4,悩みの種
少女は一度作業を保留にすると、窓の外へ視線をやった。
視界の両端ではクリーム色のカーテンがなびき、心地よい風が流れて来るのを頬で感じた。
「それにしても、今日も平和ですねー。先輩」
少女は振り返り、向かいに座る男を見た。生徒会副会長という立場にいる人間である。
先輩という言葉が示す通り、少女よりも1つだけ歳が離れていた。
シンと静間に帰った生徒会室に、少女の可愛らしい声だけが虚しく響く。
「…………」
返事が戻って来ず、少女は何処か気まずそうな顔をした。しかし周りには副会長である男の他に誰もおらず、少女の表情に気がついた者はいなかった。
放課後に居残りで仕事をすることになった少女であったが、男のことを憎からず思っており、内心では2人きりという状況に少しだけ心を踊らせていた。
少女は、うー、と唸りながら男を観察する。
難しい顔をして、書類を睨んでいる。しかしよく見ると瞳はまったく動いておらず、心ここにあらずといった様子に見えた。
「先輩? おーい、せんぱーい?」
無視された訳ではないということに安堵し、少女は少し大きな声を出した。
「……! どうした?」
「どうした? じゃないですよ! こんな可愛らしい後輩を無視するなんて、酷いですよ先輩!」
我に帰った男に、少女はツンと拗ねた態度を取った。
「そうか、悪かったな……」
「……いえ、そこは何かツッコミが欲しかったな、という気がそこはかとなくしますが……。まぁ良いでしょう。しかし本当にどうしたんですか。文武両道・万能超人と呼ばれた先輩が人前でボーっとするなんてらしくないですよ? 悩み事があるなら聞きますが?」
「ボーっとしていたか?」
少女はコクリと頷く。
「……そうか」
男は口元に手をやると、本格的に思考をする姿勢を整える。そして今は空白となっている席に一瞬だけ瞳を向けたのを、少女は目ざとく見ていた。
「会長さんですか? 昨日に引き続き今日もお休みっぽいですね。おかげで平和にお仕事ができますよ。あの人がいると会議のはずが野球大会になったりとか、校内マラソン大会になっちゃいますからね。お仕事なんて全然進みませんよ」
やれやれ、と呆れたような動作をみせる少女。次の瞬間には何かを理解したようにポンと手を鳴らした。
「っあ! 分かりました! いつも先輩を困らせまくりの会長さんがいなくて、気が緩みすぎちゃってるんですね? これは極秘情報ですが、会長さんは今、某病院に潜入して何やら良からぬことを企んでいるようですよぉ……って先輩。どうしました?」
男の視線が持ち上がり、鋭い目が少女へ向けられた。
「……少し、詳しく教えてくれ。病院が、どうした?」
「えと、いいですけど。根拠もないお話ですよ? 昨日学園を休んだ私の友人から聞いた話ですが、友人が体調不良で病院に行くとそこで会長さんに似た風貌の人と会ったんだそうですよ。でも似てるのは外見だけで、なんか覇気どころか生気も感じられなかったんだとかなんとか……。それで別人だろうってことで決着しました。だいたい会長さんに病院とか、もっとも似合わないじゃないですか? それ自体で何かの冗談か、ギャグですよぉ」
少女が同意を求めると、男は何も答えずカバンを持ち立ち上がるところだった。
「え? 先輩。何処へ行くんです?」
「急用が出来た。今日の仕事はここまでにする」
短く答え、さっさと扉へ歩き出した男に対して、少女は慌てて腕を伸ばす。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。先輩!」
男は扉の前で足を止めると、振り返った。
「戸締りを任せていいか?」
「え? 戸締りですか? 別に構いませんが……」
「そうか、助かる」
言い残して、男は行ってしまった。
少女はその後ろ姿をポカン、と見つめていた。
部屋には夕焼け初めの僅かにオレンジ色の光が差し込み、遠くではセミが鳴き始めた。