第二章 capter-1 †産廃†と落ちこぼれは似ている
「人の事を……†産廃†だとッ!? よくも言ってくれたな!?」
壁をドンと叩く音と共にドスの利いた女の声が聞こえ、須賀谷は怪訝な顔をする。視界の中に入っている教室の入口すぐ近くにいた別の女の子が、咄嗟にビクッと声で萎縮をしたのが見えた。
「お前は私がその汚い称号で呼ばれるのが一番嫌だと知ってんのかぁ? 貴様ごときが私を笑うのかこのカスが! 悪意有りで言っているのなら貴様の肋骨を引き抜くぞ!」
(……喧嘩だろうか?)
ふと伺うと広めの教室の隅で背の高い紫髪の女子生徒が一人、膝蹴りをしながら須賀谷と同等の体格をした男子の首を掴んで壁に押し付け、ギリギリと締めあげているのが見える。
――粗野な雰囲気を出す女の体型はマッシブの正反対というかむしろ華奢に見えるのに、何処からあのような力が出せるのかが分からない。
あまりの腕力の強さに凄いな、と無意識にも肩をすくめて驚かざるを得ない。あのような力の持ち主の女子は、腕力強化の魔法を使わない限りでは特進Bでもそこそこ居るようなものでは無いだろう。
「インデニァートォォ!? わ、わかった……さっきの暴言は撤回だ! だからそんなに物理反射しそうな顔をしないでその手を離してくれぇイ! 某の息が死ぬるのだ……!」
宙に上げられながら喚く男子は若干緑髪の男で、見掛けからすれば性格の根は悪くはなさそうだが、色々と問題を起こしそうな生徒である。……強いて言えばお調子者で遅刻癖が有りそうだといったところか。そんな奴がひどく狼狽した顔で、女子生徒に絡まれて助けを請っていた。
「誰が物理反射だよ、人を象か何かだと思っているのか! 人が称号に†(ダガー)なんて付いて嬉しいとでも思っているのか!? 遊びで生きてたんじゃねぇよ……私だってなぁ! 人を否定するなら自分が否定されて消滅しろ! もっと必死に頭を下げろ、さもないと××潰して引っこ抜いて中庭に植えるぞ? それともこのまま窓から投げ捨ててやろうか、このゲスがぁっ……! ああくそっ、ヘラヘラしやがって、何とか言えよッ! 私に恥をかかせる気か、おいぃ!」
女は男の話など誠意が足りないとばかりに物凄い剣幕で怒号を飛ばし、男に食らい付いている。思い返せばこの学校の入学試験の時の圧迫面接の比ではないかのようなプレッシャーだった。傍観をしていると先程の自分の怒りすらもが足元に及ばないかのように見えた。
周囲に人だかりを作っている生徒達の仕草では面白がっている様子は無かったが、女のあまりの様子に気圧されているのか誰も、二人の行動を止めようとはしなかった。
「あががががが肋骨の数が増える! やめちくり~!」
「五月蝿い! 逆間接にしてやる!」
一体何をすればあそこまで怒るのかは分からんが、こんな事が普通クラスでは日常的に起こるのか。
「やれやれ、教室なのに朝から不毛なトラブルとか、どん引きだな……せめて人の目を気にすればいいのにねぇ……」
須賀谷も事情を飲みこめないながらも驚きの声を漏らし、それからふぅと溜息を吐く。
「オウフッ、苦しい! どうどう、興奮するなよ! 【もう持ちません】」
「五月蠅いッ、何が苦しいだこの野郎!? あの世に送ってやろうか! それとも血で償うか? 私は気が立っているんだ!」
そんな人間を抱え上げたまま容赦なく鋭い目付きで睨み続ける女が、恐ろしくも見える。 ……行くべきか。何だか傍目に見ていると男が、少し気の毒になってきた。――このままでは、初日から厄介な事になる。……いや、既に一生の三分の一くらいの不幸は背負った気もするのだが。
(――仕方ないな……)
厄介事は大嫌いだが恐る恐る足を、進めようとする。
……だが、それよりも早く、
「いやぁー群雲さん、すまんね。ウチの馬鹿ニリーツが粗相をしたようだよ、ここは元生徒会のよしみでなんとかしてくれない?」
ずいと、古風な魔法士のローブを着込んだ眼鏡の女が、須賀谷の斜め横から出てきて二人の仲裁に入ってきた。
(……タイミングを逃したのか? まぁいずれにしろ、見ておく必要がありそうだ)
空気を感じる必要もある。そう感じた須賀谷は、黙ってその場で事態の成り行きを伺う事を決めた。
「アルヴァレッタ……この男はお前の知り合いか?」
紫髪の少女は、舌打ちをしてから荒れた様子で目の前に現れた眼鏡の女を睨み付ける。
「まぁね。うちの飼い犬パートナーが噛み付いてごめんねぇ。……ほぉら、謝るんだよ、馬鹿ニリーツ。ごめんなさいは?」
だが、眼鏡の女はそんな事を意に介さぬかのように宙を浮いているフラフラの男の頭を横から小突き、謝罪を炊き付けた。
「やってくれるぜ……。某がこうなるとはな……」
「謝りな、ほら。後で家帰ったらケーキ作ってあげるから」
「尻を叩くな! チッ……ここはごめんなさいとでも言ってやるか……!」
言われるままに観念をしたのか、首を絞められているニリーツと呼ばれた男が青白い顔で途切れ途切れに降参の言葉を吐く。
「すまないねぇ、こいつは口が悪くてさ。初見の人間には結構絡みにいくんだけど地雷を踏む才能があるのか中々好印象持たれ辛いのよ」
「……フン、もう怒る気もせんが……躾が足りないな。この苦痛な生活の中で余計な酸素を吸うのも嫌だ、しっかりとこの男の監督をしておけよ、私はもう生徒会の人間とは関係もないし、どうということも無い」
すると割り込みが入って怒る気分が削がれたのか、紫髪の女は苛立ちながらもニリーツを近くの床に向けて投げるように乱暴に放り出した。
「ほらよ、放してやる」
「……ぐぉぉぉッ!? ……痛ぇっ!」
ニリーツは丸めた紙かと思えるほど頭から無造作に転がっていき、進路上にあった机に頭をぶつけて悶絶をする。しかし既に紫髪の方は男に対して感心を放棄したようだ。まるで興ざめをしたとばかりに男を無視して溜息を吐き、疲れたじゃないかと呟いてその場で欠伸を一つした。
「……ッ! なんてさもしい女だ……これで某に圧勝だなんて思うんじゃねぇぞ……ヒステリー脳筋が……!」
ニリーツは机に頭をぶつけた後、女の後姿に皮肉のように悪態をついて呻いた。
「……あ? 吊るされてぇか? 次の私への罵倒は仕置きじゃ済まさんぞ?」
すると紫髪の女は脳筋と言われてまた気を悪くしたのか急に、また再度振り返ってニリーツをギラッと睨み付けて蹴り飛ばそうと脅しながら毒付く。
「す、すいません……ごめんなさい……許してください、今日のところは勘弁して頂きたい」
その様子を見るやニリーツは顔を青くし、態度を急に軟化させ言い訳をし、土下座する。……どうやらこの女の恐ろしさを身をもって知ったようだ。罵倒は粛清ばりに命にかかわると判断したのだろう。
「――まぁいい、許してやろう。アルヴァレッタに免じてな。……彼女を大切にしろよ」
紫髪の女は少しニリーツを睨んでいたが、暫くしてから視線を他の場所へと移して自分の席にへと帰っていった。
「助かったか……ふぅ」
――それを受けて、ニリーツが安堵した様子を見せる。まだまだフラフラのようで、先程に捨て台詞を吐いてから床から立ち上がれないでいる。恐らく、首の圧迫で頭の血の巡りが悪くなっているのだろう。
「全く……もう無茶はするなよってば、ニリーツ。私だって、かばいきれない事もあるんだから」
「分かってるさ。……ありがとうアルヴァレッタ。愛してるぜペロペロ。こう言っておこう」
「……その言い方はやめてよ、寒気がするから。やっぱりさっき死んでくれればよかったかな。……あ、礼はいいから学校終わったら小麦粉買ってきてね」
「うぃー……つれないねぇ」
先程横から出てきたアルヴァレッタという女とニリーツの会話が、耳に入ってくる。教室内の空気は未だにトゲトゲして動き辛そうであり、今現在は周囲の生徒も彼らと距離を取るようで生活がやり辛そうであった。
(――まったく、一体先程は何が起きていたんだよ……? ……この教室で)
いつの間にか自分が持っていたはずの怒りも吹き飛ぶほどに過激であった今の光景の詳細に興味が湧き、不思議な気分になる。 短気そうな女も気になるが、この状況自体もが中々どうして奇妙だ。
……それにしても目の前の光景は、自分が今まで特進Bで見てきた人生には全く無かったものであった。
退屈ではなさそうだがノリといい、空気といい、独特過ぎる。
――ぼんやりと考えると感情に、少し波が出来る。よし、周りに聞いてみるか。そう、心を決める。
(……誰が話しやすそうだろうか)
どうせ対人関係では待っていても自分にはカリスマの要素はさっぱり無い。なので俺は周囲を見回すと下賤な野次馬根性で自分から話せそうな人を捜す事にした。
「なぁ」
「んぅ? なぁに?」
そして少し後に心を落ち着けると、先ほど自分が部屋に入った時にビクビクと震えていた地味そうな淡い水色の髪の女子生徒を見付け、こっそりと呼び止めて小声で訊ねてみる事にした。
「……あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだが。……さっき来たばかりなのになんか部屋の空気が悪いんだけど。この状況は、どういう事なんだか教えてくれないか?」
すると、その生徒が驚いた様子をしつつも振り返ってこくりと頷き、話してきた。
「え……あぁ……うん、どうやら緑の髪のあの男の子……ニリーツ君があの紫髪の子をからかったみたいっぽい。まあニリーツ君は結構誰にでもちょっかい出すタイプなんだけどねぇ、今日みたいなのは珍しいかなぁ」
「……今日みたいな事って?」
「えーと……ねぇ」
それから詳しく聞くところによると、なにやらこんな事態だったようだ……。
「……おいあんた、……こっちじゃ見掛けない顔だな?」
今朝この部屋に来た『感謝しないラッパー』のニリーツは、周りを見渡した後にあの紫髪の女の子に突っかかった。
……この学校では基本的に半年ごとにクラスの数人が入れ替わるのが常だが、普通科に来るものは基本的に特進落ちをした生徒だ。
「しっかしかなり長い髪の毛しちゃって、横着をしていると汚く見えるぜい? そのうち抜けまくってハゲるぞ」
だから今回の事もニリーツにとっては上から落ちた生徒に対する少々の手荒い歓迎であった、そういう事であったようだ。
「……」
女子生徒は無視をするかのように黙っているが、ニリーツは顔を指差しつつも、構って欲しいのか女に絡む。
「シカトさんかい? ヘイウォメーン、何とか言ったらどうだよ? チャリで来たとかなんとかよ?」
「……」
しかし、女はそっぽを向いて黙っている。
だがそこで、ニリーツは女の顔を見て何かを思い出したかのような顔をすると、口を開いた。
「あ、もしかしてあんた、ひょっとして†(ダガー)持ちかよ? そういや職員室で噂もあったな、産廃の……」
悪気のない一言だろう。……だが、それが悪かった。
刹那、女の目付きが変わった。
「……言うな」
「え?」
「そのつもりだというのなら……死んでもらう……!」
そしてそのまま紫髪の女の子はニリーツに食って掛かり首を掴んで締め上げにいった……。
「……と、こういう訳ですよ」
「……そりゃ、大変な事だなぁ……その噂とかも知らないし事情は呑み込めないが、悪戯をしたら理不尽に食って掛かられたと」
「……でしょ? ……でも、†持ちだって言った瞬間にあの雰囲気は、怖いよ」
「ダガー、か。相当の事があったのかもな……。しかしさ、これが普通科の日常なのか?」
「いや。流石にここまでの事は稀だよ」
女の子はそうは言うが事態の収拾に入らない教室の空気も、問題があると思うのだが……。
因みに†「ダガー」と読むこの記号。この文字が称号に付いた人間は、はみ出し者の烙印を押された事と同義である。 言わば、落ちこぼれの印のようなものだ。……俺はそもそも称号自体がつくレベルでも無いのだがな、
「……じゃあ、あの紫髪の女の子の事は他には知ってるのかい?」
話は元に、戻る。――完全に興味がない訳でもない。
「……うーん、あの紫の髪の色の子の事は、私も知らないかな。アルヴァレッタさんは面識あったみたいだけど。……でも、君も見た事は無いね。もしかして転入生なのか?」
「……いや、俺は残念ながら特進Bから落ちてきた男だよ。俺はそれ程たいした人間じゃなくて、昔の知り合いに馬鹿にされるだけのただの負け組だ」
須賀谷は少し痛いところを付かれたのでギクッとしたが、平静を装って返事をした。
「へ、へぇ……色々あったんだね。まぁ、細かい事は聞かないでおくよ、私はヘルナス・アルレイン。よろしくね、えぇと……」
「あぁ、よろしく、ヘルナス。……俺は、須賀谷士亜、だ。気まずくはならないから気にしないでくれ。これから頼む」
「シア君かぁ、良い名だね。シア君の須賀谷って名字はこっちじゃ見掛けないけど……地方の生まれなの?」
「……あぁ、俺はちょっと離れた諸島の生まれでね。一応場所はヒオウ国内だけど、先祖を辿れば他所の国のハタモトの血が入ってるんだ。……こっちじゃ目立つのが難だけどね」
「そうかなぁ……かっこいいと思うけど。まぁ私はこの名字あまり好きじゃないからそう思うのかもしれないけどね。こっちじゃありがちでさ」
「そうなのか、なんか互いにないものねだりしてるようなもんだな」
ヘルナスとの会話は意外と弾み、先ほどの喧騒で感じた不安も、笑い声に紛れて次第に薄れていった。
――だがそんな中、不意に後方からドロッとした重たい気配がする。
「……ん?」
後ろを振り返れば、廊下を梅雨かと思う程にもぞもぞとどんよりした何かが歩いてくるのが見える。心なしか頭の上にぼんやり何か光っているかのようにも思えた。
「……学校で使役している小精霊か何か……なのか?」
――それにしちゃ、やけに体積がでかいな。
そう思いつつも目を凝らすと、スタイルは良いが寝不足なのかマイナスオーラを全身から発生させながらよたよたとしている、淡い髪をした7分袖のスーツを着た女の人だった。
――何だ? この眠たそうな目をした人は……。間違って学校に侵入した酔っ払いか何かなのか?
そう須賀谷は、口元を歪めつつ疑問に思う。
「かぁー。授業を始めるぜー、馬鹿共ぉー」
するとその重たい気配の持ち主が教室に入ってきて、かったるさそうな、やさぐれたような色の声を出した。……どうやらあの人は教師らしい。
何やら見掛けから判断すればぐうたらな性格をしているようで、授業に対するやる気もなさそうでもある。所謂判定が甘い『仏』と言われるような最低限生きていれば単位をくれそうな人間であった。
どうにも頼りになりそうにないが……しょうがない、自分の用事を済ませに行くとするか。
「……すみませんが、学籍番号PRプレミアムBー25ー138、旧1組所属の須賀谷です。本日付で普通科に来たのですが俺の席は何処にすれば良いのでしょうか……?」
のんびりとするよりも取り敢えず先に、やる事がある。
須賀谷はその女教師に近付いていき、周囲には漏れない程度の声量で名乗って自分の席を訊ねにいった。
「……あぁ、連絡があったのは君かぁ、須賀谷君。……うー、私の名はダリゼルディス・ビショフというものだ、リゼールと呼んでくれていい。専門は元素魔法学と社会学、そしてフレイル格闘術になる。……そうだな、君の席はあそこの紫髪の子……順の隣でよろしく頼むよ。……あぁ、しかし飲み会続きでショットの飲み過ぎは脳にも辛いわ……好きだからとは度数強い奴の一気は気持ち悪い、今日はさっさと切り上げる事にするので詳しい話は明日以降でな」
それに対しダリゼルディスと名乗った女教師は眠そうな仕草のまま軽く目で空いた席を探すと、先程の男の首を絞めていた紫髪の女子生徒の隣をそっと指差す。その動作に反応をして順と呼ばれた女は、こちらにちらりと陰気臭い視線を向けてきた。
……一見機嫌は一応収まっているようだが、見るからに体調がだるそうであまり此方を歓迎をしているような雰囲気では無いらしい。
「は、はぁ……ショット?」
(――席の位置はマジであそこなのか? 俺も、何か粗相があったらアイツに首を絞められたりするのだろうか……?)
あの順と呼ばれた人間とは直接話した事も面識もないが、自らの身を案じて不安感と表現される感情が心の中に湧いてきたのを自分自身でも感じた。
「……どうも。横、失礼するよ」
「……あぁ」
最悪の初対面という事を避ける為に自分の席に着く時に恐る恐る横に軽く挨拶をすると、ぼそりと順という女も挨拶を返してくる。自分は元々コミニュケーションが上手いという訳でもないし彼女には近寄りがたいオーラがあったので、会話をしかける前は正直に言えば恐くもあった。
(……おっ)
だからこそ、最初のこの反応には少し驚かざるを得なかった。
先程はやたら刺々しかったようだが、案外人見知りをするだけかもしれないという事を、感じる。何せ、顔を見てみれば特に当たってくる様子も無い。
(先程は……、ニリーツという男が煽っていて怒っていただけなのかも知れんな)
そう思いながらも順の方に目線を向ける。
「あ、あぁー。俺は特進Bからの転落組でな、こっちの作法は分からないから仲良くしてくれると助かる」
警戒はまだ解かないが一応席がお隣なので自己紹介気味に、先に言っておく事にした。
「……そうか、……それは災難だったな。……左遷されたのか? この学校は特進以外の生徒の面倒見は悪いから、しっかり周りを見て生活する事だな……」
順はすると、視線を合わせはしないが意外にもそう優しく返事をしてくれた。その顔はそっけなく無感情ではあるが、微妙に忠告の意が入っている。
「え……」
「……特進とは度しがたい待遇の差があると言う事だよ。……ここは上と同じではないのだ、その意味をよく考えておくがいい」
――気を使ってくれているのか。
「……あぁ、成程。覚えておくよ」
須賀谷はそれに対し、頬を若干ほころばせながらウンと頷いた。フレンドリーではないが、反応は悪くはない。これならこちらも萎縮をする必要もなさそうだ。気がかりではあったがまずは一安心か。
これが須賀谷の、『†産廃†』の順との初めての会話であった……。
「いいか、授業を始めるぞ。……まずは社会学とは何かについてから解説させて貰うが、社会学っていうのは、君達がかつて勉強をしてきた社会という名前の授業とは違う内容の授業だ」
『どんな聖人でも人に嫌われない訳が無い、第一章、E・バーンの交流分析と風炉絃フロイトの精神分析』
そう白板にペンで板書しつつも、ダリゼルディスは告げた。
「この世界における物事の事象を詳しく勉強する事、それが社会学だぁ。魔法を扱うにしても周囲の地形、友軍、天候、自分の立ち位置をよく考えるというのが戦闘地域では重要でもあるからな。戦闘で生き延びること、その為にはアクが強い人間であることが必要だ……ニリーツゥ!」
そして突然、声を大きくあげる。
「あ、はいぃ!? なんですかっ!?」
指差しと共にいきなり呼びつけられ、健やかな眠りへと船を漕ぎかけていたニリーツが、ガタッと身震いをした。
「お前のような個性のある人間は……まず大成するぞ? 学者としてな。後々は助手として欲しい人材だ。意気込んで何かをする根性もある、ただ少し世渡りをするにはぬるいのがまだまだだがなぁ。……個性が強くなるほどに、学校というスポンサーから金も貰えるのだ」
「へ……あ、はぁ」
ニリーツは呆気にとられたかのように、引き攣った顔をしている。
「まぁ今呼んだのは別に特に意味はなく、緊張感が抜けていたからなだけだ。前年度の教員から、要注意人物とだけ聞いているのでな。……それに個性が強くなると普遍性に欠け、人を選ぶようになる。最近の魔法本の出版タイトルがやたらどれもこれも普遍性重視なのも、恐らくはそんな傾向に似たものだろう。……あぁ、座って良いぞ。出来るだけ退屈はさせたくはないが……話を続ける。さて、再び授業だ。社会学自体にスタンダードな教本は無い。私は人が人として生きていくにはどうすればいいかをテーマとした講義をしているのだ。ノートから期末のテストには出すつもりなのでな。私自身は板書のスピードは速い方ではないが、私が書いた事は出来るだけメモをするように。因みにテストは自筆のノートのみ持ち込み可だが、魔法で友人のノートを複製しようとかは考えるなよ。やったら夏期講習を義務付けるから」
さらに言葉をずらずら並べると、教室内を一瞥して生徒たちの動作をぐるっと伺った。
「さて、人が人として生きていくにはどうすればいいか……。まずは人の欲求、話はそれからになるがな。魔法とは我々人間にとって行使の仕方が多数あるが、そのうち大まかに2つに分けて考えると、脳内分泌物や感情、血液による魔力の自力生成と、魔石や魔本、精霊の補助を受けて発せられるものがある。今回は一つ目に付いても、やりたい」
そしてそう告げ、一つ口をつぐんだ。
……須賀谷は黙って授業を聞いていたが、人の欲求というワードが出た瞬間に少し顔を顰めた。
――ダリゼルディスが、講義を再開する。
「脳内分泌物や感情にくっつけて考えるが、病気や不調は身体にとって当然のごとくマイナスの作用に働くのは周知の事実だ。だがプラスになる要素というものも、日常生活の中にはある。人は欲求不満になると攻撃的になる、これは人間が行使する魔法という概念が発見される前に古の学者、風炉絃というおっさんが言っていたんだが……面白いぞ。相当前の話なのだが、我々人間が感情の力で魔法の威力を底上げ出来るのは、どうやらそれと同じ原理らしい……そんじゃそこのヘルナス、この欲求が何か予想で答えてみなぁ?」
「……睡眠欲ですか? ……眠たい人間って結構、機嫌が悪いですよね」
「違うね、おしい。んじゃニリーツはどうだい?」
「暴力欲……じゃない、独占欲ですかね? 昔の演劇ではよく修羅場シーンがありましたが」
「残念、お前なら答えられると思ったのだがなぁ。……何やらありとあらゆる事をなんと、性欲で片付けるそうだ。さて、年頃のエロ餓鬼の君らにゃ魅力的な説かな?」
そうして笑ってそういうと同時にざわっと、教室が騒いだ。
(……性欲、ねぇ。別にどうって事、ない)
須賀谷はそれを聞いて自分を省みつつも、軽く心の中で復唱をしてみた。
……別になんとも、思いやしない。心の中がチクッとしたのは、気のせいだろう。
そう感想を頭の中で浮かべている間にも、授業は進んでいく。
「まぁ年頃だしな。……リビドー、それは倫理に厳しい連中にはどす黒い心とも呼ばれる。……まぁ茶化したが風炉絃の、そして私の言いたかった事は、人間と人間の感情の触れ合いが無いと人の心は少しずつ擦れてくずれていくと、そういう事なのだよ。……お前達子供が今の段階で性や男女関係をどう捉えているかは分からんが、おいおい酒の飲める年頃になれば経験で分かっていくものだと思う。まぁそれでなくてもお前たちの年頃は孤独がどうのこうのとか、友人関係がどうのこうのと悩んだりする年齢だ」
「……」
「補足するように言うがこれは風炉絃の話であり他の学者はまた別の説をとったりしているぞ? それに性欲といっても単に男の子女の子にもてたい、子孫を残したいという直接的な欲望から、つがいを守ろうとする心まで多岐にわたる。 次回の授業ではそちらについて説明をしていきたいと思うが、今回だけで風炉絃の話は終えたいのでこちらをさっさとしてしまおうと思う。これから重要な事を言う。二度は授業中では言わないからペンの用意をしっかりしておけよぉ?」
そしてそこまでを宣言すると、ダリゼルディスの話はまた一旦の区切りを作らせた……。
そんな感じで授業も開始してから、数日後。
「……しかし、突然の呼び出しかと思ったら待たせるなぁ……」
その日は、2年生になってから2週目の昼休みの事だ。何故かは身に覚えが無いが、生徒会室に自分一人が呼ばれる事となったのだ。
『……お通しです。……間違えました、お茶です』
雑用らしいアンドロイドの女の子がオレンジクッキーと紅茶を置いて、戻っていく。
その身体はなんだか小さいがメカメカしく、首元に篝火2号と刻印されたパーツが付いていた。
『会長はもう少しすると来ます。暫くお待ちください』
アンドロイドの子は振り向くと表情も変えず、そう言ってくる。
……随分と、精巧にできているな。
『……?』
こっちが見ているとキュインとかカリカリとロードの音が聞こえるが、それを除けば人間と然程変わりそうもない。
『私に何か?』
「いや……」
「あっでぇぇええええ!!!」
少し口ごもると突然叫び声が聞こえ、その後にドシドシと歩き音が聞こえドアが開かれる。
「篝火2号機、また俺の席に画鋲おいただろ!? ……客に失礼なことはしてないだろうな!?」
肩まで届く長さの金髪の改造制服を着た男が飛び込んできて、アンドロイドに文句を言う。
『好了はおらーですよ、ゴミ屑会長さん』
「何がハオラーだ……ったく、最近露骨に口が悪くなったなぁ……お客に迷惑だからこういう時にからかうのは止めろってんだよ、それに地面に画鋲を撒く癖はやめろ」
『生徒はお客じゃないし、余所見なんかするアホなあなたが悪いのですよ、雑魚さんですね。私は壁の模様替えを兼ねて掃除の効率を重視しているだけです』
「ケースにすら仕舞われてない画鋲が散らばってる時点で掃除もクソもあるか! 醤油の海に沈めてやろうか、関節全部錆びてしまえ!」
何やら言い争いに近いが、声の主は心の底からは怒ってないようだ。何やら罠を仕掛けたらしい女性型アンドロイドに対し少し腹を立てた、話から察するにこの程度の事だった。
『耐酸対塩コートくらいしてますよばーか、と言ってみるテストです』
「貴様ァ、分解してやろうか? 俺ばかり目の敵にしやがってよ」
『胸パーツを外すとかこれがパワハラですか。ハラスメントは社会から消されますよ、この世界の鉄則です。今の世の中でそんな事をすれば炎上されてあなたの顔とプロフが画像と動画付きで全国にばらまかれた上に、さらにオマケで名前が検索ワードで上昇し、そしてボーナスで内定も抹消されます』
「ロボット三原則を守ってないお前が言える事じゃねぇだろ、ポンコツが。変なことを覚えやがって」
『我和汝不一様,因為我是機器人』
「人を馬鹿にしようとしているって、こっちもわかってるからな?」
『ぐむむと言ってやりましょう』
「てめぇ」
『……打醤油』
「誤魔化すなよ!」
……此方が黙っていると傍で喧嘩のような言い合いが次々と続いていく。自分が空気に取り残されるような気がしないでもないが、聴いている分には中々面白そうだ。
(……日常が充実してるとでも言うのか……やれやれだ)
部屋の奥での掛け合いを聞いて、それとなくそんな言葉が脳裏に浮かんだので一人で物悲しくも考えてみた。あの男はぼんやりと生きる一人暮らしの自分と違って、文句を言いつつも楽しそうだ。
暫くそうしていると、何ともいえぬ寂しい気持ちが心の奥底から湧いてくる。
たとえ機械相手だろうと、今現在、知り合ったばかりのヘルナスくらいしか、話し相手がいない自分としては少し羨ましい。
『そういった発言をzipで固めて学校裏サイトに載せましょうか、私は飲酒とかカンニングとか学校中で目を光らせてますからありとあらゆる不正は見逃しませんよ。因みに今朝はこの棟の3階で若干のアルコールを検知しました』
……それは多分、ダリゼルディスだろう。
「恫喝とかは、やめろよこら。俺には第一そんなアルコールなんざ飲んだ覚えはないし……ああもう、後で菜種油でもやるから黙ってろ。そんな事より話を戻したいんだから、時間を取らせているんだよ、寸劇の時間は無い」
そこまで言い終えて、こちらに向き直る。
「……ちょいんっす。君が須賀谷君だな? ちょっと先程はうちのアンドロイドに嫌がらせをされてな、お見苦しいところを見せてしまってすまない」
……改めて聞くと男にしては仄かに高い声色だ。フレンチカジュアル系の服が似合いそうでもある。
「どうも。……あなたが俺を呼んだんですか?」
会長と呼ばれていたのもあるしそれなりの立場がある人間だと感じ、敬語を一応使いながらも目の前に現れた男の眼を見詰める。
「あぁ。4年の生徒会長の薮崎正雪やぶさき・しょうせつだ。遠くから来て貰ったのにロクな準備もせず待たせてすまねぇな。……可愛い子ならともかく、野郎からの呼び出しじゃ気にくわねぇだろうよ? お気に召さんだろうが、許してくれると嬉しい」
男は自己紹介をすると、軽く瑣末な口調で詫びてきた。――なんというか庶民的だが下品では無いという、男前な雰囲気を感じる。染めてもないさらさらとした地毛が、男目線からでも綺麗に見えた。
「……いえいえ」
「……今日はちょろっと、これから説明したい事が有るんで宜しく頼むぜ」
そのまま通る声で、話しかけてくる。
「――はぁ」
須賀谷は困惑しつつも吐息を吐き、頷いた。――彼はどうやら名実ともにここのリーダーらしいが話し方から感じ取ったところによると後方で指示を出すタイプではなく、性格的には現場型のリーダーらしい。少し野生的で自己顕示欲もそこそこにあるのか、改造制服を着ている。
「現場に出ずに知識だけで仕事をしているって思われたくないんでな、最近のおっさんはきつい時に逃げて後で説教しに来るから困る」
須賀谷の思った事を視線から悟ったのか、薮崎はウインクしながらそう語る。
「……そうですか」
「んじゃ、説明始めるぜっと。……まぁ、肩の力を抜いてな」
それから手持ちのファイルからささっと慣れた様子で数枚のプリントを出して素早く須賀谷に渡すと、薮崎は近くの机の上に転がっていたリモコンに手を伸ばしていく。そして部屋の空調を操作して、冷房のスイッチを入れ直した。
部屋の空調の設定が変えられた。大体24度くらいだろうか。
「……うん、まず今回お前が呼ばれた意味としては、戦闘訓練のパートナーの問題の解消だな。これから3週間後に、去年もあったが学年内でクラス対抗の戦技大会、『the union of twin knights』というものがある。これは、基本原則強制参加でな、……その為にはお前のような編成によりクラスが上下した者は、新パートナーを作って貰う必要があるんだ」
須賀谷の手元にある紙には、2週間後の大会のプログラムがある。それを読み始めた瞬間に脳裏に今までのパートナーであるイフットの顔がまたも浮かんだが、辛くなるので一時的に考えないように努める。
「まぁ、お前が元特進Bで今が15段評価中の成績Gランクっていっても普通の生徒としてはお前は中々優秀だから、人の足を引っ張ったりはしないだろうし実力的には問題はないはずだがな、少なくともこれを見た感じではそう思えるが」
薮崎はさらに、話を好き勝手に進めようとした。
「――少しいいですか? 聞きたいことがあります」
「なんだ? 言ってみろ」
「……今更言ってはナンですが、そもそもこの辺の仕事は生徒会でなく担任がやればいい事だと思うのですが?」
そう訊ねた瞬間、藪崎が一瞬だけ鋭い目付きをした。
「――隠していてもしょうがないな。……あぁ、頼みがある。あながち嫌な予感が間違いでは無いかも知れん。……一つだけの願いだ。群雲 順、アイツを知っているだろう? お前にあの、群雲 順の行動監督を頼みたいと思うのだよ」
薮崎は突然、喉からつっかえを取ったかのような仕草をすると思い切るように、さらりと告げてきた。
「――え?」
一瞬で空気が、固まる。少し予想はしていたが、その言葉の意味は分かりかねる。
――は?
「えっ……? 俺に……ですか?」
自分の動きも止まった。唐突で訳が分からない。特に困る訳でもないが。――何故だろう。喉をゴクリと鳴らしつつも、疑問に思う。
「理由がもちろん……あるんですよね?」
当然の如く聞き返す。いきなりそのような事を言われても分かりやしない。
「……ん、まぁな。……知りたいか?」
そう訊いてきたが、好奇心から当たり前の事だ。
「そりゃまぁ、頼むのなら理由くらいは聞きたいです」
……しかしそう言うと、薮崎はまた、顔を真剣にさせた。
「これを言うと断られる確率が上がると思うんだけどな……、まぁいい、言ってみるか。……アイツは、訳アリなのよな」
さらに僅かな間を置いて、薮崎はそう告げてくる。
「訳……アリだとは?」
「……須賀谷。いきなりですまんがお前、順に付いてどう思う?」
「えっ?」
――どうと、聞かれても答えに困る。そう仲が良いわけでもない人間に対してそのような質問をしてくるような人には、どう答えればいいのかは分からない。お世辞を言えばいいのか?
「……個人的に言わせてもらうと外見としては上位で、そして聡明ですが。しかし非常に短気であってコミニュケーション力は低いとは傍目に見て思います。……特にやや、ある種の人間には過剰に暴力的だと思いますね」
「――ひでぇ事言うな、須賀谷。……まぁ、事実かもしれないが」
それに対し返事を聞いて薮崎は、少し含みのある様子で頬を緩ませて笑った。それからふと、思い出したのか隙を見て机の上のクッキーを摘んで口に持っていく。
「……んむ、あまり気にしないで欲しいが、アイツは、実はお前より一つ年上で首位生徒だったんだよ。言いたくもない事だがな」
薮崎が、静かな口調でいった。
「……え?」
突然の言葉に面食らい、驚きと疑問が脳内に浮かぶ。
「――つまり、俺より1個下だ。本来は3年生になっているべき人間なんだよ」
言葉を続けて、くる。
「……そうだったんですか」
落ち着こうとしつつも、返事を返した。外見ではこちらと殆ど変わらないが、そんな事があったとは。然程驚く事ではないが、不意打ちであった為に心が動かされた。
「まぁそれについては、理由があるのさ。……この学校の今の3年が、去年に殺人鬼集団との交戦で敗北をしたから数が少ないというのは須賀谷、政府の広報発表でお前も知っているだろう?」
「……はい」
彼の問いに対し、姿勢を正しつつもそう頷く。
「記憶に新しい事だ。『8・23事件』と言ってな。学校外に『異界の民』が現れて、大規模な鍛冶施設を人員もろとも抹殺、施設をも破壊をしたのだ。近場で訓練をしていた学園の生徒会と引率の教官、さらに当時の2年の半数が迎撃に駆り出されたものの、大半がやられた結果もある」
しかし一旦言葉に耳慣れぬフレーズを聴き、咎めつつも顔を顰める。
「……え? 『異界の民』って? そんな用語で呼称されていたのは初耳ですよ」
そしてそう、言い返す。
「……此処の世界とは違う地図で構成された土地を持つ世界の出身者の事だ……。かつて我々の世界地図における8の大陸の10ヶ国が一つ、エストヴァルテイルを半分以上滅ぼしたものだよ」
「エストヴァルテイル?」
言われて胸に押し込んで復唱するように、静かに呟く。思い起こせば、該当する件がある。10数年前に天災……巨大ハリケーンで消滅したと言われている国だ。
「確か自分が幼いころの事でしたが……記憶では大雨が降って、川が氾濫したところを強風に凪払われて国が丸ごと大洪水になったと記憶をしています。その後竜巻や疫病も発生したとかでまだ復興していないとか、何やら大変そうでしたね」
そう、返事を返す。
「それに関しては実際はは違うな。……そいつは建前として政府の流した情報だ。所謂大本営様だ」
すると薮崎は横に、首を振った。
「え……?」
「……話題が少し変わるが須賀谷。前提条件として人には魔法力、……つまり魔力というものが一般人でも備わっているのは、知っているだろ?」
――さらに、話が続く。
「え……あぁ、はい」
「……先程須賀谷、お前が言ったようにエストヴァルテイルは当時悪天候で竜巻が来たのは事実ではある。だからその当時、国連からの部隊は現地に復旧の支援に行っていたのだ。俺の個人的知り合いやうちの学校の卒業生もいくらか派遣されていた……。ところがそこで、一つ面倒な事が起きたのさ。部隊は……現地で見てしまったのだよ」
「何を……ですか?」
そう尋ねながらも唾を、飲みこむ。
「3億総廃人……。エストヴァルテイルの都市部の人間が、ごっそり魔力を抜きとられて衰弱状態にされていた事をだよ」
ーーえ?
「衰弱状態……? 3億もの……人がですか? そんな非常識な事が……?」
「断定の根拠は残っていた監視カメラの映像やレーダー、それに10カ国が一つの遺跡テクノロジーを扱う技術国家、トリストゥメンの協力を仰ぎ軍事衛星などのありとあらゆる観測装置を使ったその結果だ。それにより、異界の民が何らかの方法で計画的にハリケーンを起こし、どさくさに紛れてエストヴァルテイルの人間から魔力を吸い上げたのだという事が明らかになったのだ。二枚目のプリントを見てほしい」
「……ッ」
だが次に言われた言葉を聞き、背筋に寒気が走った。
トリストゥメンと言えば、上から数えたほうが早いレベルの上級技術国家だ。医療業界に関しては汚職が横行しているが、科学技術に関しては少なくとも信頼の置ける場所でもある。
「目的はともかく、奴等異界の人間は魔力を我々人間から、奪う事が出来る……それだけは事実なのだ。……魔力とは、火力でも水力でもない……人の魂の力そのものになる。消耗はしても睡眠やポーションである程度回復は出来るが、完全な枯渇をしたら精神や生命活動に揺らぎをきたしてしまう」
「……何を、言いたいのですか」
「故に我々人の魔力は異界の人間にとって、餌の様なものだという事だよ。我々人間がかつてドラゴンやビーストを討伐してその身体を加工していたようにな……」
脅すかのように、言葉が続く。
「単刀直入に言おう。このヒオウが狙われるまで……時間が……無いのだ。だから我々人を始め他国に存在する獣人やエルフ、アンドロイド、竜人ドラゴニクス、吸血鬼や天狗……そういった、ありとあらゆるものの力の助力を得て数年のうちに、命令等に縛られずに身軽に動ける戦力を結集させる必要があるのだよ。彼女は由緒正しい家柄の人間だし、何といっても家名とカリスマとも言うべき人を動かす力があるのだ、だから彼女を頼みたいんだ。これはうちの生徒会のスポンサーからの依頼でもある」
そこで薮崎は、真剣な表情でそう続けた。
「――では文脈から判断すれば先程の8・23事件というのは……その殺人鬼もとい異界の民と交戦していた結果なのですね。もう、敵も近いと」
「んむ、そう言う事だ。既に彼らは他国でも活動をあちこちでしていると出ている」
そこまで言い終えると、机の上に置いてあるカップからまたお茶を口にへと運んだ。
「――さて、話を戻すがその当時の群雲 順は努力の天才でな。口が悪かったのは相変わらずなんだが年齢が一つ上の俺よりも遥かに強く、俺に出来るような事は何だってできた人間だった。自分がエースだと言う事で多少の驕りはあったが、血統無しに裏で努力だけしてのし上がった、マジで緋奥の最強の看板だったと思う」
「……だが、相手が悪かった。手も足も出ずに異界の奴らに半殺しにさせられた後、アイツは長期間意識不明に陥ったんだ。――だが、それでもアイツは強かった。信じられない程の力で見事に自力で生きる力を取り戻してくれた。しかし意識が戻った後に地獄のリハビリをしたものの、心までは治らずに世界に幻滅して挫折しああなったんだよ」
「……そうなんですか……」
須賀谷は相槌を打つ。多少同情は、出来る。
「……言うなれば臨死の状態から蘇生された直後に何も分からず2年の学年主任のお陰で単位剥奪で留年だぞ? 10代の女にはキツ過ぎるものだ。……見てて俺が辛くなる位だった。事件の恐怖とショックで拒食と不眠、嘔吐だのを繰り返したそうで、すげぇやつれていた」
「……それって」
「あぁ、彼女を判断で落とした奴はよりにもよって渡辺だ。何でも、奴がプッシュする校内の計画には順が邪魔だったらしくてな。あの事件を解決したのは一個師団の英雄達と、表向きには今Aクラスで合宿に出ている、渡辺の金に物を言わせた私兵達だ。順たちは判断ミスとして†の称号を押し付けられ、被害が出てから後詰めに解決させる事で戦力を誇示するその為の時間稼ぎの捨て駒に使われたんだよ。相手に餌を食わせて美味しくいただいたという、囮ですらないパーティー(殺し合い)の装飾品に使われたんだ。
……だから今の俺や他の幾つかの委員会は奴に見切りを付け、色々と報復の算段をしているところなのだよ。奴が作った、向こうの私兵の懲罰委員会の目を逃れてな」
薮崎は少し奥歯をかみしめつつも、そう答えた。よく見るとその表情から悔しさと言う物が、感じられる。
「何の因果かは知りませんが、俺を厄介者として切り捨てたあの渡辺ですか……。 気に食いませんね、本当。しかし話は変わりますが、私兵とはなんの事です……? 俺、そんなものがあるとは知りませんでしたよ」
俺は口を開く。
「……ほう、そこは知らなかったのか。いいだろう、俺が説明をしよう。 話せば長くなるが渡辺は、実は元々この学校の教授でも非常勤講師でも無くて出向の人間でな。
簡単に言えば政府からの監視員として派遣をされているが、その行動に制限は無い。それ故に自分の意思を反映させるためにお上からの補助金を手土産に、金に任せた私立部隊を編成する事が出来たという事だ。それが、先ほどに言った懲罰委員会というものになる。……その意図はまだ、俺には読めないがな。まぁ、今も会計によると奴の周りから使途不明金が幾らか出ているそうなので、ロクな事はしないだろうと思われるよ。……奴の実家は刀剣の販売会社だ。恐らくはこの学校で資金洗浄を行うことにより、不正価格で武器を流して儲けているのだろう。普段は他人の勤務を監督しながら他人の給料をもらい、さらに二重で武器関係を抑え儲けるという汚さだよ」
「そういう事……ですか。政府との癒着ですね。納得は出来ました」
金儲けの臭いにむっと嫌な顔をする。
「順は、その事を知っているんですか? 自分が陥れられたということを」
そして、落ち着いたふりをしつつも疑問を投げかけた。
「……おいおい、それを群雲 順に伝えて、アイツは何をすると思う?」
「つまり言ってないって事……ですね?」
「あぁ。今の順の立場を考えれば……自分が信じていた証明価値、存在価値に裏切られたと言う事だよ。要点を突き詰めればな」
向こうは、そう説明をしてきた。また、興味を引かれるワードだ。
「証明価値……? それは、どう言う意味ですか?」
「んぁ、怪しい団体の文句とは違うがアイツにはな、昔から心を許せる人間が少なかったんだ。なんて言ったらいいのか、気を張り詰めさせて心休まる場所がないと言うかな……。だからさっき言った渡辺の事……彼女たちがダシに使われたという事をアイツに伝えたら、アイツの精神がどうにかなっちまう。味方から撃たれたなんて事実は、最悪だ」
「……」
須賀谷は息を飲んだ。
「群雲 順。アイツが生まれてからすぐにエリート教育が始まったそうだ。両親がプライドの高い学者先生でな。愛なんてもんは微塵も無く、ただ学歴を作り出して親の顔を立てる機械のように育てられた。自我らしい自我を持つことが許されなかったせいか、感情が希薄で友達も上手く作れない。―――そんな寂しさを紛らわすためか目立つためかは知らないが、恐ろしく努力を重ねたんだよ、アイツは。……そしていつの間にか、クロスエースの『ドグマセイバー』とか呼ばれていた。」
「――そうして苦労して作った立場も、叩き割られたという事ですか」
「あぁ、その通りだ。人は容易く掌を返すものだからな。アイツを期待の新星扱いしていた奴らは、事件の後こぞって「†産廃†」とイジメだした。本人は一度もクロスエースなんて言ってなかったのにな。そして驚くべき事はアイツに期待をかけていた両親でさえも、アイツを突き離したという事だ。……家名に傷が付いたとか言って勘当したのだよ。積み上げてきたものは全て壊された。誰にも必要とされない、そんな中で生きている。親の言いなりで育てられてきたアイツは親からまでも見捨てられた……」
薮崎は手振りをしながら頷いた。
「自由にさせることと放任は……違う。言われるままに育てられてきた人間がいきなり自立などと出来る訳がない。だから今のアイツは異常に荒んで、野良犬みたいに自分に少しでも仇する者に対しては徹底的に暴力的で排他的にするようになった。自棄ってやがるんだ……。人によっては不様だのなんだの言う奴もいるだろうが、かつて生徒会の一員でもあったアイツの悲痛な心が、俺には分かる。魂の抜け殻みたいなアイツは見てて辛いんだよ」
「……でもそれは、あなたが自惚れて分かった気になってるだけかもしれませんよ。それに、いくら自分が不機嫌でも人に当たるのは良くない」
しかしこちらも、告げてやる。あまりに人に対する過度な期待は自分の身を滅ぼす事になる。
「――んむ、そうだな、そうかもしれない。しかし、感情の表し方が下手なのはアイツの新米だった昔からの特徴だったんだ。俺は、理性的にはそうは思ってやりたくはない。何も負け犬の遠吠えに手をかせと言っているわけではないのだ」
だが薮崎は真面目な顔でそう、言葉を紡いできた。
「――嫌気をするような事を言うが、大半のお役人や国家権力様が守るのが国民じゃ無くて法律、そして利権や私欲なように、ここの大半の教師が守るのは生徒じゃ無くて自分の立場だ。一度潰れた人間になど助けようともしないし見向きもしない。この学校の前にかつて渡辺の所属していた場所も支持母体を洗えば汚い情報だらけだ。日常を生きていればつくづく分かるだろ?」
「……っ」
言われて共感し辛くなりつつも、言葉を飲みこむ。痛い程に実生活で心当たりがある。自分にも図星だ。
「――だから俺は順を、見捨てられたあいつをエース階級に戻したいんだよ。アイツを起点に俺はここを若者が住みやすく、未来に希望が持てる学園にへと作り変えたいんだ」
そのまままたそう言って、自分のお茶の含まれたカップに手を伸ばす。
「耳障りのいいことを言って……俺を利用する目的は何ですか? 順が幾ら実力者とはいえ……破綻者に華を持たせて自己満足って事ですか? まさか絆とか言って僕に負担を押し付けたいだけじゃないでしょう? 僕が普段苦労しているときには見向きもしなかったくせに」
「……それは違う。……本当に必要だからだよ、組織運営として学園の戦力を高める為にはな。……そうだな、君に協力する意思を示すためだ、恩賞用にと考えていたがこれを受けとってくれ。渡辺に喧嘩を売るためにうちの直属の科学技術研究部が開発した、次世代型の武器だ」
ムキになって訊ねるとすると今度は薮崎がそう顔を顰め、ずいと自身の机の引き出しから小奇麗な剣の柄のようなものを差し出してきた。
「何ですか……、これ? マインゴーシュにしては短いですが」
目に飛び込んできたものに曖昧な顔をしつつ、眉根を寄せる。
「それは魔力を手首に込める事により使用者の魔力を吸って刀身を形成する剣……高等試製非実体剣参番のカスタムタイプ、コードネームは『タマチルツルギ』、だ。マジックウェポンの一種で使う者の技量により剣の長さと切れ味は左右されるが、3尺8寸程の物が出来れば実用レベルだと思う。手に取ってくれ」
言われるままに、恐る恐る握る。軽く力をこめると、紫の刃が出た。
「成程……思ったよりずっしりとしてますね」
「まぁ注意点としては持っている間しか刀身が作られないから、投擲としては使えないといったところだけだな。一応次期に学園に導入する装備の一つの案として考えてあるが今のところは君以外では所持しているものは俺しかいない。しかし俺はこれを使いこなせば従来の剣を過去の性能にするだけのスペックがあると考えているのだよ」
「……僕に恩を売っておこうということですか?」
「そう思ってくれても、構わないな」
「僕もプライドはありますが現金ですからね、貴方の顔を潰す訳にもいかないからこれは受け取っておきます。しかし話を戻しますが、さっき順をエース階級に戻す……と言いましたよね。でも、そんな事をしたら順は思い上がるんじゃないですか? 今の彼女は貴方が思う以上に短気ですよ」
「んな事は分かってるよ。 この俺は確かにこの生徒会じゃぁ上の方だが、学校単位で見たならしがない中間管理職だ。だから俺個人の権力では彼女をエースには戻せない。……だが、手柄を立てた人間となれば話は別だ。アイツが、一度潰れた人間が復帰する事になればカタルシスはあるし、それが学校自体の、特に落ちこぼれと言われた生徒達の士気の向上にもなるだろう。幾百の生徒に夢を……今入院してる奴らや渡辺に弾かれた奴らにも夢を与えることにもなるのだ」
「それだけの為に……と?」
「それだけじゃあない、アイツの持つ貴重な異世界の人間との実戦経験のノウハウは、後進の為にも大切なんだ。士気が左右するこういった組織の運営者として、少しでも生徒が結果を残せる環境を作るのが俺の与えられた役目なんだよ。目先の物だけを見てそのすぐ後ろが見えないのは馬鹿だ。そんなのは場当たり的にしか動けない末期のゲーム運営みたいに、誰も利用者がいなくなってしまう」
薮崎はすると、妙な喩えを挟みつつも語ってきた。
「――言いたい事は分かりますよ」
須賀谷は、もっともだという顔で頷く。
「でも、考えが甘いですね。 そんな事しなくても40年も待てばあんな渡辺みたいなじじいは死にますし、人間ってのは口だけ開けて何も動かないような鳥の雛じゃないんですから。餌くらい自分で捕る努力は出来ますよ?」
語気を上げ、言い返す。こんな状況なのに人の為に動けなどとは、難しい事だ。
善意を強要し、この男は俺を……鉄砲玉に利用するというのか。そんなのは御免だ。
「じゃぁ渡辺みたいな下を潰しまくるクレイジーな指揮官を野放しにした方がいいとでも言うのか? 俺はそうは思わないな。奴は魂まで現金で出来ている、人型の札束が詰まった何かだ。あんな男の背中を見て後進が育つ訳が無かろう。 子供の、生徒の生きる道や選択肢を潰していく大人のが害悪だろうが」
「……それについては、同意はしますよ」
「俺達は、いや、少なくとも俺自身は……この怪物だのドラゴンだの異世界からのエイリアンだの不安定な世の中で、80どころか50……いや、40まで自分が生きられるとは思っちゃいないよ。でも、俺は少なくとも次の世代が安心できるように今の壁を俺の一生をかけて破壊したいと思ってるんだ。だからだ、だから奴を消し飛ばす為にも失脚させられた順の力が必要なんだと思ってるんだよ。 ロクでもない腐敗した大人のせいで子供が殺されるのは、俺は見たくない」
「……その意見には同意する子供や学生はいっぱい世界にいるとは思います。だけど、だけどですね、それだからって僕に、順を更生するように口説けって言うんですか? 荷が重すぎますよ、世界の秩序を壊すだけなら外の世界の異界の人間どもだって出来るのですし。それに渡辺の失脚を狙うだけなら、あなたがやればいいでしょう。 まだロクに力も無い俺を煽ってどうしようって言うんですか……? 沢山の事を求めすぎですから」
言葉に誘発されて自分もボルテージが上がり、気まずくなると分かっていても作っていた態度を崩して口論のようにもなってくる。
俺自身、今は辛いのに、メンヘラの更生? そんな事を押し付けられても無茶だ。こっちは天才でも何でもない。救おうとすれば自分の行動のキャパを上回る。手が足りないのだ。
「――口説けとまでは言わんし、自分でやれるものならばやっている。まぁ、せめてペアになれとまでは今の段階では言わない。……だが、最低でも復帰の為に仲良くしてやってくれと言いたい。俺は立場上表立って動く事は出来ないからな。事の次第によっては、君を支援するよう参考書や遠征費、装備面等で恩賞を取り計らってもいい。……つまりは、そう言う事だ」
しかしそこで薮崎は自分も熱くなっていたと自覚したのか一息ついてから静かになり、落ち着いてそう返事をした。
「……だとしても少し、やり口が汚いですね。順本人の意志を無視して裏から俺を呼び出して肩入れしようなんて。俺は不服ですよ」
そこへ向かい食って掛かり、非難の目を向ける。
「言ったところであの順が聞くとでも? ……だが、今のお前なら……順の今の心中というもの、人生の隅へと追いやられた気持ちというものが身を持って分かるだろう。須賀谷 士亜。自分の知らないところで自分の未来が他人に壊されたという、その無念が」
ところが薮崎は視線を逸らさずに、逆に須賀谷の目をぐっと直接見据えてきた。
(――心が痛む事を)
――言われて図星とばかりに回想をすれば、脳内に浮かぶ、黒岩田の顔がある。彼は自分を、指差して笑っていた。悔しくもあった。そして自分を叩き落とした渡辺の顔も甦る。……妬ましい。
「人に同調をするだけなら、誰にでもできる。……俺はその先を求めているのだ。彼女の力というものは、少なくとも君自身にも大きくプラスになるものだと思うが? 彼女自身が安定するならば、リベンジの為に彼女の力を借りても構わない、これは君への蜘蛛の糸にもなるはずではあるが……」
「――プラスになる。……それは確かに、そうですけど……楽するようでもあるし」
メリットとデメリットで天秤にかけて考えれば薮崎会長の言う通りでもある。……反論は出来ない。完全な拒絶というものが出来ない。須賀谷が切羽詰まり言い返せないでいると、部屋の中に僅かな静寂が訪れた。
「……すみません、少し考えさせて下さい」
……2分位経っただろうか。俺は口ごもった後に俯き、立ち上がってそう返事をした。まだまだ結論を出すには、うまく整理がつかない。本当に、こんな事になるとは思いもしなかった。
――どうすればいいのか、わからなかった。頭を抱えたくもなる。人としての行動。……自分の責任。色々思う事はある。
「もっともな話だ、無茶を言っているから快諾をして貰えるとは思ってはいない。よくよく考えた結果、荷が重いと断っても構わん。そもそも俺も先程まで、この話はお前に話すか迷っていたのだからな。説得はしたが最終的に投げる気はないしどちらにしろ恨みはしないからよ」
「……そんなこと、わかってますよ」
「2日待つぜ。嫌ならば順は他の者に頼むが……良い返事を期待している。その剣はどちらにしろあげよう」
薮崎が、言葉を投げ掛けてくる。それが通告か。
――だが、こちらにも言いたい事はある。
「こう見えて言いくるめられるようなつもりは無いのですが。一つだけ、聞かせて下さい。……何故、この部屋に他の人じゃ無くて僕を呼んだんですか?」
俺は背中を薮崎に向けると、眼を閉じつつもそう訊ねた。
「……特別な事は無い。たまたま特進から落ちた中で、最初に声を掛けたのがお前なだけだ。……これは『偶然』だ。……けして教室に滑り込ませた人間が、順と会話できた人間をリストアップしたという事では無いんでな」
するとそれに対し面倒臭い言い回しの返事が返ってくる。……そのような事だったのか。
「……わかりました。そう思っておきます。素直じゃないですね」
裏はあるかもしれないが、一応は信用をしておこう。なるほどと感じつつも、律儀にも回りくどく説明をしてきた薮崎の言葉を咀嚼する。
「おう、あばよとでも言っておこうか。……まぁ、君の本音を少し聴けたのは、嬉しかったよ」
その言葉を背中にも、足早に生徒会室から出る事にする。耳をそばだてると部屋の中の空調が、ごうごうと音を立てていた。
「……会長」
「あん?」
須賀谷が去った後、すぐさま銀髪のアンドロイドが花壇の手入れから出てきて薮崎に話しかけた。
その表情は無機質で、冷たささえ感じられる。
「先程の無礼、少々やり過ぎたでしょうか」
「お前がわざとやってるだけだろう……別に気にしやしねぇよ」
「……ですが先程の反抗は明らかに言ってはならないレベルでした。喩え、AIの学習という口実があったとしても」
「あぁ、心にぐっさり来たぜ。でも、それでいいんだ」
「……マゾですか?」
「道義的責任を果たそうとしているだけだ。……俺は罵倒されるだけの人間だよ」
「……やっぱりマゾですね、最高裁絶対不可避です」
「ちげーよ。俺の尊敬する古の学者……D・鐘木カーネギーの人間の動かし方の論が俺の生徒会長として目標にしたい指針だからな。あの須賀谷君にとって、かたっ苦しい男が真ん前に出てきたら緊張するだけだろうがよ。その点、俺を機転で三枚目にしてくれたお前の頭脳は素晴らしい」
「はぁ……そうですか。でも、D・鐘木の書いた本は人を説得する方法、でしたっけ。その情報は……私の記憶領域に入ってますが会長、それにしては先程の口論の時は会長が頭を熱くしてましたよね? 説得するには失格じゃないですか」
「……目標は目標さ。俺もまだ、半人前って事だよ」
「それは分かってますよ。だからそれを矯正する為に……私がブレーキ役として存在するのですから」
「……あぁ。分かってる」
薮崎はそう告げると、静かにふぅと一息をついた。
「会長……」
「ん?」
「少々疑問があります。会長は先程須賀谷さんが言っていた事について……どう考えますか?」
「どう……って?」
「壊すだけなら外の人間でも出来る、という事です。事実、物事を破壊した後のビジョンがなければ世の中は無茶苦茶になると私でも思います」
「あぁ……それか」
「まぁまず、一度聞いて欲しい。気に入らなければ後で幾らでもいってくれればいい。……俺が思うに、渡辺のやり方は……醜い。 異常を正常にもってくるようなあんなやり方は……告発されるべきものだ」
「ですね……それはアンドロイドの私からも、同意できます」
「本来ならば奴と、奴の後ろ盾を破壊していきたいものなのだが……生憎とこの国の腐敗を取り除くのは少人数では難し過ぎる」
「現実的に考えれば、そうですね」
「だが、不可能と思わなければ人間に限界はない……。これは、俺が好きな言葉だ」
「会長、それ以上憤青すると国家反逆罪になりますよ? それにあまり下手をすれば戦車で轢かれます。 私の設計士しぇいじーしーは知っての通り向こうからの亡命者ですが、『金と余暇さえ増えれば人は本を読むしゲームもするし服も車も買うのだ、税金上げつつ人を扱き使う守銭奴は死ね』とか言ってて結局ストレスで胃を壊してベッドでおかゆを食べてますし健康にも悪いです」
「……なぁに、武力に訴える必要はない。俺が将来政府に入り込み、奴等のような汚い大人を駆逐してやるという事だ。……そうでもしなければうんざりなんだよ、この現実の腐りようはな。大人のうちの腐った人間が何をしようと勝手ではあるが、そうするという事はその割を食った人間全てによる怒りの反撃が降り注ぐ事も覚悟をしているだろうよ。司法が敵でも構わんさ、スキャンダルでハメ潰して化けの皮を剥ぎ、断頭台に送ってやる」
「随分と憎むことで。一体それに何年の時間を……、かけるつもりですか……?」
「そんな事は知らんよ。でも、誰かがやらなきゃこの世の中はお先が真っ暗だろうが。俺自身は、その為なら捨て駒になる覚悟もある」
「……」
「このヒオウにだって、旧文明はあったじゃないか。……4000年前にはダイミョウなるものが存在をし、内乱ばかりをしていた国家であっただろ。その内乱の世の中を終わらせた1人の戦乱の英雄だって……人間であったはずだろ?」
「……まぁ、確かに。アンドロイドの私にはモダンなロマンは理解はできませんが……言いたい事はなんとなく近しい言葉に翻訳して把握出来ます。要は、ナポレオン・ボナパルトは人間です、そして自分は人間です、だから自分はナポレオンと同じことが出来ますと、そう言いたいのですね」
「ナポレオンは部下を使い潰した上に癇癪持ちとも文献に残っているので指揮官としては好きではないが、喩えはともかく、原理としてはそう思ってくれていい。しかし三段論法をお前使えたんだな」
「……本で読みました。成程。満足したところでもう一つ聞きたい事があるのですが、いいですか?」
「いいぞ」
「須賀谷君についてですが……何故、彼自身を? 先程言った監視の件の事だけじゃ、納得はできませんよ?」
「今回の件を依頼をするにあたって須賀谷君の素性を調べさせて貰ったが……。彼は、逸材だよ。人は、愛の為になら鬼にも修羅にもなれるという事、それを地でいける男になり得そうなのだからな。少々気性は強情だが、彼には何もかもを越えて生き抜く力が、ある。渡辺の圧力という汚らわしいものに心を折られていない、その純粋な思いは応援するに値するものだと考えたからさ」
「……会長は……。自分が正義の味方のつもり、なのですか?」
「いいや、そこの分はわきまえている。俺は俺の願望の為に彼を利用しているにすぎないからな。……自分の興味あることは他人も興味あると思ってる訳でもないし、俺は善人なんかじゃない、レジスタンス上等で奴に間接的に殺された教官と前会長、そして皆の仇を討ちたいだけのクソ野郎さ。具体的には奴等の不正さえ潰せられればいいのでな」
「……そうなの、ですか」
「あぁ。俺はいずれ、須賀谷君に贖罪をするつもりでもある。色々と片付けるものを消してからだがな。先程も言った、全てが終わった後の時代……。その時代で本当に必要になるのは、俺みたいな人間じゃなくて須賀谷君のような困難な状況や残酷な運命にも負けない心の強い男なのだからよ」
薮崎は机の上のクッキー缶を拾い上げると、そう言葉を吐いてみせた。