出発編その4
私が昨日から何回転んだのか、数えることをあきらめてずいぶん経つので、正確には把握していない。
自分が自分でなくなってしまったような感覚は今の変わっていないが、歩くことに関しては意識していればこなせると言うくらいには馴染んできた。
朝から私の歩行訓練に協力してくれたガーレンさんの提案でこの武練場に来たのは昼食をとった後のことだった。
ガーレンさんの話では私は近い将来に、旅に出なければならないらしい。
そのときに必須になることとして教えて頂いているのが今の技術、『体捌き』と言うのだそうだ。
はじめのうちは過敏な反応で転倒の連続だったけれど、相手の動きを見ると言うことにやっと慣れてきて、落ち着いて体を動かせるようになってきていた。
もっとも、ガーレンさんが私の動きやすいようにしてくれていることは言うまでもないのだけれど、足運びもだいぶさまになってきたのではないかと思っている。
「さて、エレン、一休みしようじゃないか」
「はい」
促されるがままに壁を背に座る。
傍らに置かれた水筒からガーレンさんが水を汲んでくれた。
思いのほか、のどが渇いていたらしい、私は器の水を半分ほど一気に飲み下していた。
ガーレンさんは別の水筒から黒い液体を注ぐと少し口に含み、目を細める。
香ばしい香りが私まで届き、鼻腔をくすぐった。
「これはコーヒーと言ってね、もっとも、慣れない人間には苦いだけの汁さ、薬にもならない」
私の視線に気が付いたのだろう、前を向いたまま独り言のようにつぶやいた。
「自己紹介をしている暇があるか解らないから、今、ここにいる連中を紹介しておくぞ」
この武練場には私たちのほかに3人の男女がいる。
「剣を振っている男がアレン、女がヒミカ、座っているのがレロイだ、皆、エレンと一緒でアルティナの儀式を経ている」
驚くほどに簡便な紹介、でも、それだけで顔と名前は一致するようになった。
大柄な黒髪の青年はレロイ。私がここに来たときからずっと座ったままのこの人は、時々意味不明なことを口にし、しきりに頭を振る動作が目を引いた。
そのレロイよりも少し背は低いみだいだけれど、女性としては大柄な部類に入る細身の女性がヒミカ。目にも止まらない動きは、とても私と同じ状態であったとは思えない。赤い髪を躍らせて、次々と武練場の模造刀を手にするしぐさは、架空の敵と戦っているように思える。
そのヒミカと対照的に、黙々と剣を振り続けている少し小柄な少年がアレンなのだろう。
そのアレンにヒミカが近寄りなにやら声をかける。
武練場の中央部で、二人が対峙した直後、ヒミカが妙な掛け声を上げて動きを止め、アレンに背中を向けた。
私にはよく聞き取れなかった。それでも、ガーレンさんが俯き肩を震わせているのを見れば、よほど妙な事を言ったのだろうと解る。
再び二人が対面し、改めて剣を交えあう。
一瞬のデジャヴ、似たようなものを以前にも見たような、そんな思いを心の片隅に残し、二人の剣戟、いや、剣舞に魅せられる。
遠間から見ているので二人の動きを追えないことは無いが、至近距離であの動きをされたら私が今習っている体捌きでは捌くことも、ましてや視界に収めることなんてできないだろう。
でも、二人の闘いは決して長いものではなかった。
アレンがヒミカに切先を突きつけることで決着したからだ。
いつから歩み寄っていたのだろう?決着の場に歩み寄るガーレンさんの背中はすでに二人の間近にあった。
「ヒミカはアルティナの儀式の影響でまだ本調子ではないんだ。アレン、お前も絶好調には程遠いところにいるんだが……、気付いてるか?」
振返るアレンに対してガーレンさんはどんな顔をしているのだろう?
私にとっては気のいいおじさんと言うのがもっとも近い印象だ。
「まちな、あたしはまだ決着なんて思ってないよ」
そんなガーレンさんに向けて厳しい表情で、ヒミカは立ち上がりながらそう言ってのける。
不屈の意思。
そんなものが彼女の中からにじみ出ているようだ。
「負けを認めるのも強さだぞ?それとも俺とやってみるか?」
そんな彼女の表情、視線、あらゆるものを無視して、さらりとそんな言葉をつむぎだす。
まるで、親しい友人が会話の中で、言葉遊びに興じるかのような違和感、あまりにも日常的な雰囲気と、物腰に私すら一瞬虚をつかれたかのような感覚に落ちる。
しかし、ヒミカにとっては、ガーレンさんのそんな一言が火に油を注ぐようなものだったのだろう。
「いざ!……」
あふれ出る血の気を気持ちに乗せ、一気にたたみかけようと一歩前に踏み出すか否かのタイミングで、彼女の動きは静止した。
それは、ヒミカの目の前にガーレンさんの剣が突き出されていたから。
私の体捌きの練習に付き合ってくれていたときの小刀。それがガーレンさんの右手の中でヒミカの動きを止める枷となっていた。
ヒミカのひざが小刻みに震え、その場で崩れ落ちた。初動とほぼ同時の踏み込み。
腕が動くのは私には見えなかった。
「相手に何もさせないこと、これが、勝ちを拾う秘訣だな」
あまりにも簡単な言葉、今の一瞬のやり取りは、私の素人目に見ても、勝ちを拾うなどと言う言葉は当てはまらないと思う。
その言葉のあとにガーレンさんはさらに続けた。
「アレン、俺とやろうか?」
言葉と同時に小刀を手から離し、腰につるされた剣をゆっくりと抜き放つ。
先程の小刀の倍までは無いが、決して刃引きなどされていない。
篝火を反射して光った刃が、そっと物語った。
ただその場に立ち、単純に剣を抜いただけのその姿勢には、何の威圧感も私には感じなかった。
「ちょっとまった!」
アレンと、ガーレンさんの対峙する間へ割り込んで、声を上げたのはレロイ。
ずっと座っていたので気が付かなかったけど、私の認識よりもさらに背が高い。
「真剣って言うなら、俺に見届けをやらせないか?」
何を言っているのか良く解らない。
たぶん、危機的な状況になる前に止める役といったとこではないかと想像する。
「レロイ、それは無意味だ」
ガーレンさんの言葉は静かだが、先程のレロイの言葉と違い、意味はまるで伝わらない。
レロイも意図を図りかねたのか、口を半ばあけて、なんとも形容しがたい表情をしている。
強いて言うなら、顔の神経までも総動員して、今の言葉に対する答えを考えているともいえるだろうか。
「剣を抜いてみろアレン」
ガーレンさんに対して、アレンは身動き一つしていなかった。
模造刀を手にしたまま、腰の帯びた剣には手を出そうともせずに、ガーレンさんに対峙している。
ただし、視線はガーレンさんを直視していなかった。
視線の先はガーレンさんの剣の切先辺りだろうか。
先程のヒミカと対峙したときとはまるで別人のような表情だ。
うっすらと眉間にしわを寄せているようにも見える。
「できません……」
つぶやくようでもあり、しぼりだしたようでもあり、その言葉に私はかすかな悲しみを聞いた。
ヒミカは二人のやり取りを先程の位置から座ったまま眺めている。その表情からは心中を察するには至らない。
レロイは口こそ閉じているものの、状況を理解できていないと言った表情が浮かんでいる。
「だろうな……」
ガーレンさんは剣を腰に戻すと木製の小刀を拾い上げて自分の肩を数回叩くしぐさをした。
「……それが今のお前の弱点だ。わかるな?」
「はい……」
二人の心中にいかなる思いがあるのかは全くわからない。
ガーレンさんの行為は、ただ剣を抜くことのみ。
これだけで成立する会話は、思い当たるものが一つしかなかった。
それはすでにアレンが解答を持っていて、それでも完全に気づいている状態でなくて、それが今の行為で結実した。
そんな私の想像、それが正しいのかどうかを別にすると、結果的に二人の行為を理解するに足る事柄が何一つ無いという事実。
きっとこんな事がまだたくさんあるのだろう、そんな思いが私の頭の中をよぎった。
謎掛けの難しさを実感しています。
そもそも程度がわからない。
もっと言葉を減らして謎を解きにくくするのがよいのか、
もっと言葉を増やして謎を解きやすくするのがよいのか。
それとも丁度良いのか。
この世界の『謎』、登場人物の融合者の『謎』。
本当に難しいですね。
そうそう、前回アップから今回アップまでストックは1行進みました。
なんたる、、、、、、




