偽りと本当と
裏切りには慣れているはずだった。
彼女は来なかった―それだけのことだ。今回は裏切りなんてないと思ってしまったのは愚かな僕への代価だろう…
それなのに、心にポカンと開いてしまった穴は僕にはどうすることもできなくて。
そんな自分も嫌で。
この世界に僕の居場所はない、と本能がそう訴えかけたから―
裏切られる前に信じることをやめようと…
中学ではいじめられたし裏切りにも何回も遭った―
そんなことを繰り返し、僕は人間の本質をこの手で掴んだ。
そして僕の心は形を変え、徐々に歪んで…
この施設でも、孤独になった。
「おい空ぁー!!」
「………」
「おいおいたまには相手してくれよお、空ー君っ」
毎日繰り返していると、人は慣れてしまうものなんだな。
僕は毎日こうしてからかわれる。この食事の時間は特に。
「お前さー、どうしてそんなに暗いわけ?その眼鏡も似合わねーじゃん。」
「あははっ」と笑いながら結城は僕にそう問いかけた。
今僕に話掛けているのは川瀬結城。高校一年で、生まれて間もない頃からこの施設にいて、いわばボスのような存在だった。この間朝にからかってきたのもこの彼だ。
まあ彼にとったら僕は暗くて、ろくに返答もしないものだからかえって腹が立つんだと思う。
「俺、この間から気になってることがあってさ。」
「…え?」
「噂で聞いちゃったんだけど空お前、自分の姿を隠してるってマジ?」
「!!………」
…嫌だ…何も聞きたくない。何も知られたくない。どうして君に知られなきゃいけないんだ。
「へぇ…答えないってことはマジなんだ?…でもこれでお前がどうして水を嫌がんのかも、いっつも隠れて風呂に入んのかも分かったわ。」
びくん、と体が震えた。
「じゃあこれで水浸しだ!!!!よかったな!」
「あはははは」と結城のけたましく狂った笑い声が耳に聞こえた瞬間―
頭に温かい何かが触れた。
床に落ちる黒の混ざった水。
黒く染まる服と頭を伝っていく水は、僕が一番恐れるもの。
髪に手を触れると、手はすぐに黒くなった。
ただただ呆然として、声すら出ない。
こんな風に晒されるくらいなら、消えたほうがどんなに楽か。
「っうわ!すげー!!本当だった!おい皆見ろよ!!やっぱり外人じゃねーか!」
ざわざわ、と騒がしい広間がいつもに増して騒がしい。皆が僕のことを見て、驚きの表情を浮かべていた。
それは子供達だけでなく、大人もだったから―
守ってくれるはずの人まで―
ただ一人、彼女を除いては。
「ほらな凜。俺の言った通りだっただろ?空の噂。」
凜、と呼ばれた少女―上嶋凜だけは僕のこの姿を見ても尚、驚きの表情は浮かべていなかった。一人だけ、泣きそうになりながら僕を見ている。
「ううん……私、知ってた…。ごめんね…ごめんね…私…」
その言葉の意味は分からない。
でももう僕は限界で―
なにが辛いのか、悲しいのかも分からなくなって―
一目散にその場を逃げ出した。
部屋に逃げた僕は髪が濡れていることには目も向けず、置かれた状況に葛藤していた。
〈…ねえ、隠してるでしょ。本来の姿を。本当の自分を隠してるでしょ…?どうして…?レオン…〉
〈本来の自分を捨てないで…!〉
彼女の言葉が頭の中をぐるぐると回る。
どうしてだ…どうしてだよ…?
彼女は来なかった…結局は騙されたってことだろう?
それなのに…っ…
一度しか話していないのに…
あの言葉が頭から離れないんだ…
頬に涙が伝わった。
…僕は今まで一体何の為に隠して…
結局、あの努力は無駄だったってことか…
「どうしたらいいんだ」とか「奇異の目に晒される」とかそんなことを考えることももう嫌だ…疲れたよ…
そうだ…
どうして隠さなければいけない?
考えれば、すぐに分かるんだ…
だって、僕は僕なのに…
だけど、居場所を無くしたくない……
これが矛盾だということは言われなくても分かっている。
「もう隠さなくてもいい」自己と「奇異の目に晒されたくない」自己とか葛藤して複雑に絡み合う。それの答えなんて出っこないんだ。
分からない…分からないよ…
もう本当に、どうすればいい?
その時、だ。
ふいに頭痛が僕を襲ってきた。
―え?なんだこれ―
頭の内側から何かに刺されているような、そんな痛み。こんな痛みは今までに体験したことがなかったから…焦りというより恐怖が忙しなく襲ってきた。
―僕は…どうなるんだ…?―
そこで僕の意識は途絶えた。