堪能総体
せっかくなので、しっかりと
「うわぁ……」
ホテルの部屋に入った秋彦はその豪華さに感嘆の声をもらした。早速その驚きと喜びを分かち合おうと隣の誠を見上げる。
「って、えぇー?」
秋彦の予想に反し、誠は眉をひそめて生きた毛虫をかみつぶしたような顔をしていたのだ。じっと見られていることに気付いた誠は荷物を置き、ノートに素早くペンを走らせた。
『僕はこういうの好きじゃない』
「えー? なんで? すっげー快適そうじゃんか。俺こんなの初めてだよー!」
誠は、すたすたと部屋を横切ると革張りのソファーにそっと腰をかけて苦笑いを浮かべた。
『落ち着かないから』
ビシッと差し出されたノートに目を凝らした秋彦は、理解できずに不服顔だ。
「えーっ? 俺が言うならわかるけど、誠は育ちが良さそうだからこういうとこすっげー似合うのに?」
呆れたようなため息とともに首を振る誠。
『秋彦はこういうの……
“好き?”と書きかけてペンを止めた。何の前触れもなく、いきなり秋彦が隣の部屋に向かって駆け出したのだ。
(……?)
「ひゃっほーーう!」
寝室に飛び込んだ秋彦は器用に靴を投げ捨て、ベッドでトランポリンを始めてしまった。
「誠も、こいよー! すっげーっ! ふかふかっ、だぞーーっ!」
その子供のようなはしゃぎっぷりから愚問だったことに気付いた誠は、頬笑みながらノートを閉じた。さすがにトランポリン大会に参加はしなかったが。
トランポリンにも飽きて部屋という部屋をすべて見て回り、備品から置物、テーブルの上にあったチョコレートまでしっかり楽しんだ秋彦がようやくギターケースを開いた。当然チョコレートの手は洗ってからギターにさわっている。
「さーてと。まだまだ楽しみたいところだけどあんまり時間もないからな。みっちり特訓だぞー。覚悟しろよ誠ー」
(あ、忘れてなかったんだ)ずっとソファーに座ったままの誠は秋彦に勧められたチョコレートをポリポリ味わいながらホッとしていた。秋彦があまりに楽しそうだったので、ここに来た目的を忘れているのではないか、と思っていたのだ。
ギターを出すと、次は鞄に手をつっこんでガサガサやり始めた。
「お、あったあった。じゃーん。こういうときに便利なミニスピーカー!」
取り出したものを高く掲げる秋彦に誠の目が点になった。(は? どこに?)秋彦の手の上を穴が空くほど見つめるが誠が思うようなものは見つけられない。ただカラフルな色のまるっこい物体があるだけだ。
誠の間抜けな顔に気付いた秋彦は、ひと通り爆笑してから小さくておいしそうなスピーカーを音楽プレーヤーにセットした。
「せっかくノート持ってきてるからパソコンから直接流してもいいんだけどさ、こいつは立ち上げるのに時間かかるからひとまずコレでいくぞ」
(パソコンが……立ち上がる……どうやって?)ノートパソコンが走って回る姿を想像している誠は若いというのに病的なアナログ人間だった。
フリーズしたままの誠は手を引かれてやっと立ち上がり、走るパソコンに納得できないままギターの扱いをおさらいし始めた。
この街にくることが決まってから時間を見つけては二人でギターの扱い方と曲に合わせて口と手を動かす練習をしていたのだ。
秋彦がギターと歌にかけた時間を思えば、これはあまりに無謀な挑戦だった。約束の日まで時間は限られている。誠はそのことを理解しつつ少しでも形になるように、そして秋彦の気持ちを無駄にしないように、慣れない手つきと抜群の学習能力で教えられたことを吸収していった。
秋彦は今まで人に何かを教えるということがなかったため、楽しさと難しさ、さらに自分が作り出したものを誰かと共有できる幸せを同時に味わっていた。
その日の練習を終えベッドの上からテレビを見る二人は、それぞれ大きなアイスの皿とケーキの皿をかかえていた。あまりうろうろしたくないという誠のために食事は部屋に運んでもらったのだ。もちろん注文は秋彦の担当だ。
「あー。すっげー贅沢! こんなアメリカ映画みたいなことを今ここで体験できるとは思わなかったなー!」
その言葉を聞いて皿に見合う大きなスプーンでフルーツたっぷりのケーキを口に運びながら誠が頬笑んだ。
誠は“こういう場所”が好きではないと言ったが、こういう場所に慣れているのは秋彦の読み通り誠のほうだった。誠は注文の仕方から客として受けられるサービスは何があるかまで教え、そのおかげで二人は練習意外の時間を実に有意義に過ごすことができた。
つまりは二人の頭の中に、遠慮などという言葉は存在していないのであった。