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I-i 幼女の弟子入り

 風の噂ではあるが、何処かの山中に、偉大なる魔法使いがおるそうな。魔法使いの名をレントと言い、次期王と目されし“黒尾(こくび)のシーナ”と幼馴染であったとかそうでなかったとか。その魔法の腕を買われて宮廷付の魔導師となるよう乞われるも、辞退してそのまま行方知らず。風の噂では、人里離れた場所で本に埋もれ、日々知識を研鑽しながら隠遁生活を送っているとかいないとか――。






 「――へっくし、風邪でもひいたかな。確か作り置きの風邪薬がこの辺にあったはず……。」

森に囲まれた野っ原に、掘っ立て小屋みたいにお粗末な小屋が建っている。見た目ぼろっちいものの、結構な大きさがある。見る者が見れば意外に頑丈な造りだとも知れる。そんな小屋に住んでいるのは意外にもさらさらな金髪を持つ長身の男と、そしてもう一人だった。

「ほい、師匠、お探しのもん!」

「――っだから師匠になるつもりはないって何度言えばわかるんだよ。」

ぶつくさ言いながらも男は茶髪のくりくり目玉の少年に渡された瓶を受け取る。そして中に入った匙で適量の粉を掬い取ると、無造作に口の中に放り込んだ。

「さっすが、大魔法使いともなると薬の飲み方まで違う!よ、男前!」

「大魔法使いと男前ってのは関係ないと思うんだが……。それ以前に男前な薬の飲み方って何だよ?そもそも俺大魔法使いじゃないし。」

立て続けに男が突っ込むと、逆に少年は嬉しそうににたっと笑った。

「まったまたあ、謙遜しちゃって。俺ばっちりはっきり見ましたもん。あの伝説の“噴水前広場の戦い”!」

「だからあれは偶然だっつうの!何度言えばわかってくれるんだ。」

少年聞く耳持たず。すっかり男の信者である。男は溜息をついて掘っ立て小屋を埋め尽くすように並ぶ棚に置かれた瓶やら何やらを再びいじくり出した。

 十年前のことだ。王都セイジェンの名所、大噴水前の広場でとある決闘が行われた。勿論ただの決闘ではない。唯の決闘ならば王のお膝元、そんな場所ですることを許されるわけがない。魔法使い同士、それも第二王子の取り巻きと宮廷付筆頭魔導師の息子レントとの決闘だった。レントは五人いる王の子供の中でも同じ年に生まれた黒髪のシーナ姫と仲がよく、二人の決闘は即ち王子と姫の決闘でもあった。

 少年カイは、その決闘を色々な偶然が重なって、目の当たりにしたのだった。そして街で偶然出会った人物が、実は今や行方知れずの賢者様だと気づいた。以来しつこく弟子志願を続け、同居を勝ち得たのだった。

 「俺感動しましたもん!噴水から水神呼び出すなんて……!」

「だからあれは……!」

偶然、と言うには無理がある、と一番レント自身が知っていた。……知ってはいたがレントは頑なにカイを弟子と認めない。しかし見よう見まねで薬の調合などするもので、勝手に棚をいじくられてはたまらんとばかりに、ちょくちょく物事を教えるようにはなっていた。それでも未だにカイの憧れる魔法は一切教えず、当の本人が使っているのすら見せることは一切ない。

 龍の姿を水で象る魔法は、ただでさえ非常に高度だ。それに加え伝え聞いたところでは、レントのやった方法は普通の魔導師にできない精霊の力を使う方法だった。しかもその精霊の力を自然の力の薄い人工的な噴水から龍を象り操るとなると、世界でも最高級の魔導師や精霊使いにだってできないだろう。魔導師と精霊使い、両方の能力が非常に高くなければ無理だ。信じられないことに十年前の決闘でレントはそれをやってのけ、決闘相手を軽くいなしたのだった。

 「……あれは俺の力じゃない。」

「え、師匠?」

棚から手を引きぷいと少年に背を向けると、レントはぼろ小屋の一番奥の部屋へ行ってしまった。少年は肩を竦め、いつもの師匠の不機嫌の虫がまた始まったと、自らは膨大な書物を漁りに違う棚へと向かった。ま、いずれ教えてくれるさ、とカイは気楽に構えていた。書物やら薬草やら術具やら勉強に役立ちそうなものだけはいくらでもあるこのボロ小屋で、一生師匠に付いてこうと勝手に決め込んでいたのだ。

 カイは慣れた手つきで本棚の梯子を上ると、手を伸ばしてお目当ての書物を取った。そのまま器用に梯子の段に腰掛けると、枝折を外して書物に没頭した。

 一年間、レントと暮らして思うのは、大魔法使いのくせにその謙虚なこと謙虚なこと。魔法を使わないどころか、弟子は取らないと言いつつカイが本を漁るのは放っておく。曰く、「勉強は個人の自由だからな」とのこと。本人も既にカイには到底想像も及ばないほどの知識量を持っているはずなのに、それ以上の知識を求め、東に珍しい書物が出版されたと聞けば買い求め、西に賢者がいると聞けば会いに行き、そうした書籍代やら謝礼金やらで薬を売ってできた金はすぐに消えてなくなる。とは言え、食材はほぼ住んでる山中で見つかるから困ることもないのだが。

 いつぞや何故王宮付の魔導師にならずこんな山奥に暮らしてるのか、と尋ねたら、「俺の魔法はへぼいんだ。」と答えた。勿論カイはちっともその言葉を信じないのだが、レントは首を振るばかりで否定した。自分は落ちこぼれなのだと――。

 ふとカイが顔をあげると時刻は夕刻、家路につく烏が鳴いている。その鳴き声に混じって、再びボロ屋の戸を叩く音が聞こえた。

「誰だろ、こんなとこに?」

カイは首を傾げながらも、奥に引きこもって恐らく自分と同じく新しい書物に熱中しているであろう師匠に代わって客人を迎えることにした。

 人里離れた山中のボロ小屋前には、育ち盛りのカイとさほど背丈の変わらぬ影と、その半分くらいの背丈がもう一つ、旅装のマントに包まれて立っていた。

「あれあれやあやあ、お久しぶりだねレント。君、この十年でちょっと背縮んだんじゃないか?」

そう言いながらフードが外される。中から出てきたのは黒髪を後頭部で一つに尾っぽみたいにまとめた女だった。質素な出で立ちだったが、唯一耳につけた金の耳飾りには小さいながらも細かな文様が刻まれているらしいのが見て取れた。惜しいことに右頬にざっくり刻まれたやや斜めの十字傷がなければ、並の上くらいの顔立ちに違いない。

「レントって……違います。僕は弟子のカイです。師匠に御用でしょうか?」

戸惑いながらも、カイはきっぱりと勝手に師弟関係を名乗った。その言葉に女は一瞬驚愕の表情を浮かべ、それから喜びの色をみるみる広げていった。

「弟子だって!?なんとまあ十年で人間変わるもんだ!あのレントが弟子を取るなんて、大した進歩じゃないか!

ああもちろん君のことはすぐに違うってわかってたさ。だってレントはそんなくせっ毛じゃなし、ぱっちりお目目でもなかったからね。まあ背格好は十年前のレントと似てるっちゃあ似てるかもしれない。だがレントの方が背が高い分もやしっ子だったね。

さあ弟子のカイ君、我々を旧き友の下へ案内してくれ!」

「はあ。」

なんともまあおかしな喋り方をする女の人だ。顔の傷からして只者ではなかろう。しかし大魔法使いの友人なんてこんなものかもしれない。

 そんな妙な納得を覚え、カイは小屋に唯一ある食事用のテーブルに案内した。客を招くための物ではなかったが、そもそも台所にある時点で客を招く場所でもない。が、他にお茶を出せるテーブルなんてこの小屋にあるはずもないから仕方がなかった。幸い、師匠の奇妙な友人は気にするどころか、目を輝かせて台所を見回していた。

 「今呼んできます。よければこれ飲んでてください。俺特性のブレンドティーです。」

そう言い残してカイは台所を出て、一番奥のレントの部屋をノックする。コンコンコン、コンコンコン、ゴンゴンゴン、ドンドンドン――。

 「うっせえな、聞こえてるっつうの!」

読書を中断された不機嫌さを露にした師匠を目の前にしてもカイはめげなかった。一年間で既に慣れっこだ。

「お客さんですよ、師匠。」

「客?」

腑に落ちない顔をしている師匠にカイは説明してやる。

「黒いポニーテールの女の人です。右頬にざっくり刀傷のある。」

「黒いポニーテール!?まさか……。」

顔色変えて、弟子を押しのけレントは走り出す。慌ててカイもその後を追った。

 台所では、二人の客人がすっかりくつろいでいた。その姿を見るなり、レントは叫んだ。

「シーナ!!おまっ、なんでこんなとこに……」

レントの口はパクパクするばかりで言葉が出ない。何とも間抜けな姿だ。女もそう思ったのか、にっこり微笑んだ。

「やあ久しぶり、レント。お前さんがこんな上手い茶を出せる弟子を取ったと聞いてとりあえず一安心だね。」

そう言って微笑みをカイにも向ける。カイは思わず照れた。女性に微笑まれたというよりも、粋な兄貴に爽やかに褒められたような気分だ。そんな些細なやり取りを無視して、レントは聞き逃せない言葉を否定する。

「弟子って……こいつは弟子じゃない!っつうか王宮にいるはずのお前がなんでここにいるんだ!」

王宮……!?その言葉でカイも思い出した。次期王と称されし、王の五人の子供で唯一の姫君は、その黒髪のポニーテールより“黒尾のシーナ”と呼ばれていたことを。

カイが驚愕に目を見開いて見つめても別段変わらず、目の前のざっくり十字傷の刻まれた人物はレントに相変わらず微笑みを向けていた。

「ああそりゃ私にゃ色々伝手があるのさ。」

「伝手って、そういう問題じゃないだろうが!陛下今病気なんだろ!それにその傷、まだ癒えてないじゃないか!遠征から帰ってきたばっかなんだろ!」

瞬間、シーナの目が細まる。嬉しそうに、それでいて軽蔑したように。

「へえ、隠遁しながらも心配してくれてたんだ?」

「馬鹿、んなわけじゃ……。」

言いよどむ師に、カイは驚いた。政治なぞ全く興味ないように見えたし、実際その手の話題を口の端にものぼらすことはなかった。現にカイは少し前に街で話題に上ったシーナ姫の北方魔物討伐遠征は耳にしたことがあったが、王が病気なぞ今初めて耳にした。

「心配せずとも、あの親父様のことだ。そう簡単にゃ死なないさ。っていうかね、親父殿が病気で死にそうだからこそはるばるお前を訪ねてきたんだ。」

「どういうことだ?」

シーナは飲み干したカップをテーブルに置き「とりあえず座ったら?」と自らの前に置かれた席を促した。先ほどから彼女の横に座っている女の子は、会話に特に関心を示す様子もなく飲み終わったカップをいじくって弄んでいる。

 レントとカイが二人の向かいの席に座ると、シーナは自ら置かれていた茶器からさらに茶を注ぎ、もう一口すする。完全にシーナに空気が支配されている。一息つくと、一転シーナの顔つきが真剣になった。

「レント、執政官になって欲しい。」

「は?」

直ぐには飲み込めず、口をぽかんと開ける。シーナは言葉を続けた。

「勿論今すぐにってわけじゃあない。親父殿が倒れて、あの馬鹿兄を倒したらの話だ。」

「……は?……ちょ、ちょっと待て!何故に俺なんだ?しかも執政官?」

執政官と言えば、王の右腕とも呼べる重大な役職、実質上のナンバー2である。そんな話がいきなり舞い込むなんて、どう考えたっておかしい。そんな思いを承知の上なのか、シーナは簡潔に言った。

 「つくづく私は、お前の知識を生かさないのは惜しいと思ってな。実は十年以上前からずっと考えてたんだ。王になった暁には、お前を右腕にしよう、と。」

「嘘だ!お前、いつも俺のことへたれだ何だ言ってたじゃないか!」

……即座に言って、後悔する。さすがに自分で言ってて情けない。シーナは少しばかり口の端をあげ、にやりと笑った。

「そりゃあ君、へたれだもん。だけど阿呆の腰巾着にこうも言っただろう?『やるときゃやる男なんだ』って。実際あの決闘でやってくれたじゃないか。」

「あれは――!」

……否定しようにも、できない。その隙を突くように、シーナは手を組み、組んだ手に顎を乗せた。まるでそうすれば、真実を全て見透かせるとでもいうかのように。

「――偶然?それとも自分の力ではないと?はん、それでも構わないさ。私はお前を兵器にしたいわけじゃあない。現に、馬鹿兄倒すのに力を貸せとは言ってないだろう?力を貸して欲しいのはその後だ。例えお前が全く魔法が使えないとしても、私は君に執政官になってほしい。むしろ魔法なんて使わなくてもいいよう守ってやる。だから、引き受けてくれないか――。」

固定された視線は、真っ直ぐレントを見つめる。横で聞いていたカイは師匠の代わりに視線を逸らした。……これではまるで、プロポーズではないか!聞いてるこっちが恥ずかしくなる!とばかりに頬を染めている。

 一方シーナの横の女の子はやはり会話に興味がないようにじっと手にしたカップを見つめて微動だにしない。カップの何がそんなにおもしろいのか。

 組んだ手の上の視線に見つめられたレントは、女の子と対照的にせわしなく逃げ場を求めて、視線を彷徨わせる。そしてしばし訪れる沈黙――。

 先に折れたのは、シーナの方だった。組んだ手の上で軽く溜息をつくと、にっこり笑う。

「……ま、いいさ。へたれの君がすぐに引き受けてくれるなんざこれっぽっちも思ってなかったからね。」

「だから誰がへたれだ!」

怒りながらも、カイは師の顔にどこか安堵の表情があるのを見逃さなかった。……その表情にカイ以上に付き合い長いはずのシーナが気付かないわけがなかった。

 「親父殿はまだ死なないし、ましてや私が馬鹿兄を倒して王になるなど先の話。まだいいさ。だから、代わりに違う頼み事をするとしよう。」

「違う頼み事?」

眉を顰めて警戒するレントに、シーナは明るく笑いかける。

「なあに、執政官に比べたらずっと易しい。チィ、」

「なあに?」

ぱっと顔を輝かせて女の子がシーナに顔を向ける。カップを見つめるのもさすがに飽きていたらしい。

「これが話してやった大魔法使いのレントだ。へたれなんだがやるときゃやる男だ。」

「だから誰がへたれだ……」

「これからお前の父親になってくれるぞ!」

レントの言葉を軽く遮り、にっこり笑って発せられた言葉に場が凍りつく。チィだけがその呪いを免れたかのように、レントをまじまじ見つめる。

「パパ?」

指をさし、可愛らしく首を傾げる。レントは凍りついたまま、少女を見つめる。男二人に呪いをかけた張本人はにっこり笑った。

「ああ、そっちがパパでこっちがにぃにだ!パパはへたれだが、にぃにはきっとしっかりしてるぞ!何せこんだけうまい茶がつくれるからな。」

よっぽどカイの出したお茶が気に入ったらしい。にこにこ上機嫌でにぃにを紹介する。

 女の子は今度はにっこり笑って、にぃにを見つめた。

「にぃに!」

……ご満悦そうな女の子に、にぃにことカイはぎこちなく微笑み返すのが精一杯だった。

 「うむ、やはり君、弟子にいい男度で負けてるぞ!チィも小さいながらもそのことをわかってる!」

「……いい男度ってなんだよ!ってかそれ誰なんだ!?」

なんとか凍りついた思考を働かせてつっこんだレントの言葉を聞いて、チィは膨れっ面になった。そして「パパ嫌い!」とそっぽを向く。……全く何の血縁もない身の上でありながらも、少なからずレントは傷ついた。

 幼い少女にしてやられるレントを見てシーナはからから笑った。

「あはは、女の子にそれなんて言っちゃあ駄目だよ。やっぱ女心わかってないなあ。

この子はチィ、簡単に言っちゃえば私の妹分。わけあって君の弟子にしてほしい。魔法から政治まで、全部叩き込んでくれると助かる。」

「だから俺は魔法は……!」

「別に世界最高の魔法使いにしてくれって頼んでるわけじゃあないさ。君の教えられる範囲で結構。へたれにそこまで期待しちゃいない。」

にこにこしながら放たれた容赦ない言葉に、先ほどの打撃を受けたままのへたれことレントはかなり深手を負った。……そんなに頼りないだろうか。

「……っお前なぁ!」

「おや、へたれってのが気に喰わないかい?それともたかが女の子に魔法や勉強教えるのもできないってわけかい?はん、やっぱへたれだね。」

「……誰がへたれだ!ああ、わかったよ、やってやろうじゃないか!その代わり、執政官の件はなしだからな!」

我ながら名案、と逆上しながらレントは叫ぶ。するとむしろシーナはにんまり、満足そうに笑った。

「そうだな、お前がその子を執政官にしても恥ずかしくないだけ教育することができたらいいよ。執政官の話はチャラにしてやる。」

「本当だな!」

「ああ、王子に二言はない!」

「よし、やってやる!二度とへたれとは呼ばせねえ!」

ビシッと人差し指突きつけ、いつの間にやら立ち上がって叫んでいた大魔法使いレント、対峙する姫はホントにそこらの王子よりよっぽど格好よく、不敵に微笑み、その瞬間だけ見れば中々絵になっていた。

……ってか王子って、普通男じゃありませんでしたっけ。というカイの心中の突っ込みは二人の耳に全く届いていない。もちろんにこにこ楽しそうに新しいパパを見つめるチィにも届くはずがない。ってか師匠、結局思惑通りに転がされてますよ、なんて心のつぶやきだって、当然聞こえちゃいない。

「じゃあ話もまとまった事だし、忙しいんでね、帰るよ。土産も持たず邪魔をした。」

そう言ってシーナは立ち上がり、去り際カイの前にひざまづく。

「君の入れてくれたお茶は真に美味しかった。今度ぴったりの茶菓子を届けさせよう。」

「…はあ、ありがとうございます。」

これが茶菓子じゃなくて花とかだったら、完全女の子に大うけだろうな、と思わずにはいられない。礼儀正しくひざまづき手を取り交わす挨拶は、さすが王族、慣れたもので様になっている。躊躇いもなく真っ直ぐ向けられた視線に、慣れていない庶民なカイは戸惑った。向けられた顔を見て思わず考えてしまう。これが男なら、頬の傷もかえってらしい。背丈は低めだが、何だかオーラが違う。

 すぐにその視線は立ち上がり、背丈のある旧友へと向けられ、軽く微笑んだ。

「君も元気で。ああ、見送りは結構だよ。」

「だあれが勝手に人様ん家あがった奴の見送りなんざするか!」

未だに頭に血が上ったままのレントはぷいとそっぽを向く。シーナはそれを見て、何処か懐かしそうに、同時に寂しそうに微笑んだ。

 「チィ見送る!」

元気よくチィがシーナにまとわりつく。シーナも嬉しそうにじゃれ返してやる。まるで姉妹のように仲がよい。

 「ふん!」

しっかり二人が出ていくのを見届けてから、レントは再び一番奥の部屋へと引き返していった。客人が来る前没頭していた本を忘れちゃいなかったのだろう。

 なんだかこの短時間でどっと疲れた気のするカイはやれやれと溜息をついて、テーブルの上を片付け始めた。

 それにしても、たまには褒められるのも悪くない。

 シーナに出したブレンドティーの調合はこの小屋に来てから思いついたもので、何度か師匠にも出している。……が、結構何でも器用にこなせて、料理だってかなり上手い部類に入る師匠は無愛想とも言える反応で、褒めてくれたこともなかった。

 うん、いいもんだ。……と、鼻歌交じりにテーブルを拭いていると先ほどまでシーナの座っていた椅子の下に何かあるのに気が付いた。

 紋章の入ったブローチだった。太陽を中心に、雨と風らしきものが描かれ、一匹の蛇らしきものがとぐろを巻いてそれらを囲んでいる。……太陽を隠す月をモチーフにした王家の紋章とは違う。カイにはどこの紋章かわからなかった。

 シーナの忘れ物かもしれない。そう思い、カイは慌てて小屋を飛び出した。

 幸い、走り出してすぐ森に入ってすぐの所にいる二人を見つけた。シーナが屈みこんでチィと何か話している様だった。……と、消えた。突然に、唐突に、シーナの姿が消えた。カイは驚いて残っているチィに駆け寄った。

「シーナさんは!?」

振り向いたチィの顔はきょとん、としたもので、それからすぐに笑顔に変わった。

「にぃにだあ!ねぇねならお馬さんに乗って帰ったよぉ。」

にこにこ言いながら指差す。と、指差した方向に確かにそれらしき影が森の闇に溶けてゆくのが見えた。……消えたように見えたのは目の錯覚だったのかもしれない。

 「そうだ!これ、ねぇねのか?」

チィに先ほどのブローチを見せてやる。チィははっとしたようにポケットを探る。

「ありがとう!これね、ねぇねのなんだけど、今はチィが持ってて、パパに渡すの!」

そう言ってカイの手からバッジを取り、しっかりとポケットにしまいこむ。えっと、つまり、シーナの物なんだけどチィからレントに渡すよう頼まれたのだろうか。

 「おぉてえてえ~つうないで♪」

何やら童謡を歌いながらカイの手を取りぶんぶん振り回す。カイは急に妹ができたような気になりながら、笑って二人で小屋へと戻っていった。

 小屋に戻ると、引き篭もったとばかり思っていたレントが何やら大量の本を抱えて調合室へと向かっていた。

「お、丁度いいとこ帰ってきたな。カイ、白墨と黒板を持ってきてくれ。」

「白墨と黒板ってことは、とうとう教えてくれんすね!!」

目を輝かせて、期待の眼差しをレントに向ける。レントは大量の本の向こうでむすっとした顔をしながらも、「約束しちまったからな。まあ一人教えんも二人教えんも一緒だ。ついでにお前も面倒見てやる。」と言って調合室へと向かった。

 カイは思わずガッツポーズを取り、喜び勇んで数ある棚の中から、ノート代わりの黒板三つと白墨を何本か取り出した。

 カイが調合室へ入ると、二つあるテーブルの内一つがすっかり片付けられ、代わりに教科書代わりの本が積み上げられていた。台所から引っ張ってきたらしき椅子にわくわく顔のチィが座っており、元々部屋に備え付けの椅子に師は腰掛け、持ってきた本を探っていた。

 「おう、持ってきたか。さて、何から始めるかな……。」

『魔法基本論』『ラカ王国史概略』『世界地理~海の果てを求めて~』『ラルッツォーネ冒険記~その時世界は広がった~』『家庭で実践する薬草調合』などなど。大体カイも読んだことのある様々な分野の学問の入門書がずらりと積み上げられている。

「はいはい師匠、魔法がいいっす!」

黒板と白墨を各自に配り、自らもチィの横師の向かいの席に着くと、威勢良くはちきれんばかりの期待をぶつける。師は兄弟子を一瞥もせず、手元の本に視線を落としたまま「却下。」と言い放った。

 カイは不満たらたらで師につっかかった。

「何でっすか!シーナさんも“魔法から”っつってたじゃないっすか!?」

「執政官に魔法は必要ないからな。んなもん後回しだ。」

「……っ執政官って、師匠、本気でこの子をそんだけ鍛え上げるつもりですか?」

にこにこ無邪気に笑っているチィに、務まるとは思えなかった。というか、それならカイを鍛え上げる方がまだ有望だ。

 「馬鹿、そいつじゃない。お前だよ。」

「……は?」

先ほどのぼやきが聞こえていたのだろうか。……いやいやいや、前言撤回、俺にだって無理!

「要は俺の代わりに執政官やる奴いりゃあいいんだ。俺の見立てじゃお前魔法はからっきしだが、頭はよさそうだからな。こんがきゃ鍛えるよりよっぽど手っ取り早い。」

自信満々に言ってのけるレントに、カイは複雑な気持ちになった。……嬉しいんだが、無謀という他ない。

 「チィ餓鬼じゃないもん!……このくそ親父。」

山奥の小屋が一瞬、静まり返る。元々鳥の囀りくらいしか耳を賑やかすものがないだけに、ぼそっと放たれた一言がよく響く。カイはまじまじとチィを見つめてしまった。

「……ほう、どこでそんな汚い言葉覚えたのかなあ?ってか俺はまだオヤジじゃねえ!」

レントの大人気ない抗議もよく響いているのだが、チィには聞こえているのかいないのか、既に興味なさげに本の山を漁っていた。

 「人様の話聞け!」

「これっ!」

レントの言葉なぞ100%無視してチィが突きつけたのは「商人の心得と処世術」というタイトルの本だった。カイも読んだことのない本だ。タイトルからしてあまり興味のない分野だろうと決め付けて手に取らなかったのだ。本自体はレントの所蔵する他の本とは異色だったのでよく覚えている。他の本が重厚な装丁のものが多いのに対し、明らかにそれは大衆向け小説のごとく安い紙に刷られ、表紙には茶目っ気たっぷりにしかめっ面した役人と、へいこらする商人の絵が描かれていた。

チィの選んだ本を見て、レントは面白そうに口の端をあげて笑った。

「ほう、お前商人目指してんのか?」

「お前じゃなくてチィ!ううん、この本ねぇねが持ってたの。」

「ねぇねって、シーナさんのこと?」

カイの質問に、こっくり頷くチィ。レントはそれを見て当然だといわんばかりに説明した。

「俺もあいつに薦められたんだ。……確かに、役に立つ。」

「へぇ。」

 カイは軽い驚きをもってその本を眺めた。商人の知識がそんなに役立つのだろうか。

と、チィの腹の虫がぐきゅるるる、と盛大に鳴いた。パパにお前呼ばわりされてふくれっ面の頬に、さっと赤みがさした。そういえばもう夕飯時だ。

「んじゃいっちょ夕飯作りますか。」




 夕飯は昼に買っておいた新鮮な鶏卵と牛乳を使い、保存食としてペーストにしたトマトで炒めた穀物と山菜・きのこを入れたオムライスであった。……山小屋での生活ではかなりの豪華食である。これはチィが来たのでそうしよう、となったわけではなく、偶然月に一度の街への買出しの日とチィが来たのが重なったからだった。月に一度の買出しの日は、新鮮な牛乳と卵が手に入るため、レントが好物のオムライスを手ずから作るのが慣わしだった。

 「美味しい!!」

チィの悲鳴のような大げさな賛辞に、彼女が来てからずっと不機嫌だったレントもまんざらではなさそうだ。

「だろ?師匠の料理の腕前は抜群だかんな!」

カイが自慢げに言う。

 「んで師匠、これ食べたらあれからやるんすか?」

あれ、というのはもちろんチィの取り出した「商人の心得と処世術」の本を指すのだろう。レントはオムライスを口に運びながら答えた。

「馬鹿、晴れたらリンデン草を摘みに行くと言ってたろうが。そろそろ切れてきたからな。」

「そうだった!チィが来てすっかり忘れてた。」

「チィも行く!」

話を聞いていたチィが目を輝かせて叫ぶも、レントは冷たく言い放った。

「却下だ。夕飯食べたら歯磨いて子供は寝なさい。」

「チィ子供じゃないもん。」

ぷいとそっぽを向く。なんだか本当の親子のようなやり取りだ。

 レントは意に介さず、すらすらと予定を話す。

「リンデン草を摘んだら選り分けんとな。おい、俺たちは明け方まで作業するからお前は朝自分で起きて、裏のコナタの巣から卵を取って来い。食べ終わったら案内する。」

「パパ、チィはおいとかお前じゃなくて、チィだってば!全く、人のことそんな風に呼んじゃいけないって、習わなかったの?」

レントが一睨みする。無言で――というより、本当は言葉に詰まっている。実のところ育ちのよいレントはその辺しっかり躾けられていたし、自らも礼儀に関しては五月蝿い方だった。

 「……ふん、じゃあお前もパパとか気色悪い呼び方やめろ。」

「じゃあなんて呼べばいいの?おじさんとか?」

「だからまだおじさんじゃない!」

レントの空しい反論に、あはは、とカイの笑い声が響き渡る。

「師匠の負けっすよ。パパでいいじゃないですか。俺もにぃにですし。」

「……いやにぃにとパパじゃ大分違うだろ。」

しかしレントの突っ込みも空しく、以後レントの呼ばれ方はパパに落ち着くのだった。

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