局住み着いたのは、王国の端の端、わずかに可能な真実を覗き見る魔法で、王都の噂を拾い、拾ってはどうすることもないままに、月日は流れてしまった。

 ここにきて、ようやくシーナはくつくつと笑いをもらした。

「……お前のことは五年前、ラケディアの戦でアズリルが周囲を探っていた折に、偶然見つけたんだ。アズリルがそれを教えてくれたのは更に二年後だったがな。……あいつは、お前が消えてからずっと怒っていたからな。自分だけは私の目の前から絶対にいなくなったりしないと誓い、その証として、自分の死を演じたくらいだ。あいつには、お前が私を見捨てたように感じられたんだろう。」

「否定は、しない。」

口に出して、はっきりと言う。

 母が亡くなって尚シーナには、アズリルがいて、異母弟(ゴンザレス)がいて、異母兄(リュイ)もいて、自分は必要ないだろうと思っていた。必要だとしても、それは魔帥ガルガレントの息子としての自分で、それ以上の価値を、幼馴染が自分に見出しているなんて思いもしなかった。風の噂に聞けば着々と味方は増え、終には第一王子ジーノとはっきり対立するほどの勢力だった。なれば、自分はこのまま終生王国の片隅で、ひっそり暮らし続ける平和な人生を送ろうと思っていたのだ。

 「なあ、どうしても、執政官になるのは嫌か――?」

改めて、シーナの瞳が、まっすぐレントを捉える。……いつだって、彼女は勝算のない勝負をすることはない。

「……俺が、必要なのか。」

「ああ。」

躊躇いなく、返される言葉には、とびきり上等の笑顔が添えられて――。


――私の大事な義母妹(おとうと)を、よろしく頼むよ。


「正直、お前のやり方には辟易する時がある。その時には、遠慮なく言わせてもらうぞ?」

「ああ、構わない。」

さらに、笑顔が深まる。


――もう、逃げ出さん。約束しよう。だから、連れて行けばいい。

――執政官に、なるんですの……?

また彼女を、泣かせるのかもしれない。唯一人、絶対の味方として、死を演じてまで仕えてきたのに。十年間逃げてた俺が、その居場所を減らしてしまうのだから。


「俺は、俺のやりたいようにしかやらんぞ。」

「構わない。」

「ならば……勝手にしろ。」

「ありがとう。」

にこやかに笑い、立ちあがる。シーナの手が、差し出される。


――っざけないでください!

そうやって、また出会った時と同じように、はり倒されればいいか。


レントもまた、渋面ではあったものの、その手を取り、握り返すのであった。


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