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2.禁域




 午後も遅くなって魔女の村に戻ってきたティノは、頼まれていた薬草を各々の家に配達し、「小さな魔女達の家」に残りの薬草や木の実を持って帰った。


 「小さな魔女達の家」には子供達の世話をする魔女が三人いる。年の順にアストリッド、コンテッサ、メイアンディナで、アストリッドはおとぎ話にでてくる悪い魔女に似た、痩せた体をして黒猫を友にした人だ。常に腰にお仕置き用の木の枝の鞭をぶら下げているが、それを使うところを誰も見たことがない。一度も笑ったことのないような顔をして、魔女の中で一番子供たちに甘いのがアストリッドだった。子供たちに薬草学を教えるのも彼女だ。

 コンテッサはふくよかな体を持つ魔女で、よく笑う人だが愉快な時も不愉快な時も笑うので、何を考えているのかわかりにくい人だった。面倒見は良いが体に良いからと彼女が料理当番の時には不味い野草料理ばかり作る。彼女が教えるのは手工芸だった。呪文をかけながら紡いだ糸で布を織ったりするのだ。

 メイアンディナはティノより五歳年上の魔女だった。森の外に捨てられたために魔女が気づくのが遅れ、見つけた時には鼠にかじられて右手が無くなっており、足も動かなかった。物静かで、顔にできた傷で子供たちがおびえないようにといつもベールを被っている。読み書きや計算などを教えていた。


 メイアンディナは日中の殆どを図書室で過ごす、授業もそこで行うのだが、この時間子供たちは外の工房でコンテッサと木彫りをしているから、図書室には彼女一人のはずだった。



「メイアンディナ、います?」

「あら、ティノ。どうしたの。何か調べもの?」

「あの、禁域について」

「まあ」


 学びたいというものに対して、理由を聞かないのがメイアンディナだ。それでもティノは初めて彼女が眉を潜めるのを見た。本の為に日が直接入り込まないようになっている書棚のそばにいるメイアンディナの周りは薄暗い。車椅子のきしむ音がしてメイアンディナは薄暗がりの中から日のあたる方へ、ティノのいる方へとやってきた。

 

「禁域の何を?」

「禁域の歴史を。どうやって出来たのかと、魔女の森との関わりも。私に調べられますか?」

「…ええ。でも、そうね。ティノはなぜ、魔女が禁域と関わってはいけないといわれているのか知っている?」

「いいえ」

「私も知らないわ。この森で、禁域の話のすることすら忌まれてきたのよ」

「でも」

「ええそうね、知りたいことは学ぶべきよ。そこに座っていらっしゃい、参考になりそうな本を探してあげる」

「お願いします」


 きい、と音をさせながら再びメイアンディナが薄暗がりに姿を消してから、ティノは閲覧席に腰を下ろした。普段の調べものなら、メイアンディナは「一緒に探しましょう」と言う。相談者が見当違いの方を探している時はさりげなく示唆したりもするが、なるべく自分で本を探させる。それなのに今回ばかりはティノを連れて行かないということは、禁域に関する本は、うっかり誰かが手にとってしまわないように、他の物騒だったり貴重だったりする本と一緒に閉架にしてあるということだ。


 ティノは一瞬、このまま帰ってしまおうかと思った。メイアンディナには「やっぱりやめます」と一言断れば良いだろう。それで、今日のことは忘れればいい。あの不思議な庭のこともお城のことも、獣のことも。

『今度は、今度はいつ来る?』

 獣の、切羽詰まったような声。ティノに触れたそうに伸ばされかけた前足。何年も何十年も、ひょっとしたら何百年も一人ぼっちの獣の。



 調べてからだ。獣が何者で、何があったのか。それがティノには耐えられないようなものだったら、二度と獣に会いにいかなければいい。


 

 けれどティノのささやかな決意は、メイアンディナが抱えてきた本を見たときにくじけた。ティノの掌ほどの高さの本が七冊。メイアンディナが日頃管理しているだけあって埃などはついていないが、一番上の本の、黒革の表紙は触れればくずれそうなほど細かなひび割れが縦横に走っている。しかも表紙に金彩で書いてある表題からして読めない。


「あの……メイアンディナ?」

「これはゴルデルゼの史書。全部で二十七巻あるのだけれど、禁域のあたりの話は最終巻しか関係がないから、この一冊だけね。その下の本二冊はゴルデルゼで当時使われていた魔法書、その下は魔女の森を開いた偉大なる魔女の伝記。子供向けに書き直されたものではないものね。それから魔女達が書き残した日誌が百年分」

「あのこれ、ぜんぜん読めないんですが」

「ああ、今使っている言葉より古いのよ。辞書も持ってきたから大丈夫」

「メイアンディナ。ご存知のことをちょっとお話してくださるだけで十分です」

「あら、駄目よティノ。自分で調べなくては。この本とこの閲覧席は当分あなたの為にとっておきますからね」

「あ、……ありががとうございますぅ」


 礼以外、何が言えようか。ティノはそれから夕飯の支度の時間まで辞書を引き引き史書を読みはじめた。五頁しか進まなかった。後片付けと明日の洗濯の準備をしてから寝るまで頑張った、七頁しか進まなかった。

 翌日の朝までに分かったことといえば、ゴルデルゼという国がかつては大陸の四分の一ほども支配するほどの大国だったということだけだ。計十二頁、この巻に書かれている時代は大分領土が縮小されているらしく、延々とかつての領土について書かれている。しかもまだまだ続きそうだった。ゴルデルゼ史を書いたのが、ゴルデルゼを滅ぼした国であれ、その次の王朝であれ、ずいぶんと丁寧に歴史を掘り返したらしい。まあそうでなければ史書とは言えないのは分かるが、もうちょっと簡潔に書いてくれても、とティノは思った。これを一冊読むだけで一年終わってしまいそうだ。


 今日、どうしよう。ティノは思った。まったく調べられていない状態で、獣に会いに行きたくはない。

 けれど約束をしてしまったのだ。


「ああそうだ、獣さんにでも出来るような仕事……探さなきゃ」


 遅くまで本と格闘していたせいで寝不足でぼんやりと鈍く痛む頭で、ティノは昨日自分が言ったことを思い出した。あの場から逃げ出すための破れかぶれと、あと獣の言い分にあまりに苛ついたからつい口に出してしまったのはいいが、あのみるからに不器用そうな前足と鋭い爪を持つ獣に出来るようなことがあるのだろうか。

 人間に戻ってから役に立てばいいのだから、勉強をしてもらえばいいのだろうか。

 無理だ。獣は仮にも王子だそうだからみっちり勉強してきたのだろうがティノはあまり勉強が好きではない上に、物心ついてから魔女の森でしか暮らしたことがない。大分古びているのだろうが、単純に知識だけでいうのなら獣のほうが上だ。


「とりあえず、薬草学の本……」

  

 数年前まで教科書に使っていた本を持っていこう。それから移植ゴテと、森で苗をいくつか掘っていこう。庭仕事は嫌だとか抜かしたら髭をひっこぬいてやる。

 ティノは髭を抜かれた獣を思い描いて、その間の抜けた顔にちょっと笑った。



     ☆    ☆    ☆



 ドフトは庭に寝そべったまま、昼間ここへ迷い込んできた若い魔女のことを思い出していた。名前はなんといったか忘れてしまったが、そんなことはどうでも良いことだった。魔女は所詮魔女だ。『美しい人』ではない、ドフトをここから出してくれる存在ではない。

 ここに閉じ込められてどれだけの時が経ったのか、忘れてしまった。時折訪れる『美しい人』に希望を託すことすらもうむなしい。

 

 一人目の娘は獣の姿を見て悲鳴をあげて逃げ帰ろうとした。

 二人目の娘は獣を殺そうとした。

 三人目の娘は獣がさわってはならぬと言った薔薇の花を、美しさに目を奪われて盗もうとした。

 四人目の娘は獣に愛を告げましたが、獣が人間の姿に戻ると失望して帰ってゆこうとした。

 五人目の娘は城も領地も獣のものではないと分かると翌日には姿を消そうとした。

 六人目も七人目も八人目もその次もその次も、誰も王子に真実の愛を捧げてくれず……。


 幾人もの『美しい人』が、呪いを解かずにその後どうしたのか、ドフトには思い出せない。彼女達は気づくといなくなっていて、そしてまた長い時間の後に、新しい人が現れるのだ。

 

 ドフトは目を開け、いつでも美しい夜空をぼんやりと見つめた。天文学は嫌いだったから星の名前ひとつ覚えていない。ただ美しいと思うだけだ。そしてドフトは美しいものが嫌いだった。美しくて、手の届かないものが嫌いだった。夜空がいつもきれいなのは嫌がらせだと、ドフトは疑っていなかった。


 

 あの娘、明日来ると言ったけれど、本当に来るだろうか。

 赤い髪と碧の目をした若い、小さな魔女。

 

 ドフトはゆっくりと目を閉じた。『明日』を思いながら眠るのは、ずいぶんと久しぶりだった。



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