序章その7
玄関を出て大きく伸びをする。
朝のまだ少しひんやりとした空気を胸いっぱいに流し込み、大きく吐き出す。
天気の良い朝は玄関を出てすぐにまずこれをやる。
朝の気配が語りかけてくるような心地良さに目を細めた。
「行って来ます。」
誰も居ない家にそう語りかけると、鍵を閉めて学校へ向かう。
いつもの朝。
一人きりの朝。
5年前のアノ日から止まったままの朝。
もう心の中のけじめはついているつもりだったが、朝のこの瞬間に思いを馳せてしまう。
だからこそ、この時間に家を出る、ほんの少しの良い事でこの暗い気分も半減する。
半分になった暗い気分は朝練の汗で洗い流す。
この日課を出来るだけ毎日こなす。
それが、僕の毎日。
学校への長い坂道の途中で、いつもの声がする。
「おっはよう!新谷副主将!」
「おはようございます。江波戸先輩」
江波戸百合、女子部主将にして地区内屈指の剣士として知られている。
僕のような名ばかりの副主将と違い、実績と実力とが伴った我が校の有名人の一人である。
一つ上の彼女にはいろいろな意味で世話になり、迷惑をしている。
公式戦で未だ勝ち星の無い僕の対戦相手を連れてくるのだ。
この学区の強豪はもちろん声のかけられそうな所なら、社会人や大学生まで手当たり次第に連れて来る。
みんな僕よりも数段上の実力者たちなので、ほどほどに打ち合ってくれて結果として負けてくれる。
なにも僕とやら無くても良いのに再戦してくれる人まで居る。
ともあれ、こういった僕の実力を過剰なまでに誇大広告してくれたおかげで、公式戦勝ち星なし、非公式戦負けなしという奇妙な実績が生まれ、僕は我が校のもう一人の有名人となっていた。
「今日の朝ごはんは何?」
「シャケとおかかのおにぎりです」
いつもの先輩の質問にちらりと先輩の手荷物を見ながら答えた。
先輩はいつも竹刀だけは持って帰る。
他の部員は僕も含め全員道具を置いたままなのだが、竹刀を持って登校する姿はとても先輩に似合っていた。
「え~、いつもの蓮のスペシャルうめぼしは?」
「品切れです。1ヶ月前に、ひとビン持って行ったでしょう。あれはどうしたんですか。」
「もう食べちゃったよ」
少なくとも100個は入っていたはずだ。
「……、来週か再来週あたりには梅の時期でしょうから、また叔父さんに送ってもらいます。出来上がるまでにはさらにかかりますので、2ヶ月は我慢してください。」
「えぇ~!納戸の奥の3年ものは?」
……、一体いつの間にチェックを入れていたのだろう、誰にもわからないように隠しておいたつもりだ。
「あれは、10年は封印しますのでダメです」
僕も、その10年という月日がどのように味わいとして加わるのかまったく理解していない。
その10年という一つの区切りが何かのきっかけになるかもしれない。そんな単純な思いつきだけだ。
「はあぃ」
江波戸先輩はさもつまらなさそうに口を尖らせた。
そんな話をしながら校門をくぐり、まだ誰もいない運動場を横切って格技場へ入る。
格技場は、入り口は一つだが柔道場と剣道場があり一般生徒たちには柔剣場として知られている瓦葺きの建物だ。
僕たち剣道部員は柔剣場という表現があまり好きではないので、あえてその名を使わない。
剣道場に入って早速、朝食を取った。
こうやって先輩と朝食を取るようになってもう1年近くたつが、本来は体を動かしたあとで食べたいところだ。
でも、時間が経ち、みなが朝練に来てからの先輩との食事は気恥ずかしいものがある。
「ん?なに?蓮くん」
剣道場で二人きりの時、江波戸先輩は僕のことをこう呼んでいた。
そこで気が付く、どうやらぼんやりと先輩の顔を見ていたようだ。
「あ、いや、考え事してて……」
あわててかぶりを振った、ここで、『この人は女の人なんだな』なんて思った事がわかったら『今までなんだと思ってたわけ?』と、突っ込まれかねない。
そうして軽めの朝食を済ませ、練習を開始する。
練習は攻めと受けの交代で行うが受けが受けのままで居るのはあまり練習にならないという理由から、隙あらば反撃も可、としている。
この1年通してそうだが、先輩には隙が多い。おそらく僕に対して攻撃の要領を教えるつもりで隙を多くしているのだろうとは思うが、比較的簡単に受けから反撃に切り返すことも出来たし、こちらの攻撃時に反撃をかわして打ち込むことも出来た。
これを数度繰り返してのち、朝練の部員がちらほらと現れる。
先輩は後輩の指導に入り僕も後輩の指導へと入った。
ここまでの公式戦勝ちなしという実績から、すっかりレギュラー候補からは外れていたが、後輩の指導だけはとりあえず出来るし、副主将というブランドと上級生という立場から、1年生レギュラーも良く従ってくれる。
「蓮、ちょっとこっちへ来い」
20分ほど指導をしただろうか、呼ばれて、振返る。近藤勇一郎、剣道部主将、この地域では5指に入るほどの実力者で、剣道部の中では、百合先輩と併せて2枚看板と呼ばれているが、僕の訳の解らない有名具合に影が薄い。
「大会も間近い、稽古をつけてくれ」
この近藤主将にしてこの発言だ。毎朝2~30分ほど稽古をするが、隙を見せてからそこを狙った対戦者に対しての捌きを練習しているとしか思えない。
「スゲエ……、やっぱ新谷先輩は本番以外だったら無敵だぜ」
まったく状況を理解していない1年生にはそう見えるのだろうが、明らかに近藤主将は手を抜いている。みんなが、部外者を含めてみんなが僕を強くしようと画策しているような、奇妙な感覚だった。
そうして時間が過ぎ、今日はクラスの当番と言うこともあり、早めに朝練を引き上げることにした。
朝練を切り上げ、教室へ向かう蓮を見つめる勇一郎の横へ百合が並んで見送る。
「近藤君、どう思う?」
勇一郎はその言葉に難しい顔をして見せた。
「もし、あの実力が本番で出せたら、奴は全国レベルの選手だ1年の時からな」
「よ、ねぇ……、今度の大会勝ち抜きだったわよねぇ?先鋒やらせてみたら?」
「江波戸、解っているだろう?」
「そうね、だけど言うわ。あの才能は埋めておくものじゃない、そうは思わない?」
はっとして百合の目を覗き込む勇一郎、なにやら決意のようなものが伺える。
百合の目はいつも決意に満ちているので、見慣れていたが、今日は凄みもあった。
「やだね~、女って奴は。『剣の鬼百合』の顔も立てて検討の舞台には載せるとするよ」
「近藤くん!」
百合は少し怒った顔を見せたが、すぐにまじめな顔へ戻った。
「でもね、ありがとう、近藤くんのそう言う所って好きよ」
名前とは違うバラの花が咲いたような笑顔、勇一郎は一瞬ドキッとして目をそらせた。
格技場を後にして教室に向かった僕は下駄箱で珍しい物をみつける。
ラブレター、もしくはファンレターだ。
中学生のころから、半年に一度くらいのペースで、この手のいたずらともつかないものが、下駄箱に突っ込まれていることがある。
我が校の下駄箱にはプライベートなど無く、当然フタなんてついていない。
つまり、下駄箱にそのようなものを入れた時点で入れられた者はクラス中に「なにやら手紙をもらったぞ」と、ふれ回っているようなものだ。
ご丁寧に下駄箱には「新谷 蓮」と、書かれているから言い訳も効かない。
案の定、教室に入るとそのうわさで持ちきりだった。
「ややや!!!!ようこそいらっしゃいでおはよう!我が級友にして親愛なる友の新谷蓮クン!!!」
小倉だ。
「今日の日直の仕事はクラスの仲間で全て片付けておいた!ここですることは一つだよ。新谷蓮クン!」
頭が痛い。かわいいいたずらは大勢でやると凶器にしかならないということに気付かないのだろうか?
中途半端な有名人に興味を抱いたせいで恥ずかしい思いをしたことのある女生徒を忘れたのだろうか?
もっとも、手紙の外側に名前を書いていたせいでもあるのだが……
とにかく、そんな不幸な女生徒を出さないためにも、こんなふざけた流れは止めるべきだ。
「お前だ。小倉。小細工が過ぎるぞ。僕に対する嫌がらせか?」
「は?」
僕はさっきの手紙の裏側を見せた。
汚い字で「おぐら」って書いてある。もちろん僕の字だ。
「あ、あ~……、は…ははは……、解る?」
さすがに付き合いが長いと、言いたい事は良く伝わるらしい。
クラスの全員から、怒濤の攻撃を受けている小倉を尻目に自席へついた。
授業が始まりその手紙を開く。
書いてあることはきわめて単純だった。一言で言えば「友達になりたい」ってことだ。
手紙に書くくらいだからそれ以外の気持ちもあるのだろう。
でも、女の子と付き合う気はまだ僕には無い。
別に特殊な趣味があるわけではないけれど、そういった気にもなれない。
だから、正面を切って断りに行くことにした。
中途半端な状態では、こちらも、相手も、喜ばしいことじゃない。過去にも数度、こうしてけじめをつけている。
場所は昼休みの校庭、イチョウの木の下と書いてあった。銀杏と書いてイチョウと読むことは今日辞書を引いてはじめて知った。
3時間目と4時間目の間の休みに早弁を済ませ、昼休みに校庭へ出た。
なぜか、小倉まで着いて来る。僕は一言たしなめようと振返った。
そして、
それは、何の前触れすら感じることはできなかった。
僕が振返った瞬間、目の端に太陽が差し込んだ。
その光源を2つ感じ、強烈な光に幻惑されたのだと悟った。
日差しをさえぎる為に、手をかざす。
いや、かざそうとした。
意識に体がついてこない。
手が、1ミリを何等分にもして空間を刻む。
状況がまるで理解できない。
体の動かし方は忘れた。
耳に聞こえる小倉の声は言葉の意味もなさず、ただ間延びした音声だけ。
木々を揺らす風は固体となりあたりを固めていく。
程なくして、すべてが静止した。
音はなく、動きもない。
指の一本どころかまばたきさえ許されず、心臓も動いているのか怪しいところだ。
これはパニックになるな。
と、感じた頭で冷静な僕が語りかける。
そう思っているうちは冷静だと。
一般的に事故の瞬間は時間がスローモーションになると言われているが、以前経験した事故に比べても今回は奇妙だ。
危険が、スローモーションで迫ってくる従来のものとまるで違う。
危険なんて見えない。
存在しない。
見えないものに危機を感じるとは妙な話だと思いつつ、もうひとつの考えが頭をもたげた。
見えないものが来る。
見えない危機が。それを体が感じ警鐘を鳴らしているのだ。
と、結論付けるか否か、まさしくその瞬間、体から何かを引き剥がされるような感覚におちた。
意識が白く飛ぶ。2回、3回と目の前が白く輝く。
白い霧のようなものが浮かび、それに衝突した。
霧は体を溶かしていくかのように体に染み渡るが、目を開けるという動作も体を動かすと言う動作も現実のものとならない。
霧の中を透明な自分が泳いでいる。
上も、下も、右も、左も、前も、後ろも、天も、地も、すべてがわからないままに霧の中にいる。
その霧が体に染み込む?
このままではいけない。
霧が白さを増す。
意識を保て。
あたりを白色が覆う。
負けてはいけない。
白い世界が支配を広げる。
自分だけは譲れない。
白い世界が輝き始める。
僕はここにいる!!!
そして暗転、意識は闇の中に落ちていった。
断片のつなぎあわせで、ここに序章が完了します。
さて、この話では、
心のどこかに欠陥を持った、剣道少年の登場しました。
一人暮らしの、自覚の無い天才少年。
まさに、このまま学園ものになっていれば、
ハーレム展開のフラグが立ちまくることでしょう。
残念なことに、彼のハーレム展開はありません。
実際この物語はすべて出揃って振り返ると『新谷連物語』になっちゃうし。
だからタイトルを悩んで結局仮称って、困ったものですね。
しかもいい加減に『英雄伝』って、『児女英雄伝』のパクリかって感じだし。
今のところ、この話の中で融合する英雄の中には、
その話の主人公、十三妹は入っていません。
いつか加えたいものですが。




