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ZSーゼット・ストライカーー  作者: ひびき澪
EP1ーヴァルヴァロス
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第二章 capter-2 イフリート



「士亜っ!」

 ――生徒会室を出て少ししたところで、急に近くから呼びとめられビクンと心臓の鼓動が跳ね上がった。

 思わずにも、反応をしてしまった。もしかしたらこの遭遇は、最初から仕組まれていたのかもしれない。でも、これは。……『ない』だろうと思う。 そう苦しさに、目を瞑る。

(……イフット……。何故、ここに!?)

 心の中で思うと同時に、背筋が冷たくなる。ここは特進クラスのある棟とは大分離れている。特別な用事でもない限りイフットがここにいることはありえない。……特進から落ちて、今までなんとなく彼女がいそうな所は避けて生活してきた。そのお陰か、彼女に出くわしたことは一度もない。寂しくも思ったが、安堵もしていた。醜い感情に苛まれずに済むと。――だが、出会ってしまった。

「――士亜、あなたが生徒会室に呼ばれてたのが見えたからついてきたんだよ。……ところで、話があるんだけど?」

 振り向かないでいると、もう一度背後から聞き覚えのある声が、続けられる。……イフット・イフリータ・イフリート……。間違いない、うちの妻、彼女本人だ。でも、なんでこんな所にいるんだ。 なんでだよ。心が苦しくなるじゃないか。

 ――逃げよう。逃げたい。脇の下やら首元に汗が湧いてくる。

 結局あれから、須賀谷は彼女に謝ってはいなかった。……逃げて有耶無耶にしようとしていたのだ。嫌だ、今更どんな顔をすればいいと言うのだ。悲しくもなる。

「……ッ」

 罪悪感で無意識に、今保っている意識が遠くなる。心の中が、ムシャクシャとしてくる。

 あぁ、やばい。

「……駄目だっ。……これ以上は駄目だ!」

 須賀谷は唐突に、自責の念に弾かれたように逃げだした。

「――あ、こらっ! 私から逃げないでよ! 待ちなさいよ!」

 声と足音が追いかけてくる。捕まるわけにはいかない。俺は期待に答えられなかったんだ。……もう、関わりたくないんだ。お互いの為に、俺はいちゃいけない。 期待を達成できなかった人間には絶対分かるはずの感情が、今ここに俺の中にある。3カ月ごとの学術検定試験を受けてギリギリの判定で落ちた時のような気分だ。

 ――駄目だ。無理だ。期待に応えられなかった屑の俺では合わせる顔が無い。――会えるわけがない。顔向けできない。……いっそ、この場で消え去ってしまいたい、不甲斐ない俺は滑稽だ。恥晒しにしかならない。短距離テレポートで逃げたい。でも、その程度の魔法も自分には使えない。消滅したい。振り向けない、こんな状況は嫌だ、嫌いだ、見たくも聞きたくもない!

 ……精一杯に、逃げ出す。ゴチャゴチャに掻き混ぜられたような感情が、フラッシュバックしてくる。 嫌だ……嫌だっ! こんな不様な自分を見られてどうすればいい!?

 今は昼休みも終盤だが、そんな事はどうでもいい。 ――須賀谷は恐怖に近い状態で、生徒の間を一目散に駆け抜けて逃げ続けた。


 それからイフットに追われているうちにいつの間にか、校舎裏に辿り着いてしまう。

「……来るんじゃねぇよ! 来るんじゃねぇ!」

 震えながら須賀谷は、前後不覚になって逃げ惑う。今の自分は心が、怯えている。凝視どころか彼女を見る事さえも叶わない。特進Bとして鍛えていた素で50mを6秒5で走る脚力でも、身体能力では機動魔法を付加した彼女には叶わない。暫く逃げ回っていたがたちまち追い付かれると、腕を掴まれ投げられて抑え込まれる。

「……士亜! 待ってよ!」

「……ッ! 離せ! もう俺なんかに構うな!」

 須賀谷は暴れるが、凡人である自分では優秀な火の属性の血統を継いでいる優等生様には頭であろうとも力であろうとも叶わない。

  《即時誘発簡易術式ッ! ーnerve bindー》

『……ぐぅぅぅッ……くそっ!』

 近距離で詠唱をされると手足が急に、痺れて動かせなくなった。……須賀谷はたちまち至近距離で神経系の束縛の魔法を受けて、麻痺させられる。

「……士亜。……説明をしてくれる?」

 耳元に重く語りかけてくる、声がある。須賀谷は魔力で身体を大人しくさせられている。近い程効力の増す魔法だ、手足の神経の挙動が縛られて、動く事が出来ない。

 イフットは仰向けに地面に倒れている自分の胸の上に乗ってきて、こちらの両肩を手で押さえて上から覗き込んで見据えてきた。

 その瞳には、一点の曇りもない。それが濁った瞳を持った自分には、とても眩しく見える。救いの光だなんだとは言わないが、ただ澄んでいた。……男なのに、劣等感で泣きたくなってくる。逃げられない、動けないだけなんて面目ない。くそっ……くそっ……!

「……っ」

 上からは、透き通った眼が此方を見ている。 ――その顔を見ていると自分の力が及ばなかったという罪悪感でいつの間にか、涙が流れ出てきていた。

「――士亜、私を嫌いになったの?」

 諭すような口調に、イフットがなった。

 ……悔しい。

「俺はなぁ……馬鹿なんだよぉ……! いつも肝心な時に成果を残せない、不様な人間なんだ!!」

 だがそれを遮るように虚しさのあまりに思わずにも視線を逸らし、須賀谷はそう言ってしまった。

「正直自分の立場は分かっているからいくらでも謝る……だが、お前から見える俺は惨めだろう!? ……餓鬼なんだよ俺は! 失墜したんだよ! 俺、最低じゃないか!」

 身体が動かないのにそのまま勢いで、捲し立てる。自分でも何を言っているのか分からない。……本当に最低じゃないか。 ――謝罪の感情は本当は24時間土下座をしてでも足りないくらいにはある。しかし、もしも今この場でイフットに謝ったら、自分の顔がくしゃくしゃになって感情が決壊をするような気がした。

「……」

 イフットは暫く、黙っていた。

「……甘ったれるんじゃないわよ! ふてくされるのもいい加減にしてよ!」

 だが、少しして徐に、イフットが目をきっと見開いて右腕を振りかぶりながら怒号を発した。

「ぐぁっ!」

 さらに固めた拳で顔面を、不意に殴られる。ガツッと酷く籠った音がして、衝撃がダイレクトに身体を駆け抜けた。バインドを掛けられたままなのでこちらは受け身が取れず、思わず地面に後頭部をぶつけて昏倒をしかけてしまう。

「今の私がねぇ……どれだけ腹立たしく思っているか分かっているの!?」

 本気になった罵声が上から、飛んでくる。――返す言葉もない。

「新しいクラスに行ったらあなたが居なくて! 校舎の中ではずーっとあなたに避けられて! 家に行ってもわざと留守にしてるし、そんなの有り得ないでしょ!」

「……あわせる顔が……ねぇんだよ……! プライドもクソも……ありゃしねぇ……」

「馬鹿! 私を裏切る気なの?」

 口答えをすると、さらに顔をまた殴られる。身体が言う事を利かないと言うのは本当に辛い。

「あぐぉっ!」

「悔しかったら、這い上がってきなさいよ! 半年毎にクラス変えの試験が有るのを、忘れたの!?」

 さらに言葉が上から突き刺さる。最後のほうで声が震えているのが分かった。

「だが……俺は雑魚だ。半年前はお前と必死に勉強をしたが……一人で出来る訳もない! もう、お前の傍にはいけないんだよ! 今の俺には実力なんてものもないし、あるのは不様で愚かな嫉妬心程度のものだ……!」

「――関係ないし聞く気もない! いいから早く上がって来なさいよ! そんな希望の無い事言うんじゃない!」

 また、顔を殴られる。派手に地面に顔を打ち付けると泥が口に入る。唾を吐きだしそうになる。露骨に痛いしまずい。さらに、動けないでいるとマウントポジションで強引に首を掴まれる。

 ――ぐっと顔が近付く。すぐ目の前にイフットの顔がある。

「めそめそするんじゃないの。あなたは、情けない人間なんかじゃない!」

 必死なイフットに目を見られ、そう言われた。……その目は、涙まで僅かに浮かぶほどに真剣だ。

「自分に価値が無いなんて言っちゃやだなの! そんな事を言ってると、本当に価値がなくなっちゃうんだから……ふてくされてそんな事言わないでよ!」

 強い口調で言ってくる。……説教では無く、激励だ。――全く、何故、こんな自分に優しくしてくれるのだ……?

 こちらも目頭が熱くなってくる。須賀谷は、自分の無力さに悲しくなった。――叱ってくれる優しさが辛い。苦しい。もっともっと自分に力があれば、こんなに迷惑はかけないというのに。

「……本心を聞かせなさいよ。……あなたはこのまま落とされた人生で朽ちていきたいの? ねぇ、聞いてるの? 士亜ッ!」

 上に乗られたまま、ぎっと問い詰められる。……勿論、俺だって嫌だ。死にたくは無い。この世界の人間で優秀な冒険者にも騎士にもなれなければ、農民や商人や職人で生きる道しかない。

 しかし自分は服を仕立てたり鎧や刀剣を制作する職人の技能も未だ完全に持っていなければ、商業を起こすだけの会計や法律の知識や資本金も無い。そして作物を効果的に育てる知恵や畑も持ってさえいないのだ。無論、専門技術を要する料理人だの高等魔術師だのはもってのほかである。コネという物もないし、渡辺のような汚い才もない。――身の毛のよだつ程に、自分がMOB同然に非力だと自覚をしてしまう。俺TUEEどころか俺YOEEEにしかならない。

「どうなの?」

「……」

「どうなの……!? 負けたいの?」

 プレッシャーが、掛かってくる。自分に非はあるのだが……胃の中がムカムカとしてくる。

「あなたの叶えたい事を言ってみなさいよ!」

 そこでまた、真剣に煽られる。――我慢の限界だ。

「……あぁ、言ってやるよッ!」

 反撃として瞬発的に、口を開いた。

「俺だって、負けたい訳じゃない! 俺だって強くなりたいんだッ……! 半年後の為に、成績をあげたい……! 俺だって勝ちたいんだよぉっ……! この学校に入る時に約束したじゃないか、一緒のクラスで卒業するって! それに俺らは、もう未来が決まってるだろ!」

 俺は必死に、心の奥底で隠していた感情をイフットにぶち撒けて訴えた。

 昔の臭い誓いだが、それだけに絶対に、負けられないんだ。暗い中で希望さえ見えずに、苦痛にまみれて野垂れ死ぬような悲惨な最期は絶対嫌で御免なんだ。 ――生き延びたいが為の、切実な叫びだった。


「……覚えてた……の? 本当にその事……」

 イフットはじっとこちらを睨みながらも、首を傾げて聞いてくる。意欲を試しているようだ。

「当たり前だ……! 俺だってその思いを邪魔するこの処遇が気に入らない……特進から落ちて辛いんだよ……!」

 苦しいながらも、応える。心臓の鼓動が早くなってくる。こう見えて自分だって人並み以上に人に認められたいと言う欲はある。いや、むしろ実力が付いてこないだけで、昔からいつだってそうは思っていた。説得を受ける前から、最初からそう考えていた。

「じゃあ、なんでさっきは逃げたの?」

「……お前に合わせる顔が無いと思ったからだ!」

「一度は逃げた士亜でも……努力する覚悟や乗り越える覚悟、勝つ覚悟ってのはあるの?」

 イフットは緊張した面持ちで、もう一度聞いてくる。これは自分を、本当に試しているのだろう。全てを投げ打ってでもやり遂げる程の強固な覚悟、それを求めてきているのだろう。

 答えなど、決まっている。

「――ある、あるに決まっているだろ! 俺は、勝ちたい……! 何があってもだ! こんな地の果てに居るのはこりごりだ!」

 それに対し今度は思い切って、返事をする。機会は今しかない。NOと応えた時点で終わってしまう。そうだよ、苦しみもがいて確実に負けるのは絶対に嫌だ。怯えたくもない。それならば……俺は。……俺は!

「どんなに困難でも……水底を這ってもいい……絶対に迷わない! 泥を啜ってでも、針の道でもこんな世界から復活して生き延びたいんだ! 諦めたくない!」

 もう一度さらに、タガが外れたかのように須賀谷は思いを発した。

「――本当に?」

「あぁ! 何だってするさ!」

「そう……、本当にそう思ってくれるなら……方法はあるよ」

 すると、泣きつくかのような表情だったイフットが一転して不敵な表情をし、こちらの頭を撫でてきた。

「――え?」

 突然の反応に、たじろいでしまう。

「……上等じゃない。私も覚悟をしたよ。……でも、その代わりに私の言う事を聞きなさい……。 私にはあなたを私の横に引き上げることができる力は無いけど、一歩を踏み出す程度なら、押す事が出来るから……」

 イフットは頬を緩めて徐に優しい表情を見せ、須賀谷の腰の上に乗ったままで自身のスカートのポケットにへと、いきなり手を突っ込んでみせた。

 そしてそのまま静かに片手で、何かの刻印が刻まれた折り畳み式のナイフを取り出した。

「……え?……何をする気だ?」

 頭の上に鋭い銀の、刃が見える。唐突な事で思考が読めずに、須賀谷は目を丸くした。……今の自分は身動きが取れない。イフットが殺そうと思えば自分の命を奪う事も出来る。

 一瞬そんな考えが脳裏によぎり、僅かに戦慄をする。

「構えなくてもすぐに終わるから恐がらなくていいよ。私が士亜を刺したりする訳無いでしょ? ちょっとだけ……私の力を使うだけ。士亜の泥沼のような生活を……変える為に。私で士亜を、満たすだけ」

 だがしかし、イフットはこちらを落ち着かせようと優しくなだめてきた。向こうがやろうとした事はそんな物騒な事では無いようだ。若干安心を、する。

 ……ところがそこで直後に再度、自分の目を疑う事となった。

「……私、頑張るから……! ぐ……くっっ……くッ!」

 イフットはそう言い放つと自身の左の手首に、苦悶の顔をしながらもいきなりナイフを突き立てたのだ。

「イフット!?」

 驚く間にもイフットの柔らかく綺麗な手首に、銀色の刃が突き立てられ傷口を広げていくのが見える。

「お、おい……お前、何を……!?」

 すぐに唖然とし、突然奇行に走ったイフットを信じられないと言う目で見る。

「――うぐっ!」

 暫くして彼女がナイフを引き抜くと傷口が淡く光り、みるみるうちに血が滲んできた。 ……ぼたぼたと血の数滴が、垂れてくる。その光景を見て自傷を止めさせようと考えるが、身体が動かない。

「昔もやったことあるけど……覚えてる? これは貴方の為なの……! 今のところ……考えられる中では魔力を含んだ血液の輸血しか、士亜の魔力の精製能力を向上させる方法はないかな……。 私はねぇ……あなたにまた私のパートナーになって欲しいのよ……! だから、こんな事をするんだよ……!」

 ナイフをしまい肩を震わせながらも、当惑している須賀谷にイフットは告げてきた。

「……正直私はあんまり強い人間じゃないんだ……。あなたが側に居ないと結構だめなのよ、本当。あなたと居ないと私に生きる理由なんて無い」

 ……さらに痛みを我慢した声を、続ける。

「私の血にはさぁ……先祖からずっと流れてきた火炎の元素血統と治癒力強化が……あるのよ……ッ! 今、私があなたに出来るのは、これくらいしかない……!」

 それからそう言いつつイフットは、苦しそうに自らの腕を差し出してきた。声は強気だが、表情から痛みをこらえているのが分かった。

「……さぁ、今ここから出た私の血を飲みなさい……! この血の力を使えばあなたでさえも一時的には頑強になるでしょう……!」

 上に乗られたままで須賀谷の口元に腕が、近付けられた。

「ナイフなんかで切って大丈夫なのか……? イフット、お前痛くないのか?」

 戸惑いつつも、返事を返す。

「バカ、痛いに決まってるじゃない……。ちゃんと動脈は外してるけれど、これだけの覚悟をしてるの。私は必死なのよ……全く、この好意を無駄にしないでよね……!」

 心配をすると急かすように、イフットは言ってくる。少し泣きそうな顔だ。

 ――魔法が解かれ、須賀谷は自由になった。

 白くか細い腕から、血液が流れ出している。そんな状態から、イフットは須賀谷に行動を促す。

「私以外に目を移しちゃ駄目なの。いいから早く口を開けてよ、もうそっちの身体は痺れてないはずだし。……他の体勢じゃ服に血が付くからさ、20mlくらいの血があれば一カ月は効果がもつんだから、余計な血が流れる前に急いで……!」

「……あ、あぁ……」

 言われて須賀谷は、口を少し開ける。

「よい……しょ。……舐めてよ」

 イフットは姿勢を倒すと鈍く光りながら血の流れている左腕の傷口をそっと調整し、かぷっと須賀谷の口に押し付けるようにあてがってきた。

 ぽたっ――。 血液が咥内に垂れてきて、舌に当たったのを感じた。――彼女の血はぴりっとした、それでいて甘いような、鉄の味がした。

 ――そのままの体勢で、時が流れ始めた。

「……ふふ」

 ふと、痛みに耐えて額に冷や汗を流しつつも、フリーになった右手をこちらの左手の指に絡ませながらイフットが笑ってきた。こんな状況だと言うのに。……自分の身体が痛いはずなのに。

「あんら……?」

 相手は苦しいだろうに、自分が何も言えないのは癪だ。呂律の回らないまま、身を案じるように訊ねる。

「……士亜は本当、昔から変わらないね」

 するとイフットは、吐息をこちらに掛けながらも静かに応えてきた。親指でこちらの手の平を、くるくると撫でてきている。

「ろういうことらよ……?」

 俺は血液から力を取り込みながらも、返事をする。少し気恥ずかしいが、騒がずに静かにしておく事にしよう。

「手間が掛かるって事だよ。昔から変に素直で傷付きやすくて思い込みも激しくて私が付いてないと本当に駄目で……。そして私もそんなあなたと一緒に居ないといつしか駄目になっていっては……あっ」

 するとそこまで言って、一旦イフットは口を噤んだ。

「――んぐっ」

 ――少し、馬鹿にされているようで頼られている事を悟る。……恥ずかしいじゃないか。

「……駄目になっては……な、ないけどね。あれ、何言ってるんだろ、私……」

 身体の上に乗っているイフットは照れたようにそこで言いなおすと、静かにそう首を横に振る。心無しか安心感と言うか、幸せそうな顔だ。

 ……思わずにも、可愛い。この体勢といい……ドキッと背徳的な感じがした。

「……士亜。変な事を考えないでくれる? 喉の奥、指で押すよ?」

 しかし妙な事を頭の中で巡らせて表情に出たのか、すぐにイフットに釘を刺された。

「誰の為にやってるのか考えて欲しいよ……これは、本当はうちの家の切り札なんだからね? 昔士亜が高いところから落ちて大怪我した時だって、これで治したんだしさ」

 目線をしっかりと合わせて、むっとした顔で言われる。血液が、自分に流れ込んでくるのが分かる。手をとってぎゅっと、握られる。 手を握り返すと肌の温かさが、感じられてくる。

「ここまでして駄目だったら、本当怒るから。毎日怒りにいくから」

「……あぁ」

 それは分かる。わざわざ此処までされて何もできなかったら自分が馬謖きられるしかない。

「自分を見捨てちゃ駄目。……私を守る人間になって貰わないと困るの、全く」

「んぁ」

 返事をするときに舌が動いて、イフットの腕を少し舐めた。

「……ん。別に私は病んでもいないし、ただ自傷したいだけの女な訳でもない。……でもね、私はとにかくあなたに復帰して欲しいの。とにかくそれじゃなきゃ嫌なの、安心できないじゃない」

 ――順に復帰を願う薮崎と似通ったニュアンスの、デジャブな言葉が聞こえた。

「私の血であなたが強くなるなら、失血死ギリギリまで使ってもいい」

「だから……その代わりに何が何でも、私のクラスに登ってきて。約束だから」

「……あぁ、分かっらよ……」

 俺はイフットに対し、小さく首を頷かせた。

 ……まさか、イフットが此処までしてくれるなんて、思わなかった。 ――俺自身は不幸だと思っていたけど、恨まれてるとか思っていたけれど、それでも俺を見てくれたんだ……。

 相手は輸血すらも難しい特殊な血統だというのに、こんな風に身を削ってまで助けられてしまうとは。色々と自分の情けなさにまた悲しくなってきた。厚意が身に染みて有り難い。そう思えると共に心の中で迷いが急に、消滅をしていくのも感じる。肩入れしてくれているこいつの為にも、平穏を取り戻したい。

 ――俺は、こんないい女に存在を望まれている。……これは、頑張らなきゃいけないよな。

 気分が固まり、目に光が灯ってくる。

(勝つためには……一念発起をしなくては。俺はやっぱりこいつがいなきゃ駄目だ。……いや、俺はこいつに、甘ったれていたのか……俺が再起しなくちゃ駄目なんだ)

 須賀谷は一人、心の内でそう決心をした。

挿絵(By みてみん)

「……イフット、ありがとう。……俺は、絶対成績を上げてそっちに追い付くよ。弱音を吐かないようにしたいから」

 暫くの吸血が終わった後、須賀谷は口を赤くさせながらもそうイフットに礼を言った。

 心なしか魔力が流れ込んだおかげで身体の奥が、温かくなっている気がしてくる。何か言葉に出来ないようなプラスの要素の力が、体内で蠢いているような感覚を得た。

「……うん。待ってるよ、士亜。……今のは基礎魔力と治癒力を少し上げた程度で助力というには物足りないけど……出来る事はやったつもり。絶対に、待ってるから」

 イフットは明るい顔で、言葉を繋げてきた。

「あぁ、本当に恩に着るよ。上で待っていてくれ、すぐに追い付くから」

 それに対しそう、言い返す。精神的にも、助けられたと言う感覚がある。

「……ふふ、じゃあね。大好きだよ」

 彼女は微かに笑うと名残惜しそうにそう答え、軽く須賀谷に抱き付きながらも自らに止血魔法を掛ける。何だか彼女にぎゅっと抱き付かれていると、とても安心出来るような気がした。

「それじゃ、戻るから……」

少ししてイフットは静かに、口を開いた。

「……! イフット……ちょっと待ってくれ」

 須賀谷はそんな彼女を、呼びとめる。

「ん?」

「少し顔……いいか?」

「え?」

「……もう少しだけ、力が欲しい。離れたくない」

「……あぁ、そういう事ね。……いいよ」

「……助かる」

 須賀谷は顔をイフットに近付けると、背中に手を回しながら自分の眼前に引き寄せた……。


 キスをすると温かさと共に、舌の絡む感触があった。

 彼女の背中を腕で支えていると、仄かに心が熱くなってくる。

 ……この感情と感触、忘れやしないと、自分でも思う。

「顔、くしゃくしゃだよ、士亜。……ふふ、みっともない」

 少し唇を離してから、イフットが笑ってきた。

「……うるせぇよ、俺はよわっちぃからな」

 照れ隠しに呟くと、もう一度イフットの身体をそっと抱き寄せた……。


 少し勇気と力をイフットに貰い、立ち直れた気がする。

「……さて、それじゃぁ昼休みが終わっちゃうから……そろそろいかないと」

「……あぁ、分かった。……守ってみせるよ、必ず」

「特進で、待ってるよ。お弁当は時々渡しに行くから」

 イフットはゆっくりと身を翻し、手を軽く振ってから駆け足で去っていった。

 その姿を見送りつつも須賀谷は少し、冷静になって自分を省みる。

 此処からが、自らの力の見せ所なのだ。心を決めなくては。

 ……よくよく考えれば自分は単純ではない、色々考えたから生きてきて、色々考えてこれからも生きていく。よって先程のイベントも、人生にとってはほんの僅かな一瞬でしかない。

 だが、イフットが居なければこれからの俺は、長期的に考えれば今よりもっと酷い事になるのも確かだ。……俺はイフットに報いて、恩返しをしなければ。俺は彼女に自分の近くに、居て欲しい。だから再起して、頑張らなくては。

 ……俺の魂は、イフットの為に使おう。残りの寿命、全てを捧げよう。

「やるならば徹底的に、やらなきゃならないということか」

 改めて、自分自身が命を賭けてでも手に入れたいという目標を手に入れる事が出来た。クラスを落とされた事で一時的に凍りついていた自分の時間が、再び回り出したような感覚がした。

 ……その日の放課後。俺は生まれて初めて、人に対して本気の土下座をした。

 薮崎会長の意の通りになるというのは癪に障ったが、それでも自分の心を押しとおしたいと言うのがあったからだ。……両手を床に付き、深い願いを込めて頼み込む。

「俺は勝ちたいんだ……。俺に力を貸してほしい……群雲 順!」

 自分がどうなるかの瀬戸際だ、全てを賭けた心からの土下座だ。緊迫した雰囲気の教室の中では数人の他の生徒が見ているが、気にせずに床に頭を擦り付けて、そのまま真剣に助力を乞う。順は変な物を見るかのような目つきだったが、顔を上げた須賀谷の目を見てただならぬ状況と察したのか表情を少し変え、『……今日は用事があるから帰ろうと思う。……だがそちらも何やら深刻な状況のようだ、明日の昼休みに改めて話は聞こうか』とだけ真面目な目をして頷いてきた……。

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