第2話 庇ってくれた人
突然の銃声に凍り付いた人々の中から一人の男が静かに進み出た。硝煙がまとわりついている銃を持った腕を無造作に振り、ホルスターへ戻す。
彼が撃ったのだ。
「ぶ、無礼な! 何をする!」
「それはお前のことだろう」
顔を真っ赤にしたランスロットの罵声を冷ややかな応えが弾き返す。
「余が無礼なものか! この女は浅はかにも余をたぶらかし、露見してなおも余の国から図々しく水をかすめ取ろうとしているのだぞ!」
「……そうではないと分からないのか。彼女のこの姿を見ても」
低く深い、そして落ち着いた声。
涙と埃で顔を汚したエインゼルは這いつくばった床から顔を上げる。
自分をかばうようにしてランスロットの前に立っている男がいた。シャンデリアの燭光で彼の顔は見えない……
「は? お前は何を言って……」
「お前こそ何を聞いていた? 彼女はこう言っていたではないか。自分の身はどうなってもいい、亡くなった主人の想いを知って欲しい、母国を今まで同じように助けて欲しいと」
「……」
「たぶらかすどころか、我が身を捨てて必死に訴えている。王族たる身でありながら、彼女の誠実さが見えないのか? ここにいる諸侯にも問う。花のような令嬢がこんな姿を晒してまで訴えている。なのに、誰も何とも思わないのか?」
誰もがきまり悪げに俯くか、目を逸らした。
突然の婚約破棄に誰もが戸惑っていた。必死に懇願する彼女に内心同情もしていた。
だが、取りなそうとする者は一人もいない。ランスロット皇子の機嫌を損ね、自分の立場を悪くするのが怖いのだ。
いま、こうしている諫めているこの男ただひとりを除いて。
エインゼルの耳に、ホールのざわめきが水を打ったように静まり返ったのが分かった。
(私の想いを理解して下さった人がいる……)
ただ一人……その存在に涙が出そうだった。誰なのだろう。
「そ、それでも余の婚約者を偽ったことは紛れもない事実だ! 断じて許せぬ!」
己の無礼を咎められた皇子は、なおも駄々っ子のように喚きたてた。
対する男は何も言わなかった。呆れ果てたと言わんばかりの冷ややかな目で彼を見つめている。
「余はこの国の尊き血を受け継ぐ身なるぞ。言葉を慎め!」
「慎むべきはどっちだ。このように懇願されて心が痛まないのか? 新たな婚約者へ乗り換えて、彼女を捨てた後ろめたさはないのか? それを謝罪するどころか蔑み嘲笑う貴様こそ恥を知れ!」
言葉は鞭のようだった。激しい叱責を浴び、思わず後ずさったランスロットの傍から近習が「ひ、控えよ!」と叫んだ。新たな婚約者はずっと皇子に縋りついたまま蛇のような眼差しで男を睨みつけている。
お前たちはどうなのだとばかりに男は鋭い目を横へ走らせるが、その視線を受け止められる者は誰もいない。皆、視線を逸らすか目を伏せるばかりだった。玉座の主ですら言葉を失い、腰を浮かせていた。
糾弾され、頭に血がのぼった皇子だけが狂ったようにわめき、反発している。
「うるさい! 生意気な口を叩くな! 余に銃口を向けるなど非礼極まる! そこのニセモノが余を騙そうとしたのは紛れもない事実だろうが!」
「……」
「余は悪くない……余を侮辱するな!」
男は手袋を脱ぐと、叫んでいるランスロットの足許へ、やにわに叩きつけた。人々はワッと驚愕の声をあげる。
それは古来よりこの国にも伝わる決闘……果し合いの申し込みだった。
「人には決して侵してならないものがある。心の中で大切にしているものだ。お前は彼女のそれを踏みにじった。俺はそれを許さない」
男は腰に下げた剣を外し、尊称で呼ばなくなった皇子へ鞘ごと突きつけた。自分と同じように剣を取れと促しているのである。
「不敬な!」
「哀願する令嬢を平気で侮辱しても自分への侮辱は許せぬか……笑わせてくれる。ならば己の剣を執れ。セント・ラースローの尊き血に懸けて!」
「ま、待て。ちょっと待て……」
しょせん、権力を笠に着て好き勝手に振舞ってきた皇子である。決闘に応じる勇気などあるはずがない。剣技に至っては心もとない限りだった。
涙目で誰か助けろと左右に視線を彷徨わせる。
成り行きに付いて行けず、ぼう然と見守っていたエインゼルはハッとなった。
「待って。そんな……私の為に……」
慌てて立ち上がろうとした彼女はよろめいた。
男がとっさに手を差し伸べる。そのまま抱きかかえて助けてくれた。
エインゼルはそこで初めて彼の姿に目を向け……そのまま目を奪われた。
「!!」
白銀の彫像にも似た、美しい青年だった。
掘りの深い整った顔と黒に近いブラウンの髪。男性にしては細身の身体だったが、その全身が鋼のような逞しさに溢れていることが見て取れた。異国の青い軍服を着ている。
目元に銃弾によるものらしい擦過傷の跡が這っていたが瞳は蒼く澄みきっていて、それはこの青年の内に秘めた何ごとかを表していた。
エインゼルは思わず見惚れてしまった。
(……こんな人が……この世にいたなんて……)
ぼうっとなってしまった彼女はそこで我に返り、慌てて身を起こした。
「あ、あの! いいのです。私の為に決闘などと……これ以上、大ごとになってしまっては……」
「貴女が許しても俺が許さない」
エインゼルの仲裁を青年はきっぱりと断った。
「俺の望むようにさせてくれ」
「でも……」
「下がっていなさい。さぁ」
穏やかだがその声は有無を言わせなかった。軍衣らしいマントを肩に掛けられたエインゼルは後ろへと優しく押しやられてしまった。
改めて向き直った青年の鋭い視線を前に、ランスロットはすっかり怖気づいてしまっている。
だがそんな情けない主君でも庇おうとする者はいるもので、近衛騎士長の肩章を付けた男が立ちふさがった。
「ランスロット殿下は、やんごとなき身。お前のような異邦人など、私が代わってその無礼を糺してやろう」
「おお、ティルガゾール。余の為に戦ってくれると申すか!」
ティルガゾールと呼ばれたのは、切れ長の目をした美男子だった。窮地に現れた救世主に、皇子は助かったと言わんばかりに目を輝かせた。
内心では出世の打算でほくそ笑みながらティルガゾールは「お任せを」と請け負った。
「エルンスト・ルーベンスデルファー。お前が申し入れた決闘、余の代理としてセント・ラースロー帝国近衛騎士、プフェイファー・ティルガゾールが受ける。彼を余自身と心得よ!」




